222話:奈落の穴
魔法で強化した脚力による大跳躍。
それで空を飛んでいた大蟷螂に飛び乗り、その背を貫いた。
言葉にすればそれだけの事。
けど、一体どれだけの
ほんの少しでも着地がズレれば、底なしの大穴へ真っ逆さま。
しかし躊躇えば、届く距離から敵が脱してしまう。
判断の時間なんて、恐らく一秒もなかったはず。
それでも彼は、「私」達を救うためにそれを成し遂げた。
本当に、それは驚嘆すべき偉業だった。
『アアァアアアアア――――!!』
「うるせぇよ」
断末魔を上げる大蟷螂。
その首を、彼は剣で叩き斬る。
当然、かろうじて飛行状態を保っていた身体から力が失せた。
自由落下が始まる刹那。
死んだ獣を足場にして、彼はもう一度宙を舞う。
「お願い……!」
『分かってるよぉ!』
腕の中の猫に呼びかけ、「私」は手を伸ばした。
しくじったら終わりの跳躍。
後は落ちていくだけの彼を、「私」と猫は受け止めた。
また猫が挟まれて潰れるけど、これは仕方ない。
心臓が、激しく脈打ってる。
熱の通わない甲冑を、「私」は必死で抱き締めた。
「無茶したなぁ」
「……それはお互い様でしょ?」
頭を撫でてくれる彼に、「私」は笑った。
「上手く行ったんだから、それで良いと思わない?」
「そりゃ間違いないな」
『どうでも良いけど苦しいっす』
二人で笑い合う間で、挟まれてる猫から抗議の声が上がった。
とはいえ、この状況で離れるワケにもいかないし。
ちょっと狭いぐらいは我慢して貰わないと。
……そういえば。
「もう一人は?」
「あぁ、アイツなら――」
と、この場にはいない森人の事を思い出して。
「私」が確認すると、彼は枯れた色の森の方を見た。
釣られて、「私」もそちらに視線を向ける。
ちょっと前までは、「私」も立っていた森の切れ目。
大穴の縁辺りに、男の姿はあった。
そこで群れていたはずの影の獣。
既に事切れた屍が幾つも並ぶ中、白刃を片手に平然としている。
こっちの視線に気付くと、気安く手まで上げてみせた。
……ホント、あっちもあっちで凄いわよね。
『最初の一匹目は結構苦戦してたと思うんだけど』
「まぁ多分、何かやったんだろう。何やったかは知らんけど」
『あくまで手の内を見せないつもりだよな、アイツ』
「まーそういう奴だからしゃーない」
「仕方ないで済ませて良いの……?」
まぁ、良いなら良いんですけど。
ちょっと呆れてしまったが、今はそれより。
「あっちも拾って、早くこの大穴を渡ってしまいましょう?
急がないと、あの大きいのが――」
来てしまう、と。
そう言い終えるよりも早く、激しい地響きが起こった。
あぁもう、言ってる傍から……!
こっちは空を飛んでるから、揺れの影響は少ない。
だから逆に、落ち着いた状況でその姿を見てしまった。
『あ、あああ、ああぁあああああぁあああああああああぁ』
不気味な女の唸り声。
地の底から流れてくるような。
首のない、巨大な上半身だけの女。
森の木々を一部薙ぎ倒しながら、「私」達の方に這いずって来た。
あまりにも大きすぎて、見てると遠近感がおかしくなる。
口どころか首から上がないのに、唸る声はハッキリと耳に届く。
――こっちは飛んでるから、まだ良いけど。
このままだと、あの森人が押し潰されて……!
「……仕方あるまい」
距離は遠いけど。
迫る巨体に気付いた男は、そんなことを呟いた気がした。
助けようと、「私」や猫が動くより早く。
まるで散歩にでも出るような気軽な足取りで、森人は穴の方へと踏み出した。
足場のない、黒々とした口を開く大穴。
翼を持たない身では、無力に下へと落ちる他ない。
本来なら、そのはずだけど。
「え……?」
飛ぶ、というよりも。
まるで空中を歩くように。
虚空をその足で踏み締めながら、森人の男は大穴の上を行く。
そしてそのまま、浮かぶ「私」達の近くまで来てしまった。
「さて、あのデカブツも厄介だな」
「お前そんなことできたの??」
「手持ちの札は可能な限り伏せておきたかったんだがな」
『うーん、この言いぐさよ』
この状況でそれが言える、
見たところ、本人が魔法を使ってる様子はないけど……。
『
まぁ雇い主が誰か考えりゃ、その手の装備ぐらい幾らでも用意してるよな』
「と、見せれば簡単に推測できてしまうワケだな」
バレてしまったかと、冗談めかして森人は笑う。
……ホント、彼の言う通り「そういう奴だ」と思うしかないわね。
今は、そんな事よりも。
『ああぁああああ――――ッ!!』
「……あれ、どうするの?」
間もなく、大穴にまで辿り着きそうな巨影の女。
近付くほどにその巨大さに実感が沸いて来る。
率直に言って、まともに戦って良い相手とは思えない。
出来ればこのまま、何も考えずに大穴に落ちてくれれば良いけど……。
「このまま放っておけば勝手に落死する――というのは。
まぁ都合が良すぎる話だな」
「だなぁ」
そんな「私」の考えぐらい、歴戦の二人は当たり前のように考えていた。
その上で、そうはならない可能性を想定している。
「奴は恐らく、この穴から這い出て来た。
ならば落ちたところで死ぬ可能性は低いだろう。
また這い上がって来るだけか、もっと悪い事態も考えられる」
『例えばどんな?』
「俺達がまったく想定もしていないような事だな」
考え付きもしなければ、そもそも対処のしようがない。
確かに、森人の言葉には一理ある。
それならこの状況で、どうするべきか。
「――じゃ、穴に落ちる前に仕留めるか」
甲冑の彼が、その
「私」が何かを言うよりも早く、彼の手が髪を撫でて来た。
硬いけれど、酷く柔らかい感触。
それから、空っぽの兜の下で笑って。
「デカブツの相手は慣れてるから、大丈夫だ」
なんて言われたら、「私」から言うことなんて無くなってしまう。
だからせめて、その甲冑の身体を抱き締めた。
「待ってるから、気を付けて?」
「おう」
言葉は、それだけで十分だと。
彼は短く頷くと、近くに浮かぶ森人の方を見た。
視線だけで意図を察したのか、男は小さく肩を竦める。
「手を貸せば良いか?」
「どっちかっつーと足かな。
猫を足場にするのは、巻き込みそうでちょっと危ないからな」
『ちょっと猫遣いが荒過ぎないこの空間』
「ふむ。まぁ、こちらも見ているだけとはいかんだろう。
なに、遠慮はするな。俺とお前の仲だ」
「いやぁそんな友好的な間柄じゃあないよなぁ??」
猫の抗議はさらっと
伸ばした森人の手を、彼は躊躇いなく掴み取った。
離れる瞬間は、空白を意識してしまう。
空を歩く男と共に、甲冑の彼は真っ直ぐに目標へと向かう。
即ち、今にも大穴に落ちてしまいそうな巨影の女。
片手で剣を引き抜く彼を、森人は一切の躊躇なく怪物へと放り投げた。
本当に、見ていて心臓に悪い。
けど彼はまったく怯まず、首のない巨体へと落ちていく。
その外見の通り、視覚は存在しないのか。
怪物の反応は鈍く、向かって来る彼を気にした様子もない。
ただ大穴へと這い進もうとして――。
「おらァ!!」
気合いと共に振り下ろされた、剣の一撃。
巨影の女、その肩の辺りに刃が突き立ち、盛大に肉を抉った。
真っ赤な血がしぶけば、口もないのに絶叫が響く。
『キャァアアアアアア――――!?』
痛みに悶える怪物。
同時に、その巨体から黒い気配が放たれるのを「私」は見た。
それは最初の影の獣を強化していたモノと同じ。
まるで重たい煙のように、怪物の足下へと流れていく。
先ほど、森人の手で蹴散らされた獣の屍。
積み上がったその山、黒い気配が浸透していく。
何が起こるかは、簡単に予想できた。
『イタイ! イタイ! イタイ!』
『カナシイ、カナシイ!』
『ああぁああああァアアァアあぁああ!!』
『ヒトツに! ヒトツになロうヨ! アアアアァアッ!!』
『コワイ! コワクナイ! コワイヨ!』
「……う、わ」
予想はしていても。
いざその醜悪な光景を目の当たりにすると、呻き声が漏れてしまう。
刻まれて、既に事切れているはずの獣の群れ。
屍に過ぎなかったはずの彼らが、再び立ち上がる。
狂ったように叫びながら、ギラついた眼で獲物を探す。
その目は程なく、怪物の上で戦う彼を見つけた。
『アァアアァア――!』
名状しがたい声を上げながら、蘇った獣達は群がる。
甲冑の彼に刻まれている巨影の女の元へ。
何を求めているのか、何をそんなに嘆いているのか。
獣の姿は、復活する前と比べてもドンドンと歪みが酷くなっていく。
最早、形容する言葉さえ見つからない。
狂った獣達は、衝動に突き動かされるように巨体を這い上がろうとして――。
「お前らの相手はこちらだ」
それを、森人の白刃があっさりと断ち切った。
甲冑の彼を、巨大な怪物の上へと放り投げた後。
男はそれで役目は終わったとばかりに、暫し空で様子を見ていたけど。
死んだ獣の群れが息を吹き返した瞬間には動いていた。
鮮やかな、としか言いようがない剣舞。
不意を打った形とはいえ、歪んだ獣達に何もさせずに切り倒してく。
「今は助ける立場なのでな、好きにはさせん」
そう言って、森人の男は皮肉げに笑ってみせた。
そうしている間も、甲冑の彼は戦い続ける。
いえ、それを戦いと呼んで良いものか。
鈍重な怪物を、ただ只管に剣で刻み続ける。
巨影の女も、抗おうと腕を振り回したり身体を揺すってはいるけど。
そんなものは、甲冑の彼には何の影響もない。
見上げるほどに巨大な怪物、その質量で動くだけでも脅威だ。
けど、本人が「慣れている」と口にした通り。
そういう相手と戦うのに、彼は本当に熟達していた。
『アアァアアアア!! イタイ! イタイ!』
「楽にしてやるから、大人しくしろよ」
首も無いのに泣き叫ぶ巨影の女。
鋭く叫ぶように言って、甲冑の彼は剣を閃かせる。
刻まれた傷、だけど音を立ててそれらはみるみる塞がって行く。
案の定、怪物特有の再生能力を女も持ち合わせていた。
だけどそれにも限界がある事は、これまで散々確認してきた。
だから彼は手を緩めない。
相手の命を断ち斬るまで、怪物の上を走って刃で血肉を斬り裂く。
『こりゃ案外余裕かね』
獣の群れを蹴散らす森人と、巨影の女を一方的に刻む甲冑の彼。
そんな二人を見ながら、腕の中の猫が呟く。
確かに、このままなら負ける要素はない。
もし仮に何か別の脅威が現れたとしても、彼なら大丈夫だろうと。
「私」は安堵と共に感じていた。
そう、大丈夫だ。何も不安に思うことなんてない。
『……思わず見入っちまったが。
こっちはこっちで、いい加減向こうに渡るか。
いつまでもでっかい穴の上じゃ落ち着かんだろ』
「あ、ええ。そうね。二人は――うん、大丈夫よね」
『糞エルフの方が移動手段も持ってるし、こっちが待ってなくても良いだろ』
猫の言葉に、「私」は素直に頷いた。
彼からまた離れるのは、ほんのちょっとだけ不安があるけど。
何が起こるか分からないのはこちらも同じ。
いつまでも足下が何もない状態というのも、確かに落ち着かない。
「それじゃあ、お願いできる?」
『はいよ。いやマジで、そろそろ大の字になって何も考えずに眠り続けたい……』
そんな猫の素直な欲望に、「私」は思わず苦笑いをこぼした。
「私」達を大穴の上空に浮かべていた猫の魔力が、ゆっくりと動き出す。
そのまま、距離が遠いせいで少し霞んで見える対岸へと――。
「…………えっ」
向かおうとして。
何かが、「私」の足を引いた。
一体、何が起こったのか。
「私」は、視線を自分の足下に向ける。
――黒い、「何か」が。
恐らくは手のような形をした、「何か」。
それが、この場を去ろうとしていた「私」の足首を掴んでいた。
いつの間に。
近付いて来る気配なんて、微塵もなかったのに。
『ッ、コレは、あの時の――!?』
驚愕する猫の声が、やけに遠くに聞こえる。
抵抗する暇も、何かを口にする暇もなく。
大穴から出て来た真っ黒い「何か」は、「私」を躊躇なく引き摺り込んだ。
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