409話:悪に挑む者たち


 《灰色》の魔法使いは、全ての状況を俯瞰していた。

 《古き王オールドキング》の一柱であるマレウス。

 彼女が《最強最古》の前に立ち塞がったのは、正直驚くべき事態だった。

 竜王としては比較的に弱く、しかも個人としても長子を慕ってもいる。

 そんな相手が、このような無謀な真似をするのは考慮の外だ。

 それが脅威かどうかは全く別問題だが。


「……余計な邪魔をされても面倒だな」


 今一番に優先すべきは、なるべく《最強最古》を刺激しない事。

 いつ何時、こちらに気紛れな矛先が向くか分からない。

 故に《灰色》は、基本手出しをする気はなかった。

 しかし、今回は万が一があるかもしれない。

 そう考えて、危険リスクは承知で介入する事を選び――。


「悪いが、無粋な邪魔はご遠慮願おうか」


 わざと聞かせるための言葉が、耳の中に飛び込んできた。

 音を置き去りに、何かが風を切る。


「ッ!?」


 魔法使いの反応はギリギリで間に合った。

 頭を狙った一本の矢。

 更に、その矢に隠れる形で心臓を狙った矢が一本。

 どちらも、命中する寸前で展開した斥力場が受け止めていた。


「お前は……!」

「自己紹介が必要な間柄か?

 俺はどちらでも構わんがな」


 距離は遠いが、千里眼は狙撃手の姿を即座に捉える。

 森の木々に身を潜め、弓を構えた森人の男。

 ウィリアムは、風に乗せた声で笑う。


「事態の黒幕はお前か?

 まぁ何者であれ、今は大人しくして貰おうか」

「それをこっちが聞く必要は?」

「無いな。だから面倒ではあるが、俺が相手をしてやる」

「森人風情が、思い上がるなよ!」


 嘲りと、僅かな苛立ち。

 それを声にして叫び、古き魔法使いは術式を展開する。

 ――理想を見失った救世主の残骸。

 それでも、男が《始祖》たる古き魔法使いである事は変わらない。

 その脅威は、古き竜と比較して何ら遜色はなかった。

 だが、相対するウィリアムは笑う。

 いつもの如く、余裕さえ感じさせる表情で。


「お前が何者かは知らない。

 だが、最後に勝つのは俺の方だ」

「戯言を!!」


 揺るぎない確信を込めて、森人は己の勝利を宣う。

 対して《灰色》は、腹立たしげに吐き捨てる。

 勝つ事を疑わぬ男と、負けを認められずに足掻く男。

 そんな両者の戦いが始まる中。


「チッ……!!」


 それは、完全に不意を打った形だった。

 森の一部、しかもかなりの範囲の地面が空へと持ち上がる。

 速度と質量。

 二つを十分に兼ね備えた一撃が、少女の身体を強かに打つ。

 そのままの勢いで、上空の彼方まで吹き飛ばされてもおかしくはない。

 だが。


「この魔力、ヴリトラか」

『……くそっ、流石は長兄殿だな。

 いや普通に受け止めるのはヤバいだろ』


 呟く声に応じる思念。

 マレウスと同じく《古き王》の一柱、ヴリトラだ。

 衝突してきた地面を腕で止め、改めてその上に立つ《最強最古》。

 大地に根付く魔力の感触。

 それに触れただけで、《最古の悪》は相手が何者であるかを看破していた。


「寝坊助が自発的に働くとは、明日は槍でも降るか?」

『今まさに隕石降らせてる長兄殿が言うと笑えんジョークだなマジで!!』


 そう言葉では嘲るように応じながら。

 《最強最古》は自身の知覚を広げ、周辺を探知する。

 当然、相対するマレウスからも注意は逸らさない。

 言葉は思念として飛んで来るが、肝心のヴリトラの位置が掴めない。

 あの寝るのが趣味な弟は、そこまで逃げ隠れが得意だったか?


「…………いや」


 そこまで考えたところで、一つの可能性に思い至る。

 自然と口元は笑みの形につり上がった。

 そんな長子を見て、何を考えているかに気付いたか。


「踊れ、水魔ケルピーよ!!」


 歌う声を《力ある言葉》として、マレウスが叫んだ。

 ヴリトラと結合している大地は、未だに上昇を続けている。

 戦いの被害から、できる限り他を巻き込まぬように。

 空高く押し上げられた舞台であれば、存分に力を振るう事ができる。

 故にマレウスは、渾身の力を練って水を操る。

 虚空から生じた莫大な鉄砲水が、蛇の如く佇む少女へと殺到した。

 少女――《最古の悪》は動かない。

 動かず、ただ右手をかざして。



 短く、一言だけ呟く。

 それでマレウスの操る水塊は弾けた。

 何が起こったか分からず絶句する妹に、《最強最古》は微笑む。

 いっそ優しげな声と表情で。


「もう一度、力の差を刻みつけてやろう」

「ッ――!?」


 一方的に言い放ち、マレウスは悲鳴を噛み殺す。

 衝撃と苦痛。

 腕や足の一部に、抉り取られたような傷が刻まれていた。

 何かに撃ち抜かれている。

 その事実だけは認識できるが、肝心の攻撃の正体が掴めない。

 いや……長子はさっき、なんと言った?

 星よ、と。

 確かに、そう呟いて。


「まさ、か……!?」

「気付いたか? まぁ別に隠してるワケでもないからな」


 笑う。

 嘲笑というよりも、憐憫を込めた笑みだった。

 身の程を弁えず、愚かにも挑んできた哀れな弱者に向けて。

 《最強最古》は淡々と言いながら、指先で宙をなぞる。

 また、マレウスの身体に小さな穴が空いた。

 器である肉体から、真っ赤な血が盛大にこぼれ出した。


『おい、マレウス!? 糞っ、長兄殿は何を……!』

「《流星ミーティア》よっ!

 但し、物凄く小さい奴だけど……!」


 それが起こっている事の真実だ。

 マレウスが受けているのは、偽りの夜空から落下する隕石攻撃。

 地表を焼き払った時と異なるのは、それが極小サイズであるという事だ。

 加えて、無駄な衝撃や熱を撒き散らさないよう術式による調整まで施されている。

 超々高速で空から狙い撃つ魔弾。

 その気になれば、初手で頭を砕く事ぐらい容易いだろうに。


「さて、分かったところでお前に何ができる?」


 《最強最古》はそれをしない。

 これは戦いではなく、彼女にとっては「躾」のようなものだからだ。

 言うことを聞かず、それどころか逆らいまでした不出来な妹。

 器を破壊する事などいつでもできる。

 だからこそ、その罪深さを悔い改められるように痛めつけるのだ。

 一発、二発と。

 魔弾の狙いは正確に、マレウスの四肢を削り取っていく。

 その苦痛に屈服したとしても、恐らく誰も責められはしないはずだ。

 行っている方も、これで十分だろうと考えるほどだ。

 だが。


「まだ……ッ!!」


 マレウスは折れない。

 仮に両腕が残らず砕けようと、意思があれば水は操れる。

 圧縮した水を、複数の槍という形で射出する。

 どれもこれも最初の濁流や鉄砲水に比べれば、かなり勢いが落ちていた。

 だから何の脅威でもなく、夜空の魔弾にあっさりと砕かれる。

 同時に、マレウスの身体にも穴が増えた。

 一方的で、とても戦いと呼べるようなものではない。

 こちらはすぐに終わると、《最強最古》はそう考えていたが。


「何故、倒れない」

「侮らないでって、そう言ったはずよ姉さん……!!」


 倒れない。

 屈さない。

 流れる血で浮上する大地を濡らしながら、マレウスは立ち続けていた。

 あり得ない事だと、《最古の悪》は僅かに困惑を滲ませる。

 古き竜にとって、肉体とは単なる器に過ぎない。

 故に活動が不可能なほどに砕かれない限り、立っているのは不思議ではない。

 不可解なのは、その精神性だ。

 ここまで力の格差を叩きつければ、普通は折れて屈服するはず。

 彼女が知るマレウスとは、もっと潔く諦めの良い竜だった。

 であれば、とっくに跪いていてもおかしくはない。

 いや、そうでなければ逆におかしい。

 なのに、何故?


「……昔の姉さんの、悪いクセよ」

「何?」

「相手のことを、ちゃんと見てないから。

 自分の中でだけ、結論付けて、都合よく納得しようとする。

 今だって、ホラ」


 何故、マレウスの方が笑っているのか。

 これもまた、《最強最古》はすぐには理解できなかった。



 それは、先ほどマレウス自身が口にしていた言葉だ。

 ほぼ同じ文言を繰り返すその声には、これまでで一番の魔力が宿っていた。

 一体、何を企んでいるのかと。

 《最強最古》がそう思考した時、更に強い魔力が周囲に輝く。


「なのに、どうして、今私だけが戦ってたと思うの?

 私を含めて、大抵は姉さんよりも賢くないわ。

 けど――賢くないなりに、頭を使って戦うぐらいはするのよ?」

「ッ、これは……!?」


 事実として、彼女は侮りすぎた。

 力の差が絶望的である事ぐらい、マレウスは最初から理解している。

 だからこそ、少しでも勝機を繋ぐために罠の一つぐらいは仕掛けるのだ。

 気が付けば、《最強最古》の足元で輝く陣。

 真っ赤に輝く紋様が何なのか、目にした時点で分かった。

 血だ。

 マレウスの身体から大量に流れ出た、彼女の竜血。

 最初から、自分の身を削ることを前提にした捨て身の策だった。


「私の力を封じる気か、マレウス!」

「気休めでも、無いよりかはずっとマシでしょう……!」


 新たな血を口元から溢れさせ、マレウスは応える。

 彼女自身が言う通り、これは気休めだ。

 地面に輝いていた赤い陣。

 それを描く紋様は鎖の如く、《最強最古》の身体に絡み付いた。

 防御は間に合わない。

 マレウスの竜血、そこにヴリトラ含めた複数の魔力を上乗せした封印式。

 しかも、対竜特効の特殊な術式だった。

 《最強最古》はそれを「初めて見る術式」だと認識していた。

 実際は、彼女がかつて開発した封印式を改変したもの。

 戻り過ぎた時計の針のせいで、自らの術式が初見となってしまったのだ。

 それは幸運にも、式の解除を困難とさせていた。

 しかし。


「この程度、力尽くで破れないと思うか!」


 《最強最古》は強大過ぎた。

 白い肌に食い込み、魂にまで浸透しようとする封印。

 だが、それでも彼女の力は殆ど制限できていない。

 精々、この状態では《竜体》を顕現させるのが難しい程度だ。

 力任せに封印の縛鎖を破る事。

 なんら難しいことではなく、すぐさまそれを行おうとして。


「やらせるワケないでしょうが――!!」


 響く声に、《最強最古》は胸の奥がざわつくのを感じた。

 種類は違えど、あの甲冑姿の男を想起した時と感覚としては近い。

 ただ、彼女はそれを不快とは思わなかった。

 思わず封印を破る手を止めてしまうほど。

 聞こえたその声に、《最古の悪》は無自覚な執着を感じていたからだ。


「みんな、お願い!!」


 弱々しくも強い言葉。

 その一言に従って、白い鱗の騎士たちが現れる。

 動きを止めた《最強最古》を囲う形で。

 封印を受けた身体に、無数の剣と槍が突き刺さる。

 そのどれもが、魂砕きの月光を宿す名剣宝槍。

 古き竜が纏う鱗さえも、その刃は容易く引き裂く。

 ――引き裂くはずだった。


「それで?」


 弱者の抗いを、嘲笑ってこその《最強最古》。

 刃は衣装ドレスは裂いたが、その下の身体までは貫いていなかった。

 精々が肌を僅かに抉った程度。

 右手を払うだけで、いとも簡単に鱗の騎士たちを払い除ける。

 赤い瞳が揺らめき、一点を捉えた。

 さっきまで、そこには誰もいなかったはずだが。


「逃げ隠れに関しては、流石に一日の長があるな。

 それで?

 白子のナメクジが、手下を使って私を倒そうと?」

「ナメクジ言うなアホ。

 ……何よ、すっかり昔のアンタに戻ってるじゃない」


 唸る声で呟いたのは、白い鍛冶師の娘。

 序列六位の大真竜であるブリーデだ。

 もっとも、今の彼女の手元には《森の王》の魂を宿した大剣がない。

 故に《竜体》になることは不可能だった。

 それでも、彼女は恐るべき双子の妹と対峙する。


「……マレウスに続いて、お前もか。

 誰も彼も、私が《最強最古》と呼ばれた意味を忘れたのか?」

『忘れてるのはアンタの方だろ、長兄殿。

 しかしまぁ、無駄な手間をかけさせてくれるよな。

 こっちはただぐっすり寝たいだけだってのに』


 続く声はヴリトラのものだった。

 ブリーデの隠形で、共に身を隠していた古き竜。

 《最古の悪》は、白子の姉のすぐ傍にいる人影に目を向けて――。


「…………なんだ、それは?」

『これが友情パワーって奴だよ長兄殿……!!』

「全然違うでしょ!?

 というかなんでボクは巻き込まれてるんですか!?」


 呆れ気味な《最強最古》。

 その眼に映るのは、一人の少女と一匹の猫。

 言うまでもなく、少女の方は未だ力の戻らぬ大真竜ゲマトリアだ。

 そしてその頭に乗っている猫こそ、《古き王》ヴリトラだった。

 古い記憶しかない《最強最古》は、その光景に酷く困惑してしまう。

 有り体言って、意味が分からない。


「いやもう、私たちだけじゃ全然手が足りないから……!

 色んな事は一先ず水に流して、一緒に姉さんを止めましょうね!」

「ボクはあくまでブリーデさんの付き添いでして!

 今あんな凶暴な貧乳と戦うような力無いんですけど!?」

『なぁに、俺も力を貸すから心配するなよ!

 ところで貸すだけ貸したら寝ててもいい??』

「…………」


 ぎゃあぎゃあと騒ぎ出す面々に、邪悪は思わず呆気に取られてしまう。

 身体をかなり削られても、マレウスは笑っていた。

 あの見覚えのない小娘は誰で、ヴリトラは何故猫になってるのか。

 分からない。

 余りに理解の外で、つい呆けてしまった。

 《最強最古》ともあろう者が、まるでそこらの有象無象のように。


「……馬鹿みたいだと思う?

 実際、ホントに馬鹿ばっかだけど。

 今のアンタよりはマシよ」

「…………」


 この、自分より先に創造されただけの姉。

 彼女も、こんな強い瞳で見てくる事などあったか。

 睨み返しても、白子の娘は怯まない。

 その周りに展開された騎士たちも、一糸乱れぬ陣形を組んでみせる。


「私を愚かだと、出来損ないのお前が言うのか?」

「言うわよ、言わせて貰うわよ。

 折角多少はマシになったと思ったら、元に戻るとか。

 アンタはレックス相手に色ボケてるぐらいが丁度良いのよ」

「……また、私の前でその名を」

「怒った? 悪いけど、アンタより私の方がキレてるわよ!!」


 叫ぶ。

 やはり、昔と変わらず弱々しい生命だ。

 不滅なのは魂だけで、古竜などと呼ぶのも恥ずかしい脆弱さだ。

 なのに、何故。

 何故、《最強最古》がその気迫に圧されるのか。


「皆、どうにかしてこの馬鹿大人しくさせるわよ……!」

「ええ、皆で頑張りましょう! 皆で!!」

「わざわざ強調しなくても腹括りましたよチクショウ!!」

『寝てて良い??』


 古馴染みも、見知らぬ顔も。

 誰もが恐れず、《最強最古》に挑もうとしている。

 取るに足らないはずの戦力。

 《竜体》を封じられたぐらい、ハンデにもならない。

 蹴散らせば済む――そのはずだが。


「……意外と目がマジじゃない、《最強最古》」

「戯言をほざくなよ、姉上」


 笑う。

 最古の悪と白子の蛇。

 原初に明暗を分けた姉妹が、再び相対する。


「来い、不出来な白子め。

 立場を忘れたのなら、もう一度魂に刻み付けてくれる」

「言ってなさいよ、この大馬鹿。

 前は仕方なく、こっちが負けてあげたけどね。

 今のアンタに負けるつもりは、これっぽっちも無いんだから――!!」

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