第八部:悪夢の国で竜を■■■

209話:真竜の円卓(前)


 その日、大真竜たるウラノスは常ならぬ緊張を感じていた。

 かつては《竜在りし地ドラグナール》と呼ばれた大陸に穿たれた大穴。

 大地に刻まれた、決して癒える事のない深い傷跡。

 その深淵の奥底に、巨大な建造物が存在した。

 明らかに人の手からなるモノではない、歪んだ構造の城塞。

 見た目の奇妙さとは裏腹に、見る者にどこか神聖さを感じさせる。

 同時に、何か悍ましいモノを秘めているかのような畏怖も。

 大穴の底に蓋をするかの如くに築かれた、その「神殿」の更に奥。

 余人が立ち入ること許されぬ「聖域」にて。

 

『……揃ったようだな』

 

 佇むウラノスは、その声を穏やかならざる心境で耳にする。

 赤い甲冑を纏う偉丈夫は、改めてその場に視線を巡らす。

 広い、常人の目では端から端まで見渡せないほどに広大な空間。

 正式な呼び名はなく、知る者はただ「聖域」とだけ呼びならわす広間。

 この「神殿」の中心にして、《大竜盟約レヴァイアサンコード》の中枢。

 外見上は石造りだが、それらは全て強固な魔法によって築かれた代物だ。

 仮に大真竜であれ、この「神殿」を力技で破壊することは難しい。

 そして広間の真ん中にしつらえられたのは、一枚の巨大な円卓。

 表面には上位魔法語ハイエイシェントが隙間なく、びっしりと刻み込まれている。

 この城塞を「神殿」と呼ぶなら、これは正に「祭壇」だ。

 神と呼ぶべき者は存在しない、この竜の大地にて。

 それらが何を意味するのか、知るのは「聖域」に集う「彼ら」のみ。

 神聖なる円卓を囲む顔ぶれを、ウラノスは見ていた。

 

『我らがこの地に集うことそのものは、歓迎すべき事態ではない。

 それは即ち、盟約を揺るがす事態が発生した事に他ならぬからだ』

 

 そう語り掛けるのは、一人の老賢人。

 染み一つない真っ白い外套ローブを纏った古き魔法使い。

 袖から覗く骨の手には、十字架の意匠を戴く煌びやかな杖を持っていた。

 その他にも、外套には無数の護符アミュレットをぶら下げている。

 御伽噺に出てくる「魔法使い」そのものな姿。

 つい最近、鎖された海の彼方――《外界》より帰還を果たした大真竜。

 《大竜盟約》の序列二位にして、かつての始祖達の王。

 大真竜としての真名はオーティヌス。

 かつては《最強最古》にも匹敵すると讃えられた、大陸最強の魔法使いだ。

 

「……申し訳御座いません、お爺様」

 

 常は尊大かつ傲慢に振る舞う豪奢な女。

 盟約の序列四位たる大真竜イシュタルは、明らかに委縮した様子で頭を垂れた。

 先に起こった《天空城塞》での戦い。

 その結末で、彼女は仕留めるつもりだった《最強最古》を取り逃がしてしまった。

 敬愛するオーティヌスを、失望させてしまったのではないかと。

 親に叱られる童女の姿そのままに、イシュタルは完全に消沈していた。

 ――やはり彼女も、翁相手ではまだ子供よな。

 ウラノスは口を挟まず、そんな戦友の様子を眺める。

 

「私が、あの悪竜を取り逃がしたばかりに……」

『良い、イシュタル。そなたが罪に思うことなど何もない。

 彼奴の悪辣さは天地の何者にも勝る。

 故にこそ、アレは《最古の邪悪》の名で呼ばれたのだからな』

 

 穏やかに、それこそ我が子に教え諭すように。

 オーティヌスはかぶりを振って、イシュタルに対して語り掛けた。

 

『むしろ、奴の行いを防いでくれた事を感謝しよう。

 あのまま《天空城塞》の破片が地表に落ちれば、幾つの都市が崩壊したか。

 良くやってくれた、イシュタルよ』

「……はい!」

 

 その言葉を受けて、パッとイシュタルの表情が華やいだ。

 ――普段も、このぐらい素直であれば良いのだが。

 やはり言葉にはしないまま、ウラノスは胸中でそっと息を吐いた。

 今のやり取りで、場の空気は僅かに和んだが。

 オーティヌスとイシュタルの会話でも触れた、今回の本題。

 それを考えればどうしても気は重くなる。

 

『――犠牲が少なかったのは、喜ばしい事だけど。

 事実としてゲマトリアは敗れ、《天空城塞》は崩壊した。

 その下手人は未だ野放しだ。

 これは確かに、盟約が成立して以来の大事件だね』

 

 僅かに雑音ノイズが混ざった女の声。

 円卓を囲む一人――いや、一柱。

 いつもの如くフードを目深に被った男装の少女。

 盟約の序列五位である、大真竜コッペリア。

 声だけでなく、彼女の姿も時折乱れのようなものが見られる。

 それはこの場に立つコッペリアが、実体ではないことの証だった。

 遠隔から投影している立体映像ヴィジョン

 オーティヌスが発した招集に対し、コッペリアは間接的な形で応えたのだ。

 内心ではそれが気に食わないイシュタルは、彼女の幻像をギロリと睨む。

 

「そんな事、貴女に言われるまでもなく分かってるわ」

『おっと、気を悪くしないでくれよ。

 実際、君は良くやってくれたよイシュタル。

 僕としては、君だけに任せるのは正直怖かったんだけどね』

「……私の事を侮っているの、コッペリア」

『いいや、君が相対した存在を恐れているんだよ。イシュタル』

 

 侮辱されたと勘違いしたイシュタルに。

 コッペリアは真剣な面持ちで、その誤解を否定する。

 

『相手はあの《最強最古》だ。

 イシュタル、確かに力だけなら君は奴を上回るかもしれない。

 でも単純に「強い」だけでアレをどうにかできるのなら。

 奴はとっくの昔に、《最強最古》なんて称号は失っていたはずだ』

「……まぁ、警戒に値する事は否定しないけど」

 

 実際に、イシュタルもしてやられた身だ。

 強気に反論したいところだが、事実を踏まえると大きくは言えなかった。

 言葉を交わす両者の傍らに立つ、もう一柱。

 コッペリア同様、遠隔から投影された立体映像の姿で。

 序列六位のブリーデは、少し居心地悪そうに身動みじろぎをした。

 

「ブリーデ、ゲマトリアの状態は?」

『……良くはないけど、悪くもないわね』

 

 様子を見ていたウラノスは、そんな彼女に対して声を掛けた。

 どこか躊躇いながらも、鍛冶師の娘は重い口を開く。

 コッペリアとブリーデ。

 彼女らが、現在行動を共にしている事は事前に報せを受けていた。

 崩壊する《天空城塞》から、敗北したゲマトリアを「保護」している事も。

 そのゲマトリアの姿は、この円卓には見られなかったが。

 

『力の大半を失ってしまったから、以前の状態に戻るのは簡単じゃないわ。

 本人はまぁ、元気が有り余ってるみたいだけど』

『顔を見せたらって勧めたんだけどね。

 「こんな情けない姿を見せたらイシュタルにどんな目に遭わされるか!」って。

 そんな感じで本人拒否しちゃったから』

「今度会ったら覚悟しておきなさいって、ゲマトリアに伝えておいて頂戴」

 

 不機嫌そうに唸るイシュタルに、コッペリアは軽く喉を鳴らした。

 話している者達は気安い様子であるが、事態は確かに深刻だ。

 盟約の礎である大真竜。

 末席とはいえ、その一柱が敗れたのだから。

 しかもそれを成したのが、遥か過去に消えたはずの古竜の王とは。

 

『……責任を問うならば、一番罪深いのは私であろうな』

 

 低く、重く。

 オーティヌスはそう呟いた。

 恐らくは、この場で最も《最古の邪悪》と称された竜を知る者として。

 己の不徳を恥じ、古老は頭を垂れた。

 

『遥か過去に彼奴の存在が途絶え、それから数千年もの時が流れた。

 最初は何かしらの企図があるのかとも勘繰ったが……』

「結局、この時代に至るまで僅かな影すら見せる事はなかった――と。

 翁が気に病むことはない。

 我らとて、半ば御伽噺の怪物として忘却していたのですから」

『なればこそ、油断なく備えておくのが私の務め。

 それを怠る結果になったこと、真に罪に思う』

「お顔を上げてくださいませ、お爺様!

 ウラノスが言う通り、貴方が罪に思うことなどありません!」

『……すまぬな、二人とも』

 

 ウラノスとイシュタル。

 古き戦友と、古き同胞の忘れ形見。

 彼らの言葉を受けて、オーティヌスは顔を上げる。

 まなこなき暗い眼窩がんかには、強い意思の炎が燃えていた。

 

『決して、あの者の好きにはさせぬぞ。

 今さら現れて如何なるはかりごとを秘めているかは知らぬが。

 この世の全てが我が意の侭に動くなど、思い上がらせはせん』

「……その辺り、直接戦ったゲマトリアは何か知らないの?

 ブリーデでも構わないけど」

 

 イシュタルに水を向けられたが、ブリーデの方はすぐには応えられなかった。

 代わりに、傍らに立つコッペリアが口を開く。

 

『なんでも、恋人を生き返らせたいらしいよ』

 

 しん、と。

 一瞬にして場が静まり返った。

 誰も彼も――特に《最強最古》を良く知るオーティヌスは呆気に取られた。

 言っている意味が分からないと。

 髑髏の表情には無数の疑問符が浮かんでいる。

 気にせず、コッペリアは言葉を続けた。

 

『僕も何度か確認したけど、ゲマトリアは間違いないって言ってるよ。

 あの《邪悪》の目的は、三千年前に死んだ恋人の蘇生なんだとさ』

「それは――本当に、間違いないのか?

 ブリーデは何か知っているのか?」

 

 鋼と呼ばれたウラノスも、流石に動揺を隠し切れない。

 伝説にその悪名を轟かせる古竜の長子。

 その邪悪な竜の目的が、死んだ恋人を蘇生させることなどと。

 大真竜の大半は想像すらしていなかった。

 問われたブリーデは、観念した表情でため息を吐く。

 

『……事実よ。

 私は、その「恋人」とやらとラグナ達の眠る地下迷宮で会った事もあるわ』

「? 待ちなさいよ。

 その《邪悪》の目的が恋人の蘇生なら、それはおかしくない?」

 

 常識的なイシュタルの指摘に、コッペリアは小さく肩を竦めた。

 

『完全ではないだけらしいね。

 蘇生はまだ途上だけど、その恋人とやらは生き返ってるようだ』

「何よそれは。そんなことが可能なの?」

『僕は魔法に詳しいワケじゃないから、聞かれても答えられないよ』

「年長者を気取る割に、肝心な時に役に立たないわね」

 

 無礼かつ直裁的な物言いも、コッペリアは笑って受け流した。

 その影で、ウラノスが密かに嘆息を漏らしていたが。

 

『……完全な死者の蘇生など、それこそ神の領域を侵す行為。

 如何に《最強最古》とて、ほぼ不可能に近い難行のはず』

 

 困惑のあまり凍り付いていたオーティヌスだが。

 老賢人は我に返ると、己の思考を言葉として呟き始めた。

 

『なれば三千年。

 それほどの時間を一切の動きもなく費やしたのも、納得は行く。

 納得は行くが……』

『動機そのものは、俄かには信じがたい。

 分かるよ、僕もゲマトリアから聞いた時は同じ気分だった』

 

 不理解に唸るオーティヌスに、コッペリアは苦笑いと共に同意する。

 まさか、あの《最古の邪悪》が愛に目覚めたなど。

 これほど質の悪い冗談もない。

 そう言わんばかりの顔ぶれに、ブリーデは複雑そうな表情を見せた。

 

『……とりあえず、今のが嘘でも冗談でもないのは私も保証する。

 あの馬鹿は、愛に目覚めて彼氏を蘇生させるために色々やらかしてるわ』

「……どうあれ、由々しき事態だな」

 

 ブリーデの言葉に頷いたのはウラノスだった。

 目的はどうあれ、《最強最古》が盟約と敵対しているのは間違いないのだ。

 ゲマトリアを撃破した以上、半端な戦力では太刀打ちできまい。

 それらを踏まえて――ウラノスは、黙して語らぬ「最後の一柱」に視線を向けた。

 この聖域にて、円卓と対を為すように設えられた唯一つの「玉座」。

 

「――――」

 

 その力による序列はあれど、礎たる大真竜達は対等。

 それを示すように、彼らは円卓を囲って等しく佇んでいる。

 例外として、ただ一人だけ玉座に着く者。

 蒼褪めた肌を、黒い甲冑で覆い隠した少女の姿。

 

「貴女は、これをどう考える。《黒銀くろがねの王》よ」

 

 ウラノスの声を受けて、色素の薄い金色の髪が僅かに揺れる。

 《黒銀の王》――盟約の礎たる大真竜。

 大いなる星の怒りを背負い、その頂点に君臨する者。

 問いに応じるように、彼女は閉ざしていた瞼をゆっくりと開いた。

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