206話:足掻いた果ての結末

 

 抵抗は、酷く儚いものではあった。

 切り札も奥の手も破られて、それでも相手は古き始祖。

 異なる地より流れ着き、魔法の業をもたらした偉大な魔法使いの一人。

 《最強最古》たる私でも、油断できる相手ではない。

 

「クソッタレ……!」

 

 汚い言葉で罵る《黒》。

 彼は短距離の《転移》を何度も繰り返し、私に捕まることを避け続けた。

 身体能力では圧倒的にこっちが勝っている。

 だからこそ、空間を渡ることで物理的な距離や速度差を誤魔化す。

 《転移》して再出現する度に、《黒》は私に向けて光の槍を放ってきた。

 最初に受けたのと同じ封印術式の槍。

 徹底的に私を封じる作戦のようだけれど。

 

「無駄よ、分かっているでしょう?」

 

 身体に刺さると同時に、光の槍は粉々に砕け散る。

 この光の槍に関しても既に術式としての解析は終わっている。

 もう何度受けたところで、抵抗レジスト解除ディスペルも思いのまま。

 全天球を用いた封印式の方も、既に拘束の八割近くは消去済み。

 こうなっては打つ手がない事は、誰の目にも明白だ。

 

「ッ――!!」

 

 私は《黒》に対して指先を向ける。

 光が瞬き、ほぼ同時に焦った表情を見せた《黒》の姿が消失する。

 何度目になるか分からない《転移》の発動。

 コンマ一秒前までは魔法使いのいた空間を、鋭い光が貫く。

 ほんの少し遅れて、遠い荒れ野の一角が光と衝撃と共に砕け散った。

 ――相手は始祖、魔法には一日の長がある。

 だから私は魔法での攻撃は仕掛けず、持ち前の「力」を用いた。

 即ち、《竜王の吐息ドラゴンブレス》。

 《竜体》ではないので幾らか威力は落ちるけども。

 指先から圧縮して放つ私の《熱核の吐息フレア》。

 直撃すれば、生身であれば当たり前のように塵も残らない。

 《黒》が纏う魔法防御ぐらいは紙の盾も同然。

 だから魔法使いは、的を絞らせないために《転移》を繰り返す。

 幾ら短距離でも、これだけ何度も発動すれば魔力の消費も馬鹿にならない。

 大魔法を一度しくじってる《黒》に、余力はどれだけあるか。

 結果はもう見えている。

 それは戦いと呼ぶには、あまりに儚い抵抗だった。

 

「思ったより根性があるのね?」

「言ってろよ、傲慢な魔法トカゲウィズワームめ……!」

 

 挑発に近い私の言葉に、《黒》は律儀に毒吐く。

 《転移》。同時に放たれる光の槍を、私は片手で払い落とす。

 反撃に撃ち込んだ《熱核》は、虚空と荒野の一部を焼くだけに終わった。

 もう何回、同じことを繰り返したか。

 あと何回、同じことを繰り返せるのか。

 《転移》の切れ間に見える《黒》の表情は、絶望の色が濃い。

 けれど、私は気付いていた。

 《黒》は確かに絶望している、私と自分の力の格差に。

 それでも、古い魔法使いは諦めてはいなかった。

 暗く燃える瞳の奥。

 そこには間違いなく、光が宿っていた。

 

「ッ…………!?」

 

 回数は優に二桁を超えただろう《転移》。

 再出現した直後に、《黒》の足がもつれた。

 別の空間同士を移動する《転移》は大魔法に分類される。

 魔力の消費は決して軽くはないし、術の構成も酷く繊細だ。

 そもそもこんなにも立て続けに使用する術式ではない。

 当たり前の結果として、《黒》は限界を迎えた。

 荒れ地に膝を付く魔法使いに、私は光を宿す指先を向ける。

 

「終わりね、《黒》」

「呪われろよ、《最古の邪悪》め……!」

 

 何処かで聞いたような呪詛に、私は少し笑った。

 そして加減は無しに《熱核》の光を解き放つ。

 はい、これでおしまい。

 《黒》に私の《熱核》を防ぐ手段はない。

 全てを焼き尽くす光の《吐息》は、真っ直ぐに《黒》を呑み込んで――。

 

「…………!」

 

 消えた。

 《黒》の姿が、幻のように。

 《転移》による消失。

 力尽きたのはあくまでフリで、未だ魔力を残していた。

 一瞬の後に、私の手元から小さな重みが消える。

 僅かな驚愕と共に、私は視線を胸の辺りに落とした。

 そこに抱いていたはずの《一つの剣》。

 彼の残り火を宿した一振りが、跡形もなく無くなっている。

 驚く私の目前に、《黒》が再び出現した。

 その手に握られているのは、私が抱いていたはずの竜殺しの剣。

 《転送アポート》の魔法。

 予め設定した物質を、空間を超えて自分の手元に引き寄せる術式。

 切り札も奥の手も破られて。

 それでも《黒》が諦めなかったのは、この手を残していたからか。

 

「くたばれ、《最強最古》――ッ!!」

 

 これを外せば後がない。

 不退転の覚悟を以て、《黒》は咆哮する。

 魔法使いである彼には、剣の心得なんてないようで。

 剣を振り被る構えは酷く不格好だ。

 けれど私も、大切な物が消え去った衝撃で隙が生じていた。

 一秒にも満たない意識の空隙。

 それでも、剣を一度振り切るには十分過ぎた。

 刃が狙うのは私の首。

 切り落としてしまえば終わりだと。

 そう確信して、《黒》は残る力を剣に注ぎ込む。

 魔力の全てを振り絞っての身体増強と、剣そのものの強化。

 《一つの剣》も、今や《北の王》の魂を呑み込んで力を増している。

 その一刀は、私の鱗でも防ぎ切れない。

 横薙ぎに振るわれた刃は、私の首を斬り裂いた。

 ――けど。

 

「……な」

「……本当に、見事なものね」

 

 剣からは、確かな手応えを感じているでしょうに。

 《黒》の表情は完全に凍り付いていた。

 首を斬られた私は、喉の奥から血を溢れさせながら笑った。

 

「けど、もう何度も言ったでしょう?

 ――貴方は非力で、私をどうにかするには力が足らないって」

 

 確かに首は斬られた。

 あくまでも「斬られた」だけで、切り落とされてはいないけど。

 竜殺しの刃は私の皮膚――鱗は斬り裂いていた。

 肉も幾らか抉って、骨に食い込むまでは剣としての役割を果たした。

 けど、そこまで。

 《黒》は私の首を半分近くまでは斬ったけど。

 完全に切断することはできなかった。

 理由はもう、何度も繰り返したのと同じ言葉。

 《竜体》でなかろうとも、私は《最強最古》なのだから。

 簡単に肉体を破壊して殺せるなどと、考えること自体が思い上がりだ。

 

「ッ、化け物……!」

「私に今さらそれを言うの?」

 

 絶望と恐怖に顔を引き攣らせて。

 《黒》は剣を抜こうとしたが、それも無駄。

 私は食い込んだ刃を肉で締め付けて、簡単には離さない。

 一度距離を取って、《転送》の魔法で引き寄せれば良かったのでしょうけど。

 今の一撃に、《黒》は今度こそ全ての魔力を使ってしまったらしい。

 

「ぐぁっ……!?」

 

 《黒》の胴体に、私は蹴りを浴びせる。

 見た目は人の形でも、繰り出されるのは竜の膂力。

 貫く衝撃に、魔法使いの身体は地を転がる。

 耐え切れずに手放した剣。

 首に食い込んだままのソレを、私は無造作に引き抜いた。

 溢れる血が、首筋から胸元までを赤く染める。

 

「畜生……ッ!!」

 

 地に這い蹲ったまま。

 流血の混じる声で《黒》は呻いた。

 さっきの蹴りは、別に加減したつもりはなかった。

 腰から真っ二つになってもおかしくはない威力だったけれど。

 そこは流石に始祖たる魔法使い。

 私が思ったよりも、施しておいた防御は頑丈であったらしい。

 

「半端に優れているのも、逆に不幸ね。

 剣を奪った時点で一目散に逃げていれば、まだ可能性もあったでしょうにね」

 

 まぁ当然、そうなったらそうなったで逃がすつもりはないけれど。

 赤く染まった剣と身体。

 首の傷は、竜殺したる剣で刻まれたため簡単には塞がらない。

 一応止血は施し、私は地に伏した《黒》に近付く。

 魔法使いは動かない。

 動けないのか、そう装っているだけなのか。

 どちらにしろ油断はできない。

 弱者が強者を上回る瞬間を見たばかりだから、余計に。

 

「……どうした、さっさと殺せよ」

 

 奥歯を噛み締め、《黒》は私を睨む。

 恐怖と絶望の内にはもう、希望の光は見当たらない。

 ただ、僅かに見え隠れする怒りの炎。

 理不尽な運命に対する。どうしようもない憤怒。

 今の《黒》にとって、確かに私は不条理な運命そのものでしょうね。

 まったく、可愛げのないこと。

 

「私には勝てない。そう悟ったから、最後はせめて相討ち狙い?

 悪足掻きにしかならないわよ、坊や」

「っ、お前……!」

 

 図星を突かれて狼狽する《黒》。

 その首を掴み、片手で身体ごと持ち上げる。

 苦しそうな呻き声が聞こえるが、それは無視しておく。

 ――やはり、《黒》はもう大半の魔力を使い果たしていた。

 けれどその身には、ある術式が密かに脈動している。

 それは《黒》の生命力そのものを燃料に駆動する、特殊な術式。

 間近で見なければ解析できなかったソレは――。

 

「肉体の死を条件トリガーに、殺害した相手に『応報』する呪殺式。

 不死化した始祖の魂を対価にするのなら、確かに私にも通るかもしれないわね」

 

 不死者ならではの最後の手段。

 気付かないでまともに喰らっていたら、肉体は砕けていたかもしれない。

 《黒》自身も、魂そのものに深刻な損傷ダメージを受けるでしょうけど。

 もし身体が完全に破壊されたら、私もかなり困った事になる。

 そうする事で相討ち――痛み分けに持ち込むつもりだったようね。

 

「まぁ、気付いてしまえば解除できるけどね」

「く、そ……ッ」

 

 首を締め付け、私はそのまま《黒》に仕込まれた術式を解除する。

 今度こそ万策尽きたようね。

 抗おうとしていた《黒》の身体から、完全に力が抜け落ちた。

 恐怖と絶望、それらを上回る諦め。

 《黒》はとうとう、自らの敗北を受け入れた。

 

「私を相手に、良く頑張った方よ」

「っ……いいから、殺せよ……殺せるもんなら、な……!」

「――そうね。

 古竜と同じく、魂を不死化させてる始祖を殺すのは本来不可能だけど……」

 

 片手で《黒》を吊り上げながら。

 私はもう片方の手に携えた、竜殺しの剣を見た。

 当然、不死者である始祖もこの刃なら殺すことができる。

 首を斬るなり心臓を貫くなり。

 肉体を破壊して、不死たる魂を剣の内に呑み込む。

 それで終わり。

 《黒》がどれだけ優れた魔法使いでも関係はない。

 …………けど。

 剣で《黒》を殺し、魂の火を剣に焚べたなら。

 その分だけ、彼の火が他の魂により希釈されることになる。

 ただでさえ、多くの「獣」と竜王である《北の王》の魂を呑んでいるのだ。

 完全な蘇生を目指す上での不安要素はできるだけ減らしたい。

 片手で吊った《黒》の様子を、私は一瞥した。

 恐怖と絶望に打ちのめされ、死を覚悟したその表情。

 それを見ながら、私は思考を巡らせる。

 ……剣を使わないのなら、この魔法使いを無力化する手段は限られる。

 不死化した魂を「解呪」するのは、私でも簡単な事じゃない。

 であれば仕方ないと、私は嘆息した。

 

「……運が良い、と言ったら貴方は怒るかしらね?」

 

 殺さずに、邪魔に入れぬよう排除する。

 結局のところ、それが私の出した結論だった。

 《黒》を適当に地面に放り捨てると、私はさっさと踵を返す。

 少しばかり、時間を使ってしまった。

 早く、できる限りのことをやらなければ。

 彼と再び巡り会うために。

 

「待て……っ、《最強最古》……!」

「待たないし、剣は貴方には渡さない。これは私の物で、必要な物だから」

 

 未練がましく地を這う《黒》を、今度は一顧だにしない。

 廃墟と化した《北の玉座》と、その周辺。

 それらの空間を「隔離」する為の術式を、私は展開していく。

 始祖である《黒》も含めて、誰にも邪魔できぬように。

 私は全てを隠して、事を進めるつもりだった。

 術を構築しながら、私自身もその内側へと入って行く。

 まだ《黒》が何かを言ってる気がするけど。

 残念ながら、繋がりが途切れかけた空間越しでは良く聞こえない。

 

「さようなら、《黒》。

 貴方は身勝手と思うでしょうけど、協力してくれた事には感謝してるわ。

 だから――そう。剣は私が貰って行くけど。

 せめて、貴方の望みが叶いますように」

 

 取ってつけたような祈りの言葉を口にして。

 そして私は一度だけ、倒れる《黒》の方を振り向いてから。

 これが今生の別れだろうと、恭しく一礼する。

 ついさっき、私が願いに繋がる希望を断ったばかりの魔法使い。

 彼が何かを叫ぶ様子だけは眺めて。

 完成された術式は、私とこの城を外側の世界からは完全に切り離した。

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