220話:前へ

 

『防御は広げるが、気は抜いてくれるなよ?』

「分かってる、今度は大丈夫だから」

 

 猫が鳴くと、「私」の周りを淡い光が包み込んだ。

 多分、魔力による防御壁。

 「私」は頷きながら、その戦いを見ていた。

 

『ラララララ・ララララララ』

 

 歌う。影の獣は歌っている。

 歌いながら、踊るような動きで飛び跳ねる。

 改めて見ても、やっぱりその姿は酷く歪んでいた。

 黒い馬の身体を、子供が引き延ばしたようなおかしな造形。

 無駄に白い歯をガチガチと鳴らし、その隙間からは歌声が漏れ出す。

 その声も、雑音ノイズが酷くて聞き取りづらいけど。

 恐らくは女の声だ。

 年若い娘の声が、幾つも重なったような。

 そんなおかしな歌と共に跳ね回る怪物にも、二人の戦士は怯まない。

 

「意外と動きが面倒だな。おい、下手打って齧られるなよ」

「齧られる中身がない男は気楽なものだな」

 

 どころか、軽口さえ叩き合っている。

 本当に、どれだけ修羅場を潜って来たのだろう。

 当然のこととして、油断は欠片もしていない。

 ただ「このぐらいの怪物は見慣れている」という、精神的な余裕。

 不規則に跳ねる影の獣は、予期せぬ角度から噛み付こうとする。

 けどそれは、甲冑の彼にも森人の男にも当たらない。

 剣で弾かれるか、躱されて逆に反撃を受けるか。

 

「浅いか」

 

 白刃で獣の足を半ば斬り裂いて、森人の男は呟いた。

 細い前脚の片方、それが千切れる寸前まで切断されていた――が。

 これまでの悪夢の怪物たち、その例に漏れず。

 あっという間に足の傷は再生してしまう。

 

「コイツら大体こんなんだからな。

 不死身じゃないし、死ぬまで切り刻めば良いだけだ」

「分かりやすくて結構な話だ」

 

 慣れたものだと、どちらもそう言わんばかり。

 先ずは甲冑の彼が剣を振り上げ、真っ直ぐ影の獣へと突っ込む。

 

『ラララララ!』

 

 奇怪なリズムで笑い、歌う。

 突撃を仕掛けてくる甲冑に、影の獣は枯れた森の中を踊る。

 彼の足も十分速い。

 けど、影の獣はまるで重さがないように。

 ひらりひらりと、飛び跳ねる動きで身を躱し――。

 

「――見えているぞ」

 

 その細い体躯を、矢が何本も貫いた。

 放ったのは当然森人の方。

 白刃をいつの間にか鞘に納め、手には弓を握っている。

 一度の射撃で同時に三本。

 言葉通りの目にも止まらぬ早業だ。

 致命の傷すら塞いでしまう、怪物の再生能力。

 それの前では、矢傷ぐらいは物の数ではないかもしれない。

 けど、射貫かれた痛みは感じているようで。

 脚も同時に矢で貫かれ、影の獣は思わず怯む。

 当然、その瞬間は動きが止まる。

 

「《跳躍ジャンプ》――!!」

 

 魔法によって脚力を強化して。

 甲冑の彼は、倍化した速度で強引に間合いを詰めた。

 

『ラララ――!!』

「うるせェよ!」

 

 歌声を断ち斬る一閃。

 口だけの頭部を、彼の振り下ろした剣が断ち割る。

 ドス黒い血を溢れさせる影の獣。

 更に追撃の一刀が、怪物の脚を一本斬り落とす。

 

『痛い! いたイいたいイタイ!!』

 

 ここで初めて、影の獣は苦痛を叫んだ。

 傷を塞ぐ速度よりも、二人の攻め手の方がずっと早い。

 逃げようとする動きを、森人の矢が牽制する。

 脚を正確に貫いて、影の獣はロクに跳ねることもできない。

 そうなれば、彼の剣は容赦しない。

 刃が黒い肉を抉り、傷が塞がる前にその上から更に傷を重ねる。

 繰り返す、怪物が完全に絶命してしまうまで。

 一方的に切り刻まれて、影の獣にはもう反撃する余裕すらない。

 

「これなら……」

 

 このまま終わる、と。

 「私」はそう思っていたし、腕の中の猫も同様。

 戦っている二人も、まったく同じように考えていたはず。

 けれど、悪夢はそう容易くはない。

 

『キィアアァアアアアア――――!!』

 

 大気を揺さぶるような絶叫。

 それを放ったのは影の獣だった。

 全身を斬り裂かれ、首も半ばまで切断された状態にも関わらず。

 口を裂けるほどに広げて、怪物は叫びを迸らせた。

 これは……暗い海で、あの生首が上げた声と同じ……?

 少なくとも、空気を震わせる感覚が似ている。

 なら、この声の狙いは――。

 

「気を付けて、きっと何かが……っ!」

 

 一応、戦う二人に警告を発しようとして。

 「私」は声を上げたけど、それは強制的に中断させられた。

 森全体が、激しく揺れる。

 地震かと思ったけど、何かが違う。

 違和感を覚え、「私」は空を見上げた。

 空の色は相変わらず暗い。

 揺れる地面の上で踏ん張りながら、「私」は見た。

 その暗い空を遮っている「何か」。

 さっきまでは絶対にいなかった、あり得ざる怪物モノ

 猫も同じように見上げて、そして絶句していた。

 空に届き、それを半ば塞ぐような存在。

 森の上空から覗き込む「ソレ」には、首がなかった。

 見た目は巨大な女――の、上半身。

 恐らく、腰から下が存在しないのだろう。

 巨影の女は両手を地に付けて、頭のない首で森を覗き込む仕草を見せる。

 外見上、物理的に視覚があるはずはないんだけど……。

 

『流石にちょっとデカ過ぎるだろ??』

「猫になる前のお前の方がよっぽどデカくなかったか?」

『それはそれ、これはこれで!』

 

 「私」は良く分からない、甲冑の彼のツッコミ。

 これにまた猫は律儀に応じる。

 いえ、じゃれ合うのも別に良いんですけど。

 幾ら何でも、あのデカブツは辛いのではないでしょうか。

 余りの驚愕に、「私」の頭は逆に冷えていた。

 やっぱり冷静になったからと言って、状況が変わるワケでもないけど。

 パニクってしまうよりはマシだと、自分に言い聞かせる。

 

『ラララララ! ラララララ!』

「チッ、コイツいきなり息を吹き返したな……!」

 

 巨影の女が現れたからかどうか、それは分からない。

 ただ事実として、影の獣は明らかに活力を取り戻していた。

 傷の再生速度も早まり、跳ね回るような動きも力強い。

 振るわれる剣に対し、牙で噛みつこうと反撃までし始めた。

 ……これは、また厄介ね。

 

「厄介だな」

 

 「私」が思ったのと同じことを、森人の男が呟いた。

 既に弓は牽制にならないと判断し、再度その手には白刃が握られている。

 甲冑の彼と共に、影の獣に向かって切り込むけど――。

 

『ラララララ!!』

「チッ……!」

 

 先ほどのようには行かない。

 明らかに影の獣の速度は上がり、膂力も増している。

 身体の一部を爪のついた触手のように変化させ、手数まで増やし出す。

 そのぐらいで甲冑の彼も、森人も不覚を取りはしないけど。

 さっきと比べれば、間違いなく苦戦している。

 そうなった原因は、考えるまでもない。

 

「あのデカブツ……!」

 

 こちらを覗き込む、首のない巨体。

 現れて、「私」達の頭上を塞ぐように動いてから。

 何もしていない。何かをしようという素振りも見せない。

 ただじっと、まるで置物か何かみたいに……。

 

「……いえ、いいえ」

『おい、どうした?』

 

 「私」の様子に、猫が不安を覚えたようだけど。

 構っている余裕はなかった。

 巨影の女は、動いてないように見えるけど……違う。

 その身体――正確には頭のない首の真っ黒い断面から。

 何か、黒い「気配」のようなものが溢れている。

 他の誰も、それに気が付いていない。

 感じ取っている「私」も、それを別に目で見てるワケではなかった。

 ただ、そこに「在る」とだけ分かる。

 黒いというのも、感覚上での話でしかない。

 首の断面から溢れたソレは、今も歌う影の獣へと流れていく。

 あの怪物がいきなり強くなったのも、このせいか。

 どうする? どうすればいい?

 多分、あの二人はそのぐらいでは負けないでしょうけど……。

 

『ラララララ! さァ、一つニ! 何も怖くナイかラ!』

「だからうるせぇよ……!」

 

 弾く。弾く。弾く。

 触手や噛み付きを、甲冑の彼はことごとく剣で弾いている。

 本当に、凄いとしか言い様がない。

 森人の方も、また弓から白刃に切り替えて戦っていた。

 刃は獣の肉を削るけど、再生する速度は未だに衰えていない。

 巨影の女から溢れる黒い気配。

 それが流れ込む限り、恐らくあの獣は容易くは死なない。

 加えて、恐れていることがもう一つ。

 

『……拙いな、また別の気配が寄ってきやがった』

 

 枯れた色をした木々の向こう。

 「私」も、そこに多くの「何か」がいるのを感じていた。

 懸念した通り、森に潜む獣は今戦ってる奴だけじゃなかった。

 頭上で巨影の女が流す気配に誘われたのか。

 分からないけど、このままでは……!

 

「…………」

『おい! これはちょっと逃げた方が――って、どうした?』

「……ええ。悪いけど、少し無茶に付き合って貰うわ」

 

 それは、本当に単なる思い付きだった。

 上手く行く保証なんてない。

 けど、このまま何もしないのは耐えられない。

 だから僅かな可能性に、「私」は賭けることにした。

 

『ちょ、何する気です??』

「貴方が今言った通りのことよ!

 ――二人とも!」

 

 始める前に、「私」は戦い続ける二人に声を上げた。

 さっきまでは苦戦していたはずだけど。

 獣の勢いは衰えずとも、彼と森人は既に押し返していた。

 ホント、流石としか言い様がない。

 だから「私」も、最後の躊躇いがなくなった。

 

「集まってるその他大勢は、『私』が引き付けるから!

 だから、後のことはお願い!」

 

 一方的に言うだけ言って。

 そのまま、「私」は猫を抱えて走り出した。

 枯れた色の木々、まだ見ぬ獣がうろつく薄闇へと。

 ――最初に現れた影の獣も、真っ先に「私」のことを狙って来た。

 

『先へ進める者が侵入してきたから、進めないように道を閉ざした』

 

 その推測が正しいと、そう仮定するのなら。

 集まって来た獣達が狙うべきは、「私」一人のはずだ。

 

『マジで無茶すんなァ! もうビックリし過ぎて猫になったわ!』

「もう既に猫でしょ貴方は!

 それより、獣の気配とかはどうなってる!?」

 

 馬鹿なことを言ってる猫を、胸元に強く抱えて。

 走る。兎に角、「私」は必死に走る。

 胸の奥が激しく脈打ち、全身を熱い血が駆け巡る。

 森の中、デコボコした地面や太い木の根に足を取られかねない。

 それだけは注意しながら、「私」は走った。

 

『……来てる、来てる来てる。

 臭いが混ざって正確な数は分からんけど、結構いるぞコレ!』

「それなら予定通りね……!」

『やー大分キツイと思うけどホント大丈夫??』

「勿論、盾になってくれるわよね?」

『ああもうしょうがないニャー!』

 

 ええ、素直で大変宜しい。

 ふざけてはいるけど、猫も状況は理解しているはず。

 走って、走って、走って。

 チラリと見える木々の隙間を、歪んだ影が幾つも掠めていく。

 来た。巨影の女が放つ、黒い気配も追ってくる。

 予想通りの予定通り。

 彼らは「私」を優先して狙っている。

 だったら、こっちのやることも明白だ。

 

『……で、マジでどうする気なん?』

「逃げるわ。逃げて、追っかけてくる連中を引き付ける」

『そこまでは分かる。で、その後は?』

「あら、聞いてなかったの?」

 

 笑う。

 走って少し息が上がりそうだけど。

 敢えて「私」は、自身を鼓舞するように笑ってみせた。

 

「二人に言ったでしょう。『後のことはお願い』って」

『それは実質無策ってことでは??』

 

 そうとも言うかもしれないわね。

 でもこれで、総数不明の獣達は「私」の方に引き寄せられた。

 黒い気配も流れてくる辺り、あの巨影の女もこっちに注意を向けてる。

 思惑通りに運んでいるのなら、やっぱり「私」は笑うべきね。

 

「ほら、彼と森人が何とかしてくれるまで。

 ちゃんと『私』のことは、貴方が守って頂戴ね……!」

『猫遣いの荒さに思わずホッとするの、ホント我ながら末期だと思うわ!』

 

 またよく分からないことを言ってる猫を抱えて。

 「私」は走る、枯れた色の森の奥へと。

 背後から迫る獣の臭いと、黒い気配から逃れるために。

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