第二章:古き姉妹らの奮戦

411話:か細い勝機


 水が踊る。

 それは大地の上を洗い流すほどの濁流だった。

 《水底の貴婦人オンディーヌ》の異名で呼ばれる古竜マレウス。

 《古き王オールドキング》における序列は下位とはいえ、その力は強大だ。

 並の敵ならば、操る水流の一つで容易く制圧できた事だろう。

 だが、今相対するのは「並の敵」どころではない。


「そんな水鉄砲が、私に届くものかよ」


 《最強最古》。

 竜の長子は、如何にも退屈そうな顔で水の塊を打ち払う。

 右手で叩いて潰す。

 そんな単純な動作で、マレウスが放った渾身の一撃を容易く砕いた。

 弾ける飛沫を掻い潜り、幾つもの白い影が走る。


「弱いものイジメでドヤってんじゃないわよ……!!」


 月の蛇、白き鍛冶師。

 《大竜盟約》の序列六位であるブリーデ。

 彼女自身は、今もマレウスのすぐ傍にいる。

 片腕を控えめに指で摘んで、何ならその足は微妙に震えていた。

 古の時代から生き続けながらも、その力は兄弟姉妹の中でもダントツの最弱。

 本来なら、竜と名乗ることも烏滸がましいような存在だ。

 が、彼女の本領は伝説の武器鍛冶。

 数多の英雄豪傑たちが、白き蛇が鍛えた武具を手に戦った。

 そんな、己の魂を武器に焼きつけた者たち。

 青白き魂の炎を燃やす英霊の騎士団。

 月の鱗である彼らは、《最強最古》相手でも僅かな怯みも見せない。

 手にした刃を自在に操り、小柄な少女の身体を斬りつける。



 しかし、英雄たちの剣でさえ邪悪には届かない。

 声を《力ある言葉》にして、《最強最古》は風を巻き起こす。

 圧縮した空気の塊を、片手を振る動作に合わせて騎士たちの正面からぶつけた。

 その一撃は、不可視の砲撃も同然に。

 防ごうと身構えた騎士たちを、まとめて大きく吹き飛ばす。


「っ、強い……!」

「《最強最古》と私を呼んだのは、お前たちだったと思ったが?」


 思わず漏れたマレウスの呟きに、少女の形をした邪悪は律儀に応える。

 圧倒的な格差だ。

 奇襲で施した封印術式は、今も変わらず《最強最古》を縛り付けている。

 少しでも長く時間を与えたなら、その時点で間違いなく引き千切られてしまう。

 そうなれば、間違いなく終わりだ。

 《竜体》を出せない今の状態でも、まったく勝ち目が見えないのだから。


「お前こそ《竜体》はどうした、マレウス。

 あぁ、そちらの不出来な白子には言っていないぞ?」

「私だって、今はちょっと事情があって使えないだけだからね!?」

「黙れ、蛇の裸踊りなど見る価値もない」


 反射的に叫んだブリーデを、《最強最古》は軽く一蹴する。

 問われたマレウスは、どう答えるべきかとほんの少しだけ悩むが。


「使えんか。

 最初から重い消耗でも抱えていたか?

 そこに私に施した封印術式に、多くの力を割いてしまった。

 故に《竜体》になる余力は無いわけだ」

「流石、姉さんは全部お見通しね」


 本心からの賛辞だったが、当の長子からは鼻で笑われてしまった。

 《最強最古》が言った通り。

 マレウスは、先のヘカーティアとの戦いでの消耗がまだ完全には癒えていない。

 そこに全霊を込めた封印術式の発動と、その維持を今も行っている。

 《竜体》を結ぶだけの力は、今のマレウスには残っていなかった。

 ――そう、マレウスには。


「ええ、私は《竜体》にはなれない。

 だけど、こっちの本命は私でもブリーデでもないの」

「……何?」


 言われて、気付く。

 あのふざけた猫と見知らぬ小娘が見当たらない。

 マレウスとブリーデが仕掛けた、無謀としか呼べない一連の攻撃。

 そのどさくさに紛れて、また姿を隠したのか。

 しかし、そんな事をする意味は?

 例え逃げ隠れを続けようが、そんなものは時間稼ぎにもならない。

 ならば何故――。


「っ!!」


 思考にやや意識が沈みかけたところで、《最強最古》はそれを知覚した。

 戦いの余波で薙ぎ払われつつある森の一角。

 そこから溢れ出した、膨大な魔力の存在。

 覚えがあるモノと、覚えがないモノが混じり合った奇妙な感覚。

 それを訝しげに思った瞬間、巨大な影が大地に立ち上がった。


「《竜体》……!?」

『くたばれ《最強最古》ォ!!』


 それは三本首の竜だった。

 少なくとも、《最強最古》の記憶にはない《竜体》。

 三つの顎から同じ言葉を吐き出し、鞭のように撓らせた尾で一撃する。

 巨体から繰り出される質量と、莫大な魔力を込めた打撃。

 まともに喰らった少女は、ほんの僅かに表情を苦痛で歪めた。

 《竜体》と比べれば芥子粒のような小さな身体。

 それが派手に地面にぶつかるのを見て、三本首は高らかに笑う。


『ハハハハハハハ! どうですか、どうですか!

 ボクがちょっと本気出せばこんなもんですから!!』

『ザマァないですね《最強最古》! もうこのまま寝てていいですよ!!』

『何か死ぬほどでっかい岩を殴ったみたいな感触したんですけど!?』


 ぎゃあぎゃあと喚く三本首。

 その正体は言うまでもなく、ゲマトリアだ。

 大真竜としての全盛期フルパワーと比べれば、首の数は少なくなっているが。


「ヴリトラ、大丈夫?」

『寝てて良い??』


 マレウスの呼びかけに、《竜体》から思念の声だけが届く。

 ただ、猫の姿は何処にも見当たらない。

 今のヴリトラは、ゲマトリアの《竜体》の一部を形作っていた。

 以前の敗北の傷跡が深く、ろくに力を出せない大真竜の元・序列七位。

 彼女の足りない力を補うために、ヴリトラが協力している形だ。

 形としては、天空城の土台にされていた時と似たようなものだが。


『力さえ提供してりゃ、こっちは動く必要ないからな。

 ぶっちゃけまぁまぁ快適です』

『ありがたいのは間違いないはずなのに、何か釈然としないんですけどコレ!』

「贅沢言うんじゃないの、ゲマ子」

『ゲマ子言うの止めてくれませんかねブリーデさん!!』


 ぎゃあぎゃあと騒ぐゲマトリア。

 そのたわ言は聞き流し、ブリーデは今も一点を見続ける。

 尾で弾き飛ばされた少女。

 竜の長子は、いっそ緩慢な動きで抉れた地面から立ち上がった。

 見た目で分かるような傷は、やはり何処にもない。

 

「……ここまで潰してきた、真竜とかいう雑魚どもよりは随分マシだな。

 どれだけ脆弱でも、そこは古き血と認めるべきか」


 《最古の悪》は笑っていた。

 最初に見せていた怒りや苛立ちは、もうどこにも見当たらない。

 その微笑みはいっそ穏やかで、だからこそ恐ろしい。

 この強大無比な大悪竜は、時に親愛を込めて相手を甚振いたぶり尽くす。

 生来からの性質だ。

 愛を知って、人並みぐらいには情緒が育まれる以前。

 痛みと苦しみを与える事が、彼女にとっては他者と繋がる行為の一つだった。


「丁度良いハンデだ、この封印は触れずにおく」


 語る間も、当然マレウスたちは手を緩めない。

 目眩ましを兼ねた水流に、それを盾に間合いを詰める白い鱗の騎士たち。

 白兵を挑む者ばかりでなく、後方で弓を構える者もいる。

 そして本命。

 ヴリトラの力を借りて、《竜体》と化したゲマトリア。

 こちらも、他の皆の妨げにならぬよう巨体を器用に動かしていた。


「なんだ、小娘。

 竜の身で、随分と連携慣れしているようだな」

『そりゃもう強いだけのボッチとは違いますんで!!』


 叫ぶ声で応じながら、再び放つ尾の一打ち。

 マレウスの操る水の質量も、ブリーデに従う鱗の騎士たちの武具も。

 どれも《最強最古》には通じていない。

 《竜体》ですらなく、人間の形のまま戦っているはずなのに。

 単純に鱗が硬いワケじゃない。

 それならば月の鱗であれば切り裂けるはず。

 ……存在の重さ、魂の密度。

 一言で表すのならば、

 先ほどは吹き飛ばせた尾の打撃を、邪悪は真っ向受け止めている。

 華奢な指が、強靭な鱗に浅く食い込んでいるのが見えた。


「簡単に蹴散らすつもりだったが、存外に楽しいな」


 笑う。

 邪悪は笑いながら、無造作に腕を振る。

 《竜体》と化したゲマトリア、その尾を掴んでいる方の腕をだ。

 玩具を振り回す子供の動きそのままに。

 ゲマトリアは派手な音を立てて、地面に転がされてしまう。

 ろくに抵抗すらできなかった。

 人間の姿で出せるパワーじゃないと、今更ながらゲマトリアは戦慄した。


『前に戦った時は、ここまで無茶苦茶じゃなかったでしょ……!?』

「何の話をしている?」


 時計の針が戻ってしまっている彼女に、その記憶は存在しない。

 訝しげに傾げた首に、騎士の振るう剣が叩き込まれた。

 奇襲に近い一刀も、表皮を微かに傷付けるだけ。

 通らない。

 まったくの無傷ではないが、相手の総体からすれば本当に微々たるダメージ。

 焦りを募らせる姉妹らに、《最強最古》は変わらず笑みを向けて。


「星よ」


 容赦なく、偽りの夜空から星を落とす。

 しかし、飛来する流星は一つだけ。

 軌道は明らかに、《竜体》となったゲマトリアを狙っていた。


『ちょっ、なんでボクだけ!?』

「お前が一番的が大きいからな」


 微笑みかける表情だけは愛らしい。

 しかし、真っ赤に燃えながら落ちて来る星にはまったく可愛げはない。

 どうにか迎え撃たねば、足場にしている大地も叩き割られてしまう。

 ゲマトリアは覚悟を決めて、《流星》を三つの首で見上げた。


『オイ、本当に大丈夫かコレ?』

『ボクの中でうるさいですね!

 そんな心配なら手伝って下さいよ!!』


 内側の猫に叫びながら、ゲマトリアは力を溜め込む。

 如何にヴリトラの助けがあるとはいえだ。

 今のゲマトリアは、大真竜として五本首を誇っていた時よりも弱い。

 切り札である《邪焔》も、万全でない現状では扱えない。

 ――それでも、この場はボクがやらないと。

 どれだけ弱ろうとも、自分は《盟約》の大真竜。

 あの太陽の如き煌めきを宿した英雄と、千年の時を乗り越えて来たのだ。

 大真竜として落ちぶれようが、その誇りだけは今も胸で燃えている。


『だから、こんな事で負けられるワケがないでしょう――!!』


 轟く咆哮。

 三つの顎から同時に放たれる《竜王の吐息ドラゴンブレス》。

 炎熱と氷雪、それに雷撃。

 絡み合いながら、三種の《吐息》は落ちてくる星に突き刺さった。

 爆ぜる大気と衝撃。

 粉々に粉砕された星の破片が、火の玉になって辺りに飛び散る。


「ブリーデ!!」

「死ぬ死ぬ、一つでも喰らったら死ぬ……!」


 ひ弱な白子の蛇は、マレウスと騎士たちが守護ガードする。

 《竜体》であるゲマトリアも、この程度の小石なら大した痛痒もない。

 そして、当然の如く《最強最古》も。


「良く防いだな。

 が、星の一個を砕いたぐらいで気を抜くなよ?」


 衝撃と破片。

 その全てを浴びながら、衣装にさえ傷一つない少女。

 とても愉快そうに微笑み、右手を偽りの夜空へと掲げていた。

 指先が動けば、空に輝く星も動く。

 悪夢にも似た神秘的な光景。

 古き竜たちですら、恐れ慄く他なかった。

 邪悪は微笑む。

 それは闇夜の星空に似て、酷く美しい。


「星々よ、墜ちろ」


 一言で、また星が空から降り注いだ。

 今度は複数、一つ一つのサイズは先ほどよりは小さいが。


全力全開フルパワーならまだしも、今の状態でコレはきついですよ!?』

「頑張って!! 私たちも手伝うから……!」

「ホント、上から落とすの好きよねアイツ!!」

『ねむい』


 地獄でゴロ寝する猫の幻が見えたが、さておき。

 再び空に向けて吼えるゲマトリア。

 マレウスは水を操り、小さくなったブリーデを守るべく騎士たちも迎え撃つ。

 墜ちる星の横から、更に殴られでもしたらどうしようもないが――。


「さて、持ち堪えられるか見ものだな」


 《最強最古》は、ただ余裕の構えで眺めるのみだ。

 油断しているワケではないが、完全に慢心している状態だ。

 いや、それもまた正確ではない。

 マレウスたち――ゲマトリア以外の竜たちは理解していた。

 あの長子は、根本的に身内には甘い。

 「比較的」にではあるし、性根が残虐非道なので分かりづらいが。

 本人も遊んでいる程度の感覚で、意識して加減してるつもりはないはずだ。

 昔に戻ってしまっても……いやだからこそ、彼女は変わらない。

 その一点に、竜の弟妹たちは勝機を見ていた。


「ねぇ、上手く行くと思う……!?」

「上手くやるしかないわ!」


 不安が混じるブリーデの声に、マレウスは敢えて強く応じた。

 ――やるしかない。

 此処でどうにか無力化しなければ、取り返しがつかない事になる。

 例え、掴める勝機がどれだけか細くてもだ。


「ったく……!

 アンタの恋人なんだから、早く何とかしなさいよ……!」


 今この場にはいない、一人の男。

 その甲冑姿を脳裏に思い描きながら。

 ブリーデは、まるで星に祈るように文句を口にした。

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