402話:歓喜と悲哀
結果は、最初から分かりきっていた事ではあった。
誰も彼も、流石にここまで無理を重ね過ぎた。
「ちっ……!!」
《神罰の剣》を操りながら、アストレアが舌打ちを漏らす。
宙を舞う刃の数はほんの二つか三つ。
三桁近くを自在にしていた時とは比べるべくもない。
それでも、裁きの剣は鋭い矢の如くに放たれるが。
「何だ、それは?」
目覚めた悪は、儚い抵抗を可憐に嘲る。
片手で刃を掴み取り、飴細工か何かみたいに握り潰す。
細い指には微かに血が滴るが、それだけだ。
《秘神》と、恐らくそこにまだ残っていたイシュタルの魔力。
それらを取り込んだアウローラと、消耗し切った俺たち。
結果は、始める前から分かりきった事ではあった。
「オオォォォォ!!」
それでも、誰もがその予定調和を拒否しようとしていた。
咆哮する鬼の王カドゥル。
彼女の拳に黒い炎が燃えるが、勢いは小さい。
僅かな松明程度の《邪焔》。
アウローラはそれをまともには受けず、軽く身を躱した。
カウンター気味に放った蹴りが、鬼の巨体を容易く吹き飛ばす。
「邪魔だ、大人しくしていろ」
「クソッ。おい、アウローラ!!」
叫んで呼びかけるのはイーリスだ。
周囲を満たしつつある瘴気に、血でも吐きそうなぐらい顔を歪めながら。
それでも、その眼は真っ直ぐにアウローラを見ていた。
逆に、アウローラの方は彼女を一顧だにしない。
その事がますますイーリスの怒りを煽る。
「ふざけんなよテメェ……!!
何をいきなりトチ狂ってんだよ!
いつもみたくレックスの野郎とイチャついてろよ!
こんなの、意味がわからねェだろが……!!」
「っ……主よ、どうか、お気を確かに……!」
「……うるさい」
姉妹の言葉は、しかし届かない。
今のアウローラの中に、それが引っかかるモノが無いのか。
一瞥もせず、片手だけをイーリスたちの方へと向ける。
その指先には鈍い輝きが――。
「っと……!!」
次の瞬間、極光が瞬いた。
多分、それは《
口以外からも出せるんだなと、微妙に感心しながら。
放たれると同時に射線に割り込み、正面に剣を構えた。
触れたものを焼き尽くす死の光。
それを刃に当てて、上手い具合に弾き散らす。
既にガタガタの鎧が、散った光を浴びて更に削られていく。
下の肉も焼けてる気がするが、今は無視した。
「……面白いな。
不愉快さは収まらない。
何故、竜の長子たる私が人間一人をここまで意識しているのか。
稀有で、本来なら有りえぬ事だ。
お前は何だ?」
「改めて聞かれると、どう答えるべきか悩むなソレ」
『おい、冗談を言ってる場合かお前』
いや、冗談でなく真面目にな。
俺はアウローラにとって何なのか。
普段、それを言葉という形ではあまり意識していなかった気がする。
過去に死んで、今に目覚めて。
その時から、たまに離れる事はあっても常に彼女と共にあった。
アウローラがそう望み、俺もそれを受け入れた。
もうその形が当たり前になっていて。
今更聞かれると――なるほど、どう言い表して良いものか。
悩んだのは一秒ほど。
問われた事に、俺は素直に答える事にした。
「レックスだ」
「…………なに?」
「俺は、レックスだ。
お前のレックスだよ、アウローラ」
「…………」
言っている意味が分からない。
動きを止めた彼女の顔には、そうデカデカと書かれていた。
困惑と、理解できないモノに対する憤怒。
けれど彼女はすぐに激昂したりはしなかった。
最古の悪。
俺たちが荒野で出会う、それよりも前の頃のアウローラ。
姉妹の事が引っかからなかったように。
今の彼女の中に、俺は残っていないはずだが――。
「……不快だ、不愉快だ」
隙を狙って放たれた《神罰の剣》を、見もせずに弾き落とす。
アウローラの双眸はただ一人、俺だけを見ていた。
熱く、どんな炎よりも激しく。
無数の感情を混沌と渦巻かせて、真っ赤な瞳が俺を射抜く。
「ワケが分からない。意味が不明だ。
全知に限りなく近く、全能に僅か及ばぬはずの私が。
何故、こんな理解できない感情を抱えている?
なんだこれは、私は知らない。
お前は誰だ?
お前は何だ?
分からない、分からない、分からない。
分からないはずなのに――」
大気が爆ぜる。
斬りかかった《巨人殺し》を、やはり視線も向けずに片手で止める。
首を掴み、それからほんの少しだけ少女を見た。
しかしすぐに興味を失ったか、《巨人殺し》は即座に地面に叩きつけられる。
不死の少女と知ってか知らずか、大地に深く埋め込んで。
「私は、お前を喰らいたい――!!」
『くそっ、そういう本能だけは残ってるとか最悪だぞ長子殿……!』
内側で毒づきながら、ボレアスの炎が燃える。
飛び掛かってきたアウローラは、音を置き去りにしていた。
反応は紙一重で間に合った。
間に合わなかった場合、多分首がねじ切られていただろう。
構えていた剣を掴まれて、そのまま勢いよく地面に押し倒される。
細い腕から出ているとは思えない、とんでもない馬力だ。
こっちも気合い入れて押し返そうとするが、残念ながらびくともしない。
片手が刃を抑え、空いた手が俺の片腕を抑える。
馬乗りになった状態で、アウローラは俺の顔を覗き込む。
止められる力が残った者は、この場に誰もいない。
それは俺を含めての話だ。
『いい加減、思い出せよ長子殿!! それでも古き竜の長か貴様!』
「…………」
ボレアスの罵声は、今のアウローラの耳には届いていなかった。
熱い眼差しが注がれる。
押さえつけられ、動けない俺を彼女は見ている。
もっと言えば、見られてるのは多分首の辺りだろう。
じっと、それこそ穴が空きそうなぐらいに。
「ッ……!」
痛みが走った。
兜と甲冑の隙間。
僅かに露出している首元に、アウローラが噛みついたのだ。
鋭い牙が皮膚を突き破り、その下の肉まで届く。
噛みついてるというか、これはもう完全に齧り取りに来てるな。
「キスなら、もうちょい優しくして欲しいな……!」
「…………っ」
冗談半分に抗議したが、残念ながら
ごくりと、アウローラの細い喉が音を立てる。
肉を食み、血を呑んでいるようだ。
飢えた子供が、初めて見た食べ物にむしゃぶりつくように。
半ば我を忘れた様子で、アウローラは俺の血肉を味わっていた。
「――美味い」
唇の隙間から漏れ出た声には、隠し切れない歓喜があった。
歓喜、そう歓喜だ。
アウローラはどうしようもなく喜んでいる。
俺の血肉を貪りながら、感極まって涙すら浮かべているようだ。
押さえる手の力は、加速度的に強まっていく。
「美味い、美味い……なんだ、コレは!?
飢えが満たされる、渇きが癒やされる!!
あれほど欠けていた力が埋められていく……!
何故だ、分からない、何故!?」
解けぬ疑問に苛まれながらも。
アウローラにとって、ただ「満たされる」感覚が抑えきれないらしい。
気分は皿に盛られた肉料理だ。
彼女は涙を流し、歓喜に震えながら俺を食べていた。
痛みはなく、意識も若干遠のきかけている。
ボレアスが呼びかけてる気もするが、残念ながら聞こえない。
感じ取れる世界の範囲が、狭く閉じていく。
そこにいるのは俺と、アウローラだけだった。
……思い出すのは、彼方の夜。
もういつだったかは分からない、俺と彼女だけが知る一幕。
あの時は確か、俺が焼いた肉を彼女に食べさせたんだ。
今の状況で、何となく思い出してしまった。
まぁ、食われてるのは俺自身なんだが。
「分からない、分からない分からない……!
どうして、何故、こんな……!」
「……あー……」
さて、何を言ったら良いか。
大分思考が纏まらなくなって来たのは、血を流し過ぎたせいだろう。
腕は……どうにか、まだ動く。
剣を保持して、持ち上げる程度には、まだ。
世界がまた少しだけ遠のいた。
熱は流れ出し、俺の中にあるのは冷えた灰だけだった。
燃え尽きてしまった魂の残骸。
本来ならもう、とっくに消えているはずの自己。
まだ、どうにか身体は動かせる。
俺の血肉を食むのに夢中で、アウローラの手は緩んでいた。
だから、俺は。
「ッ――――!?」
アウローラが止まった。
驚き、戸惑う目が俺を見る。
手にしていた剣は、もう離していた。
最後に、ほんの少しだけ残った力。
それで俺は、彼女の身体を抱き締めることにした。
もとより、アウローラが何もしなけりゃ死んでた身だ。
俺との事が、彼女の中から無くなったとして。
それでも俺を心の底から喰いたいと思うのなら、まぁ仕方ない。
差し出す事に、そんなに躊躇いはなかった。
アウローラが少しでも満たされるのなら、それは良いことだ。
だから俺は、彼女を抱き締める。
乱れた髪をほんの少しだけ、指で漉いてやる。
そしたら、血で余計に汚してしまった。
いや、気が利かなくて悪いな。
どうしたもんか、とか。
死にそうなせいか思考は鈍く、自分という存在が酷くあやふやで。
そんな、どうしようもない暗闇に落ちる中。
「………い、ゃ」
微かに、声が聞こえた。
聞き間違えるはずもない。
もうまともに耳が機能していないとか、関係なかった。
その時、俺が聞いたのは。
「いや……こんな、の……いや、よ……!」
大粒の涙をこぼす、アウローラの嘆きだった。
俺の手を掴み、彼女は叫ぶ。
「ちがう、ちがう、ちがう……っ。
わたしは、もう、■■■■なんかじゃ、ないのに……!!
こんなの、ぜったいに……!」
「…………」
泣いている。
足掻いている。
どうしようもないと認めながら、それでも諦め切れずに。
そこにいるのは、俺の知るアウローラだ。
塗り潰そうとする■■■■の圧力から、逃れようと抗って。
けれど届かず、荒れ狂う波に呑まれかけながら。
彼女は必死で、俺の手を握りしめだ。
「たすけ、て……レックス……!」
「ッ……アウ、ローラ……!」
沈みかけた意識を、無理やり持ち上げる。
消えかけた……いや、とっくに消えているはずの魂の火。
それを無理やり燃え上がらせようともがく。
彼女が望むなら、喰われて良かった。
惜しむ命ではないし、そもそも拾い上げたのは向こうだ。
だから死ぬことそのものに抵抗はなかった。
けれど、アウローラは助けを求めている。
だったら、俺はそれに応えねば。
闇から這い上がろうと試みるが、上手くいかない。
色んな意味で既に限界だった。
そして、アウローラの方もまた。
「……なんだ、今の感覚は……?」
再び、纏う気配がドス黒くなる。
彼女はまた、古い悪の奥底に呑まれてしまった。
逆に言えば、彼女はまだそこにいる。
そこにいて、俺に助けて欲しいと願っていた。
だから俺はもがき続ける。
仮に届かないにしても、最後の最後までは諦めるつもりはない。
そんな無様な俺の姿を、アウローラの姿をした古き竜が見下ろしている。
「何をする気か知らないが、無駄な足掻きだ。
このまま大人しく、私の糧になれ」
ホント、さっきまではそれでも良かったんだけどなぁ……!
再度、アウローラの手が伸びてくる。
動けない俺にトドメを刺す気だ。
世界は暗く、他の誰かが助けを期待するのも虫が良すぎた。
いよいよヤバいか、と。
流石に覚悟を決めた――その瞬間。
「ッ――――!?」
暗闇を切り裂く光。
錯覚ではなく、それは物理的な輝きだった。
空から降り注ぐ、眩い光の柱。
詳細は分からなかったが、そこには攻撃的な意思が含まれていた。
狙いは俺ではなくアウローラだ。
『悪いが、横槍を入れさせて貰うぞ』
聞き覚えのある気がする誰かの声。
何となく、蛇の姿がちらつく。
状況を把握できぬまま。
光の柱に呑まれるとほぼ同時に、俺の意識は完全に途絶えた。
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