221話:森の中の逃亡劇


『いやぁ、やっぱこれ無理があると思うなぁ!』

「ちょっと黙ってて……!」

 

 猫の正論に文句を言いながら、「私」は走る。

 幸いと言うべきか、体力面は問題ない。

 多少息は切れるけど、木々が入り組む森の中を「私」は駆け抜ける。

 そこまでは良い、そこまでは。

 問題があるとすれば。

 

『どうしテ? ドうしテ? ドウシて?』

『怖がラないデ。どうカ、こチらヘ』

『悲しイ! 哀シイ! カナシイ!』

『ヒトツに、なれバ、何も怖くナイかラ』

 

 次々と溢れ出す声、声、声。

 振り向く余裕はないけど、見なくても分かる。

 歪んだ影の獣達。

 その群れが「私」を追いかけてくる。

 黒い気配も肌に触れていて、怖気で鳥肌が立つ。

 これに捕まったら、どうなるか。

 想像するだけでも恐ろしい。

 

「ッ……!?」

 

 顔のすぐ横で、何かが弾けた。

 良くは見えなかったけど、獣が何か仕掛けて来たのだろう。

 それを猫の魔力が弾いてくれたようで。

 

「助かるわ……!」

『どういたしまして! まぁこんぐらいは弾けるが……』

 

 分かってる。

 少し叩かれるぐらいなら、猫の防御が遮ってくれる。

 けど取り囲まれたり、捕まってしまえばそうもいかない。

 だから「私」は、ほんの僅かにでも足を止めない。

 走る、ただ只管に走り続ける。

 甲冑の彼、戦うその姿を頭に思い浮かべながら。

 ――嗚呼、我ながらどうかしている。

 それだけのことで、心に活力を得られるんだから。

 

『……なんか、速くなって来たか?』

「えっ?」

 

 呟く猫の言葉。

 その意味が分からず、「私」は聞き返してしまった。

 

『いや、さっきより足が速くなってる気がするわ。

 追って来る獣の気配も、ちょっと遠くなってるな』

「ホントに?」

 

 正直、自分では良く分からない。

 ただ言われてみれば、獣達の声がさっきより離れた気がする。

 ……彼のことを考えた、から?

 それで元気になって、足も速くなった?

 ホントにそんなことってある?

 分からないけど、とりあえず身体はとても軽い。

 持久力スタミナについても問題なし。

 いつまでも、どこまででも走って行けるような。

 そんな感覚に、「私」はつい笑ってしまった。

 よし、これなら……!

 

『ッ!? 頭下げろ!』

「きゃっ!?」

 

 間一髪だった。

 猫の警告に、「私」は走ったまま反射的に身を低くする。

 それとほぼ同時、硬い金属音が頭のすぐ上で鳴り響く。

 脚がもつれて転びそうになるけど、それは気合いで立て直した。

 「私」の周りの防御壁を削りながら、「何か」が森の木々を纏めて薙ぎ払う。

 明らかに、さっきまでとは攻撃の威力が異なる。

 

「何あれ……!?」

『群れのボスとかじゃないかね! 分からんが逃げろ!』

 

 猫に言われるまでもなく、「私」は走った。

 一瞬だけど、相手の姿も見えた。

 その見た目は、端的に言ってしまえば巨大な蟷螂かまきり

 細部は当然違うけれど、大まかにはそれに近い。

 人間に似た上半身に、下半身には無数の細い脚が伸びていて。

 両腕は半ばから、大振りの刃に変化している。

 そして全身は、まるで地面の影が立ち上がったみたいに真っ黒。

 

『アハハハハハハハハハハハハ!!』

 

 「私」が見たのは、黒いのっぺらぼうの顔。

 にも関わらず、大蟷螂は耳障りな声で大笑いする。

 刃物を振り回す狂人そのままに。

 凶悪な二本の刃で、無意味に森を斬り裂きながら。

 蟷螂は、逃げる「私」達を追いかけて来た。

 最初に襲って来た獣と同様、バタバタと走ってるはずなのに殆ど無音。

 悪意と笑い声だけはハッキリ感じられるので、不気味さが凄い。

 

『逃げないデ! 逃げナイで! 大丈夫ヨ!』

「何が一体大丈夫って言うのよ……!?」

 

 応えたところで仕方ないと。

 頭では分かっているけど、つい叫び返してしまった。

 何が面白いのか、蟷螂はゲラゲラと笑うばかり。

 腹は立つけど、構っていられない……!

 

『追って来てンのはアレだけじゃねーからな!』

「分かってるわよ……!」

 

 こっちの速度が増して、少し引き離しただけ。

 あの蟷螂以外の獣も、まだ「私」を狙っている。

 刃に触れた風が掠める感触に、背筋が凍り付きそうになる。

 けど、「私」は歯を食い縛って走り続けた。

 

『アハハハハハハハ――!!』

 

 大蟷螂は、そんな「私」を笑いながら追ってくる。

 コイツの足は、他の獣よりも速い。

 目測だけど、身体のサイズは人間よりも一回りか二回りは大きい。

 木々が密集してる森の中では、逆に動き辛そうなのに。

 

『逃げナイで! 逃げないデ!』

 

 幾つもある脚を巧みに動かして。

 木と木の間を音もなく跳ねながら、大蟷螂は追跡してくる。

 時折、鋭くこちらに飛び掛かっては刃を振り下ろす。

 まともに喰らえば、人の胴体ぐらいなら一撃で真っ二つにしそうな。

 

『来るぞ!』

「ッ――――!」

 

 「私」はそれを、猫の警告を受けて必死に回避する。

 チラチラ確認はしてるけど、ずっと後ろを見てるワケにもいかない。

 だから来る瞬間は、抱えてる猫が報せてくれた。

 再度、防御壁の表面を刃が引っ掻く。

 前に飛びこむように躱したけど、完全には避け切れなかった。

 ゴツゴツした地面に身体を打ち付ける、けど。

 

「まだ……っ!」

 

 怯まず、「私」は即座に走り出す。

 ――「私」が、捕まりさえしなければ。

 きっと何とかなる。

 走る森はまるで迷路のよう。

 自分でも、何処をどう進んだのか分からない。

 或いは、同じ場所をグルグルと回っているだけかも。

 いえ、違う。それは違う。

 惑いそうな思考を、「私」は全力で否定する。

 

『アハハハハハ! 待っテ、待っテ!』

 

 追ってくる怪物の声は、頭の中から追い出す。

 こんなところで、手間取ってる暇なんてないんだ。

 「私」は、必ずあの「塔」に――。

 

「……! 見えた……!」

『えっ、何が!?』

 

 突然の言葉に、猫が戸惑って周囲を見回す。

 見間違いかと一瞬考えたけど、「私」の眼は確かにソレを見た。

 視界を塞ぐ枯れた色の森。

 正面に並ぶ木々の隙間から、ほんの僅かに覗いた光景。

 未だ輪郭は霞んでいる、空から逆さまに生えた「塔」の姿。

 今の「私」が、目指すべき場所。

 

「抜けられる……!」

 

 理由とか原因とか、そういうのは分からない。

 分からないけど、「私」が森を抜け出す道を走ってるのは確かだ。

 その確信だけを握り締めて、ただ駆ける。

 背後には変わらず、大蟷螂の気配が迫りつつあった。

 

『危ないワ! そっちは危なイかラ!』

「適当なこと言わないでったら!」

 

 そもそも、ゲタゲタと笑いながら言うことじゃない。

 ……言い返してから思ったけれど。

 コイツらには意識とか自我とか、そういうのはあるのかしら。

 正直、それも良く分からない。

 言動も何も、狂ってるとしか思えなかった。

 あと、変わらず両腕の刃で襲い掛かって来るし。

 やっぱり戯言だと、「私」はそう断じた。

 

『騎兵隊の到着はまだかねぇ!』

「きっと来る、だから今は耐えるの……!」

 

 或いは、森を抜けてしまえば追って来ないかもしれない。

 いやでもその場合、二人はちゃんと脱出できるのか?

 獣相手に遅れを取るとか、そういう心配はしていなかった。

 ただ、迷わせる力はどうだろう。

 「私」が脱出してしまえば、そういうのも全部消えるのか。

 分からないけど、足を止めることだけはできない。

 森の切れ間が近付いて来る。

 夢中で走っていたら、気付くと大蟷螂も引き離していたようで。

 

『もうちょいか!?』

「多分ね……!」

 

 叫ぶ猫はしっかり抱えて、「私」は走る。

 走って、走って、走り続けて。

 そうして、延々と広がっていた森が途切れて――。

 

「ッ……!?」

『ちょっ』

 

 勢い余って飛び出しかけたところを。

 ギリギリ――本当にギリギリで、「私」は踏み止まった。

 森は抜けた、向かう先に枯れた色の木々はない。

 それは間違いなかった。

 間違いがあれば、一つだけ。

 森は疎か、足下の地面すらなくなっていたのだ。

 

「ちょっと、何よこれ……!?」

『いやぁオレも同じこと思ってるんで、首絞めんのはヤメテ!?』

 

 叫びながら、つい猫を強く抱き締めてしまった。

 無い。無い。

 森を出た瞬間に、足下の地面が消失している。

 混乱しそうなのを必死に抑えながら、「私」は目の前の光景を確認した。

 穴だ。それは、途方もなく大きな穴だった。

 森が途切れると同時に広がる、地面を穿つ大穴。

 どれぐらいの大きさがあるのか、目算ではまったく不明。

 迂回しようなんて発想も出て来ないぐらい。

 

「……まさか、あのデカブツはこの穴から……?」

 

 それは単なる思い付きだったけど、間違ってはない気がする。

 あの首を持たない巨影の女は、きっとこの大穴から這い出して来たんだ。

 だからあんな巨体にも関わらず、出てくるまで察知できなかった。

 

『考え事してるとこ悪いが、来たぞ!』

「っ、もう……!?」

 

 何が来たかなんて、聞くまでもない。

 動く音はなく、けれど耳障りな笑い声を響かせながら。

 蟷螂に似た獣が、再び「私」達に迫って来る。

 その後ろには別の獣の姿も見えた。

 しかも複数。細かい数は知らないし、知りたくもない。

 ――これは本格的に拙いわね。

 絶体絶命と、そう言い換えても良い。

 こうなったら、取るべき手段は一つだけ。

 

「ねぇ、飛べそう?」

『あぁ、それしかないよな。

 森は海の延長で飛行が阻害されてたが、この穴は違うっぽいな』

「それなら――」

『ただ、連中が飛べないって保証はないかんな』

「ええ、分かってる」

 

 そればかりは仕方ない。

 どっち道、ここで留まっていれば捕まるだけ。

 選択の余地なんて、最初からなかった。

 

「お願い……!」

『ホント猫遣いが荒くて敵わんなぁ!!』

 

 文句は言いながらも、猫は周囲に纏った魔力を強める。

 「私」はしっかりとそれを抱える。

 

『ぶっちゃけ思った以上に力が出ないから!

 あんま期待してくれるなよ!』

「期待するわよ、貴方が頼りなんだから……!」

『その台詞言われるのすげー複雑だわ!』

 

 ホントに、猫は良く分からないことを言うわね。

 なんて話している間にも、黒い獣は迫る。

 ケタケタと笑い、刃をギチギチと擦り合わせて。

 駆ける脚だけは無音のまま。

 迫る。迫って来る。

 同時に、「私」の足下が地を離れる。

 

『行くぞ!』

「お願い……!」

 

 ふわりと浮かび上がり、「私」と猫は大穴の上に飛ぶ。

 そうなれば、あっという間に森との距離が遠くなる。

 追って来た獣の殆どは、穴の端で止まるか。

 勢い余って、そのまま何匹かは転落したのが見えた。

 そこまでは良かった。

 

『アハハハハハハハ!!』

 

 一匹、黒い大蟷螂だけは空を飛ぶ翼を備えていた。

 背中に羽根を広げ、走る勢いのままに飛び立つ。

 そして迷わず、「私」達の方へと真っ直ぐ突っ込んで来た。

 予想していたとはいえ、これは良くない。

 

「ねぇ、何とかできない!?」

『結構きっついんだよなぁ……!』

 

 周囲で魔力の光が瞬く。

 大気が揺れて、猫は声と共に不可視の衝撃を放った。

 その一撃は飛ぶ大蟷螂を直撃し、その体勢を大きく崩す。

 けど、大きな負傷ダメージは受けていない。

 

『飛んで防御固めて攻撃って、やっぱ猫の状態じゃキツいわ……!』

 

 今の時点で、猫は限界まで頑張ってくれてる。

 「私」は、ただしがみついてるだけ。

 そこに黒い蟷螂は、刃を振り上げて迫って来た。

 猫の護りが防いでくれるだろうけど、このままでは――!

 

『アハハハハ……ッ!?』

 

 今まさに、「私」達に両腕の刃を叩き込もうと。

 羽根を広げて構えていた大蟷螂。

 けど、それをするよりも早く。

 一振りの剣が、その胴体を深々と貫いていた。

 成し遂げたのは誰なのか――ええ、分かり切っていた。

 

『アッ――が……ッ!?』

「……今のは流石に、ギリギリだったな」

 

 大蟷螂の背に乗る形で。

 突き立てた剣の柄を握りながら、甲冑の彼がそこにいた。

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