408話:苛む狂気


 進撃は止まらない。

 《灰色》の魔法使いは、付かず離れずの距離でそれを見ていた。

 《最強最古》。

 それは最早、とうの昔に失われた称号のはずだった。

 彼女にかつての自分を取り戻させ、改めて手を組んだ上で《盟約》にぶつける。

 余りにも稚拙な賭けは、最悪と最良の結果を同時にもたらす。

 止まらない。

 少女の形をした大悪竜は、あっという間に真竜たちを屠っていく。

 この時代の覇者。

 古き王から冠を奪ったはずの真なる竜。

 そんな謳い文句も、今はひたすら空しく聞こえる。

 本当の意味での君臨者。

 数千年前、並ぶ者無き最強として万物を睥睨していた究極の暴君。

 その強大さを、《灰色》の魔法使いは知っていた。

 いや、知っているつもりだった。


「…………これほどかよ」


 術式で空を踏みながら、呟く。

 また一つ、都市を支配していた真竜が滅ぼされた。

 《最強最古》は未だに人の形を保ったまま。

 その状態で、《竜体》を晒した真竜を一方的に嬲り殺していく。

 大真竜と比べたなら、当然のように格は何枚も落ちる相手ばかりだ。

 だがそれでも、都市一つを領有する真竜は決して弱くはない。

 それを、ろくに本気も出さずに遊び半分で蹂躙していく。

 過去の記憶と照らし合わせても、その強さは常軌を逸していた。


「俺が知っていたのは、あくまで表面的な部分だけだったって事か」


 苦い声を漏らし、頭上を見上げる。

 大陸全土をほぼ覆い尽くしている、偽りの夜空。

 これもまた、《灰色》は知らぬ力だった。

 あるべき世界の上から、自らの都合の良い世界を重ね合わせる。

 真に「至った者」にしか扱えない異界創造の法。

 それを大陸規模で、かつ展開し続けるなんて狂気の沙汰だ。

 思惑通りに事を進めているはずの《灰色》は、戦慄に震えていた。

 ――いや、まだ「切り札」はある。

 何も徒手空拳で、眠った竜を起こす真似をしたワケではない。

 このまま《最強最古》が、首尾よく《盟約》を崩壊させたとして。

 本当に《造物主》の残骸を取り込まれたら、それこそ手が付けられない。

 だからその前に、この邪悪を抑え込む必要がある。

 そうするための手段を、《灰色》は有していた。

 仮に《最強最古》が負けても、《盟約》が受けるダメージは深刻なはず。

 《最強最古》が勝利したなら、自らが「切り札」を用いて最終的な勝者となる。

 そしてこの世で最も偉大な力を再び手にして、大願を果たす。

 何も問題はない――全て、予定通りのはずだ。

 しかし。


「……アレを、本当に何とかできるのか……?」


 恐怖が拭えない。

 《最強最古》は、その力の強大さとは裏腹に陰謀家でもあった。

 策略や謀略を用いる事を好み、本人が表舞台に立って力を振るうのは最終手段。

 故に、旧知である魔法使いにとっても見るのはコレが初めてだった。

 謀の類は使わず、ただ純粋な暴力だけで事を成そうとする《最古の悪》の姿を。


「…………」


 そんな愚か者の思惑など、知らぬとばかりに。

 少女は――少女の姿をした大悪竜は、物憂げにため息を吐く。

 十分過ぎるほどの糧は得られた。

 この大陸に帰還を果たした時点で、八割程度は力は戻っていた。

 そして現在。

 多くの真竜の魂を喰らい、力は殆ど全盛期と変わらぬ水準に達している。

 喜ぶべきことだろう、本来ならば。

 しかし、胸に抱えた空白がどうしようもなく痛む。

 歓喜など欠片もなく、ただ虚しさばかりが降り積もるのだ。

 ――おかしい、本当におかしい。

 《黒》の、あの魔法使いの語った事が正しいのなら。

 三千年前に、自分は何かしらの狂気に陥ってしまったらしい。

 その詳細を魔法使いは語らず、彼女も何故か敢えて聞く事はしなかったが。


「……未だに、私は狂っているのか?」


 誰にも届かぬ声で、呟く。

 狂気。

 そんなものを語る意味など、本来ならばありはしない。

 正常と異常の境目なんてものは、時と都合によって変わる曖昧な尺度に過ぎない。

 最強たる者にとって、そんな弱者の物差しなど何の価値もない。

 故に、《最強最古》ならば気に留める必要などないのだ。

 ないはずなのに、己の正気を疑ってしまう。

 ――おかしい。

 本当に、何なのだこの感情は?


「不愉快だ」


 敢えて言葉にすることで、胸に湧いたモノを塗り潰そうとする。

 不快だ、不快だ、不愉快極まる。

 そうだ、そのはずだ、そうでなければならない。

 そうでなければ、私は、何故――。


「…………?」


 内なる思考に引き込まれかけていた《最強最古》。

 だが、その足が不意に止まる。

 半ば無意識にたどり着いた場所は、生い茂る木々の上。

 眼下に広がる森を、少女は見下ろす。


森人エルフどもの領域か」


 そう、覚えている。

 《始祖》が品種改良を行った、亜人種の一つ。

 その中でも比較的に完成度が高いのが、森人だったはずだ。

 覚えている、記憶に不備はない。

 深い森は彼らの住処であり、彼らのための領域テリトリーだ。

 ……実際のところ、竜の王たる彼女にとって森人など取るに足らない存在だ。

 いや、己以外の全てがその定義に当てはまると言って良い。

 故にこんな森の事など、どうでもいいはずだ。


「ッ……」


 頭の奥がズキリと痛み、《最強最古》は顔を顰める。

 何故か、存在しないはずの記憶を思い出しかけていた。

 こんな森のことなど、少女は知識としてしか知らないはずだ。

 なのに、何故か、どうしてか。

 酷く「懐かしい」と感じてしまう自身に、竜の王は戸惑いを隠せない。


「……? オイ、何かあったのか」


 その様子を不審に思ったか、距離は変えずに《灰色》が声を上げる。

 黙れ、と。

 そう口にする余裕もない。

 胸に抱いた空白から、何かが溢れ出しそうになる。

 それを抑えつける事に、《最強最古》は必死になっていた。

 ――嗚呼、これは狂気だ。

 もう疑う余地もなく、その事実を認めるしかない。

 狂っている。

 私は間違いなく狂っている。

 こんな感情、狂気以外のなんだというのだ。


「……取り除かねば」


 こんなものを抱えたままでは危険だ。

 少女は愚かな父のように、自らを完璧とも完全とも思っていない。

 だとしても、この不明の感情を抱えたままでは不完全に過ぎる。

 真竜どもを尽く平らげ、《造物主》の残骸もこの身に喰らう。

 そのために、この足枷は邪魔だ。

 私が、私の望む果てに至るためには、邪魔でしか――。


「…………私の、望み?」


 そこに、指が触れてしまった。

 《灰色》の魔法使いも口にしていた、少女の野望。

 それは本当に、向こうが思っているのと同じモノなのか?

 何かもっと、別の、違う望みがあったはずでは。


「っ――消えろ!!」


 ついに耐え切れなくなり、感情が叫びとなって迸った。

 感情、感情、感情!

 なんて無意味で無価値なものか。

 こんなものに振り回されるなんて、あってはならない。

 故に、《最強最古》はその怒りを眼前に向ける。

 知らないはずなのに、妙に記憶を刺激する森。

 先ずはこれを消し去ってしまおう。



 頭上に右手を掲げ、囁く声に魔力を乗せる。

 この程度の規模の森林、星が落ちればあっという間に粉微塵だ。

 そう考える《最強最古》だが、彼女は気付いていない。

 先ず最初、《竜星の中庭》を展開した際。

 大陸全土に向けて無作為に放ったはずの流星群。

 それがこの森に一つも掠めていないという事実に、彼女は気付かない。

 偶然だとすれば、それはどの程度の確率か。

 他にも意識せずに狙いを外した場所がある事を、少女は知らない。

 知らず、気付かぬまま。

 今は一時の激情に従い、広がる森の全てを焼こうとして――。


「ッ……!?」


 それを阻まれた。

 目の前に集中し過ぎたため、反応が完全に遅れてしまった。

 意識の外から押し寄せるのは、大量の水。

 空を駆ける濁流に、小柄な身体は一瞬で呑み込まれる。

 仮に常人ならば、そのまま地の果てまで押し流されていただろう。

 だが、この見た目だけ可憐な少女は最強の悪。


「……誰かと思えば、何のつもりだ?」


 水に呑まれたのは、ほんの一秒程度。

 軽く右手を払っただけで、水流は呆気なく砕け散る。

 その身体――どころか、纏う衣装にすら水滴一つ付いていなかった。


「なんのつもり?

 言わずとも、当然理解しているでしょう?」


 応じる声もまた、美しい女の声だ。

 渦巻く水と共に立ちはだかるは《水底の貴婦人オンディーヌ》。

 普段は優しさに満ちた顔には、今は強い決意を秘めて。

 相対する《古き王》の一柱を、《最強最古》は一瞥した。


「マレウスか。

 意味が分からんな。

 何故、お前が私と同じ目線で立っている?

 お前は賢く、身の程を弁えているかと思ったが……」

「……嫌な予感はしてたけど。

 本当に昔の貴女に戻ってしまっているのね、姉さん」


 痛みを堪える表情で、マレウスは呟く。

 それを聞いた《最強最古》は、嘲りの笑みを浮かべた。


「聞き違いか? 姉さんだと?

 確かに私は竜の長子だが、そんな呼び名を許した覚えはないぞ」

「ええ、今の貴女にとってはそうでしょうね」

「……不快な物言いだな、マレウス。

 繰り返すが、お前如きが何故私の前に立っている」


 悪意が吹きつける。

 それは懐かしくもあり、それ以上に恐ろしいものだった。

 怯まぬよう、マレウスは己を強く保つ。

 信じ難い事ではあるが、直接目にした以上は疑う余地はない。

 今目の前にいるのは、《最強最古》と呼ばれた大悪竜。

 無論、マレウス自身はその頃から長子の事を敬愛している。

 故に、例え人格が昔に戻ったとしても、向ける親愛に変わりはない。

 ただ、一つだけ。


「レックスは――他の皆は、どうしたの」

「…………」

「姉さん」

「黙れよ、マレウス」


 ギシリと、空間が軋む。

 憤怒を露わに睨まれて、マレウスは一瞬たじろぎそうになる。

 ただの視線で感じる圧力じゃない。

 赤い瞳に怒りを燃やしながら、《最強最古》は唸り声をもらす。


「その名を、私の前で二度と口にするな。

 私が寛容さを見せている内に、とっとと消え去るが良い」

「……これだけ怒らせた私を、見逃してくれるの?

 やっぱり、姉さんは優しいわね」

「戯言をそう何度も許す気はないぞ」


 人間のように冷や汗を垂らして。

 それでもマレウスは、怒れる長子から一歩も退かなかった。

 ……マレウスは、ここまで強い意志を持っていたか?

 記憶にある印象と噛み合わず、《最強最古》は微かに困惑を滲ませる。

 対して、マレウスはぎゅっと拳を握り締めて。


「こんな真似は止めて、私と話をしましょう。

 きっと、今の姉さんには必要な事だから」

「こんな真似? こんな真似と言ったのか、マレウス。

 お前は私が何をするつもりなのか、理解していると言うのか」

「《大竜盟約》を滅ぼして、封じられた父の遺骸を暴くつもりでしょう?」


 父の遺骸と。

 そう言葉にした瞬間、マレウスの声が震える。

 《最古の悪》は、当然それを聞き逃しはしなかった。


「既に死した《造物主》に、未だ畏怖したままか。

 愚かなマレウス、そんなだからお前たちは私に届かないのだ。

 そう、古き兄弟の誰もがお前と同じだ。

 哀れな父が死ぬ前も後も、お前たちは愚鈍なまま。

 そんな矮小さで、私の前に立つなよ」

「…………」


 嘲笑と侮蔑。

 マレウスはそれを黙って受け止めた。

 全て、敬愛する長子の言う通り。

 父が自死した事で、完全な生命であるはずの古竜たちは欠けてしまった。

 完全に満たされているなら、他に何も求める必要がない。

 ただ永遠に朽ちぬ石木と同様に、時の流れに眠っていれば良い。

 個としての欲求が薄い竜が、眠りを欲するのは本能だ。

 かつてのマレウスもそうだった。

 他の兄弟姉妹の多く、その誰も《最強最古》に並び立てなかった。

 頂点の孤独に、彼女を置き去りにしてしまった。

 故に誰も顧みず、誰の言葉にも耳を貸さない。

 この世で一番強くて傲慢な暴君。

 けれど、そんな長子も変わった――変わっていた。

 不変であるはずの竜が、出会い一つであれだけ変わる事ができると。

 知ったからこそ、マレウスは決意を抱く。

 恐るべき竜の頂点に対し、一歩前へと踏み出した。

 そんな不出来な妹の不遜な行いに、《最古の悪》は眉をひそめる。


「マレウス」

「貴女の言う通り。

 未だに私たちは、死んだ父の影に呪われている。

 貴女だって、それは同じ。

 どれだけ不完全で愚かだと嘲っても。

 目指していたのは、あの人と同じ視点で世界を視る事だったはず。

 勝手に創造して、勝手に全てを見放した。

 そんな父に拘り続けてるから、今更あの人の遺骸を利用しようとしてる。

 それは私たちと何が違うの、姉さん」

「――調子に乗るなよ、マレウス。

 力で砕いていないのは、私の慈悲だと理解しているだろう」


 纏う気配が激変する。

 自分に向けられた殺意と敵意。

 竜の頂点から排除すべき対象と認識されながら、マレウスは笑った。

 どういう形であれ、姉に個として認められるのは喜ばしい。

 だから、マレウスは持てる力を高ぶらせる。


「ええ、分かってる!

 貴女の優しいところも、私に勝ち目がないこともね!

 けど、そっちこそ侮らないで!」


 鋭く叫ぶマレウス。

 これ以上、話を聞く必要などない。

 そう判断した《最強最古》は、即座に哀れな妹を砕こうとするが。


「貴女を相手に、私が一人だけで挑むはずがないでしょう!!」

「――――!?」


 マレウスの声と同時に、大地が鳴動する。

 突然、激しい振動と共に隆起した地面が、小柄な少女の身体に激突した。


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