414話:杞憂ならば


「……は?」


 直撃すれば必滅の《分解》の術式。

 《灰色》の魔法使いは、それをウィリアムに向けて解き放った。

 いや、解き放とうとした。

 しかしその直前、魔法使いの右手がのだ。

 手首の先から綺麗に切断されている。

 《分解》の光も霧散し、肉片は音もなく大地に落ちた。

 そして。


「っ――!?」


 空間に、無数の「線」が走った。

 絡め取られる寸前に、《灰色》の姿は消失する。

 《転移》の魔法だ。

 ギリギリで逃れた男は、そのまま空の上に再出現した。

 右手の傷を抑え、忌々しげに地上を睨む。


「お前は……!」

「さて、そちらの誰かさんと面識はあったかな?

 ちなみに僕は曖昧だけど、気を悪くしないで欲しい。

 人の顔を覚えるのは苦手なんだ」


 そう笑う声は、酷く親しげで。

 たった今、殺そうとした相手に向けてるものとは思えない。

 倒れたままの状態で、ウィリアムはその女を見上げた。

 

「久しいな、俺の顔も忘れたか?」

「まさか。ちなみに、コレも君の予定通りかい?」

「馬鹿を言え。

 ただ死ぬ前に言いたい事を言っただけだ」

「格好良いねぇ。

 相変わらずで安心したよ」


 笑うのは、帽子を被った死神。

 剣魔たるドロシアは、楽しげに手にした剣を揺らしていた。


「で、アレが敵って事で良いのかな?」

「お前がどこまで把握しているかは知らんが。

 今回の事態を引き起こした黒幕だと、そう考えて問題はないはずだ」

「だったら話は早いね」

「ッ……」


 隠す気など毛頭ない、強烈な殺意。

 それを全身に浴びて、《灰色》の魔法使いは息を呑む。

 向こうは忘れているようだが、お互いに千年前の経験者だ。

 当然、《灰色》はドロシアの事を知っていた。

 彼女がこの場にいる事が、他に何を意味するのかも。


「ウラノスが動いたか……!」

「あぁ、我らが《主星》のことも知ってるんだね?

 なら君が想像している通り。

 あの人が動いた以上、この馬鹿騒ぎももう終わりだよ」


 それはそれで少し残念だけどね、と。

 微妙にため息混じりで、ドロシアは肩を竦めた。

 《大竜盟約レヴァイアサン・コード》における、序列三位の大真竜。

 生まれ持った強靭極まりない五体。

 その人知を超えた力で、古き竜を相手に勝利し続けた男。

 単純な戦士としての強さだけならば、疑いようもなく《盟約》最強。

 それこそがウラノスという大真竜だ。

 魔法使いは当然、その男については良く知っていた。

 考えただけで、脳髄を焦りの火が焼いていく。

 如何に《最強最古》とはいえ、あの鋼鉄の大英雄を相手に勝てるかどうか。

 無論、両者を食い合わせての共倒れは魔法使いが考える最善の結果だ。

 しかし、真竜を喰らって力を蓄えている段階である今。

 この状況で大真竜ウラノスと戦って、「共倒れ」まで望めるのか?

 第一、仮に首尾よくそうなったとしても、《盟約》にはまだ二柱の大真竜がいる。

 《最強最古》という札無しに挑む自信など、《灰色》の中には無かった。


「で、ボーッとしてても良いのかな?」

「ッ!?」


 思考を中断させたのは、死神の鎌の閃き。

 魔法も無しに、足場のない空をドロシアが駆け上がってきたのだ。

 偽りの夜に散りばめられた星の光。

 その細やかな輝きを受けて、剣は冷たい色を帯びる。

 一閃しただけで、同時に複数の剣閃が生じた。

 剣魔たるドロシアが誇る「技」。

 竜の顎の如き刃の檻を、《灰色》はまた紙一重で回避した。

 が、完全には避け切れず、手足に幾つもの傷が走る。


「おっと、思ったよりずっと素早いなぁ」

「お前の剣の癖は知ってるからな、ドロシア!」

「おや、やっぱり知り合いだった?」

「そいつは《始祖》だ。

 かつては《黒》と呼ばれた、千年前の災禍を引き起こした張本人だ」


 完全に記憶から忘却しているドロシア。

 それに短く解説しながら、ウィリアムは弓を構えた。

 先の負傷ダメージは重いはずだが、森人の動きはそれを感じさせない。

 番えた三本の矢を一度に放つと、それらは全て異なる軌道を描く。

 さながら獲物を狙う蛇の如し。

 が、それらは《灰色》が再び展開した力場の防御によって弾かれてしまう。


「チッ。流石にそう簡単にはいかんか」

「面倒だよねぇ、ああいう魔法の防御って。

 まぁよく見ると『継ぎ目』があるから、斬れないワケじゃないけど……」


 距離を離そうとする《灰色》の魔法使い。

 世間話でもする気軽さで語りながら、ドロシアはそれを追う。

 やや遅れて、負傷を引きずるウィリアムも続いた。


「……《黒》?

 君が? 本当に?

 何だか随分と印象が変わった気がするけど」

「千年も経てば変わるだろうよ、それが竜でもない限りはな!」

「なるほど、確かにそれは道理かもしれないね」


 罵声に近い返答に、ドロシアは何故か納得した様子で頷く。

 そして、剣が踊る。

 星に似た光が宙を舞い、刃は容赦なく血肉を断つ。

 速い。

 見えたと思った瞬間には、もう斬られている。

 手足の一部を刻まれ、《灰色》は思い切り顔を歪めた。


「さて、悪いけど早く諦めて貰えないかな?

 何となく嫌な気配がするからって、僕だけ対処のために別行動なんだ。

 あんまりパーティーに遅れちゃうのは、できれば避けたいと思わないかな?」

「侮るなよ剣魔……!!」


 いいからさっさと死ねと。

 そう言わんばかりの態度に、《灰色》は強く叫び返す。

 その声を《力ある言葉》として、複数の攻撃術式が同時に展開される。

 だが、その全てが目くらましだ。

 この程度の術式では、ドロシアを仕留めることはできない。

 魔法使いは当然理解していた。

 故に、そのブラフの影で本命と呼ぶべき《分解》の術式を――。


「無駄だ」

「っ!?」


 ウィリアムの声と共に、軽い衝撃が《灰色》の肩を貫く。

 突き刺さったのは一本の矢。

 力場の防御がある限り、決して届くはずはないのに。


「馬鹿な……!?」

「なるほど、言われてみれば確かに『継ぎ目』があるな。

 流石に一発しか狙い通りには行かなかったが」


 淡々と、何でも無い事のように森人は呟いた。

 ――ドロシアの戯言を、この男はいきなり再現してみせたのか!?

 信じ難い話だ。

 信じ難いが、どれだけ疑っても現実は覆らない。

 そして今の矢で、攻撃を仕掛けるタイミングを逸してしまった。


「ハハハハハ、いや、君も流石にやるじゃないか!」


 声を上げて笑うドロシア。

 その剣が、再び刃の檻を形作る。

 本来ならば、物理的干渉を弾くはずの力場の防御。

 今やそれは薄紙の盾ほどにも役に立たない。

 無数の斬撃は、魔法の隙間からあっさりと《灰色》の手足を刻んだ。

 痛み。

 血肉が断たれる度に、鋭い苦痛で脳髄が滅多刺しにされる。

 拙い、このままでは……!!

 反撃をしようにも、後方のウィリアムの眼がそれを許さない。

 一対一なら、まだ勝機を見出す事もできただろう。

 だがこの人域の限界と呼ぶべき戦士らを相手に、戦い続けるのはあまりに愚かだ。

 故に、《灰色》の魔法使いは決断する。


「おっと――?」


 首を刈るつもりで放った一刀。

 それが空しく宙を切り、ドロシアは微妙にバランスを崩しかけた。

 だがそれも一瞬のことで、僅かな隙にもなりはしない。

 改めて、剣魔は目の前の状況を確認する。


「……いない?」

「あぁ、《転移》だろうな」


 仕留めるはずだった剣。

 行き場を失った殺意を、手の内で転がす。

 《転移》で消えた獲物は、何処へ言ってしまったのか。

 ドロシアの超人的な五感は、常人の知覚範囲を遥かに上回る。

 見えていようがいまいが、その感覚から逃れる事は決して容易くない。

 が、死神の耳目は、森の中に何の影も掴めなかった。

 油断なく、剣はいつでも振るえる状態で見回す。


「……まさか、逃げた?」

「勝ち目無しと判断して、尻尾を丸めたんだろうな」


 呟くドロシアに、追い付いたウィリアムが応えた。

 いやいやまさかと、剣士は首を振る。


「逃げて、それでどうするんだい?

 まさか単純にビビッて、後先考えずに逃走したと?

 そんなの、その場しのぎにしかならないじゃないか」

「他人が賢明である事に期待するのは、自分を賢明だと信じる程度には愚かだぞ」

「また君は小難しいことを言うなぁ」


 興が削がれてしまったからだろう。

 皮肉とも冗談ともつかないウィリアムの言葉。

 それにドロシアは、無気力な嘆息で応じた。

 対して、ウィリアムの表情は険しい。

 焦りこそはないが、強い眼差しを上空の浮島に向けていた。

 ……退く《灰色》を追う内に、大分距離が開いてしまっていた。


「ウラノスが来ているのか」

「あぁ、僕を含めた《魔星》もね」

「そうか」


 ならば、既に大真竜らは戦闘に介入しているだろう。

 戦場から遠いウィリアムやドロシアでは、まだ現状は把握できない。

 ただ、ドロシアは特に危機感を持ってはいなかった。

 《主星》たるウラノスと、自らの同輩である三人の《魔星》たち。

 彼らの強大さは、ドロシアは正しく認識していた。

 禁じられていなければ、自分が挑みたいと常に願って止まない強者。

 あり得ない仮定だが、全員揃えば第二位のオーティヌスさえ上回る戦力だ。

 故に、ドロシアはいっそ呑気に構えていたが。


「少し、急いだ方が良いかもしれんな。

 それで何かが変わる可能性は低いが、やらんよりは良いだろう」

「? 何の話だい?」


 森人の男は、良く分からない事を言い出した。

 首を傾げるドロシアに、ウィリアムは淡々と続ける。

 

「こちらの策が奇跡的に上手く行ったとして。

 それで万に一つの勝機を掴めたなら、何も問題はない。

 だがそうはならなかったなら、かなり面倒な事態になる」

「もっと分かりやすく頼むよ」

「お前のご主人様でも、恐らくあの女には勝てん」


 ハッキリと。

 ウィリアムはその事実を口にした。

 ドロシアにとって、ウラノスの強さは絶対だ。

 逆に今回の標的――《最強最古》と呼ばれた悪竜について。

 その知識は殆ど持ち合わせていない。

 戦争都市で出会っているが、その時は接点も薄かった。

 その存在を覚えてはいるが、余り脅威には感じなかったはずだ。

 故に、ウィリアムの言葉をドロシアは半信半疑で受け止める。


「君はウラノスを知らないんだよ」

「お前は《最強最古》の事を知るまい。

 俺も偉そうに言えるほど、詳しいワケではないがな」

「それで良く断言するね」

「勘なのは否定せん。

 杞憂で終わるのならそれで問題ない」


 言いながら、ウィリアムは移動を開始する。

 ドロシアはその背を追って。


「待って、あの《始祖》は?」

「逃げたんだ、放っておけ。

 何かまた企むかもしれんが、優先順位は下だ」

「君、もうちょっと詳しく説明しろって言われたことない?」

「さて、記憶にないな」


 呆れて突っ込むドロシアに、ウィリアムは臆面もなく応える。

 それからまた、何事もなかったように。

 

「……杞憂ならば良いがな」


 同じ言葉を繰り返す。

 視線は変わらず、夜空に浮かぶ大地に向けたまま。

 距離はまだ遠い。

 浮島に乗り込むなら、飛行する手段が必要だ。


「ドロシア、お前は飛べるのか?」

「僕自身は飛べるワケじゃないけど、足は用意してきたよ」

「それは俺も使えるものか?」

「少し窮屈な思いをする羽目になるけど」

「問題ない」


 そう言ってから、ウィリアムは改めてドロシアを見た。

 ――相変わらず、不敵に笑う男だ。

 レックスとタイプは違うが、それに劣らない強者の格。

 それを感じ取り、ドロシアもまた覆面の下で笑っていた。


「繰り返すが、杞憂ならば良い。

 だが最悪が実現した場合、ここから先は想像以上の地獄になるやもしれん。

 お前の主が敗北する可能性すらある、そんな戦場だ。

 それでも行く気はあるか?」

「分かって聞いてるだろ、それ」


 嫌な奴だと、ドロシアは小さく呟く。


「行くよ、行くとも。

 そんな話を聞いたら、期待で心臓が痛いぐらいだ。

 肩透かしだったらその首を狙うかもしれないけどね?」

「問題ない、勝利と比較すれば安い首だ」

「その冗談はちょっと分かりづらいかなぁ?」


 そうか、とウィリアムは短く応える。

 本当に冗談だったかどうかは、ドロシアが知る由もない。

 どうあれ、この場における両者の利害は一致した。


「ところで、レックスは?」

「奴は遅刻だ。

 遅れはするだろうが、必ず来る」

「言い切るねぇ、確か大陸の外で行方不明とか聞いたけど?」

「だとしてもだ」


 詳細なことは、ドロシアもウィリアムも分かっていない。

 最悪の可能性は、幾らでも想像できた。

 その上で、ウィリアムは自らの勝利と同程度には確信していた。


「あの男は、必ず来る。必ずな」


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