413話:遊びは止めだ


 星が落ちる。

 偽りの夜空に光が瞬く度に、炎は美しい軌跡を描く。

 ただ眺めているだけの身分なら、それは胸躍る光景だったろう。

 が、この星の輝きは現実的な脅威に他ならず。

 一つでも対処を誤れば、即座に死に繋がる恐るべき力の発露に他ならない。

 故に、古き竜の弟妹たちは全力でこれを迎え撃つ。


「ちょっとは加減したらどうなの……!?」

「しているぞ?

 お前たちの息がまだ繋がっている事こそ、その証明だろう」


 つい毒づいたブリーデに、《最強最古》は嘲りで応じた。

 落ちる、星が落ち続ける。

 ヴリトラの協力で《竜体》を取ったゲマトリア。

 三つの首が咆哮を上げ、吐き出す《吐息》や爪が星を砕く。

 そして細かい破片を、マレウスの水や白鱗の騎士たちが叩き落とす。

 基本はその繰り返しだ。

 戦う力を持たないブリーデは、マレウスの背で小さくなっているしかない。

 ちょっとでも巻き添えを喰らえば、容易く肉体が砕けてしまうからだ。

 その懐かしい脆弱さを、《最強最古》は声を出して嘲笑った。


「威勢が良くても、身体が付いてこないのは相変わらずか。

 お前は本当にどうしようもないな、不出来な白子め。

 そんなザマで私に勝つとほざいたのか?」

「クソ、自分が優勢だからって色々言ってきたわね……!

 そういうとこが嫌いなのよ、アンタは!」

「なんとでもほざけ。

 気に入らないのなら、私を黙らせてみろ」


 できるものならな、と。

 完全に余裕の構えで、邪悪は弟妹たちの奮闘を眺めていた。

 星を幾つか落とし続ける以外は、本当に見ているだけだ。

 このまま自分が勝つと、確信しているからこその余裕。

 そして無意識下の力加減も合わさり、ギリギリの状況が形作られる。

 水を操作しながら、マレウスは最愛の姉に視線を向ける。

 ――今、この瞬間ならば。


『オイ、やる気か?』

「ええ。どの道、誰かがやらなくちゃダメでしょう?」

「……できるなら、私がやりたいけど」

「ダメよ、ブリーデ。

 貴女に何かあったら、それこそ姉さんが怖いもの」


 己の無力さを、心底悔しそうに歯噛みする白蛇の長姉。

 彼女に対して微笑みかけ、それからマレウスは覚悟を決めた。

 このままでは、ただジリジリと削られて押し潰される。

 地上にいるウィリアムも、そう長くは待たせるワケにはいかない。

 故に、ここが決断する時だった。


「こそこそと話しているようだが、何をする気だ?

 地を這い許しを請うなら、慈悲をかけてやっても良いが」

「ありがとう、姉さん。

 けど、もう少し頑張るって決めたばかりなの」


 降伏をするなら許しても良いと。

 冗談のように言いながらも、半ば本心から提案する《最強最古》。

 その意識していない気遣いを察して、マレウスは笑った。

 そして、結果的にそれを無碍にしてしまう事に、少し心が痛んだ。


「私たちは絶対に、今の貴女を止める。

 そう、絶対に」

「…………愚か過ぎて言葉を失うな」


 あまりに強固な決意に、邪悪は困惑を隠せなかった。

 これだけ戦っても、まだ彼女には理解できない。

 自分をあれだけ恐れていたはずの弟妹たちが、何故ここまで抗うのか。

 古より生きる同胞として、《最強最古》の意味は知っているはず。

 なのに、何故。

 どうしてこんな無謀を、迷わず行えるのか。


『どうでも良いですけど、マジでそろそろ持ちませんからね……!』

「分かってる。けど、もう少しだけ頑張って!」


 墜ちてくる星の対処を、主として行っているゲマトリア。

 天を支えるに等しい所業は、大真竜の力を持ってしても難事だった。

 全開の状態よりも弱っているのが、非常に厳しい。


『がんばれー、負けるなー。マジでねむーい』

『ホント、ここぞって時に全力で怠けてますねこの駄猫!!

 それで《古き王》とか恥ずかしくないんですか!?』

『いやホント、力を搾り出してるだけでも結構しんどいんで』


 力の供給源パワーソースとしては全力で働いてるから、と。

 だらけたヴリトラの思念に、ゲマトリアは悲鳴じみた声を上げた。

 限界は近い。

 ブリーデの騎士たちも良く戦っているが、こちらもギリギリだ。

 操作した水で細かい破片を防ぎながら、マレウスは呼吸を整える。

 勝算なんて皆無の、博打にすらなっていない賭け。

 恐らくは、一度しか通じないだろう奇襲。

 上手くいくワケがないと、そう頭では分かっていても。

 マレウスに思いつくのは、もうこの手しかなかった。


「ごめん、後はお願い……!」

「マレウス!」


 反射的に、ブリーデがその名を呼んだ。

 振り返らずに、マレウスは走る。

 浮かぶ大地を蹴って、真っ直ぐに竜の長子に向かって。

 ――防戦ではジリ貧と判断して、こちらを直接狙うつもりか?

 くだらないと、《最強最古》は冷めた思考で結論づけた。

 愚かしい、どんな馬鹿でも思いつく話だ。

 術式を防ぎ切れない以上、術を維持している本体を叩く。

 実現不可能であるという点に目を瞑れば、確かに道理ではある。

 マレウスは真っ直ぐに、脇目も振らずに駆けてくる。

 彼女と《最強最古》の戦力差は、今更考えるまでもないほどに開いていた。

 意味がない、策と呼ぶのもバカバカしい。

 水での攻撃がくれば、簡単に叩き落とせる。

 他の魔法が飛んできたとしても、最初の封印のように喰らってやる理由はない。

 例え肉弾戦になっても、マレウスぐらいならば片手で捻り潰せる。

 総じて、頭の悪い妹の突撃には欠片ほどの脅威もなかった。


「馬鹿が」


 ため息一つ。

 愚かで鈍い、眠りを愛した哀れな竜の娘。

 こちらにたどり着く前に叩き潰すのも、《最強最古》には容易だった。

 しかし彼女は、敢えてそれをしない事にした。

 攻撃が来るなら迎え撃ち、向かって来たなら正面から叩きのめす。

 そうする事で、絶対的な格差を今一度刻み込んでやろうと。

 邪悪なる竜の長子はそう考えたのだ。

 思考している間も、マレウスは確実に距離を詰めてくる。

 この時点で、彼女の身体は随分とボロボロだった。

 最初の攻防で痛めつけた傷もある。

 落とした星の欠片も浴びて、その姿は何処までも痛々しい。

 馬鹿が、と。《最強最古》はもう一度呟く。

 そんなザマで、一体何をする気なのか。

 水の一つも飛ばしてくるかと思ったのに、飛沫さえも出して来ない。

 今のマレウスは、走る事さえも精一杯だった。

 ――こんなものが、かつて神代に君臨した《古き王》の姿と呼べるのか?

 その無様さを、《最強最古》は嘲笑う。

 その愚かさを、《最古の悪》は眺めていた。

 どんな攻撃が来ても、迎撃して力の差を見せつけるつもりだった。

 けれど、何も起こらない。

 マレウスはただ、必死に走っているだけ。

 そこには、悪が対応すべき敵意は一切存在しなかった。


「姉さん……!!」


 だから、反応が遅れてしまった。

 もう手を伸ばせば届く距離まで、マレウスは近づいていたのに。

 そう呼ばれて初めて、《最強最古》はその事実に気がついたのだ。


「なっ……!?」


 それは《最強最古》にとって、完全に予想の外だった。

 害意があれば、邪悪は即座に反応できたろう。

 僅かでも攻撃の意思があったなら、確実に対応できたはずだ。

 しかし、マレウス自身にはそのどちらもない。

 あるのはただ、愛する姉を命懸けでも止めたいという決意。

 そして彼女に攻撃を行う気はなかった。

 走り、その目前へと迫ったなら、マレウスは両腕を広げる。

 そのまま、驚愕する姉を力の限り抱擁したのだ。

 力では届かぬマレウスにできる、それが唯一にして最善の方法。

 愛を知らず、けれど完全には忘れていない《最古の悪》。

 マレウスの愛情は、その動きを縫い止めていた。


「ごめんなさい、姉さん……!」

「っ、マレウス! 貴様、なにを――」


 ボロボロの身体。

 力は悲しいほどに弱く、それでもマレウスな姉を全霊で抱き締めた。

 戸惑い、困惑する《最強最古》。

 星を落とす術式は乱れ、意識も散漫になってしまう。

 ――その瞬間を、地表の男は見逃さなかった。


「ッ……!!」


 心臓を貫かれたと。

 《最古の悪》にそう錯覚させるほどの、余りにも鋭い殺意。

 実際は、その「意」は殆ど消し去られたものだ。

 ほんの微かな、常人ならばそよ風ほどにも感じ取れない残滓。

 大悪竜の霊感だけが、それが魂を潰さんとする強烈な意思だと読み解いていた。

 狙われている、確実に。

 その事実を認識すると、《最強最古》はマレウスを力任せに引き剥がした。


「邪魔だ!!」


 叫び、か細い妹の身体を地に叩きつける。

 今のマレウスの状態では、少しも抗うことはできない。

 《水底の貴婦人》は、声を上げる事もできずに大地に倒れ伏す。

 直後に、殺意が物理的な形を伴って現れた。

 蒼白い月の輝き。

 それが、邪悪が立っている地面を貫いた。

 魂砕きの月光。

 浮島を縦に撃ち抜く一矢は、《最強最古》の身体を捉えて――。


「ッ――この、程度で!!」


 打ち砕いた。

 が、光が貫いたのは右腕のみ。

 肘から先を吹き飛ばされながらも、《最強最古》は未だ健在。

 偽りの夜空を、月の光が駆ける。

 その煌めく軌跡を見上げて、悪は笑った。


「ハハハ、これがお前たちの策か!

 小賢しいが、見事とは言っておこうか!

 だが惜しかったな、私には――」

「まだよ」


 届かない、と。

 そう口にしようとした竜の長子。

 彼女の言葉を遮ったのは、竜ならざる白子の蛇。

 本来ならば、戦う力を持たない彼女。

 ここまで、刃を向けたのはその身に従う英霊たちだった。

 しかし今。

 無力であるはずのブリーデの手には、大いなる力が握られていた。

 《最強最古》の身体を掠めるだけに終わった、最初の月の鱗。

 森人に預けられていた刃を、本来の担い手が握り締める。


「その剣は……!」

「皆、力を貸してっ!!」


 驚愕する《最古の悪》に、ブリーデの叫びが重なる。

 ――ここまでが、彼女たちの策。

 知覚外からの狙撃と、それが万一外れた場合の奇襲。

 ここまでは予定通り。

 ブリーデの呼びかけに応え、武具に宿る英霊たちの魂が激しく燃え上がる。

 現れるのは、月の竜。

 無数の剣を己の鱗とする、ブリーデの《竜体》だった。

 その威容を目にして、邪悪は声を上げる。


「ハッ!! 白子の分際で、随分と良い格好じゃないか!」

『言っとくけど、見せるのは二度目だから!』


 嘲りと称賛が混じる言葉。

 その声ごと、月の刃が《最強最古》に振り下ろされる。

 魂さえも断ち、万象を斬滅する刃。

 しかし、ブリーデの感じたのは異常に重い手応えだ。

 

『ブリーデさん、気を抜かないで下さいよっ!!』

『っ……!?』


 後方から飛ぶゲマトリアの警告。

 それにブリーデは、彼女なりに素早く反応したが。


「遅いぞ、ナメクジ」


 嘲りと共に、強い衝撃がブリーデの《竜体》を揺さぶる。

 これまで感じた事のない痛みに、白蛇の娘は悲鳴を噛み殺した。

 まだだ、気を強く持て……!

 自らに言い聞かせて、ブリーデは双子の妹と呼ぶべき相手に集中する。

 月の刃を、無事な左腕で完全に受け止めて。

 そのまま極光の《吐息ブレス》を放って、《最強最古》は笑っていた。


「だが、今のはなかなか危なかった。

 弱者のひと噛みが強者を討つなど、夢を見させてしまったか?」

「余計なお世話よこの暴力貧乳……!」

「意味の分からない罵倒はやめろ、何故か妙に腹が立つ!」


 ホントに不機嫌そうに唸る少女の姿。

 その様子から、「以前の彼女」はまだ消えてないとブリーデは確信する。

 問題は、どうすればそれが目覚めるかだ。


「まぁ良い。

 お前がそれだけの力を持つなど、驚いたのは事実だが――」

「っ……ブリーデ、下がって……!」


 傷付き、地を這うマレウスがか細い声で叫ぶ。

 分かっている。

 危険である事は、戦いに不慣れなブリーデでも分かっていた。

 しかし、この状況で下がるワケにはいかない。

 真っ向から殴りかかる《最強最古》を、ブリーデは《竜体》で受け止めた。

 《吐息》の直撃に劣らない衝撃。

 ただの拳で、剣の鱗を纏めて粉砕してくる。

 ゲマトリアが割って入らねば、そのまま半分近くを破壊されただろう。


『ちょっと、なんかいきなり強くなってませんかコイツ!?』

『……強くなった、というより。

 単純に、

『遊ぶのを止めた、って……』


 三つ首の内で、猫が唸った。

 その声に、隠しようもない戦慄を含ませて。


「あぁ、お前たちは強い。

 私が考えていたより、ずっとだ」


 ブリーデの言葉に応える形で。

 いっそ穏やかな口調で、《最強最古》は語る。

 お前たちは強い。

 それは偽りの無い称賛だった。

 故にこそ。


「喜べ。遊びはやめて、少しだけ真面目に戦ってやる」

『っ……』


 絶望的な宣告。

 気圧されまいとしていたブリーデも、堪らず息を呑んだ。

 全て、少女の形をした邪悪が言う通り。

 向こうがこちらを、「戦う相手」と認識を改めた。

 たったそれだけで、辛うじて保たれていた天秤が激しく揺らぐ。


『ゲマトリア、マレウスを守って!!』

『わ、分かりましたっ』


 鱗の剣を逆立てて、ブリーデは《竜体》を前に押し出す。

 対して、《最強最古》は。


「脆弱でありながら、弟妹を先ず気遣う。

 本当に、昔から変わらないな姉上。

 その心根を、私は昔から美しいと感じていた。

 皮肉でも冗談でもなく、本心からだ」


 笑う。

 邪悪は笑っていた。

 称賛の言葉は、場の空気にそぐわぬほど温かく。

 いっそ親愛すら込めた微笑みで。


「――だから余計に、お前にその無力さを刻みつけたくなるんだ」


 雰囲気も表情も、微塵たりとも変えずに。

 ブリーデの《竜体》を引き裂いて余りある力を、左手の爪に乗せて。

 《最古の悪》は、それを何の躊躇いもなく叩きつけていた。


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