48話:平和という麻酔


 微妙にドタバタしたが、俺達は程なくして森林都市に足を踏み入れていた。

 森の外れから来たわけだが、特に誰かに見咎められる事もなかった。

 アディシアが言うところによれば、入る為の手順さえ正しければ問題ないらしい。

 その為には、先導する者に森人の血が流れているのが必要だそうだが。

 昼を食べた後なので、空を見れば太陽は中天を幾らか過ぎていた。

 

「さて、ぶっちゃけ何処をどうとか、そういうのはまったく決めてないぞ」

「一応敵地だっつーのに信じられねぇ計画性の無さだ……」

 

 通りを歩きながら堂々と宣言する俺に、イーリスさんのツッコミが冴え渡る。

 ちなみに彼女とアディシアは、アウローラさんの手で強制的に衣装チェンジされていた。

 とは言っても精々スカートを履かされたりとか、そのぐらいの軽いものだ。

 森人の都市である事を意識してか、華美過ぎない若草色の衣装。

 イーリスの普段の軽装も、アディシアの狩人らしい姿も大変良いとは思う。

 その上で、女性らしい服装というのも非常に新鮮味があった。

 アディシアはそれに付け加えて、髪色を赤から黒に変更していた。

 

「ほら、堂々と歩かないと怪しまれるわよ?」

「そ、そうか?

 いや、そうだな。分かった、大丈夫だ」

 

 今回ばかりはアウローラの仕事なので、女子に注目しても怒られないようだ。

 彼女はスカートのヒラヒラに慣れないアディシアを、実に楽しそうに弄っている。

 テレサの方は、いつもと変わらない男装っぽい黒服のままだが。

 

「万が一、何かあった時のことを考えて、私は普段のままですよ」

「そうか。いや、そういう時は俺が対処するし。

 テレサも着替えれば良かったのに」

「レックス殿は、私のああいう服装が見たいですか?」

「うん、結構見たい」

「では、機会があれば必ず」

 

 素直に頷いたら、クスクスと笑われてしまった。

 普段が普段なので、そういう恰好をしたテレサが見たいのは本当だから仕方ない。

 そんな風に話しをしながら、俺達は大通りを進んでいく。

 ごった返す、という程ではないが、それなりの数の森人達の姿があった。

 彼らは一様に穏やかで、他愛もない会話をしているようだ。

 丁度、今の俺達とそう変わるところはない。

 

「……最初に入った時も思ったが、本当に平和そうだな。此処」

「マーレボルジェのところとは、随分違いますか?」

「あくまで印象は、だけどな。

 前は上を目指して走ってる状態で、街をちゃんと見れてなかったからな」

 

 あっちは、真竜マーレボルジェによって細かく管理されていた空気だった。

 少なくとも中層以下に関しては、その印象が強い。

 管理から外れる者が出ないようにギチギチに締め付けるイメージだ。

 それと比べると、この都市は何と言うか……酷く穏やかだ。

 《狩猟祭》を知らなければ、純粋に良い街だとしか感じなかったろう。

 

「散歩も良いけれど、何処か覗いて行かない?」

 

 そう提案したのはアウローラだった。

 確かに、森人の街にはどういう店が並んでいるかは気になるところだ。

 あれでも、買い物とかするにはお金が必要じゃないか?

 手持ちとかまったくないよな、と考えていたが。

 

「ねぇ、アディシア。此処での取引には何を使うの?」

「ん? 都市が発行している専用のチケットだな。

 若しくは、昔からの伝統で物々交換でも問題ないはずだ」

「じゃあ、金とかも取引に使えるのね?」

「それは勿論、使えると思うが」

 

 一応、母さんからある程度の資金は預かっていると。

 そう言ったアディシアの目の前で、アウローラは軽く手を開いた。

 其処にあるのは幾つかの小石だ。

 他によく見えるように、彼女はそれを再び手の中へ握り込み。

 

「《変われ》」

 

 《力ある言葉》をそっと囁いた。

 指の隙間から一瞬だけ強い光が漏れる。

 それから、アウローラが手をゆっくり解くと。

 

「……金?」

「マジかよ」

 

 握り込んだ小石は、淡い輝きを宿す金に変わっていた。

 アディシアは眼を白黒させているし、俺も驚きを言葉に出す他ない。

 いやマジで凄いというか、大体何でもありだな。

 

「これ、大丈夫なのか??

 実は偽物でバレて問題になるとか無いよな??」

「失礼な子ね、イーリスは。

 大丈夫よ、元素とか魔法で弄ってるから本物の金と同じよ」

「流石と言う他ありませんね、我が主よ」

 

 実に対照的な姉妹の反応を受けつつ、アウローラさんは渾身のドヤ顔だ。

 まぁ問題と言えば大変問題があると言うか、問題しかないんだが。

 これで資金の心配は無くなりそうだし、多少は眼を瞑ろう。

 アディシアも言いたい事は色々あるようだったが。

 

「その気なら街の人間を魔法で操るとか、そういう事も出来るけどね。

 少しぐらい金を作ってそれで買い物するぐらい、可愛いものだと思わない?」

「そう、か?」

「そうよ」

「そうかな、そうかも……」

 

 一先ず呑み込んだようだ。一先ず。

 怪しい魔法で無理やり誤魔化した気がするが気のせいだろう。

 実際に本物の金と変わらないなら、まぁ影響はないはずだ。きっと。

 

「じゃあ、適当に見てくか」

「ええ、そうですね。

 女子の買い物に付き合う意味を余り理解していないレックス殿」

「うん??」

 

 テレサさん、今にこやかに何か怖いこと言わなかった?

 首を傾げる俺に対し、元《爪》の彼女は優しく微笑んでいた。

 それから程なくして、彼女が語った言葉の意味を俺は理解する事になる。

 

「これについては流石森人達の街、と言うべきかしらね。

 細かい魔法を使った工芸品はなかなか興味深いわ」

「さ、アディシア。あちらの衣裳店を覗いて行きませんか?

 私も森人の民族衣装については興味があります」

「あぁ、そうだな。母さんも詳しいは詳しいんだが、今の流行りは見てみたいな」

 ちょい待って。あっちの故買屋にジャンク置いてあるから。

 使えるモン無いか見てっても良いか?」

 

 うん、大変美しい光景である。

 アウローラが率先して引っ張る形で、女性陣はあちこちの店を見て回る。

 何か気に入った物があれば、アディシアの手持ちか金を使って購入もした。

 一回一回は大した量ではないが、重なればまぁそれなりになってくる。

 で、そうなると当然、荷物はそこそこ大きくなって。

 

「……その、大丈夫か?」

「ヘーキヘーキ」

 

 いつの間にやら両手で抱える程に荷物は成長していた。

 気付いたアディシアが気遣って声を掛けてくるが、大丈夫アピールをしておく。

 いやまぁ俺は特に買いたいモノがあるわけでも無し。

 こうしてのんびり過ごせるだけでも、十分満足だった。

 

「……ん?」

 

 ふと、目に付くものがあった。

 こじんまりとした店の前に、幾つもの弓と矢が陳列されている。

 恐らくは武器を商っている場所だろう。

 初老の店主に、時折男の森人が矢を買い足したり弓を見て貰ったりしていた。

 俺が目を引いたのは、店の正面に置かれた一つの棚だった。

 其処には弓ではなく、幾つもの小刀が置かれていた。

 武器として使うには大分サイズが小さい。

 森での野外活動で使うものだろうか。

 近寄って見てみると、木製の柄と鞘には綺麗な彫刻が施されていた。

 

「珍しいかね、お客人?」

「ん? あぁ、そうだな」

 

 思わず荷物を抱えたまま近寄ったら、店主の方から声を掛けて来た。

 怪しい全身鎧に対しても、店主は特に奇異に感じた様子も見せなかった。

 うーむ、これがプロの対応という奴なのか。

 

「これ、野外活動に使う物なのか?」

「間違っちゃいないが、コイツは守り刀だよ」

「守り刀?」

 

 それは初めて聞く単語だ。

 首を傾げる俺に、店主は親切に説明をしてくれる。

 

「言葉の通り、親が自分の子にお守りとして贈る物さ。

 位の高い森人なら家伝の宝刀とかだが、皆が皆そうじゃないからね。

 大抵はこういう店売りの物を用意するのさ」

「成る程なぁ」

 

 森人の風習という奴か。

 店主は懐から煙管キセルを取り出しながら、少し遠い目をして。

 

「鞘や柄に関しては、昔は父親が自分で彫ったりしたんだがな。

 今じゃそこまで手をかけてるのは少数派だよ。

 まぁ、これも時代の流れって奴だろう」

「ちなみにオジサンの言う昔ってどんぐらい前?」

「ざっと三百年は前かなぁ」

「うーんこの時間感覚」

 

 三千年ほどじゃないにしろ、出てくる数字がダイナミック過ぎる。

 ともあれ、面白い話が出来た。

 完全に冷やかした形だが、店主の親父は気にした様子もない。

 大変ありがたく思いつつ、俺はその場から離れようとして……。

 

「……アディシア?」

 

 そういえば、近くに彼女もいたんだった。

 しかし何故か、アディシアはやや茫然とその場に立ち尽くしている。

 その視線の先にあるのは、店に並んだ守り刀だ。

 近くにいたなら、彼女もまた店主の話を聞いていたのか。

 

「おい、アディシア? どうした」

「っ……あ、いや。すまない、何でもないんだ」

「そうか?」

 

 そう言いながら、アディシアは自分の胸元をぎゅっと握り込んでいた。

 何かを掴んでいるように見えたが、俺はそれ以上は聞かなかった。

 ただ軽く、その肩を叩いて。

 

「向こう戻るか。見失ったらアウローラに怒られる」

「……そうだな。あぁ、そうしよう」

 

 俺の言葉に、アディシアは微笑みながら頷く。

 そうして、俺達は他の三人のところへ戻る事にした。

 あっちはあっちで盛り上がっているのか、少々距離が出来ていた。

 歩いていると、先程の店主ぐらいには歳を取っている森人とすれ違う。

 この人物も、果たしてどれぐらい前から生きているのか。

 

「どーも、何か変わった事はないか?」

「あぁ、こんにちわ。珍しい方。

 君に出会った事より変わった事は、ここ百年起こってないな」

 

 試しに挨拶をしてみたら、思いの外軽い感じで返してくれた。

 怪しい鎧男相手と考えれば、それは大変好意的フレンドリーな反応に思えた。

 アディシアは反射的に俺の陰に立つが、初老の森人は特に気にしなかった。

 何となく足を止めて、話しを続けてみる。

 

「百年なかったって事は、そのぐらいは平和だったんだな」

「それよりも前からさ、お若いの。

 外からの客が最後に来たのが、大体そのぐらい前だった。

 この都市は、その前から変わらず平和だよ」

 

 穏やかに。

 本当に穏やかに、目の前の森人は笑っていた。

 

「……なぁ、《狩猟祭》は知ってるのか?」

「当然だ。森の王を鎮める為の大事な儀式だ。

 客人である君らが此処にいるという事は、狩人の弓から逃れたんだろう?

 いや、それは本当に大した事だよ」

「そうか」

 

 《狩猟祭》の事も、外からの客についても認識はしているようだ。

 正しく理解しているわけではない、とはヴェネフィカが言っていたな。

 こうして話をしただけで分かった事がある。

 危機感と言うか、当事者意識が彼らの中には無いのだ。

 都市を暮らす森人達にとって、《狩猟祭》の犠牲は他人事。

 だからこんなにも穏やかに語れるんだろう。

 自然とそうなっていたのか、敢えてそのようにしたのか。

 流石に其処までは分からない。

 どちらにせよ、平和に生きる森人は感慨深げに話を続ける。

 

「千年ほど前に、今の都市長であるウィリアム様が全てを取り計らって下さった。

 《爪》であらせられるウェルキン様と共にな。

 それ以来、我々森人はこの都市で永久の繁栄を謳歌しているわけだ」

 

 それは何とも素晴らしく、ありがたい事だと。

 初老の森人は、一つの邪気も無く都市の栄華を誇っていた。

 俺はまぁ、彼らよりもずっと他人事だ。

 何ともえげつない話だとは思ったが、言ってしまえばそれだけだ。

 しかしアディシアは、これを聞いてどう考えるか。

 俯き、黙ってしまった彼女の手を軽く掴む。

 

「こっちから話しかけて悪いが、仲間がいるからそろそろ行くわ」

「あぁ、そうかそうか。君らにとって今日が善き日でありますように」

 

 簡単な森人の祈りを受けながら、やや急ぎ目にその場を離れる。

 平和で平穏な、森に隠された森人達の理想郷。

 この都市を築いた奴は、どんな思いでこの形を描いたんだろうな。

 

「大丈夫か?」

「……大丈夫。ありがとう、心配してくれて」

「まぁ、このぐらいはな」

 

 片手で荷物を抱え、もう片方でアディシアの手を引く。

 微かに震えているのは、気のせいではないはずだ。

 

「……あたしはあの男が、ウィリアムの事を憎いと思っていた」

「あぁ」

「罪もない人間や、半森人を生贄として真竜に捧げる。

 そのシステムを作ったのは奴だ。

 あたしも、母さんに保護されなければ死んでいたんだ」

「そうだろうな」

 

 足は止めずに、彼女の独白に耳を傾ける。

 今の俺は荷物持ちだ。

 少しでもアディシアが荷物を預けてくれるなら何よりだ。

 

「それでも、あの男がそうしたから都市の森人達は平和を享受している。

 思うところはあったが、それはそれで良き事だと思っていた。

 真竜に理不尽に殺される者が増えるよりは、余程いいと」

「じゃあ、今はどうだ?」

「……正直に言って、分からない。

 今の話を、あたしはどう受け止めるべきだった?

 彼らは犠牲を知りながら、それに何も感じていなかった」

「他人事だからだろうな」

 

 結局は、それが全てなんだろう。

 熱さや痛みを直接感じない限り、それがどれだけ重大な事かは分からない。

 森人達も、最初はそうではなかったかもしれない。

 しかし今の状態が続いて、恐らく何百年だ。

 痛みを我が事のように思うには、麻痺し過ぎる時間だ。

 

「……あたしは、あの森人をどうすべきだったと思う?」

「ブチ切れてぶっ殺して、それで気が晴れるならそれで良かったろうけどな」

 

 色々意見はあると思うが、それはそれで正しいのだ。

 スカっと気分が良くなるのなら、それが一番だからな。

 

「けど、お前はそうじゃないだろ。

 それなら、多分今のお前が正しいと俺は思う」

「……そうか。そうだな」

 

 納得など、当然出来るはずもない。

 そもそも俺は半分以上部外者だ。

 少なくとも百年は抱えた彼女の胸の内など、分かるはずもない。

 ただ、握る手の震えだけは収まった。

 アディシアは顔を上げると、少し泣きそうな顔で笑った。

 

「貴方は、優しいな。レックス。

 もし父親がいたらこんな感じだろうかと、ちょっと思ってしまったよ」

「子持ちどころか結婚もまだなんだけどなぁ」

「恋人はいるはずだろう?」

「実はお互い告白もまだなんだよ」

「それはちょっとダメじゃないか?」

 

 互いの冗談に、お互いに笑い合う。

 多少なりとも持ち直したようで、とりあえず安心した。

 

『――やれやれ、そうと願えば我が全て灰塵にしてやったものを』

 

 何やら胸の内、炎の中で物騒な事を呟く奴もいるが。

 今そういう物騒なのは求めていないし、そもそもいつの間に起きたんだ。

 此方の考えを呼んだか、クックと喉で笑う音が聞こえてくる。

 突くと藪蛇な気がしたので、今は置いておく。

 それよりも、前方で呼びかける三人娘に荷物を掲げて応える事にした。

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