47話:凪のひと時


 派手に嵐が吹き抜けたわけだが。

 意外なことに、それから何事もなく二日が経過した。

 その間にも当然《狩猟祭》は行われた。

 ヴェネフィカの占術を聞き、アディシアと共に赤い森に突入する。

 更に強力な罠や悪辣な待ち伏せがあると、そう考えていた。

 だが蓋を開けてみれば、精々配置された《牙》の数が多いぐらいだった。

 森に離された獲物の数も多かった為、それを助けるのは少し手間ではあった。

 苦労したのはそのぐらいで、後は襲って来る狩人を蹴散らすだけ。

 その中には、《爪》であるウェルキンの姿は無く。

 またウィリアムの矢による妨害もなかった。

 酷く凪いだ祭りが二日ほど続き、そして現在。

 俺には何となく、それが嵐の前の静けさのように感じられた。


「……まぁそうは言っても、具体的にどうするかって話になるんだが」

 

 焼いた鹿肉を齧りつつ、そんな風に呟く。

 時間は昼を回ったぐらい。

 俺達は拠点であるヴェネフィカの館の前で飯を食っていた。

 火を焚いて、それで肉を炙るだけの簡素な食事。

 肉以外にも塩なども提供して貰ったので、まぁまぁ上等だろう。

 木で作った椅子に座って、鉄串に刺した肉を齧る。

 膝の上ではアウローラが小さな唇で同じように肉を啄んでいた。

 食べる必要がないとは本人の段だが、食事を楽しんでるなら何よりだ。

 

「今のところ、これと言った収穫はないものね。

 相手の数は減らせてる、と考えて良いのかしら」

「森で戦ってる最中は、アイツら死なんらしいからな。

 俺の方だと良く分からん」

「……狩人の数は、確実に減っているでしょうね」

 

俺とアウローラの言葉に、応えたのはヴェネフィカだった。

彼女は食事は口に付けず、例の如くフードを被ったままで片隅にいた。

 

「ですが、《牙》である狩人の総数はまだおります。

 仮に《狩猟祭》の結果で、その全てを削ろうとすると……」

「すげー時間かかりそうだな、ソレ」

 

 木製カップに入った水を飲みながら、イーリスが軽い調子で呟いた。

 横で妹の世話を焼いていたテレサも頷く。

 

「《爪》の襲撃を受けてから二日。

 順調と言えば順調ですが、変化がないのは不気味ですね」

「ウェルキンの奴はかなりプライド高そうだしなぁ。

 あのまま負けっぱなしで引っ込むタチじゃあないだろ」

 

 あとはウィリアムの奴だ。

 結局ここまで顔を出さず、その上今は影すら見せなくなった。

 間違いなく何か企んでいるはず。

 しかしどんな事をする気なのか、こっちでは推測すら出来ない。

 放っておきたくはないが、どうすれば良いやら。

 

「……ウィリアムの方なら、何とかなるかもしれない」

「マジで?」

 

 そう言ったのはアディシアだった。

 彼女も焼いた肉を口にしながら小さく頷く。

 

「あの男は森林都市を管理する都市長だ。

 《牙》の筆頭であると同時に、奴には都市内での明確な立場と役割がある。

 《狩猟祭》以外の平時であれば、都市中央に仕事で詰めているはず」

「成る程なぁ」

 

 確かに、アイツは都市長だとか言っていたな。

 表向きは都市のトップで、本人はお飾りだのと自称していたが。

 しかしそうなると、また都市の方に入る必要があるな。

 ここ数日はずっとこの館にいたが。

 

「……都市に入る事自体は、大きな問題はないでしょう」

 

 やや躊躇うような様子を見せながら、ヴェネフィカが口を開く。

 彼女が何を考えているのか、やはり表情が見えないせいで良く分からない。

 少なくとも、此方に悪意がない事ぐらいは読み取れる。

 

「狩人でない、都市に暮らす多くの森人達にとって、《狩猟祭》は他人事。

 貴方達が狩りに抗う獲物である事すら、彼らは正しく認識していません」

「そうなのか?」

「ええ。狩人達もまた、《狩猟祭》以外で獲物に弓引く事はありません。

 都市内で騒ぎを起こさない限りは、ですが」

「ふーむ、成る程」

 

 何とも、その辺はまだ知らないルールがあったらしい。

 とりあえず都市に入る分には大きな問題がない事だけは分かった。

 ただ、少しばかり気になったのは。

 

「アンタは、都市に乗り込むのはあんま乗り気じゃなさそうだな?」

「…………」

 

 相変わらず何かを隠しているような、ヴェネフィカの態度だった。

 とりあえず感じた事を突っ込んでみたが、彼女は沈黙を返してくる。

 傍らにいたアディシアは、やや不安げに育ての母を見た。

 

「母さん?」

「……森の中以上に、都市は何が待っているか分かりませんから。

 安易にウィリアムを狙う、というのは、危険ではないかと考えたまでです」

「まぁ、それは確かにそうかもな」

 

 絶対に性格の悪い罠とか用意してるだろうしな、アイツ。

 とはいえ、それはこれまで通り《狩猟祭》を飛び込んでも同じ事だ。

 多少危険はあろうが、状況を変えたいのなら踏み込んでいくしかない。

 それに、これもまた気になっていた事だが。

 

「実際、このまま《狩猟祭》とやらに介入し続けた場合。

 ここの容量キャパシティが足りなくなるでしょ? 近いうちに」

 

 俺の思った事を口にしたのは、膝の上に座るアウローラだ。

 彼女が指差した先には、俺達と同じ飯を食っている元獲物の半森人達。

 大体が子供だし、一応それなりに大きい奴も何人かいる。

 彼らの人数は、ここ数日だけで十人以上に増えていた。

 それだけいれば生活するスペースも、飲み食いする水や食料も必要になってくる。

 この館に備蓄出来るだろう量では、早晩破綻するのは容易に想像出来た。

 アウローラの指摘に、ヴェネフィカはまた少し沈黙して。

 

「……確かに、貴女の仰る通り。

 彼らを救えた事は幸いですが、この館にそう余裕がないのは事実です」

「母さん、あたしは……」

「いいのよ、アディシア。貴女が罪に思う事は何もないわ。

 貴女からしてみれば、ようやくまともな成果を上げられるようになったんだから」

 

 表情を曇らせた義理の娘を、ヴェネフィカは優しく労う。

 其処にある愛情だけは、恐らく何の隠し事もないだろうと思える。

 

「或いは、それも相手の狙いだったかもしれませんね。

 兵糧攻めにして、此方を動かそうという意図を感じます」

 

 テレサの発言に、俺は大いに納得した。

 成る程、救助対象を多くしたのにはそういう考えもあったか。

 実際のところは不明だが、俺達は動かざるを得なくなった。

 仮に狙い通りだとしたら、考えた奴は今頃ほくそ笑んでいるだろうな。

 

「それで、結局都市の方へは乗り込むのか?」

「そうだなぁ」

 

 聞いて来たのはイーリスだが、何故か難しそうな顔をしている。

 此方も膝上のアウローラを撫でつつ、少しばかり考えを巡らせる。

 十中八九、これは罠の類だろう。

 だが変わらず《狩猟祭》に介入するだけでは状況が進まない。

 多数の供物を救出する手間に追われて、真竜の居所も探れていないしな。

 やはり危険は承知で動く他ないか。

 その上で、都市に入る理由はもう一つぐらいある。

 

「結局、都市に招かれて直ぐにあの森に放り込まれたからな。

 ウィリアムのとこへは行くとしても、他も見て回りたいところだ」

「一応、偵察とか下見って解釈で良いのかそれ?」

「じゃあそれで」

 

 適当かよ、とイーリスは呆れ気味に笑った。

 特に敵として追われないようだし、折角だからな。

 前の都市はお尋ね者に近い状態だったので、その余裕もなかったが。

 森人の暮らす都市の風景を、少しぐらいは見ておきたかった。

 それも俺にとっては知らないモノだ。

 

「ねぇ」

「ウン?」

「それは当然、私も一緒でいいのよね?」

「最初っからそのつもりだぞ」

「そう、なら良いわ」

 

 確認を済ませると、アウローラは機嫌良さげに喉を鳴らした。

 まぁ特に理由がなければ全員で行くつもりだけどな。

 イーリスは勿論、テレサも見たが特に異論もなさそうだ。

 が、アディシアだけは微妙な顔をしていた。

 頭数には彼女も含んでいたが……いや、そうか。

 

「アディシアは、都市におおっぴらに入るのは拙かったか?」

「そう、だな。潜入する分には良いが、そうでないならこの髪色だ」

 

 曖昧な笑みでアディシアは頷く。

 赤い髪は、森人達が忌み嫌う赤帽子の証だったな。

 確かに、それをそのままで都市に入ると面倒事になりそうだ。

 かといって、彼女だけ置いていくのもあまり気分の良い話でもない。

 肝心のアディシア自身は、小さく首を横に振って。

 

「こちらは気にしないでくれ。

 ウィリアムの元に向かうなら、当然あたしも付き合う。

 けどその前に都市を見て行くつもりなら、合流する時間と場所だけ決めよう。

 それで特に問題はないはずだ」

「ふむ……別に、都市を見て回る事自体が嫌ってわけじゃないよな?」

「それは……そうだな。興味はあるよ。

 この髪だから、そもそもまともに都市を歩いた経験自体がないからな。

 必要な時だけ変装をして、滞在時間も最小限に抑えていたから……」

「そうかそうか」

 

 やや躊躇いがちだが、今語ったところが本心だろう。

 そういう事なら問題はないはず。

 

「なぁアウローラ。

 こう、魔法でぱっと姿を変える事とか出来るのか?」

「当然出来るわよ?

 何なら肉体そのものを別物に変身させる事も可能ね」

「多分そこまではやんなくていいかな……」

「れ、レックス? 一体何の話を……」

 

 アディシアは驚いたようだが、何もおかしな事はない。

 森林都市を偵察というか、適当に見て回って。

 それから改めてウィリアムの居場所を見つけてカチ込む。

 どうせなら最初から全員で動いた方が手間も色々少なくて済むはずだ。

 魔法で髪色を変えたりとか、そのぐらいアウローラなら簡単だ。

 

「……大体いつもこんなノリだから、諦めて付き合った方が楽だぞ」

「そ、そういうものか……?」

 

 大変良く分かっているイーリスさんのありがたい言葉だった。

 それでもアディシアはまだ少し困惑している御様子だ。

 判断に迷ったか、助けを求めるようにヴェネフィカの方を見る。

 フードから覗く育ての母の口元は、柔らかく微笑んでいた、

 

「良いじゃない。行ってきなさい。

 貴女も、昔は都市には入りたがっていたでしょう?」

「そ、それは何十年も昔の話だよ。

 今だって、必要があれば都市に潜入するぐらいはしているよ」

「それはあくまで、「必要があるから」でしょう?

 どれだけ複雑な想いがあっても、あの都市が貴女の生まれた場所よ。アディシア。

 難しい理屈や事情は置いて、一度は触れてみるのも良いんじゃないかしら」

「母さん……」

 

 優しく、けれど僅かな切実さを感じる声。

 ウィリアムを抑えに行く事自体は、ヴェネフィカは余り乗り気ではなかった。

 ただ都市を見て回る事については、本心から娘の背を押したいようだった。

 

「皆さんも、アディシアをお願い出来ますか?」

「そりゃ勿論。むしろアンタはどうだ?」

「私は、どうかお気になさらず。この場を空にするわけにも行きませんから」

「成る程、そりゃそうか」

 

 この館には、此処まで助けた半森人達が何人もいる。

 彼らをほったらかしに、全員外へ出るわけにはいかないだろう。

 

「――それでは、早速準備を致しますか?」

 

 気配を感じさせない動きで、テレサはアディシアの傍に立つ。

 未だ戸惑いを拭えない彼女の肩を、そっと抑えた。

 柔らかい手つきだが、其処に有無を言わさぬ力が込められているのが分かる。

 それからアウローラも、俺の膝の上からひょいっと下りて。

 

「折角だから、おめかしもしましょうか?

 髪だけ変えるんじゃ味気ないものね」

「いや、それだけであたしは十分だぞ??」

「諦めろ、諦めろ。言い出したら聞かないんだからコイツ」

「あら、勿論貴女も対象よイーリス?」

「さぁ、逃げても無駄だから諦めて大人しくしなさい」

「クソっ、離せよ姉さん!?」

 

 うむ、仲良き事は美しき哉。

 キャッキャと戯れている女子達をやや遠巻きに眺める。

 飯も食い終わったし、ほっと一息吐きたくなるな。

 状況とか諸々を置いておけば、とりあえず今は平和だった。

 真竜の餌を用意する為に、狂った狩猟が行われているとか忘れそうになる。

 ……真竜、真竜か。ソイツを殺す為に此処へ来たはずだ。

 しかし現状は、未だに姿すら掴めていない。

 あの森の何処かにいるのなら、少しぐらいは噛み付いて来そうなものだが。

 極めて慎重な奴なだけかもしれないが、何となく不自然さも感じていた。

 それは何の根拠もない、単なる俺の勘に過ぎなかった。

 

「オイ、ちょっと助けろよお前……!」

 

 そんな事を考えていたら、イーリスがこっちに逃げて来た。

 今のアウローラの矛先は、見た感じアディシアの方へと向けられていた。

 どうやらイーリスは、その隙を突いて脱走を試みたようだった。

 

「おう、お疲れ」

「他人事見たいにいいやがってコイツ……。

 アウローラの奴はお前の彼女だろうが、何とかしろよホントに」

「自由にのびのびと生きられるなら、それが一番だから……」

 

 だから仕方ないんだイーリスさん。

 決して日和っているとか、そういう事はないので誤解しないで欲しい。

 適当言ったら頭をビシバシ叩かれてしまった。

 兜越しだし痛くはないんだが、視界がとってもグラグラ揺れる。

 

「……なぁ」

「うん?」

 

 兜を小突きつつ、イーリスはそっと声を潜める。

 それから酷く真面目な声で。

 

「ちょっと、気になってる事がある。確証はないんだけどな」

「俺も似た感じだが、多分イーリスの考えてるのとは別だよな」

「それは分からんけど、どっかで話してはおきたい」

「……街に出てからのが良いか?」

 

 何となくだが、そうした方が良いような気がした。

 根拠は何もなく、単なる直感なんだが。

 イーリスも同じ考えだったらしく、躊躇いなく頷いた。

 

「出来れば、ウィリアムの奴のとこに行く前が良いと思うわ」

「まぁ、そっちは今日そのまま行くとは限らんしな」

 

 都市に入って、特に目的も定めずぶらついたとして。

 そのまままた赤い月が上って、《狩猟祭》に引っ張り込まれる可能性は高い。

 まぁ綿密に予定を立てているわけでも無し。

 高度な柔軟性で臨機応変に何とやら、で大きな問題はあるまい。

 そんな感じで応えつつ、俺はイーリスの肩を軽く叩いた。

 で、逃げ出してしまわぬように捕まえておく。

 

「……おい、レックス?」

「いや、多分そろそろだと思うから」

 

 何がだよっ、というツッコミが飛んでくる前に。

 

「――あら、レックス。

 丁度良いから、そのままイーリスを連れて来て頂戴」

 

 アディシアの準備がひと段落したアウローラからお声が掛かった。

 良いタイミングだったので、そのままイーリスを抱え上げる。

 うむ、当然暴れるだろうな。

 

「おまっ、この野郎! 裏切り者ー! 離せー!」

「取って食われるわけじゃないんだ。大人しく諦めような」

 

 これでアウローラは機嫌が良くなるし、女性陣の見た目も華やぐ。

 良い事尽くめだな、ヨシ!

 其処まで考えて、この場にいるようでいないもう一人の事も考える。

 《北の王》ことボレアスは、今はまだ休眠中のようだった。

 アイツそもそも全裸で、前提として「服を着る」という習慣あるかも大分怪しい。

 

「……その辺、何か考えた方が良いのかね」

 

 そんな話をしたら、アウローラ辺りは怒る気もするが。

 まぁ今は一先ず、手足をジタバタさせてるイーリスを運ぶとしよう。

 手招きする女王様のところへ、俺はお届け物を担いで向かう事にした。

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