208話:悪しき結末


 始まりは、些細な違和感から。

 魔法使いなんてのは勝手な生き物で、自分の事が第一だ。

 だから他人との接触を断ち、研究のため工房に入り浸るのは珍しくない。

 しかし、幾ら不死になったとはいえそればっかじゃ不健康だ。

 オレはその為に、他の始祖と呼ばれた仲間とは定期的に連絡を取り合っていた。

 単純に無事を確認するだけの者も。

 酒を呑んで共に数日ほど騒ぐ者もいた。

 誰一人として、「連絡が取れない」という事はなかった。

 それがある日、一人だけ連絡の付かない者がいた。

 偏屈ではあるものの、オレとは長い付き合いだ。

 使い魔ファミリアや《念話》を飛ばせば、普段ならすぐに応えてくれた。

 なのに、その時だけは何もなし。

 最初は「よっぽど研究が煮詰まっているのだろう」と、然程気にしなかった。

 向こうは向こうで都合もあるだろう、と。

 ……それから程なくして、オレはある「噂」を耳にする事になる。

 とある地域で、人間の集落が突然無人化するというのだ。

 開拓村の類を竜が襲うケースは多い。

 しかしそうなれば、辺り一面が焼け野原になっているはずだ。

 だがその「噂」では、集落に傷一つ無くただ人間だけがいなくなっているという。

 最初は、単なる噂話だと思った。

 何かしらの脅威に晒されて、村を放棄してどこかに逃げたとか。

 オレはそう思おうとした。

 その「人が消える」地域が、丁度連絡の取れない仲間がいる辺りなのは。

 偶然……そう、単なる偶然だとオレは信じ込もうとしたんだ。

 けれど、現実はいつだって人が思う以上に残酷だ。

 噂話の域を超えて犠牲者の数は増し、そこでオレと父は直接調査に乗り出した。

 ――実態は、オレ達が思った以上に深刻だった。

 

「おや、どうされましたか。王よ」

 

 暗く深い洞窟の奥。

 自然のモノをそのまま加工しただけの工房。

 もっとちゃんとした物を作ったらどうだ、と言っても。

 必要な物は全て過不足なく揃えてあるから問題はない、と。

 大真面目に返して来た、良く知った仲間の顔は。

 どこまでも歪んだ笑みに、彩られていた。

 オレは言葉もなかった。

 明らかに人格に変調を来した仲間の姿。

 そして、雑然とした工房内に撒き散らされた血の赤。

 ここで何が行われていたのか、明白だった。

 

「……古き友よ。お前は一体何をしている?」

「? 可笑しなことを仰りますな、王よ。

 見ての通り、いつもの通り変わりなく。

 我らは真理を求め、彼方の星を目指す者なれば」

 

 恭しく、仰々しく。

 首から下を犠牲者実験体の体液で真っ赤に染めたまま。

 今や見知らぬ何者かとなった「ソイツ」は、父に向けて頭を垂れた。

 

「徒に命を弄ぶ研究は、今は亡き故郷にあった時より禁じていたはず。

 ……もう一度だけ言うぞ、友よ。

 お前は一体、ここで何をしているのだ?」

 

 父の声には、隠しようもない痛みがあった。

 聡明で誰よりも慈悲深い父にとって、この状況は地獄だろう。

 共に未来を語らったはずの仲間の変貌。

 認めがたい現実を前にしても、父は退かずに問いを投げかける。

 オレなんて、まともに声を出すことすらできなかった。

 果たして、「ソイツ」は父の言葉に対して。

 

「――そもそもが、『禁じる』という事こそ愚かだったんですよ。

 我らは真理の探究者なれば。

 そんなことに拘って、自ら進める道を閉ざすなど。

 あってはならない……そう、それこそ許されざる愚行だと。

 そうは思いませぬか?」

「……不当な犠牲は、天秤が釣り合わぬ。

 必ず身を滅ぼす結果になると、我らは既に知っているはずだ」

「我らが偉大な国については、ええ。慙愧に堪えません。

 

 詰めを誤ってしまったがために、我らは愛する故郷を失ってしまった!

 嗚呼なんという悲劇でしょうか!」

 

 ……コイツは、こんな芝居がかったことを言う奴じゃなかった。

 狂っている。明らかに、オレの知る相手とは異なってる。

 何が起こった。何があった?

 目の前の現実に戸惑っている間も、事態は無慈悲に動き続ける。

 

「ですから、私は――私は絶対に!

 絶対に、あの日の如き過ちは犯さない!

 そうだ、私は邁進する、我々は進歩し続ける!

 永遠に! 永久に! でなければ、あの犠牲の意味はなんだったのか!

 我らは何ゆえに不死なる魂を手に入れたのか!

 報いろ! 報い続けろ! どんな犠牲を払おうが関係がない!

 でなければ――そう、何のために……!」

「……悲しい事だ、古き友――“友だった”者よ」

 

 狂気に支配され、精神の平衡はとうに失われてしまっている。

 嘆きながらも、父は躊躇なくそう断じた。

 そして――下すべき裁きは、速やかに忌むべき狂気へと下された。

 始祖に施された不死の法は、あくまで魔法。

 他の誰にも不可能だが、父であれば術式を「解体」することができた。

 物言わぬ屍となった友を見下ろし、父は呟く。

 

「……何ゆえ、彼は狂気に陥った?」

 

 その後。

 事態の本質を見出すべく、父とオレは彼の工房を調査した。

 何か手掛かりがあれば良いか――と。

 そう思っていた。

 だが予想に反して、事実はあっさりと判明する事になる。

 

『人が生きるには、永遠は少し長すぎる』

 

 恐らく、狂う直前に友が残した手記。

 それが全てだった。

 竜との取引によって得た「不死の秘密」。

 オレがそれを利用して完成させた「不死の法」。

 何の不都合も不具合もなく、術式は想定通りの効力を発揮した。

 術式そのものを解体されない限りは、オレ達は不死だ。

 肉体を破壊されようが、魂が滅びることはない。

 文字通りの永遠の生。

 術式には何一つ問題はなかった。

 問題があったのは、オレ達の方だった。

 

「……長すぎる生は、いずれオレ達の心を狂気に染める」

 

 あまりにも馬鹿馬鹿しい話だが。

 オレはそんなこと、欠片も想定していなかった。

 だってそこに父がいる。

 独力で、他の誰にも真似できない「不死の法」へと辿り着いた魔法使い。

 永遠の生と、他の世界へ渡る神の《座標》までをも手にした真に偉大なる者。

 その時点での父は、既に齢千を軽く数えていたはず。

 物忘れとか、多少の老人っぽさは見せるぐらいで。

 父の心は狂気の欠片も感じられなかった。

 ……だから、オレ達の誰もが見誤っていたんだ。

 偉大である父すらも、神ではないから見落としていた。

 父以外――オレを含めた他の者達は、「偉大な誰か」ではなかった。

 永遠に耐えられる心なんて、オレ達は最初から持ち合わせていなかったんだ。

 

「……隠したところで、更なる災禍を呼び込む事になる。

 事実は、残る同胞達すべてに明かす」

 

 伝えても、黙しても。

 結局のところ何も変わらない。

 それでも父は、狂気の結果と原因を他の者達にも伝えた。

 動揺は、一気に広まった。

 完全なる不死に、辿り着いたはずなのに。

 目指した場所が最初っから落とし穴だったなんて、一体誰が受け入れられる?

 術式の解体が可能なのは、父だけだ。

 父は王として、「永遠に耐えられぬと感じた者は申し出よ」と。

 慈悲深くも、自ら処刑人の役目を買って出た。

 それに対して……自分から介錯を申し出る者は、一人としていなかった。

 それもまた、当然だろう。

 魔法使いとして生まれ、魔法使いとして生きた。

 故郷は消えてなくなったが、目指すべき場所は変わらなかった。

 ようやく辿り着いたんだ。

 恐ろしい竜どもが巣食う新天地に、数少ない仲間達だけで下り立って。

 やっと手にした物を、どうして簡単に捨てられようか。

 

「諦める事に先ず抗えと。

 我らに教え施したのは、他ならぬ貴方ではないですか。王よ」

 

 まだ狂気に陥る前の、始祖の一人。

 ソイツが言ったその言葉に、父は何も答えられなかった。

 ……そしてまた、新たな地獄の蓋が開く。

 長すぎる生に、自分達の心は耐えられない。

 このどうしようもない問題を解決するために、オレ達は足掻いた。

 あらゆる手を尽くしたが、成果は殆ど上がらない。

 その絶望が切っ掛けになったか、一人、また一人と狂気を帯びる者も増えだした。

 ……なんて言ってるオレも、自分が正気である確信はない。

 それでも、オレの内にある狂気がまだ薄いとしたら。

 多分、支えとなるものがあるからだ。

 偉大なる父に、今も永遠の狂気に苦しむ同胞達。

 それと不死を選ばず、限られた命を引き延ばしてでも共に歩んでくれる友。

 気付けば、気紛れに手を貸した入植者達にも愛着を持っていた。

 だから、オレはまだ諦められない。

 オレはまだ、狂い果てるワケにはいかない。

 「不死の法」を完成させてしまったのは、他ならぬオレなのだから。

 ……この落とし穴の存在を、あの邪悪な竜が知らなかったとは思えない。

 だが、それを真っ正直に指摘しても無意味だ。

 精々が鼻で笑われるのがオチだろう。

 それよりも、この永遠の狂気を如何に克服するかが重要だった。

 他の同胞達は、「その手段を探す」と唱えながらますます狂気を深めている。

 この世界の人間を、遺伝子的に改造する事で生まれた亜人種。

 元は不変となった始祖に「変化」を与えるという名目で始めた実験だが。

 今や、生命を粘土細工にして弄り回しているも同然だった。

 急がなければ、犠牲は増え続ける。

 

「……手段は、選んでいられないな」

 

 偉大な父は、狂った同胞を少しでも諫めようと奔走していた。

 定命を選んだ友は、彼独自の「機械」という技術で無辜の民を救っている。

 オレがやるしかない。

 だからこそ、危険を承知で「元凶」と呼ぶべき相手と接触を図った。

 二十柱の古き王、その頂点。

 《原初の邪悪》、或いは《最強最古》。

 奴がオレの前に再び現れた時。

 そこには黄金の竜ではなく、金色の髪の小娘がいた。

 姿自体は、絵画か彫像のように美しいのに。

 笑う表情だけは、あの時に見た恐ろしい竜そのままだった。

 恐怖を思い出したせいか、蒼褪めたオレの顔を見て。

 奴は、可笑しくて堪らなくなったらしい。

 笑みを深くしながら、慈母の真似事でもするようにオレに片手を差し伸べた。

 

「ようこそ。貴方なら、きっと来ると思っていたわ」

 

 少女らしい柔らかな声なのが、逆に心底ぞっとする。

 余りの畏怖に、臓腑ぞうふが氷のように冷たくなるのを感じながらも。

 オレは躊躇うことなく、差し出された手を取った。

 ――その瞬間から、オレは奴の共犯者となった。

 兄弟姉妹であるはずの、他の全ての竜王達を抹殺する計画。

 その要となる、竜殺しの魔剣の鍛造。

 剣に全ての古竜の魂を喰わせ、最終的にはあの《邪悪》が手にする企て。

 オレは、その全てに協力した。

 見返りは、計画の果てに得る全能の力によって同胞達を救済する事。

 当然、奴がそれを素直に叶えてくれるとは思わなかった。

 野望が成就してしまえば、オレはお払い箱だ。

 そんなことは最初から分かっていた。

 だから手を組んだ時点で、備えは用意していた。

 格下に足元を掬われる。

 それをあり得ないことだと、そう端から切り捨てている傲慢な王様。

 ソイツに思い切り突き刺すための奥の手。

 魔剣を鍛えるのと並行して、準備は着々と進めていた。

 ――他の誰も、巻き込めない。

 これはオレが決めた、オレがやるべき戦いだ。

 しかし、機が訪れるのはもっと先だと考えていた。

 《邪悪》の策謀は気が長い。

 当初の目的を果たすまで、恐らく百年前後は掛かるだろうと。

 

「……そう、思ってたんだが、な……っ」

 

 荒れ野に這いつくばりながら、オレは血の混じった呻き声を漏らす。

 魔力は殆ど使い果たし、身体の方もボロボロだ。

 無様に敗北したオレを夜の星だけが見下ろしていた。

 そう、オレは負けた。

 自分の計画をいきなり放り出した、トチ狂った《最強最古》相手に。

 用意した備えはまるで役に立たず。

 唯一の希望となるはずだった剣も、目の前で持ち去られた。

 《北の王》の玉座だった城は、今はもうどこにも見当たらない。

 空間の位相をずらして、完全に隔離したんだろう。

 解析して侵入を試みるまで、一体どれだけの年月が必要になるのか。

 ――終わった。

 この瞬間、奴の凶行を止められなかった時点で。

 全ての企みは無に帰した。

 同胞達を狂気から救う事も出来ず、オレもまた同じように狂っていく。

 どうしようもない。

 それが摂理だったのだと、受け入れる他ない。

 偉大ではなかったオレ達が、思い上がった罰なのだと。

 ……本当に、それで良いのか?

 

「……まだ……まだだ」

 

 そうだ。

 まだ何も終わっていない。

 オレにはまだ意志があり、この身体はまだ動く。

 諦める事に抗えと、父はそう教えてくれたはずだ。

 だから先ず、オレは伏していた地面から立ち上がった。

 ……進むべき道は、まだ見えない。

 少なくとも、奪われた剣を取り戻すのは困難だ。

 そのために時間を費やすぐらいなら、別の方法を探すべきだろう。

 幸い――と言って良いかは分からないが。

 あの《邪悪》に協力した過程で得た物に関しては、その殆どがオレの手元にある。

 最大の成果物である、竜殺しの剣が無いのが痛いが。

 

「……方法はある。まだ、他に何かが」

 

 半ば自分に言い聞かせる形で。

 オレは呟きながら、北の荒れ野を歩き出す。

 星明りはしるべにするには頼りなく、道なき道を進む。

 頭の中では、次に取るべき手段を模索しながら。

 時間はないし、余裕もない。

 それでもオレは諦めない。

 どんな方法でも良い、如何なる犠牲を払おうと構わない。

 オレは――オレだけは、「皆」を救うことを、決して諦めはしない。

 魂のひと欠片も残さず狂気に染まったとしても。

 或いは悪魔に、己の全てを売り払う事になったとしても。

 

 必ず、オレは。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る