終章:善き事と、その悪しき結果

207話:始まりの過ち


 ――今はもう、遥か遠く。

 虚空の闇に輝いていた星々の一つ。

 その世界は、高度な魔法文明による繁栄を謳歌していた。

 住む人々は魔法の力によって生き、不自由も少ない。

 病の大半は克服し、寿命も人間が本来持つ長さの倍は引き延ばせる。

 正に素晴らしき世界――だが、理想郷にはほど遠かった。

 一部の強大な魔法使いらを頂点とした強固な階級制度。

 魔力が少なく、魔法の扱いに劣る者は下層民として虐げられる。

 どれだけ強い魔力を持ち、どれだけ高度な魔法を極めることができるか。

 それが、その世界における価値観の全てだった。

 だから誰もが魔法を学び、その「先」にあるものを目指す。

 即ち、「不老不死」と「界渡り」の二つだ。

 前者は言葉通り、永遠の命を実現する法。

 魔法による寿命の延長は比較的容易だが、死からの解放となれば話は別だ。

 その領域に達した者は、歴史を紐解いても指折り数える程しかいない。

 後者については、簡単に言ってしまえば「別の世界」に渡るための法だ。

 世界とは、「俺達がいる世界」とは別に無数にある星々の数だけ存在する。

 単なる《転移》とは根本的に異なる。

 次元の壁を超える行為は、《真理》に達した者のみが可能とする神の御業だ。

 定命モータルの領域から、不死イモータルの階梯へ。

 ただ万象の流転に呑まれるだけの存在ではなく。

 広大無辺たる「世界」の何処に、自分が位置しているのか。

 それを「自覚」する事で初めて得られる神の《座標》。

 その境地に至った者のみが、世界の境を超える資格を得る。

 

「――辿り着ける者は辿り着けるが、辿り着けぬ者は永遠に辿り着けん。

 それが天命ではあるが――されど、運命さだめに抗うことこそ人の性。

 私も決して、選ばれた者ではなかった。

 多くよりは優れていたろうが、所詮はその程度だ。

 『真に選ばれたる者』では決してなかった」

 

 父は――不死たる魔法使いであり、《座標》を見出した偉大な王であった。

 この世の真理、その多くを自らの叡智とした人の頂点。

 オレからすれば、この人以上に「選ばれた者」なんていなかった。

 神童などと、もてはやされても。

 所詮は「歴史に無数いた天才」止まりのオレとは比較にもならない。

 そんなオレに、偉大な父はいつも穏やかに諭した。

 感情を完璧に制御したその姿は、賢人という言葉が誰よりも良く似合う。

 

「才能のみならば、お前は父たる私よりも余程優れている。

 それでも、『選ばれた者』とは言いがたいやもしれぬ。

 ――故に諦める事に先ず抗え。

 その目に道は見えずとも、必ず『繋がっている』のだ。

 抗うことを諦めねば、お前ならば望む先へと辿り着けるだろう」

 

 その言葉は、オレの魂に強く焼き付いた。

 オレが生きる上での絶対的なしるべ

 父が子に与えた、祝福であり呪いでもあった。

 偉大なる者の影を、決して諦めずに追い続けろと。

 誰よりも慈悲深く優しい父は、我が子にそう宣告したのだから。

 ……或いは、何事もなければ。

 世界は変わらず、人々の営みが時と共に流れ続けるだけならば。

 オレは月日の果てに、妥協する生き方を覚えたかもしれない。

 父も我が子の限界を知り、それ相応の扱いを考えたかもしれない。

 けれど、ある日突然オレ達の世界は

 いや、突然と言うほど突然でもなかったか。

 

「世の真理を解き明かし、永遠の生を得て、外なる世界へも手を伸ばす」

 

 崇高な理念で偽装オブラートされた、果ての無い欲望。

 魔法の研究と発展は際限がなく、誰も歯止めをかけられなかった。

 父は偉大な魔法使いで、思慮深い賢人だ。

 自らの不死化に成功した後、神の《座標》すら得た世界移動者ワールドウォーカー

 故に魔法技術の無秩序な拡大の危険性は、誰よりも理解していた。

 王として様々な手を尽くしたが、神ならぬ身では限界がある。

 ある時、極秘裏に進められていた異界との接続実験の果て。

 世界は本当に呆気なく、物理的にも概念的にも「崩壊」してしまった。

 父も含めて、オレ達にできる事は僅かしかなかった。

 数少ない生き残りを「船」に乗せ、少しでも安全な世界を目指して旅立たせる。

 そして「船」を出港させるため、ギリギリまで崩壊の中にオレ達は留まった。

 オレを含めた、十二人の最も優秀な魔法使い達。

 それに、魔法使いではない者が一人。

 ここに大いなる魔法王である父を加えて、十四人。

 滅びる世界に残された、最後の十四人。

 万物を呑み込む「闇」を前に、オレは生まれて初めて諦めを感じていた。

 人の身で、アレに抗うのは不可能だと。

 ――だがまぁ、何も知らぬまま世界が滅んだ無辜の民を救うことはできた。

 例えそれが、精々数百人程度の生き残りに過ぎないとしても。

 やれるだけの事はやったと、その瞬間は思えたのだ。

 けれど、そんな中でも、父は。

 

「――言っただろう。

 諦める事に、先ず抗えとな」

 

 決してブレる事無く、その偉大さを証明した。

 自分を含めて、合わせて十四人分の世界間移動ワールドシフト

 神ならぬ身では目にすることのできない、本物の神の御業だった。

 本来、《座標》を得た者でも別世界への移動は難事のはず。

 それを徒人にも等しい他者を含めて、十四人分。

 誰一人欠かすこともなく、父はその大偉業を成し遂げたのだ。

 言葉もなかった。

 誰もが、滅び逝く故郷と運命を共にする覚悟だった。

 恐らくは父も、同じ想いだったはず。

 それが土壇場での無謀な挑戦だ。

 一体どんな神経があればそんな真似ができるのか。

 

「座したまま死ぬのも、奈落に跳躍して死ぬのも。

 最悪の結果が同じならば、僅かにでも光明がある方を選ぶべきだろう。

 ――いや、アレをもう一度やれと言われたなら、流石に断るがな」

 

 後ほど、オレの問いに父は軽く応えてみせた。

 ……嗚呼、恐らくは生涯を賭してもこの人には勝てないな、と。

 苦笑交じりに認める他なかったのを、よく覚えている。

 決死の世界間移動で、オレ達は辛くも滅びの巻き添えを避けることができた。

 偉大な父の力で辿り着いた新天地。

 残念ながらそこは、「安住の地」とは程遠い場所だった。

 

「……私は過ちを犯したやもしれん」

 

 父は、珍しくオレにそんな弱音を口にした。

 新しく流れ着いた、見知らぬ大地。

 見渡す限りの灰色の地には、既に他の「支配者」達がいた。

 後世では「古竜」と呼ぶことになる大いなる獣。

 合わせて二十柱、海の果てを「壁」で鎖されたその地に君臨していた。

 当たり前と言えば当たり前の話だが。

 「彼ら」は異物であるオレ達に、最初は攻撃を仕掛けて来た。

 こっちもこっちで応戦したが、古竜の力は強大だ。

 持てる魔法の業を駆使しても身を守るのが限界だった。

 このままどちらかが滅ぶまで、争いは続くかと思われたが――。

 

『――良く参った、異邦の旅人たちよ。

 愚かな兄弟らの無礼は、長子たる私が平に詫びよう』

 

 ソイツは、黄金色の鱗を纏う一柱の竜だった。

 明らかに他の竜とは一線を画する。

 父を前にした時と同じ――いや、それ以上の畏怖と。

 その畏怖を遥かに上回る、圧倒的な恐怖。

 ちょっとでも本気になれば、父以外は誰も助からない。

 一目でそう確信させるだけの力を、その竜は有していた。

 そんな怪物が、恭しくオレ達に向けて頭を垂れる。

 異様な光景を前に、父だけは堂々たる王の振る舞いを見せた。

 

「アレは邪悪そのものだ。

 この地の竜達と本格的に争えば、我々は最悪全滅する。

 どうあれ、和平を結ぶ必要があったのは間違いないが……」

 

 この地を支配する竜の王と、最果てから流れ着いた魔法使いの王。

 二者による交渉を以て、竜とオレ達は手を結んだ。

 竜はオレ達が保有する魔導の秘儀を。

 オレ達は竜の魂にある不死の秘密を。

 お互いの合意の上で差し出し、両者の不可侵と共栄を約束した。

 ……この取引には打算があった。

 あの黄金の竜が、取引の交換条件として魔導の秘儀を求めた時。

 父もオレも「魔導の扱いに関しては、此方に一日の長がある」と考えた。

 その上で、オレの発案の元に竜が持つ「不死の秘密」を望んだ。

 不可侵と共栄なんて、幾ら契約として明記したところで。

 魔導を習得してより強大となれば、古竜達はまた専横に振る舞うはず。

 その時になって、父以外の者達が年月の前に衰えてしまったら。

 ――この地で竜を抑止するには、不死の法を完成させるのは必要だ。

 父が持つ不死の法は、父以外の者には適合しなかった。

 だが竜の持つ魂の不滅性。

 これを解析すれば、誰に対しても施せる不死化の法を完成させられる。

 オレはそう確信していたし、実際にそれはその通りになった。

 父以外の者達も不死の頂きに到達し、半神として古竜どもの楔となる。

 それが、取引に応じる段階でのオレ達の目論見だった。

 しかし。

 

『――成る程。このように扱うのだな』

 

 父が用意した、多くの魔導の秘奥を記した書。

 その一つに黄金の竜はその場で目を通し。

 オレ達の前で、使

 ……竜は強大な存在で、魔力も人間とは比較にもならない。

 だとしても、一目見ただけで魔法を手足のように操るなんて……!

 戦慄を隠し切れないオレと父を見ながら。

 あの竜は、酷く愉快そうに笑ったのだ。

 

『実に有意義な取引だった。

 感謝を、異邦の旅人――いや、この地における魔法の始祖達よ』

 

 その言葉が、感謝でなく皮肉に過ぎない事は分かっていた。

 過ちを犯したかもしれない、と。

 父がそうこぼすのも無理からぬことだ。

 あの黄金色の竜――この大地で最も古い邪悪の器を、完全に見誤っていた。

 だが後悔しても遅いし、犯した過ちにばかり囚われても意味がない。

 魂の不死化、その為の術式は急いで実用化までこぎ着けた。

 これでようやく、父以外の者達も悲願を果たせる。

 故郷は滅んで久しいが、不死の完成は魔法使いにとって偉大な到達点だ。

 世界移動者である父にはまだ及ばないまでも。

 ようやく、その足下ぐらいには辿り着くことができた。

 その時はまだ、無邪気にそう考えていた。

 ……竜と和平を結んで不死の法を完成させたが、それで全てが終わりじゃない。

 オレ達は竜との摩擦を避けるべく、各々が自分の領域に籠るのが基本だった。

 籠って、自らの望むままに研究と実験を積み重ねる。

 新たな世界でも、真理を解き明かすという目的にブレはなかった。

 ある意味では、充実した時間だった。

 時に他の仲間とも交流を重ねながら、魔導の研鑽を続ける。

 不死の存在になりはしたが、目指すべき「先」は未だに遥か遠くだ。

 ……そうして、多くの月日が流れた。

 オレ達と竜しかいないこの地に、新たな「入植者達」が漂着した。

 断絶されているはずの海の外側。

 やって来た人間達は、酷く無力だった。

 単純に地獄じみた故郷から、命からがら逃げのびただけの者達。

 彼らは直ぐ、恐るべき竜達の「獲物」とされてしまった。

 そんな無力な漂流の民を、オレ達が庇護しようとしたのは。

 単なる気紛れか、それとも同じく故郷を捨て去った者としての共感か。

 どちらにしろ、この辺りから大陸は少しずつ賑やかになった。

 魔法や、かつて故郷にあった文化など。

 オレや他の仲間達の何人かは、それらを惜しみなく人間達に分け与えた。

 いつしか彼らは、オレ達のことを《十三始祖》と呼ぶようになる。

 迷う我らに叡智の一端を授けた、偉大なる魔法使いの始祖、と。

 ただ一人、魔法を持たず「不死の法」からも背を向けた者を除いて。

 ……別に名誉だの感謝だの、オレを含めて求めているわけじゃなかった。

 ただ――そう言われて悪い気はしなかった。

 協定を結んだとはいえ、古竜との間で何度か諍いもあった。

 それでもオレ達は、新天地での第二の生を謳歌していたんだ。

 全てが順調に進むと、誰も信じて疑わなかった。

 偉大なる魔法使いである、父すらも。

 

「……私――いや、『私達』は過ちを犯したやもしれん」

 

 どれだけ偉大で優れていようと、オレ達は神ではなかった。

 それ故に父は、かつてと近い言葉を口にする事になる。

 ――新天地に流れ着き、数百年が過ぎた頃。

 それが無知の代償であるかのように。

 オレ達は、避けようもない「破滅」に直面していた。

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