412話:何がしたいんだ?


 どうにも違和感がつき纏う。

 《灰色》の魔法使いは眉根を寄せて、小さく唸り声を漏らした。

 眼下に広がる森林。

 森人たちの領域であるその場所も、今は大分荒れ果ててしまった。

 しかし森の懐は深く、木々は未だに多くを隠している。

 その中に潜む、一人の男の存在も。


「チッ……!」


 何度目になるか不明の射撃。

 死角から襲ってくる矢は、斥力場の表面に呆気なく弾かれた。

 反撃のための術式を構築するのに、一秒も掛からない。

 振り向きもせず放った炎熱が、また森の一部を盛大に焼き払う。

 だが、手応えはない。

 もうどれだけ、このイタチごっこを繰り返したか。

 苛立ちとは別に、《灰色》は違和感を拭えずにいた。

 ――おかしい、何かが。

 具体的にどうおかしいのかは分からないが。


「どうした、森人!!

 故郷を守るために出てきたんじゃないのか!?」

「そうだな」


 挑発目的で声を上げれば、応えは律儀に返ってきた。

 動揺も含めて、感情の類は一切感じられない言葉。

 語りかけられてるから返事をしている、そんな意図だけが伝わってくる。


「勝ち目があると、本気で思ってるのか?」

「勝機は糸くずほどだ。つまりゼロではないな」

「諦めが悪いって言われた事は?」

「まるで自分に対して言っているようだぞ、古き《始祖》よ」

「ッ……」


 頭蓋の奥で音が鳴るほどに、強く奥歯を噛んだ。

 そうだ、諦めは拒絶した。

 諦めきれないから、ここまで生き恥を晒してきた。

 諦める? 諦められるはずがない。

 自分が諦めてしまったら、多くの犠牲は何のためにあったのか。

 認められない、認められるはずもない。

 この手で取り零した砂粒の数を、魔法使いは未だに数えているのだから。


「分かってるんなら、邪魔をするなよ――!!」


 咆哮。

 右手に灯る蒼白い光。

 その塊を、《灰色》は全力で投げ放った。

 《分解ディスインテグレート》の術式だ。

 万物を塵に変える輝きは、森と大地を盛大に呑み込む。

 が、やはり手応えはなかった。

 もとより、ウィリアムは森の陰に身を潜め続けている。

 狙いは正確に付けられず、反撃をしてもその時点で姿は消えているのだ。

 弓による射撃もあまり積極的ではなく、牽制だけを続けているような。


「……そうか」


 其処まで思考して、違和感の正体にようやく気付いた。

 おかしい。

 最初の攻防からここまで、ウィリアムは一度も攻めてはいない。

 弓での射撃こそ行っているが、どれもこっちを仕留める意図は感じられない。

 足止めさえ出来れば良いと。

 そう考えて、危険を犯さず持久戦に徹しているのか?

 恐らく、それが最も無難な解答だろうが。


「本当にそうなのか……?」


 誰に聞かせるワケでもない呟き。

 己に対して問いを投げつつ、《灰色》は術式を行使する。

 魔法による索敵では、ウィリアムは殆ど捉えられない。

 森の中に潜んでいるのは間違いないが。

 網をかけようとすると、すぐに上手い具合にすり抜けられてしまう。

 身を隠し、姿を消す。

 攻撃は弓矢による射撃だけで、それも積極的ではない。

 ここにどんな意味がある?

 ウィリアムは何を考えて、《灰色》の魔法使いと戦っているのか。

 いや、そもそもだ。


「…………俺が今戦ってるのは、本当にウィリアムか?」


 その推測に辿り着いた瞬間、背筋が凍りついた。

 再び、死角から襲ってくる一条の矢。

 斥力場を抜けない以上、反応する必要もない。

 弾かれた鏃には一瞥もせずに、《灰色》は内なる魔力を練り上げる。

 一秒も掛からずに、必要な魔法を発動させた。

 それは索敵の術式だったが、さっきまで使っていたモノとは少し異なる。

 先ほどまでは狭い範囲を、ある程度正確に探るための術式だった。

 しかし今発動したのは、広範囲を大雑把に調べるための術。

 詳細は分からないが、敵の位置や数を知るだけなら十分な精度があった。

 設定した範囲は、自分を中心に見える範囲の全て。

 魔法の知覚は一気に拡大し、森の半分以上にまで達した。

 そして。


「クソッタレ……!!」


 《灰色》の魔法使いは、思わず口汚く罵ってしまった。

 頭上高く飛んでいる、浮島と化している大地。

 その上にいる者たちと、後は森にまだ留まっている細かな動物の反応。

 それら以外で引っ掛かった反応は、二つだ。

 一つは、《灰色》の魔法使いから付かず離れずの位置に。

 そしてもう一つは、それより随分と離れた場所に身を潜めているようだ。

 距離的に考えて、其処は短距離索敵の範囲外。

 恐らく、そちらこそが本物のウィリアムだ。

 あの男は、ブリーデから預かった武具の英霊が使える事をようやく思い出した。


「つまらない手を使ってくれるじゃないか……!!」


 そして、それにまんまと引っ掛かっていた自分に腹が立つ。

 索敵は維持したまま、《灰色》の魔法使いは動いた。

 遠く離れていた反応も、それに合わせて移動を始めた。

 流石に探られた事には気付いたようだ。


「ふん、もうバレたか。

 流石に騙し切れるほど間抜けでもなかったか」

「減らず口ばっかだなコイツ!!」


 当然、逃がすつもりはない。

 風に乗って来た声に吠えながら、《灰色》は素早く術式を発動させる。

 降り注ぐのは炎の矢。

 下位の攻撃術式だが、それを文字通り雨のように叩きつけた。

 余り派手に爆発させては、それで索敵の術式が乱れてしまいかねない。

 足止めを目的とした飽和攻撃。

 木々はあっという間に炎に包まれ、そこに見覚えのある影が浮かび上がった。


「ウィリアム!!」

「――――」


 《灰色》は叫ぶ。

 が、森人の男は応えない。

 そもそも、ウィリアムは《灰色》を見ていなかった。

 放たれた炎の矢は、幸いにもウィリアム自身には命中していない。

 しかし燃え上がる炎は、間違いなくその四肢を焼いていた。

 その上で、《灰色》の魔法使いが高速飛行の術式で迫りつつある。

 疑いようもなく絶体絶命の窮地だ。

 すぐにその場を離れねば、そのまま命を落としかねない。

 そんな状況にも関わらず。


「っ、何をする気だ、お前……!!」


 ウィリアムは空を見ていた。

 獲物を狙う狩人の眼。

 猛禽を思わせる視線が捉えるのは、頭上の浮島だ。

 いや、「本命」は恐らくその大地の上。

 弓を高く構え、番えたのは槍と見紛うばかりの巨大な矢だ。

 そんなものを、何処に隠し持っていたのかと。

 思考した直後に、《灰色》はその矢の正体を察した。

 アレは矢でもなければ槍でもない。

 剣だ。

 白き鍛冶師が鍛えた、最初の《森の王》の魂を宿す大剣。

 《灰色》も、つい先ほどその脅威に晒されたばかりだ。

 月の輝きを放つ剣が、今は一本の矢にその形状を変化させている。

 ――全てがブラフだった。

 ウィリアムの目的は、《灰色》の意識を自分に引き付ける事。

 そうした上で、この一矢で「本命」を狙撃する事が狙いだったのだ。

 「本命」――浮島で弟妹たちを弄んでいる、《最強最古》。

 如何にあの大悪竜でも、意識外から魂砕きの月光を直撃すればどうなるか。

 焦燥に駆られながら、《灰色》の魔法使いは叫んだ。


「やめろ、ウィリアムッ!!」


 ここで《最強最古》が討たれれば、また計画は破綻する。

 かつての古傷が血を噴き出す。

 理想も野望も、全てが尽く破綻した夜の痛み。

 その苦痛に絶叫し、《灰色》は全霊で術式を発動する。

 兎に角、あの森人を妨害せねばと。

 無数の攻撃術式がデタラメに打ち放たれた。

 雷に氷、炎、風は毒気を帯びていた。

 盲撃ちで狙いは甘いが、手数だけは多い。

 術の威力もそれなりに高く、どれも当たればタダでは済まない。

 しかし、ウィリアムは避ける素振りも見せなかった。

 その目は、《灰色》の魔法使いを映さない。

 ただ一点、狙った目標だけを捉えていた。

 そして。


「――――ッ!!」


 一条の矢が夜空を貫いた。

 浮島の大地を、蒼白い月光は容易く貫通する。

 結果がどうなったのか。

 それは地上からは、物理的に確認できないな。


「まぁ、上出来か」


 狙い通りの射撃は成った。

 ウィリアムはそう確信し、口元に笑みを浮かべた。

 必要最低限の役目は果たした。

 か細い勝機がこれで繋がるかは、さしものウィリアムでも見通せない。

 何より。


「ちッ……!!」


 魔法使いが放った攻撃術式の雨。

 矢を撃った直後に、それらをモロに浴びてしまった。

 加えて、ウィリアムの周囲は焼けた森でちょっとした火の海だ。

 身体中を炎や雷で焼かれ、更に氷雪な毒風が身を削る。

 夜空に全霊の一矢を撃ったばかりのウィリアムでは、為す術もなかった。


「やってくれたな……!!」


 まんまと嵌められた事。

 その事実に苛立ちながら、《灰色》は倒れたウィリアムを見下ろす。

 森人は、ボロボロの状態で地面を転がっている。

 どう見ても戦える状態ではなかった。

 一瞬、このまま放置すれば無害かと《灰色》は考えたが。


「どうした、半死人に構っている暇があるのか?

 伝説の白蛇が、古き《森の王》のために特別に鍛えた一振りだ。

 如何に強大な存在だろうが、アレをまともに喰らえばそれで終わりだぞ」

「…………馬鹿な男だな。

 そんな言葉に惑わされると思ってるのか?」


 半ば焼けたウィリアムの顔を、《灰色》は上から覗き込む。

 そうだ、戯言に踊らされる必要はない。

 この男は確かに戦えないかもしれないが、致命傷にはほど遠い。

 加えて傷を癒やす手段を、ウィリアムが持っていないとは思えなかった。

 既に自分は戦闘不能で。

 そんな相手を構っている余裕などないはずだと、思考を誘う。

 ――見逃せない、見逃せるはずがない。

 この森人は危険だ、捨て置けないと。

 魔法使いはそう判断し、倒れている森人に右手をかざす。

 この距離、この状態で放つ《分解》の魔法。

 避ける事も防ぐ事も不可能。

 故に《灰色》は、トドメを刺すべく術式を――。


?」


 ひび割れる音がした。

 それが単なる錯覚に過ぎないと、魔法使いは分かっていた。

 分かっていたはずなのに。


「……なんだって?」

「お前は何を望み、何のために事を成し遂げようとしているのか。

 そう聞いたんだ、古き《始祖》よ」


 無視するべきだった。

 無視できないのなら、この森人は放置すべきだった。

 どの道、この負傷では暫く自力では動けない。

 《灰色》はいつもの如く判断を誤った。

 毒であるのは明白なのに、その言葉を聞いてしまった。


「……永遠の運命に狂ってしまった、同胞たちを救う事だ」

「同胞? それは一体何処にいるんだ?」

「過ちを、取り返しの付かない罪を。

 大いなる者の力ならば、全てを覆せる」

「覆してどうする? また同じ失敗を繰り返すのか?」

「何もかもを救うんだよっ!!

 俺が救えなかったものも、救いたかったものも!!

 全て! 余さず!

 でなければ、俺が犠牲にしてきたものは――」

「俺はてっきり、お前は世界を滅ぼしたがってると思ったんだがな」


 軋み、ひび割れる音。

 それは毒だった。

 どうしようもないぐらい、抗い難い毒だった。

 気付かない――いや。

 ずっと気付かぬフリをしていた事。

 森人は、容赦なくその瑕疵を奥の奥まで抉り出す。


「お前は誰だ? 何がしたい?

 結局、お前は俺の問いに一つも答えられていないな」

「っ……そんな、もの……!」

「理想があるなら誇れるはずだ。

 野望があるなら言い淀むはずがない。

 狂気に身を委ねているなら、この程度でぶれるなよ。

 どう言い繕ったところで、お前は何もかも半端なだけだ。

 かつては《黒》と呼ばれた《始祖》よ」

「違う、違う違う違う、俺は……っ」


 ただ、救いたかった。

 多くの出会いと、多くの別れがあった。

 友がいて、仲間がいた。

 家族がいて、尊敬すべき師もいた。

 苦難と絶望があった。

 それに挑むことを選び、けれど後悔はしなかった。

 諦めも、しなかった。

 諦めるべきだったと、理性では分かっていたのに。

 ひび割れを自覚した男に、ウィリアムは容赦なく続けた。


「――お前は、負け犬だ」


 目を背ける事は許さないと。

 冷たい言葉の矢は、腐った心臓に突き刺さる。


「いや、負け犬の方がまだマシか。

 今のお前は、負ける事さえ満足にできなかった憐れな残骸だ」

「ッ――黙れよ、絶望の底も知らない奴が……!!」


 その声は、半ば悲鳴に近かった。

 或いは、死に損なってしまった男の断末魔か。

 右手に収束した《分解》の極光。

 《灰色》の魔法使いは、それをウィリアムに向けて解き放った。

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