218話:向こう岸


 暗い空を背負うようにして、堂々と。

 森人の男は、既に事切れた怪物を踏みしだいていた。

 少なくとも見た目は、大した負傷を受けているようには思えない。

 抜き放っていた白刃も鞘に納めて。

 男は余裕の体で、水底から戻って来た「私」達を出迎えた。

 

「やっぱ手を抜いてたな、お前」

 

 そう言ったのは甲冑の彼だった。

 顔のない兜では表情が分からないけど、きっとジト目で森人を見てるはず。

 言われた方は、特に悪びれもせずに肩を竦めて。

 

「人聞きの悪いことを言ってくれるなよ、竜殺し。

 ただ他に目がある時は、伏せておきたい札があるだけの話だ」

「要するに手を抜いてたってことだろ??」

「少しばかり意味合いが異なる」

『やっぱ仲良いよなお前ら』

 

 そんなやり取りを聞いて、猫が呆れたようにため息を漏らした。

 ええまぁ、仲が良いのは「私」もそう思う。

 当の二人はその発言を無視スルーしてるけど。

 それよりも。

 

「……他には何もいないわよね?」

「あぁ。この生首を仕留めた後も様子を見ていたがな」

 

 「私」の言葉に、森人の男が頷いた。

 その目は猛禽の鋭さで、暗い海と空を見渡している。

 

「返り討ちにしたのは良いが、船が沈んだのが痛いな」

『流石に拾って来いとか言われたらそのまま寝るんで宜しく』

「幾ら何でもそこまでは……」

 

 甲冑の彼に抱えられたまま、「私」は猫の言葉に苦笑いをこぼした。

 とはいえ、この状況で足が無いのは痛い。

 未だに場所は海のど真ん中。

 船という足も無しに、このまま進むのは――。

 

「……あれ……?」

 

 進むのは、無謀が過ぎると。

 そう思って、「私」は視線を巡らせて。

 まだ遠く、けれど見える程度の距離に「何か」があることに気が付いた。

 何か。霧に煙るように、まだハッキリとはしないけど。

 

「……陸地だな」

 

 思い浮かんだ言葉を、「私」より先に森人の方が口に出した。

 どうやら、「私」の見間違いではなかったらしい。

 

「さっきまでは、全然気付かなかったのに……」

『道が開けた、って事だろう。さっきの怪物倒したのが条件か?』

「良く分からんが、先へ進めそうってことで良いんだな」

「そう、だと思うわ」

 

 確認の言葉に、「私」は頷くしかない。

 分かっている。

 これに関しては、きっと「私」は誰より分かっている。

 「私」しか先へは進めない。

 「私」が進む意思を持てば、道は開ける。

 根拠は何一つない真実。

 けど――この違和感の正体は、なに?

 

「……そう遠くはないが、近いワケでもないな。

 船がないとなれば、泳ぐしかないが」

「だなぁ。こっちはコレだし、先に行くなら行ってもいいぞ?」

 

 猫の魔力で、どうにか海の水を押し退けて浮いてる状態。

 それを指し示しながら、甲冑の彼は森人の男に言った。

 

「移動はできるよな?」

『できるが、速度は期待してくれるなよ。

 下から上なら浮力があったが、横へ動くなら水を押さなきゃならんし』

「まぁ、それは仕方ないわよね」

「…………」

 

 「私」達が話している間、何故か森人は無言。

 ただじっと、今はまだ霞んでいる陸地の方を見ていた。

 何か、気になることでもあるのかしら?

 聞くべきか迷っている内に、甲冑の彼が先に声を上げた。

 

「どうしたよ? 何か見えたのか?」

「いや」

 

 短く応えてから、森人は小さく首を横に振る。

 それから、ほんの少しだけ沈黙して。

 

「俺は森育ちだ」

「?」

 

 突然、何を言い出すのか。

 発言の意図が掴めず、「私」は首を傾げてしまう。

 ただ甲冑の彼の方は何かを察したみたいで。

 

「……もしかして、お前も海は初めてか?」

「見たことが無いワケではない。

 ただ、接する機会がなかったのは事実だな」

「それで?」

「お前達より多少情報を持ってるとはいえ、今の状況は俺にも未知数だ。

 下手に分かれるよりは、纏まって行動した方が合理的と思わんか?」

「泳ぐ自信がないなら素直に言えば良くね??」

 

 ……あぁ、成る程。そういうこと。

 態度や言動から、常に余裕と油断ならなさしか感じないから。

 そんなことまったく、欠片も想像しなかった。

 彼、森育ちだから海で泳いだ経験なんてないのね。

 指摘され、珍しく森人の表情から笑みが消えていた。

 

「やってやれん事はないだろうが、無駄に危険リスクを冒す必要もあるまい。

 そもそも竜殺し、お前とて泳げないから猫に縋ってるのでは?」

「こんな甲冑お化けの状態でどう沈まず泳げと」

『どうでも良いけど、浮かんでるだけでも結構疲れるんですよ』

 

 魔力で水を押し退け続けている猫から、至極真っ当な抗議が上がった。

 

「そういうの良いから、進むなら早く進みましょう?

 また変な怪物が寄って来たら困るじゃない」

「はい」

「異論を差し挟む余地がない程度には正論だな」

 

 ええ、仲良く同意して貰えて助かるわ。

 一瞬だけ間を置いて、森人は怪物の死骸からこちらへと飛び降りる。

 猫が広げた魔力は、それも柔らかく受け止めた。

 足場のない足場、その感触を確かめるように森人は何度か足踏みをする。

 

「成る程、便利なものだな」

「じゃ、なるべく早めに宜しく。

 この状態で戦闘とか流石に面倒だしな」

『猫遣い荒くね??』

 

 文句を垂れながらも、猫は働き者なので大丈夫。

 ゆっくりと、だけど確実に。

 水を押し退けて、見えない船で「私」達は暗い海を渡る。

 煙るように霞んでいる陸地は、まだ少し遠い。

 怪物の死骸は、「私」達が離れるにつれて水底へと沈んで行く。

 ……結局、アレは何だったのか。

 前の街に似た場所で見た、暗い人々。

 それと名前があっても呼ぶのを憚られる、奇怪な大目玉。

 単なる障害として排除して、「私」はここまで来た。

 けど、それらが口々に叫ぶ奇妙な言葉。

 

『一つになろう』

 

 そこには一体、どんな意味があるの?

 分からない。

 「私」は「私」のことすら、満足に分からないのだから。

 そんな分からないこと、分からなくても当然。

 本当に?

 

『……よし、実は幻なんじゃないかとか。

 ちょっと心配してたが、どうやら杞憂っぽいな』

 

 腕の中で、猫がもぞもぞと動いている。

 その視線の先は、進行方向に見える陸地を捉えていた。

 少しずつ、少しずつ近付いて来る。

 曖昧に見えた「ソレ」は、今はもう大分ハッキリとしていた。

 白い、雪のように真っ白い砂浜と。

 その後ろに見える、枯れた色の深い森。

 加えて、もう一つ。

 浜辺と森の、更に遠く彼方。

 空から逆さまに伸びる「塔」の姿も、うっすらと確認できた。

 

「ちゃんと見えて来たな」

 

 甲冑の彼も、同じモノが見えたみたいで。

 それは確実に、「私」達が先へ進んでいることを証明していた。

 

「油断はするなよ。

 最後の瞬間まで、何が起こるかは分からんからな」

「微妙に情けない状態でデカい面しないで貰えます?」

「面がない男が言うにはなかなか面白い冗句だな」

「ははははははは」

「ははははははは」

 

 ホントに、仲が良さそうで大変結構ね?

 まぁ彼の言う通り、森人は猫の手を借りて海に浮かんでる状態だし。

 確かに、大きなことを言える恰好じゃないと思う。

 とはいえ、言ってることは間違って無い。

 何もかもが不明で不可思議な、この《地の獄》。

 警戒してし過ぎるなんてことはないでしょうから。

 「私」達は気を抜かず、慎重に白い砂浜との距離を縮めていく。

 

『――まぁ、結局何も起こらんかったワケだが』

 

 はい。

 猫が鳴いている通りに。

 それから何事もなく、「私」達は浜辺に流れ着いていた。

 振り向いても、暗い海と空は何も変わらずそこにある。

 それを確認してから、今度は正面。

 枯れた色をしながらも、枯れてないように葉が生い茂る木々。

 奇妙なその森の向こうに見える逆さまの「塔」。

 海を流れていた時に目にしたままの風景。

 ――まだ、少し遠い。

 けれど進み続ければ、必ず辿り着ける。

 「私」の中で、誰かがそう囁いた気がした。

 

『流石にしんどい!』

 

 海から浜辺に上がった直後。

 抱えた猫が、だらりと伸びながらそうぼやいた。

 まぁ、ずっと頑張ってたものね。

 

『なぁ、ここらでちょいと休もうぜ。

 別に急ぎの旅ってワケじゃないだろ? ていうか寝て良い?』

「急ぎじゃないワケじゃないけどな。

 まぁ休むの自体は賛成だ」

 

 甲冑の彼は、そう言いながら「私」の方を見た。

 うん、確かに「私」も疲れているけど。

 特に口に出していないのに、そんな簡単に察して貰えると、ウン。

 ちょっと――本当にちょっとだけ、気恥ずかしさを感じる。

 

「特に問題はなかろう」

 

 周囲を観察するように眺めていた森人。

 こちらも休息を取ることに、異論はないようだった。

 

「消耗を軽視して、後で痛い目を見たくはないからな。

 ただ、この辺りを一度見て回っておきたい。

 どこに何が潜んでいるのか、分かったものではないからな」

 

 確かに、それは間違いない。

 白い浜辺には「私」達以外の姿はないけど。

 枯れた森の中までは、簡単には見通すことはできない。

 未知の怪物が、木々の隙間から獲物を狙っている。

 その可能性は誰にも否定できなかった。

 安全の確認は、間違いなく必要だけど……。

 

「一人はアレだろ、俺も行くか?」

「なんだ竜殺し、心配なのか?」

「お前から目を離したら何するか、って意味では物凄く心配だな」

 

 これ以上ないぐらいにストレートな物言いだった。

 森人は気分を害するどころか、心底愉快そうに笑っているけど。

 

「言いたいことは分かるがな。

 俺もお前もここを離れては、そちらの姫君が無防備になるぞ?」

「むっ」

 

 指摘され、甲冑の彼は少し唸った。

 ……っていうか、姫君って何よ姫君って。

 ツッコミたいけど、とりあえずは我慢。

 下手に突いて藪蛇にはしたくない。

 

「俺に単独行動をさせたくない、というのも理解はできる。

 なら偵察は、そこの猫も連れて行くということでどうだ?」

「じゃあそれで」

『ちょっと??』

 

 本当に残念だけど、猫に選択権は認められないらしい。

 あれ、でもそうなると。

 

「大して時間はかけん。異常がなければすぐに戻る」

『あの、もう寝たいんだけどダメ?? 拒否権ない感じ??』

 

 無造作に猫の首根っこを捕まえて。

 森人の男は、そのまま枯れた色の森へと姿を消す。

 本当に、あっという間。

 風が吹くように去る背中を見送って。

 白い砂浜には、「私」と甲冑の彼だけが残された。

 

「じゃ、一足先に休ませて貰うか」

「えっ? あ、ちょっと……っ」

 

 ホントに、遠慮とかそういうのは一切無しだった。

 彼は「私」の身体をひょいっと抱き上げる。

 そうしてから自分は砂の上に座り、「私」は膝の上で抱えられてしまった。

 勿論、嫌ではないけど。

 

「悪いなぁ、流石に鎧じゃ硬いだろ」

「それは、別に平気だけど」

 

 それ以外の理由で、ちょっと平気じゃないかもしれない。

 胸の奥、脈打つ熱を意識してしまう。

 鎧の彼が冷たいことなんて、まるで関係がなかった。

 

「眠いなら、寝ても良いぞ?」

「睡眠は列車で取ったから、大丈夫よ。

 それに、『私』が先に寝てたら猫がヘソを曲げそうだし」

「それは確かにありそうだなぁ」

 

 なんて言葉を交わしながら、「私」はくすりと笑った。

 海も空も暗く、彼方には逆さまに「塔」が生えた異常な空間。

 悪夢がそのまま形になったかのような、地の底に広がる屍の国。

 けれど今、「私」の心は酷く穏やかだった。

 ――こんな穏やかな時間が、ずっと続いてくれれば良いのに。

 ほんの一瞬だけ、「私」は目的を忘れてしまった。

 忘れて、ついそんなおかしな事を考えてしまっていた。

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