幕間2:猫と糞エルフ


 枯れた色の森には、奇妙な空気が漂っていた。

 生きているのに死んでいる。

 死んでいるのに生きている。

 草も木も、どれも朽ちた色をしているのに。

 どれもこれも、本当の意味では枯れていない。

 おかしな話だと、オレはそれを見ていた。

 首根っこを掴まれた状態で、ぶらぶらと揺れながら。

 ……揺れが気持ちよくて、若干眠くなって来た。

 いや、寝ても良いんだけど。

 そもそも寝るつもりではあったんだが。

 

「ふむ……空気が妙だが、それはどこも同じことだな。

 危険な敵性存在は見える範囲には存在しないか」

 

 淡々と、森で見聞きした事を口にする男。

 オレを強制的にここに連れて来た、おかしな森人。

 改めて、オレはその顔を見上げた。

 ……うん、性格悪そうな面構えだわ。

 

「言いたいことや聞きたいことがあるなら構わんぞ」

『友達いないだろお前』

「ノーコメントだ」

 

 否定しないとか正直者か。

 彼氏殿とは仲良さそうだけど、こっちは否定しそうだ。

 まぁ、それは良い。

 

『オレを引っ張って来たの。

 もしかしてあの二人に気を使ったのか?』

「さて、何の話だ?」

『別に誤魔化すことはないだろ』

「下手にそう思われても、却って面倒だからな。

 俺は安全確認も兼ねて周囲の偵察をしておきたかった。

 それで良いだろう」

 

 なんて事はないように、森人は淡々と応えた。

 そこに感情の色は乏しく、真意を推し量るのは難しい。

 難しいが、一つ分かったことがある。

 

『嘘は言わないのな、お前。正直者か?』

「俺が正直者に見えるのか、お前は」

『ひねくれ者には見えるなぁ』

 

 そう、嘘は言わない。

 胡散臭いし怪しげだが、語る言葉に虚偽はない。

 それは何となく察することができた。

 じゃあ正直者かというと、まぁちょっと違うな。

 嘘は言わないが、真意を読ませない言葉選びをしている。

 相手が自分の発言をどう解釈するのか。

 それを分かっていて、嘘は吐かずに他人を誘導する。

 ……うん、正直者ではないのは間違いないな。

 

「正しい評価だな。猫の割には見る目がある」

『実は猫じゃないからなぁ、オレ』

「古き竜王の一柱か。雇い主も、お前のことは少し気に掛けていたぞ」

『……そうかい』

 

 ハッキリとは明言していないが。

 それが誰なのかは、何となく分かっていた。

 森人が振るっていた白刃。

 あの剣を誰が鍛えたのか、一目見れば理解できる。

 だから……そう。

 それについては、オレから言う事は特に何もない。

 我らの卑屈でか弱い姉上は、この世の誰よりも愚かで逞しい。

 悪い男に引っ掛かってやしないかと、若干心配な部分もあるけども。

 まぁ、多分大丈夫だろう。

 

「……何か妙なことを考えてそうだな」

『猫の顔色読むなよ』

 

 するりと。

 首根っこを摘まんでいた手からは、とりあえず逃れておく。

 森の中にも関わらず、血の気が薄い乾いた地面。

 四本の足で何度か踏み締めてから、一息。

 

『結局、そっちはオレらの味方なの? 敵なの?』

「随分とストレートに切り込んで来たな」

『理由はどうあれ、一人と一匹の状態になったしな。

 折角だからその辺をキチンと確認しておきたい、ってのは人情だろ?』

「竜が人情を語るとは、なかなか面白い冗句だ。

 ――しかしどうにも、疑り深い者ばかりで敵わんな」

『その台詞を素面で言えるとか面の皮どうなってんの?』

 

 ホント、呆れを通り越して感心するわ。

 最初の遭遇時に口にした、「助けに来た」という言葉も嘘ではないはず。

 ただ、敵か味方かという立場については明言していない。

 まぁはぐらかされるだけで終わる可能性は、十分以上にあるけども。

 ほぼ初対面のオレが突っ込む価値はあるだろうと、そう判断した。

 そんなオレの問いに対して、森人の男は――。

 

 

 ある意味予想通り、微妙に曖昧な言葉を口にした。

 味方じゃない、だけど敵とは言っていない。

 この枯れた色の森みたいな、微妙で奇妙な立ち位置。

 か細い線の上で、男は自分の真意を刃物めいた笑みで隠している。

 ……彼氏殿は、よくコレと気安く付き合えるなぁ。

 オレなら交友関係はお断りしたい。

 

『要するに敵ってことで良いのか?』

「俺が味方と明確に言えるのは、森の同胞達に対してのみだ。

 それ以外は状況次第で敵にも味方にもなる、それだけの話だな」

『じゃあ今はどうなんだ? お前の立ち位置はどこにあるのよ』

「……猫の見た目通り、もっと適当かと思ったが」

 

 オレの言葉に、森人は意味深に笑ってみせる。

 もしかしたらそう見せてるだけかもしれんけども。

 

「繰り返しになるが、味方ではない。

 だが今の状況で敵に回る気は毛頭ないぞ。

 それはそちらも分かっているんじゃないのか?」

『ぶっちゃけ、この状況についてオレらに話してない情報とか。

 その辺色々と腹に抱えてると思ってるんだけど』

「それは勘繰り過ぎだな。

 普段なら、他人が俺を過大評価するのは好都合だが。

 今の状況に関しては、お前達に話した以上のモノは持っていない」

 

 言いながら、森人は軽く首を横に振ってみせた。

 

『……イマイチ信用はできんのだよなぁ』

「不信を持つのは自由だ。

 この《地の獄》に限ったことではないが。

 俺の雇い主も、他者には話したくない情報は多くあるらしい。

 下手に探るのは竜の逆鱗を目隠しで漁るようなものだ。

 幾ら俺でも容易くは踏み込めん」

 

 ……うん、嘘は言っていない。

 あくまでもそれだけだが。

 この男が、自分の本音を全て話してるワケではない。

 それでもこの場所について、既に聞いた以上を知らないのは正しいようだ。

 一先ず納得するオレの様子を見ながら、森人は言葉を続ける。

 

「……言う必要もないと、そう思っていたがな。

 そこまで気になるのなら、俺の立ち位置についてはもう少し話しておこう。

 別に口止めもされてはいなかった」

『つーと?』

「そもそも、お前達が《聖櫃》に取り込まれたのに気付いたのは偶然だ。

 《天の庭》に入り込んだそちらを見つけ出し、監視する。

 当初の目的はそれで、その結果としてたまたまその場面を見たワケだ」

『ふーむ、成る程』

 

 だからコイツも、オレらと同じくこの地の底に降りて来たのか。

 

「“連中が《聖櫃》に呑まれた事で、何か異常が発生しないかの監視と調査”。

 それが、俺がここに送り込まれた名目だ。

 しかしまぁ、可能なら助け出して来いという言外の意図も読めたからな。

 忠実で勤勉な勤め人として、その役目を正しく果たそうというわけだ」

『マジで面の皮凄いっすね』

 

 これホントに一切の虚偽無しで言ってんだから、逆にタチが悪いわ。

 で、我ながら良いツッコミだと思うのだが。

 非常に残念なことに、森人の心には響かなかったらしい。

 特に気にした素振りも見せず、枯れた森の中を歩く。

 無造作に進んでいるようで、実際のところは僅かな隙もない。

 自分を中心に、目には見えない蜘蛛の糸を張り巡らせるように。

 森人の「意識」が空間に広がっているのが感じられる。

 ……彼氏殿の時も思ったけど。

 人間は種としちゃ弱いが、偶にこういうのが出てくるから恐ろしい。

 まぁ一番怖いのは、分かりやすい性能スペックじゃなくてその在り方だけどな。

 

「それで、他に聞いておくことはあるのか?

 答えられる事なら答えよう」

『あー……《聖櫃》にオレらが呑み込まれたのは知ってるんだよな』

「そうだな。それが?」

『オレら以外がどうなったかは知ってるか?』

 

 確か、名前はイーリスとテレサだったな。

 後は我らが兄弟――いや姉妹?

 まぁどっちでも良いが、かつての《北の王》ことボレアス。

 アイツらは《聖櫃》には取り込まれなかったのか。

 

「無事――かどうかは、今の時点では俺にも分からん。

 が、少なくとも《聖櫃》には呑まれていないはずだな」

『そうか、そこまでは確認したんだな』

「あぁ。雇い主にとっては、お前達の状況の方が重要度が高かったようだ。

 俺はそのまま、必要な準備だけした上でここに送り込まれた」

『……まぁ、あっちはあっちで大丈夫だろう。多分』

 

 主力であろう彼氏殿も長兄共も不在だが。

 あちらにはまだボレアスもいるし、人間の姉妹も只者じゃない。

 別にオレが心配することは何もないだろう。

 

「…………」

『今度はそっちが聞きたいことがありそうな面だな?』

「いや。単に、竜とはもっと冷酷な生き物だと思っていたからな」

『別にそれも間違っちゃいないさ』

 

 森人の男が、あまりにつまらないことを言うものだから。

 オレは思わず鼻で笑ってしまった。

 そう、間違っちゃいない。

 程度の差こそあれ、竜の本質は冷酷そのものだ。

 知恵があり、意思があり、心がある。

 だから人間に近いことを言ったり、似た振る舞いを見せたりもする。

 ――だが「近い」のは「同じ」ということじゃない。

 竜は己の執着する「モノ」だけに重きを置く。

 執着の対象は様々だ。

 オレは、ただ穏やかな眠りを欲した。

 ある竜は、他者を支配することに固執した。

 ある竜は、ソイツの中にしかない「均衡」とやらを愛し。

 ある竜は、人間という種そのものに耽溺した。

 そしてどの竜も例外なく、執着する「宝」以外に興味を持たない。

 興味がないモノは幾らでも乱雑に扱える。

 そうすることで、人のように心が痛んだりもしない。

 ……長兄殿は丸くなったと思うし、昔に比べたら随分変わった。

 彼氏殿を愛してるから、そうなったのは間違いない。

 だからもし、彼氏殿とそれ以外を天秤に掛ける時が来たとして。

 きっと長兄殿は僅かにも迷ったりはしないだろう。

 本当に大事な「宝」だけを抱え込んでいれば、それで良い。

 それが竜の本質で、「冷酷な生き物」ってのは的を得た評価だ。

 

『宝を欲し、それを得るためなら手段も選ばず被害も気にしない。

 それを手にしたなら、後のモノは全てどうでも良い。

 ……オレはまぁ、竜としてはかなり温厚な方だって自覚はある。

 今は色々あって、眠いのも多少我慢して動いちゃいるが。

 それでも必要なら、オレは全部放り捨てて眠ることを選ぶ。

 程度の差はあれ、竜なんてのはそういう生き物だ』

「……成る程な」

 

 我ながら適当なことを言ってるなと。

 そう思っていたが、森人の方は割と興味深そうな顔をしていた。

 しかし笑み一つで人間性ってのが滲み出てくるな。

 

「ならば竜も人も、そう大して違いはあるまいな」

 

 まるで、物語の感想でも述べるように。

 男はそんなことを言ったのだ。

 

『そうか?』

「そうだとも。

 竜が思うほどに、人の誰もが博愛精神に満ちてるワケじゃない。

 むしろ竜ほど強くない分、矮小さ故の狭量の方が目立つ。

 生きる上で余裕がない、という事だな。

 故に強者が弱者を虐げ、弱者は更に弱い者を踏みつける。

 竜が人に行う事を、人は同じ人を相手に行う。

 これほど『冷酷』な話もそうあるまい」

『ふーむ、成る程?』

 

 そう言われると、オレは別に人間って生き物に詳しいワケじゃない。

 この場合の「人間」は、森人とかの亜人種を含めてだ。

 昔っから空の高いところに浮かびながら、只管眠っていただけの身だ。

 

「これに関しては、別にどちらが上だの下だのという話でもない。

 人は竜が思うほどに寛容ではないし、竜は人が思うほどに冷酷でもない。

 どちらも色々意見はあるだろうがな。

 少なくとも、お前や俺の雇い主は「冷たい」と評するには人間味があるな」

『竜を相手に人間味があるとは、なかなか面白い冗句だなぁ』

「あぁ、俺もそう思う」

 

 人間の方もよっぽど冷酷だとか、そんな事を言っておいてコレだ。

 コイツや彼氏殿とかが、特別変わり種なだけかもしれんけど。

 どうにも、人って生き物は良く分からんね。

 こっちの反応がそんなに面白かったのか、森人は口元の笑みを深くした。

 

「さて――無駄話が過ぎたな。

 あの二人をそのままにしておくのも、あまり良くはないだろう」

『心配してんのかい?』

「生憎と小心者でな、色々と気を配らないと落ち着かないだけだとも」

『コイツの面の皮ホントどーなってんのかね』

 

 スラスラ言えるのが凄いわ、マジで。

 

「……状況は未知数で、不明な事が多すぎる。

 一先ず、この周辺に危険なモノが存在しないことは分かった」

『だな。それらしい気配も見当たらんし』

「悠長にしてる余裕はないかもしれんが、可能な限り慎重に行きたい」

『それについてはオレも同意見だわ』

 

 そもそも、時間的な猶予はあるのか。

 何かの限界リミットが存在するのか否か。

 未だに殆ど分からないのがオレ達の現状だった。

 枯れた色の木々、その一つ一つにも注意を向けながら。

 森人とオレは元来た道を引き返す。

 ……しかし。

 

『……なんで、バビロンは死んだのかね』

 

 不死不滅のはずの竜王の死。

 眠りに逃避していたオレは、結局知らずに終わった千年前の事。

 《天の庭》と呼ばれた大いなる都で、何が起こったのか。

 竜王バビロンの亡骸、その内側だというこの世界。

 バビロンが本当に死んでいるなら、何故こんな場所が存在しているのか。

 オレの言葉に対し、森人の男は視線を前に向けたまま。

 

「恐らくそれを知っているのは、盟約の大真竜達ぐらいだろうな」

 

 面白味のない、実に真っ当な答えを返した。

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