第三章:枯れ色の森

219話:道を塞ぐ意思


 ――少なくとも、その時点ではおかしな事はなにもなかった。

 暗い海を越え、白い砂浜に辿り着いた「私」達。

 枯れた色の森は、森人と猫が二人(?)で偵察をしてきてくれた。

 見た目こそ奇妙だが、これといった危険も異常もなかった、と。

 だから「私」達は、浜辺で休憩を取ることにした。

 ……まぁ、「私」は彼と一緒に一足先に休ませて貰ったけど。

 

『寝る。もう寝る。マジで寝る。ホント寝る』

 

 呪文みたいに繰り返して、猫は砂の上で大の字に。

 すぐにふがふがと寝息を立て始めた。

 ……本当に眠かったのね。

 森人は「私」達からは少し離れた位置に佇んでいた。

 休息を取る、という話なのに。

 身体を休めようとするでもなく、辺りを警戒し続けている。

 一応、「休まないのか」と声は掛けたけど。

 

「問題ない。これで十分体力は回復できる」

 

 と、淡々と応えた。

 まぁ、本人がそう言うのであれば。

 「私」の方は、本当に疲れていたから。

 猫みたいに眠ることはなかったけど、彼の膝の上で休ませて貰う。

 甲冑の彼は、眠気や疲労は感じないとか。

 そんなことは言っていたけど、それはそれで心配になる。

 どうあれ、休めるならちゃんと休んだ方が良いとは思うし。

 こんな状態で、彼はちゃんと休めてるのかしら?

 

「あぁ、俺は大丈夫だから」

 

 彼に聞いても、返事はいつだって優しい。

 ゆっくり頭を撫でられたら、それ以上は何も言えなくなる。

 ……彼が「大丈夫」と口にしたなら、それが正しい。

 心配が半分、そんな確信が半分。

 だから「私」が一方的に、甘えるみたいな形になってしまう。

 気恥ずかしさもあるし、微妙にこそばゆい。

 それを表に出すのはもっと恥ずかしくなるから、平静を装うの。

 きっとバレてるって、そう思いながらも。

 一時の安らぎは、白い砂浜であっという間に過ぎて行く。

 

「ちなみに、腹が減ったりはしないか? あと喉が渇いたりとか」

 

 ふと、彼がそんな確認をして来たのは、出発する少し前ぐらい。

 空腹や、喉の渇き。

 言われて、「私」はそれらを気にした事がないと気付く。

 思わず自分のお腹の辺りを指で撫でて。

 

「……無いわね。そういうの。

 ここに迷い込んでどれだけ経つかも、良く分からないけど」

「そうか。いや、それなら良いんだ」

 

 「私」が応えると、彼は何度か頷いた。

 そう、空腹感とかそういうのは「私」は少しも感じていない。

 改めて気にしてみると、何か「満たされない」感覚は胸の奥にあるけど。

 単純な飢えや渇きと、それは違う気がする。

 何がどう違うのかは言語化できない。

 

「ちなみにそっちの糞エルフさんは?」

「心配してくれるのは大変ありがたいが、問題ない。

 偶発的に呑まれたお前達と違って、準備はして来たと言ったろう?」

「心配っつーか念のための確認作業だからな?

 最悪の最悪、お前から食料を奪い取る必要があるかもしれんし」

「何だ、『お願いします』と言えば親切心の一つも沸くかもしれんぞ?」

「そこで『そう言えば素直に上げる』とは言わないから友達できないんだぞ」

「ははははは」

「ははははは」

『仲良しダナー』

 

 ホントにね。

 気付いたら起きてた猫の鳴き声に、「私」は声には出さず同意した。

 まぁ、それは兎も角。

 短い時間ではあったけど、「私」達は身体を休めた。

 そうしてから、改めて枯れた色の森と向き合う。

 変化はない。少なくとも、その時点では何も。

 

「――よし、行くか」

 

 甲冑の彼の、その言葉が合図だった。

 先頭には彼が立ち、一番後ろには森人の男。

 「私」は猫を抱えて、その真ん中に挟まれる形。

 

『まぁこれが最適解だよな。ちなみに抱えて貰わんでも歩けるよオレ?』

「こうしてないと、いざという時に使えないでしょ?」

『何に使う気か聞いても良いっすか??』

 

 だって貴方、とても頑丈だし。

 未知の場所を進むのだから、できる限り備えないと。

 他に異論もなさそうなのでしっかりと胸元に抱いておく。

 猫も理解してくれたのか抵抗する素振りは見せない。

 

『これでせめて、もうちょい厚みがあれば……』

「何か言った??」

『ナンデモナイデス』

 

 思わず首を絞めそうになったけど、ええ。

 気のせいなら良いのよ。

 

「緊張すれば良いというものでもないがな。

 あまり緩めて足下を疎かにするなよ」

 

 そう言って来たのは、後方を歩く森人だった。

 どこから取り出したのか、その手には剣ではなく弓が握られている。

 前へと歩を進める動作は何気ないものだけど。

 どんな状況でも素早く矢を射ると、そう確信させる圧があった。

 

「言われるまでもなく、分かってますとも。

 そういう貴方こそ、殿ならしっかり見張って頂戴ね?」

「請け負った仕事は必ず果たす。それがささやかな誇りでな」

『頼りになる台詞だなぁ』

 

 言ってる本人が胡散臭すぎるせいで、凄く白々しく聞こえるけど。

 多分、虚偽は無しに本気で言ってるんでしょうね。

 ……正直に言えば、この男が後ろに立つのはちょっと怖い。

 虚偽の気配は微塵も感じさせず、同じぐらい本心を見せない。

 背後から撃つ気はなくとも、それ以外の方法で何かするんじゃないか。

 「私」もそういう不安は強かった、けど。

 

「どの道、コイツが前に立とうが後ろに立とうが不安にはなるぞ」

 

 と、甲冑の彼が見も蓋も無いことを言ってしまった。

 うん、まぁ、確かにそれはそうね。

 結果として、一番目の良い森人が殿を務めるという形で落ち着いたのだ。

 やっぱり、後ろから感じる視線で落ち着かないけど。

 

「……この森、どのぐらい続いてるんだろうな?」

 

 どれぐらい、枯れた色の森を歩いたか。

 先頭に立って、邪魔な枝葉を剣で払いながら甲冑の彼が呟く。

 

「んー……まだそんなに歩いてないわよね?」

『どうも、ここは時間感覚も狂うっぽくてな。オレも良く分からん』

「少なくとも丸一日経過した、ということは無いだろうな」

 

 三者三様の答えに、彼はふむと頷いた。

 

「どうかしたの?」

「いや、正直勘なんだけどな」

 

 「私」の言葉に応じながら、彼は森の中をぐるりと見渡す。

 そうしてから、一言。

 

「これ、同じ場所をぐるぐる回ってないか?」

「…………え?」

 

 いや、そんなまさか。

 さっきからずっと、「私」達は真っ直ぐ進んでるわよね?

 確かに景色に代わり映えはないし、そう錯覚するのは無理も……。

 

「あぁ、俺も同じことを感じてた」

『いやそれは言おうぜ??』

「確証がなかった。

 森の景色がそう思わせただけ、という可能性も十分にある」

 

 言ってから、森人の男は少しだけ「私」達から離れる。

 手近に生えている木の枝や幹を確認して。

 

「……あぁ、間違いないな。

 これは幾らか前に、竜殺しが枝を払った痕だ」

「マジか」

 

 森人が示した枝を、甲冑の彼も確かめる。

 「私」も猫を抱えてそちらに近付く。

 ……言われてみれば、枝には剣で斬りつけたような痕跡があった。

 これは、つまり。

 

「今度はそういう仕掛けかぁ」

「俺やそちらの猫が偵察した時は、こんな現象は見られなかった。

 単純に条件を満たしていなかっただけか。

 或いは、何かしらの意思が介在しているのか……」

『迷いの森って感じか? 古典的っちゃ古典的な罠だよなぁ』

「落ち着いてるわね貴方達……」

 

 一瞬動揺しかけたけど、「私」も流れで落ち着いてしまった。

 焦って状況が変わるワケじゃない。

 けど同じく、冷静になったからといって状況が動くワケでもなかった。

 「私」達はこの枯れた色の森に閉じ込められた。

 それだけは間違いない。

 けど。

 

「これまでみたいに、『私』が先に進めば……」

『いや、むしろそれが原因かもしれん』

「えっ?」

 

 猫の言葉に、「私」は少し驚いてしまう。

 抱えられたままで、猫は一つ頷いて。

 

『先へ進める者が侵入して来たから、進めないように道を閉ざした。

 あくまで予想だが、原因はそんなところじゃないか?

 オレや森人の旦那が入っても反応しなかったしな』

「……そうだな。そう間違った推測でもないだろう」

 

 その仮説に同意を示したのも、森人の男だった。

 相変わらずその眼は、猛禽の鋭さで周囲の状況を観察している。

 先に偵察した段階では、危険はないと言っていた。

 けれど今、状況は完全に変わっている。

 だから。

 

「……いるな。どこに隠れていたのやら」

 

 森人の眼は、「何か」を捉えていた。

 それと殆ど同時に、甲冑の彼が剣を構え直す。

 猫を抱える「私」を中心に、二人はそれぞれ別の方向を警戒する。

 腕の中の猫もまた、毛を逆立てて周囲に魔力を放ち始めた。

 

「何っ? どこにいるのっ?」

 

 「私」はまだ、森に潜むモノの存在に気付かない。

 きょろりと、枯れた色の木々が並ぶ風景を視線でなぞって。

 

「ッ――!」

 

 見た。

 木と木の隙間から、ほんの一瞬だけ。

 長い手足を持つ、影のような「何か」の姿を。

 動きは素早く、まるで風のように。

 繁った草木を僅かに鳴らすこともなく、無音で森の中を這い回る。

 一体、アレは何?

 

『次から次へと、まぁけったいな怪物が出てくるなぁオイ』

「いやー、昔を思い出すわ」

「いつ飛び掛かって来るかも分からん。気を抜くなよ」

 

 「私」以外は、ホント落ち着いてる。

 だからこっちも、最低限取り乱さずには済んだ。

 森を這いずり回っている何か。

 脳裏に浮かぶのは、目玉の怪物や巨大な女の生首。

 悍ましい悪夢の姿は、思い浮かべるだけで「私」の心を削る。

 恐ろしい。

 何が恐ろしいのか、それが分からない事が一番恐ろしい。

 

「――――」

 

 また、影が掠めた。

 見ている――あちらも、「私」を見ている。

 いいえ、アレに目はない。

 目はないけれど、確かに「私」の存在だけは捉えている。

 だって、アレは――。

 

『おい、しっかりしろっ!』

 

 どこかに引き込まれそうになっていた、「私」の意識。

 それを引き戻したのは猫の鳴き声だった。

 いきなり夢から目覚めて、寝台の上から転げ落ちるみたいに。

 「私」は慌てて正面を見た。

 

『ララララララ・ラララララララララ』

 

 歌っていた。

 「ソレ」は音もなく走りながら、酷く陽気な声で歌っていた。

 見た目は馬に近い四足歩行。

 けど馬と比べても伸びた足は異様に長く、関節だけが奇妙に膨れている。

 長い首の先端、そこには当然顔がある。

 けどその怪物の顔には、大きな口と歯しかなかった。

 目や鼻、耳などは一切無く、ただつるんとした黒い球体じみた顔。

 その何もない顔に、亀裂のように開いた大きな口。

 人間の物を誇張したようなその口には、肥大化した白い歯が綺麗に並んでいる。

 ガチガチ、ガチガチと。

 陽気な歌声と、巨大な歯をかち合わせる音。

 両方を響かせながら、黒い獣は「私」の目の前まで迫っていた。

 本当に速い。そのクセ、どれだけ走っても音を発しない。

 二人の戦士の警戒さえも容易く掻い潜って。

 怪物の開けた口が、「私」を食い千切ろうと――。

 

「ケダモノが、舐めんなよ」

「軽く見過ぎだな、莫迦め」

 

 その悪意が、「私」に触れるよりも早く。

 銀の剣が白い刃が、黒い影を同時に斬り裂いた。

 首を断った――そう、「私」も錯覚した。

 けど、斬られた部分をぐねぐねと気色の悪い動きで波立たせて。

 影の獣は、蛇に似た動きで距離を取る。

 その瞬間にさえ無音であるのは、正直凄まじい。

 森でこんなのに付け狙われたら、それこそひとたまりもないだろう。

 この場に、「彼ら」がいなければの話だけど。

 

「さて、次はさっさと脱落してくれるなよ?」

「アレは海に落ちた二人を助けに行っただけだからノーカンな」

「そう言い張るのなら仕方あるまいな」

「ただの事実なんで、そこんところ宜しく」

 

 ……こんな時まで、ホント仲が宜しいったら。

 猫の方も、やっぱり呆れた顔で尻尾を揺らしている。

 ただ、そこに心配とか不安はない。

 何故なら。

 

「時間をかける意味もない。即、片付けるぞ」

「あぁ、海のデカブツよりはマシっぽいな。

 斬るには丁度良いサイズだ」

 

 甲冑の彼も、森人の男も。

 まるでこれから散歩にでも出るような気軽さで。

 眼前の怪物に、これから起こる死を告げた。

 

『ララララララ・ラララララララララ』

 

 その殺意に晒されながらも、影の獣は歌う。

 不気味なぐらいに陽気な声で。

 死地に踏み込みながら、まるで何もかもを嘲るように。

 影の獣は、二つの刃を前に歌っていた。

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