幕間4:新しい旅路
三千年前の御伽噺を語り終え。
語らずに終わったその後のことを思い返してる内に。
どうやら私は少し眠ってしまったようだった。
ふと目を開けると、「隠れ家」には誰の姿もない。
いえ、私以外にただ一人。
膝の上で寝転がっている、彼だけは変わらずそこにいた。
「起きたか?」
彼の方も、寝ていると思ったら。
いきなり声をかけられて、少しビックリしてしまった。
そんな私を見て、兜の下はきっと笑っているんでしょうね。
表情を隠しているその表面を、指先でそっとなぞる。
「私、眠っていたのね」
「話してる内に、ウトウトしてたな。
流石に疲れたんだろう」
「ゲマトリアと戦ってから、ここに来て。
そのまま貴方の世話も含めてずっと動いてたもの」
「ありがとうな」
素直に礼を言われると、どうにもくすぐったい。
彼の方も手を伸ばし、私の頬に触れる。
温かい、生命の感触。
そこにある熱が嬉しくて、自分から手のひらに頬を寄せた。
「他の子達は?」
「お前が休んだ後、テレサとイーリスはまた外の探索に出たな。
ボレアスはちょっと良く分からん。
『暇だ』とか言って、猫の首根っこ掴んで飛んでった」
「何やってるのかしらね……」
まぁ、ボレアスとヴリトラは特に問題はないでしょう。
姉妹の方も、少しの危険ぐらいは対処できるはず。
……まぁ、別に心配はしてませんけど。
「心配か?」
そう考えたところで、彼がタイミング良く言うものだから。
意味もなく驚いてしまった。
心臓が跳ねた私を見て、寝転んだ状態で彼は首を傾げる。
――本当に、この男と来たら。
「別に心配なんかしてません」
「ホントかぁ?」
「あら、半病人が随分生意気な口を聞くのね?」
兜を両手で挟み、軽く揺さぶってやる。
カエルが潰れたような悲鳴が楽しくて、お仕置きは暫く続けてみた。
目が回ったのか、彼が微妙にぐったりしたぐらいで。
私も満足したので手を離し、ほっと息を吐いた。
「まぁ、あの姉妹も何だかんだで修羅場は潜って来たワケだし。
万一があっても、そう簡単には死なないでしょう。
一応、こっちに連絡を飛ばす手段は事前に渡しておいたし」
「やっぱり心配してるじゃん?」
「必要なことをしたまでです」
そこは誤解しないで欲しいわね。
不意打ち気味にぱっと兜を外したら、やっぱり彼は笑っていた。
まったく、本当にまったく。
あんまり彼が笑うものだから、私もついつい笑ってしまった。
今度は兜ではなく、彼の顔を直接指で触れる。
何度も確かめるように、指先でその輪郭を辿って行く。
ここまで戦い続けなせいか、少し硬い皮膚。
指で揉むみたいに触ると、彼はちょっとくすぐったそうに
「アウローラさん?」
「ちょっと、下手に動くと目玉をほじくるわよ」
「突然猟奇的になるの怖くない?」
「ほら、イヤならおとなしくしてなさいな」
互いに笑いながら、軽くじゃれ合う。
今は隠すモノのない彼の顔を、上からじっと見つめて。
「…………ホントに冴えない顔よね、貴方」
「そうしみじみ言われると傷付くんですけど?」
「本当なんだから仕方ないじゃない」
「アウローラは美人だけどな」
「当然よ。私は完璧なんですから」
正面からズバっと言われると、私も私で照れくさいけど。
それを誤魔化すように堂々と応えてから、軽く唇を触れさせる。
柔らかく、何度か啄むようにして。
離れる瞬間に、少し熱っぽい吐息がこぼれた。
「……ねぇ」
「うん?」
「話してる最中、実は起きてたでしょ」
「はい」
素直で大変宜しい。
タヌキ寝入りじゃないかとはずっと思ってたけど。
「最初から起きてた?」
「ちょっとウトウトはしてたけど、概ねな」
「……何だか、今さらになって恥ずかしくなって来たわね」
「ノリノリで語ってて今さらじゃね?」
「話してる内に楽しくなっちゃったんだから、仕方ないでしょ?」
三千年前のあの日。
彼を一度失った時のことは、今思い出しても胸が痛む。
けれど、その前。
二人で北の果てを目指した、あの短い旅路は。
私は今も鮮明に思い描くことができる。
まるで、見知らぬ星を探すような。
拙い歩みの一つ一つが、今の私には何よりも愛おしい。
「……前に、地下迷宮に落ちた時。
あそこでそれなりに、色々と思い出したんだけどな」
ぽつりと、呟くように彼は言う。
伸ばした手は、また私の頬に触れた。
柔らかく撫でられる感触は、妙にくすぐったい。
「改めて話として聞かせて貰って。
自分の中じゃ、ぼんやりとして思い出せなかった部分だとか。
そういうのも割とハッキリ浮かんできたよ」
「……そう」
未だに蘇生が不完全であるため、彼の記憶は多くが欠けたまま。
望みを完璧に叶える段階には、まだ遠い。
それでも間違いなく、一歩ずつ前に進めてはいる。
進歩の実感も喜ばしいけれど、何よりも。
私と同じ星を見た彼の記憶。
それを彼が取り戻しつつあることが、本当に嬉しかった。
「本当に、大変だったのよ。あの頃は」
「お世話をかけました」
「貴方、最初は何度も死にかけたんだから。
見捨てなかった私の慈悲深さに感謝して頂戴ね?」
「いやぁ、あの頃はホントにクソ雑魚だったもんで……」
「今じゃ考えられないわね」
荒野の「獣」相手に死にかけてたのが、今や立派な竜殺しだもの。
まぁ、彼を見つけた私の運と眼が優れていたという事よね。
流石に、それを口に出すのは気恥ずかしいから言わないけど。
「…………悪いな」
「? どうしたの、急に」
突然の言葉の意味を、私は直ぐに理解できなかった。
彼は珍しく言葉に迷った様子で。
「今の話とかで、死んだ辺りとその前ぐらいはハッキリ出たんだが。
……自分の名前とか、それより古い事はどうにもな」
未だに思い出せない、彼自身のこと。
私の話を聞いたからか、それについて気になったらしい。
……基本的には雑なクセに。
ホントにそういうところあるわよね、貴方って。
「良いわよ。
気にしてない――ワケではないけど」
むしろ物凄く引き摺ってますけど。
何で私は、最初の頃にちゃんと聞いておかなかった、とか。
昔の自分の馬鹿さ加減に対する後悔が大半。
だから彼が罪に思うことは、何もない。
発端は私の愚かさで、これは罰みたいなもの。
……けど、それ以上に。
「今の貴方はレックスで、私はアウローラ。
少なくとも、今はそれで良いわ」
微笑んで、私はそっと彼に口付けた。
来た道を振り返ることも、夜空に星を見上げることも。
どちらも必要なことだと思う。
それと同じぐらいに、前を向く事も大事なだけ。
折角歩き出した、新しい旅路なのだから。
「……そうだな。言う通りだ。
身体がしんどいもんで、微妙に弱気になってたらしい」
「もう少し休めば、直ぐに良くなるわ。
術式の方も正しく回ってるし、特に異常も感じられないから」
立って歩き出せば、彼はどうせまた無茶をする。
こういう時ぐらいは、ちゃんと休んで欲しいのは間違いない。
だから今はいっぱい甘やかそうと、彼の頭を撫でた。
私も彼に甘えたいとか、そういうのも……ないわけじゃないけど。
いえ、実際にその通りだけど、一応私が年上ですし?
人の彼と竜の私で、歳の差とか言い出したらキリがない。
そのぐらいは当然分かってはいた。
「アウローラ」
無意味かつ無駄な思考を、そんな具合にグルグル回していたら。
不意に彼の腕が伸びて来た。
名前を――今の「私」の名前を呼びながら。
彼は寝転がったまま、背に手を触れさせて抱き寄せて来た。
抵抗しようなんて発想もなかった。
私は呆気なく寝床に転がって、彼の腕の中に収まってしまう。
抱き合うぐらい、何度もしてるのに。
生きた熱に触れるだけで、心臓が飛び跳ねてしまった。
《最強最古》と恐れられたはずの私が、まるで小娘みたいに。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫よ。当たり前でしょうっ?
それより、何を……」
「いや、今さらながら眠くなってきた」
そんな彼の言葉に、私は思わずきょとんとしてしまった。
……そういえば、結局彼も私の昔語りをずっと聞いてたのよね。
最初はウトウトしてたとも言ってたし。
彼自身が言う通り、今さら眠気がぶり返して来たみたい。
何だか、子供みたいで。
珍しい彼の様子に、私はつい笑ってしまう。
「それで、私は添い寝をすれば良いのかしら?」
「したそうな顔してたからな」
「して欲しいのは貴方の方でしょう?」
と、一応口では言ってしまうけど。
ホント、彼は私のことをよく見てる。
三千年前に、戦って負けたのはボレアス――《北の王》だけど。
私は私で、戦うことなく彼に負けてしまっていた。
仮にも古竜という種の頂点としては、なかなか認めがたくはある。
けどそんな
嗚呼――ホント、どうしようもないわね。私ったら。
「ねぇ、レックス」
「? どうし――」
彼が応えるより早く、私は唇を重ねていた。
じゃれ合うような軽いものではなく。
お互いの熱を貪るような、深い口付け。
三千年前も今も、変わらずこの胸を焼き続ける衝動。
人が愛と呼ぶ激情のまま。
私は強く彼を抱き締め、何度も何度も口付けた。
「……は」
私は甘く吐息をこぼして、そっと唇を離した。
名残惜しくはあるけれど。
あんまりやり過ぎると、歯止めが利かなくなる。
それはそれで非常に困るので、私は自身の衝動を抑えなければならない。
――うっかりすると、血を啜るぐらいじゃすまなくなるから。
本当はもっと、激しいこともしたいけど。
姉妹達がいつ帰って来るかも分からないし、我慢我慢。
「ご馳走様、レックス」
「どういたしまして、って言うのも変だよな?」
「ホントにね」
あまりにおかしなやり取りで、込み上げる笑いを抑え切れない。
私は喉を鳴らして、彼の身体をぎゅっと抱き締める。
そこまですれば一先ずは満足。
だから私は、外した兜をまた彼の頭に被せ直した。
ええ、これでヨシ。
「やっぱこれは付けないとダメなんだな」
「ダメよ。貴方は私のものなんだから」
兜の下の冴えない顔は、私だけのモノ。
……まぁ、テレサやイーリスなら多少は良いけれど。
やっぱり線引きは大事だと思う。
子供をあやすように背を撫でられて。
私は彼の胸元に、より強く身を寄せる。
「眠れなければ、歌でも聞かせましょうか?」
「それも悪くないが、こうしてるだけで一気に眠気が来たわ」
その言葉の直後に、彼は兜の下で大きく欠伸をした。
不思議と、それに釣られて私の方も眠くなって来てしまった。
生きるのには不要でも、「彼と一緒に寝たい」と私自身が思っているから。
素直にその欲求に従って、私は瞼を閉じた。
休んで、眠って、そして目覚めたら。
また歩き出す。
この新しい旅路は、まだ道半ばだから。
「おやすみなさい、私の
「あぁ。おやすみ、アウローラ」
最後は兜越しにキスをして。
私は穏やかな眠りの淵へと身を委ねる。
夢は見なかった。
ただ、全身を包むような温かな闇が心地良くて。
――それは、かつての夜。
彼と共に火を囲んだ時の熱に似ていた。
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