第一章:竜の大陸への帰還

430話:星降る夜の下で


 意識が空間を浮遊する。

 これまでも、何度か経験してきた《転移》の術式。

 しかし今回は、いつもの感覚とは微妙に違っていた。

 さて、何と表現すべきだろう。

 今まで、《転移》の最中と直後には「酔った」ような感じがあった。

 多分、物理的な距離を無理やり誤魔化す弊害だろう。

 魔法とはそもそも、世界にとっては不自然なモノのはずだ。

 正しい仕組みを歪めてしまった反動が、こちら側に返ってくる。

 結果、酷いと悪酔いしたみたいな最悪の気分に陥ってしまう場合があった。

 それが所謂「転移酔い」と呼ばれる現象らしい。

 らしい、ってのは俺もアウローラから聞いただけの知識に過ぎないからだ。

 俺は大体平気だが、《転移》では往々に起こり得る事だそうだ。

 けど、今はそんな不快感も何もない。

 羽根も無しに空に浮いているみたいな、奇妙な感じだけがある。

 それを体験すること数秒。

 白く染まっていた視界に、現実の色が戻ってきた。

 《転移》が完了したのだ。


「っと……」


 着地。

 両足が地面に付いたら、確かめるように踏み締める。

 フラっとする事もないし、これといった違和感も無し。

 それを確かめて、俺は傍らに降り立ったテレサの方を見た。


「凄いな、これもやっぱり神様の力って奴か?」

「はい、恐らくは。

 正直に言うと、私も驚いています」


 微妙に高揚した様子で、テレサは俺の言葉に頷いた。

 神様の力。

 《人界》の王様との交渉を経て、彼女が手に入れたモノだ。

 単純に強くなるだけでなく、《転移》一つ取っても強化されているようだ。

 それ自体は素晴らしいし、戦力アップは大変喜ばしい。

 《転移》の精度向上に、かなり興奮気味なテレサ。

 そんな彼女の頭を、軽く撫でておく。


「れ、レックス殿?」

「落ち着けよ。

 あんまり浮足立ってると、後々危ないからな」

「……はい。

 すみません、浮かれてしまって……」

「や、気持ちは分かるし、それは別に良いんだけどな」


 ここから先、何が起こるかは完全に未知数だ。

 テンション上げたままで突っ込むのは、色々危険だからな。

 多少気落ちしてしまったテレサを宥めるつもりで、もう少し頭を撫でた。

 横から、何故かジト目なイーリスの視線が突き刺さる。


「よく見ろよ、イシュタル。

 コイツはこういう男だからな。

 お前はあんまり近付くなよ?」

「何で貴女にそんな事を言われなくちゃいけないのよ。

 ……いえ、まぁ、言いたい事は分かるけど」

「俺そんなに悪いことしてなくない??」


 一応抗議してみたが、納得顔のイシュタルには無視スルーされてしまった。

 うーむ、あんだけ激しく踊った仲なのにな。

 微妙に距離を感じるのは悲しいが、まぁ元は敵同士の間柄だ。

 慣れるまでまだ時間が掛かると、そう考えておこう。


「竜殺しはタラシだからな。

 また小娘なぞ引っ掛けると、いい加減に長子殿も怒るのではないか?」

「ちょっと、誰が小娘よ」

「そんなつもりは無いんだけどなぁ」


 笑うボレアスに応じつつ、俺は周囲に視線を巡らせる。

 場所は……正直、良く分からない。

 多分どっかの海岸だと思うが。

 近くに見えるのは海と砂浜、あとは岩場に木々が少し。

 テレサの《転移》で飛べる範囲となると、ヘカーティアと戦った海の近くか。

 それなら別に問題はない。

 問題があるとすれば、それ以外の事だ。


「夜……?」


 空が暗い。

 時間的には、まだ昼間だった気がする。

 にも関わらず、見える空は星に彩られた夜の天蓋に覆われていた。


「何だ、こりゃ……?」

「まだ夜中ではないはずだが……」

「…………」


 戸惑う姉妹。

 ボレアスは、鋭い眼で夜空を見上げていた。

 明らかに異常な現象だ。

 今の状況で、昼が夜に変わるなんて天変地異が起こっているとなると……。


「これも、アウローラがやってるのかね」

「……考えたくはないが、そういう事になるだろうな」


 唸る声で、ボレアスは肯定する。

 アウローラが凄い奴だってのは、もう十分知っていたつもりだ。

 知ってたつもりだが、まさか空を丸ごと夜に変えるとは。

 ホント、昔のアイツはとんでもないぐらいに凄かったんだな。

 まぁ、この夜空が何を意味するのか。

 それに関してはやっぱり良く分からないワケだが。

 ……いや、似た術式を前に見たような気も……。


「――あり得ない。

 まさか、大陸全部を異界で呑み込んだの?

 そんな規模の術式、お爺様以外が使えるなんて……」

「イシュタル?」


 震える言葉を耳にして、イーリスが首を傾げた。

 彼女に確保されたままの少女。

 大真竜であったイシュタルは、畏怖に声を震わせていた。

 その眼もまた、空を覆う夜の闇を見ている。


「お前、アレが何なのか分かるのか?」

「…………最上級の、空間支配の秘儀。

 本来在るべき世界の上から、自分に都合の良い異界を上書きする術式。

 お爺様は、《創界の法》と呼んでいたわ。

 けど、それをこんな規模で行使できるなんて……」

「そりゃまぁ、アウローラがやった事だろうしな」


 彼女なら、そのぐらい出来てもおかしい話じゃない。

 そう考えて頷いたら、何故か絶句されてしまった。

 まぁもし何も知らない立場だったら、俺も同じ反応をしたかもしれない。

 それはそれとしてだ。


「とりあえず、アウローラもこっちに戻ってきてるな。

 問題は、今何処にいるかだが」

「この夜空は、誇張抜きで大陸全土に及んでいるようだ。

 気配を辿ろうにも、簡単にはいかんだろうな」

「だよなぁ」


 ボレアスの言葉に、俺は首を傾げた。

 大陸と一口で言っても、広さは相当なものだ。

 距離はテレサの《転移》を使えば良い。

 が、肝心な居場所が分からなければどうしようもない。

 それこそ、遠くから見ても分かるような派手な事をしてくれたら……。


「……お?」


 夜の空から、星が流れ落ちた。

 それは緩やかな弧を描き、あっという間に地表に向かっていく。

 微かに伝わってくる、大気の振動。

 落下した星は、そのまま地面に直撃したようだ。

 あぁ、思い出した。

 これは確か、《流星ミーティア》とかいう術だったか?

 ゲマトリアとの戦いで、一度見た覚えがある。


「今、星が落ちたよな」

「……ええ、落ちたわね」

「……《流星》は、昔の長子殿が一番好んで使っていた攻撃魔法だ。

 そうか、この夜空はそのための術式か」

「なるほどなぁ」


 つまり、この夜空の下なら幾らでも星を落とし放題なワケか。

 言葉を交わしている間も、星の落下は続いている。

 しかも一箇所ではなく、あちこちに断続的に落とされているようだ。

 うーん、予想以上の地獄絵図だなコレ。


「っ……最悪……!

 あの女、大陸そのものを滅ぼすつもり……!?」

「まぁ、トチ狂った状態だし十分やりそうだよなぁ……」


 反論する言葉がないと、イーリスが嘆くようにため息を吐いた。

 俺もちょっと否定し辛いので黙っておく。

 さて、彼女が大陸のどこでも隕石メテオを降らせられるのは分かった。

 分かったが、重要なのはアウローラの現在位置だ。

 派手にやってくれていても、今の状態では不明なまま。

 突っ立って考えても仕方がない。

 時間は掛かるが、虱潰しに探し回るしかないか。


「……待って」

「ん?」


 声を上げたのは、意外にもイシュタルだった。

 自分を抱えるイーリスの腕を、細い指でぎゅっと掴む。

 少女は、その表情に僅かに躊躇いを見せてから。


「……お爺様を、頼りましょう。

 あの方なら、《最強最古》がどこにいるかも把握しておられるはず」

「お爺様?」

「オーティヌス、《大竜盟約》の序列二位。

 そして遥か昔に、竜の長子とも対等な立場にあった《始祖》の王たる方よ」

「大物だなぁ」


 大物過ぎて、俺にはちょっと分からないぐらいだ。


「ふん、《始祖》の王か。

 耄碌もせずにまだ現役とは。

 同胞であったはずの他の《始祖》どもが不甲斐ないせいで、不憫な話よな」

「お前、お爺様を侮辱するなら許さないわよ……!」

「落ち着けよ、イシュタル。

 ボレアスも煽るようなこと言うなよ」

「お前にだけは言われたくないがなぁ、ソレは」


 ボレアスにとっては、そのオーティヌスは知った相手らしい。

 揶揄するような事を口にする彼女に、イシュタルは一瞬でブチギレてしまった。

 ジタバタと手足を振り回すが、それをイーリスが抑えた。


「それより、そのお爺様を頼るってのは?」

「……きっと、あの方は《盟約》の中枢である神殿におられるはず。

 位置座標は私が教えるから、そこに《転移》しなさい」

「良いのか? それは……」

「良くはない、良くはないわよ。

 けど、躊躇ってられる状況じゃないでしょうっ」


 泣きそうな声で、イシュタルは小さく叫んだ。

 彼女の目には、未だに星が落下を続ける大陸が映っている。

 兎も角、この惨状をどうにか止めなければ。

 《盟約》の大真竜である彼女とは、未だに敵同士のままだ。

 それでも、今の時点での利害は一致していた。


「大真竜の序列四位として、私が許可するわ。

 私たちの神殿に、《神封じの楔》へと向かいなさい。

 これ以上、あの邪悪に大陸が蹂躙されてしまう前に……!」

「分かった。ありがとうな、イシュタル」


 望んじゃいないだろうが、感謝を言葉にしておく。

 イシュタルはそんな俺を軽く睨んだが、敵意の色は薄かった。

 そんな彼女の頭を、イーリスがワシャワシャと撫でる。


「ヨシヨシ、絶対にオレらで何とかしような」

「それは良いから、気安く髪に触るのは止めてったら……!」


 うーん、すっかり姉ぶるムーブが気に入ってらっしゃる。

 立場的にはずっと妹だしな、イーリス。


「見た目は兎も角、実際の歳は相手の方が遥かに上だろうがな」

「そこはまぁ、言わない約束で」


 喉を鳴らすボレアスに、俺は肩を竦める。


「それで、座標というのは?」

「……手を貸して。

 言葉じゃなく、頭の中に直接送るわ」


 こんな状態じゃなければ、自力で飛べるのにと。

 己の不甲斐なさに歯噛みしながら、イシュタルは右手を差し出す。

 テレサは躊躇いなく、そこに指を重ねた。

 見た目上の変化は何もない。

 ただ、情報のやり取りはその一瞬だけで終わったようだ。


「……ありがとう、イシュタル」

「必要だからしただけ。礼なんて不愉快だわ」

「素直じゃねーなぁオイ」

「だから頭をグリグリするのは止してよ……っ!?」


 うん、仲が良いのは素晴らしい事だな。

 口や態度じゃ嫌がってるが、イシュタルも本気で拒否してはいない。

 俺も詳細は知らない、かつての地下迷宮での関係。

 本人ではなかったようだが、その時の影響が出ているかもしれなかった。

 そんな二人の様子を、テレサは微笑ましそうに見ていた。

 出来れば、このまま眺めていたいぐらいだが。


「こちらは大丈夫です、レックス殿。

 いつでも行けます」

「よし。じゃあ頼んだ」


 テレサは頷き、その目を閉じる。

 強い魔力が、或いは清浄な神気が辺りを包み込んだ。

 発動する《転移》の術式。

 ……そうして俺たちは、とうとうその場所へと辿り着く事になる。

 俺が死んだ時代から、三千年。

 現在の竜の大陸を支配する大勢力。

 ここに至るまで、幾度となく戦ってきた相手。

 《大竜盟約レヴァイアサン・コード》の中枢に。


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