435話:テレサの実力


『…………人間?』

「お前が見ている通りだ」


 メトシェラは、訝しげに呟く。

 対するテレサの方は、それに穏やかな声で応じた。

 人間――人間?

 《支配の宝冠》は、突如として現れたその相手を観察する。

 少なくとも、外見的にはおかしいことはない。

 黒い男物の服を纏った細い肢体。

 ところどころ薄いが、鍛えられた肉体美には女性的な美しさもある。

 生物としては、単なる人間と変わらないはずだった。

 けれど、この神気とも呼ぶべき気配はなんだ?

 ……古き竜であるメトシェラは、「大陸の外」について多少なりとも知っている。

 しかし長く生きる彼女であっても、《人界》の神と遭遇した経験はない。

 故に、今のテレサは《支配の宝冠》の目からも完全に未知な存在だ。

 いや、「完全に」というのは語弊があった。


『まさか、貴女も我が英雄のように「世界に選ばれた者」であると?』


 《摂理》。

 この星の運行を司る、始原の精霊システム

 世界そのものでもある『彼ら』に意思は無い。

 意思が無いからこそ、人々の営みに干渉してくるのは本来あり得ない事だ。

 《造物主》という侵略者に対抗するために、地の底から現れた『大地の化身』。

 今や《黒銀の王》と呼ばれる彼女は特級の例外だ。

 しかしそれ以外にも、時に世界はその意思を人間を通じて現す事もある。

 所謂、『精霊英雄エターナル』とされる者たち。

 歴史の節目に現れては、その超人的な力を用いて人々を助ける英雄。

 世界と――精霊との特殊な繋がりを持つ彼らは、まさに神の如き力を有していた。

 メトシェラが支配しているウラノス。

 そして、《黒銀の王》として楔の玉座で待つ彼女。

 そのどちらもが『精霊英雄』で、メトシェラはテレサに近いモノを感じていた。


「……いや。

 私は、そんな御大層なモノじゃない」


 『精霊英雄』について、テレサは詳しくは知らない。

 ただ、メトシェラが自分と何かを勘違いしている事は理解できた。

 だから彼女は、その言葉を否定する。


「私は英雄でもなければ、ましてや神でもない。

 ただの人間だ。

 この力も、少しばかりのズルをして授かったモノに過ぎない」

『……なるほど?』


 頷くが、メトシェラはテレサの言葉の真意を理解したワケではない。

 テレサが『精霊英雄』に近い、何か奇妙な力を持っている事。

 分かっているのはそれぐらいだ。

 それだけで十分だった。


『では――何も恐れる事などありませんね』

「……っ!」


 大気が、いや空間が爆ぜた。

 そう錯覚してしまいそうなほどの衝撃。

 操られたウラノスが、前方のテレサに向かって踏み込んだ。

 それは、たったの一歩。

 一歩の踏み込みだけで、間合いは森の大地ごと潰される。

 回避は不可、防御も不能。

 あらゆる無駄を削ぎ落とし、究極を超えて極限のゼロに至った拳打。

 メトシェラの支配に従い、ウラノスはその一撃を繰り出す。

 当然、テレサは避けられない。

 拳自体には反応できている様子で、それにはメトシェラも驚嘆する。

 だが、見えたところで間に合わない。

 音速を突破しながらも、鋼の拳は音の壁をすり抜ける。

 無駄な破壊や衝撃は一切起こさずに、拳は真っ直ぐにテレサを貫き――。


「はァッ!!」


 瞬間、強烈な打撃がメトシェラの意識を揺らした。

 それは最初に受けた奇襲と同じだ。

 戦士として研ぎ澄まされたウラノスの五感。

 メトシェラ自身も、決して油断などしていなかった。

 にも関わらず、テレサの攻撃にまったく反応できなかった。

 いや、それ以前に。


『何故、生きている……!?』

「死んでいないからに決まっているだろう!!」


 思わず口にした叫びに、テレサは真面目に言葉を返した。

 再び、衝撃。

 テレサの立ち位置は変わらず、拳を緩く構えている。

 その状態から、大きく動いているようには見えないのに。

 ウラノスにも負けず劣らずの打撃が、容赦なく竜の装甲を打ち据えた。

 一体、何をされているのか。

 メトシェラはすぐには理解できなかった。

 理解できない事は、もう一つ。

 ウラノスが放ったはずの、極限の拳打。

 それは間違いなく、テレサの胴を捉えていたはずなのに……!


「ハハハハハ……!

 いや、凄いなぁテレサ!

 久々に会ったと思ったら、ホントに見違えたじゃないか!」


 歓喜を声に表して、剣魔が笑う。

 もう様子見をするのも限界だと、ドロシアが前線に躍り出た。

 剣の煌めきは美しく、あらゆる角度から襲う斬撃がウラノスを削る。

 それは表面に、微かな引っかき傷を与える程度のもの。

 しかしドロシアは、その結果を見て更に笑みを深くした。


「ヨシ、良いね。

 さっきまでは完全に無傷だったんだ。

 ちょっとずつだけど、『斬る』のに慣れてきたよ」

「……お前は相変わらずのようだな、ドロシア」

「ハハハハハ、ちゃんと覚えていてくれた?

 いや、忘れられたらどうしようかと思ってたんだ」

「自分が私に何をしたか思い出してみろ」


 呆れた顔でため息を吐き出すテレサ。

 馬鹿な話をしながらも、彼女も剣魔も動きを止めない。

 ドロシアはやや後方、ウラノスの拳が届くか否かのギリギリの間合いを保つ。

 そこからでも、ドロシアの剣は十分以上に射程圏内。

 通常なら、その程度の距離はウラノス相手では目眩ましにもならない。

 彼の一歩は、弓矢の間合いですらも簡単につぶせるのだから。

 しかし、拳の距離にはテレサがいる。

 誰もが避けようとする、《鋼鉄の大英雄》との白兵戦。

 古き竜すら恐れる死線の上に、テレサは立っていた。


『砕けなさい!!』


 メトシェラが叫び、鋼の拳が唸りを上げる。

 ただの打撃ではない。

 今度はそこに、メトシェラの《支配》の権能が上乗せされていた。

 拳を向けた先の空間、一定の範囲を微塵に粉砕する。

 ただでさえ回避も防御も不可能な一撃だ。

 そこに、《支配》による破壊まで付加された絶殺の拳。

 紙一重では無理だと、即看破したドロシアは更に距離を取った。

 対して、テレサは退かない。

 触れれば死に、触れずとも塵となってやはり死ぬ。

 今度こそ終わりだと、メトシェラは確信した。

 テレサの姿が、いきなり目の前から消失するまでは。


『これは……!?』

「手品の種が割れてしまったかな!!」


 声は背後から。

 打ち込まれる衝撃が、ウラノスの巨体を大きく弾き飛ばす。

 ほんの一瞬前まで、テレサは間違いなくウラノスの正面に立っていた。

 しかし今、彼女は背面から攻撃を仕掛けてきた。

 ここでようやく、メトシェラは相手が何をしているのかを理解した。


『《転移》か!』

「あぁ、だが単なる《転移》と思ってくれるなよ!!」


 消える。

 空間を渡ったテレサの姿は、完全に物質世界から消失する。

 起こっている現象そのものは、メトシェラも知る通常の《転移》と変わらない。

 しかし詠唱は疎か、魔力の動きすら知覚できない。

 《転移》ほどの大魔術であれば、発動の予兆ぐらいは分かるはずだ。

 物理的な距離を無視して、違う地点同士を無理やり繋げて移動を行う術式。

 仮に飛ぶのが短距離だとしても、世界に発生する歪みはかなりの大きさになる。

 そのはずなのに。


『ッ……!!』


 見えない、感じ取れない。

 テレサの《転移》は、前触れ無しに一瞬で行われる。

 魔法であるならば、発生して然るべき歪みさえ無いのだ。

 消えてはまた出現し、再び消える一瞬で強力な蹴りや拳を浴びせていく。

 ウラノスの拳打を回避できた理由。

 それはこの不可思議な《転移》で、当たる瞬間にからだ。

 後は別に、メトシェラにとっては不可解な事があった。

 だが、「ソレ」について検証する前に――。


「さて、俺の存在を忘れられても困るな」


 挑発じみた言葉は、鋭い一矢と共に放たれる。

 射手は当然ながらウィリアムだ。

 人智を超越した速度で展開される近接戦闘。

 そんな中でも、森人の射撃精度はまったく見劣りしない。

 動かぬ的でも射るかのように、そのやじりは正確にウラノスを捉えていた。


「貴方も、流石の腕前ですね」

「褒めても何も出んぞ。

 そちらの救援無しでは逃げ回るしか手が無かった男だ」

「ホント良く言うなぁコイツー」


 笑うテレサに、ウィリアムは調子を変えずに応じる。

 逃げ回る必要がなくなったからか、ドロシアも明らかに活き活きとしていた。

 そして、もう一人。


「メトシェラっ!!」


 《魔星》筆頭たるゴーヴァン。

 彼もまた、この状況で見ているだけではない。

 ドロシアが振るう魔技とは異なる、何処までも王道である一閃。

 蒼い炎を纏って直線に貫く剣は、竜の装甲に傷を入れた。

 ウラノスを操るメトシェラにとって、彼が纏う《竜体》こそが本体。

 魂に走る微かな痛みに、《支配の宝冠》は不快げな吐息を漏らす。


『少々有利と見るや、調子づいてしまいましたか?』

「何とでもほざくが良い、女狐め!」


 吐き捨てる。

 ゴーヴァンはウラノス――いや、メトシェラを睨みつけた。

 剣を構え、消失と出現を繰り返しているテレサに意識を向けて。


「見知らぬ方よ、先ずは助太刀に感謝する」

「お気になさらず。立場で言えば、私と貴方は敵同士だ」

「前にチラッと話しただろう、ゴーヴァン。

 彼女がテレサ、竜殺し御一行の仲間だよ」

「……だとしても、今この場では心強い味方だ」


 一人一人では、とても勝機を見いだせない。

 それほどまでに、彼我の戦力差は隔絶していた。

 テレサ自身も、神としての力を得たからこそ理解できる。

 大真竜ウラノス。

 今は、メトシェラと呼ばれる竜に支配されてしまっているが。

 そんな状態でも、最強に等しい大戦士としての力は健在だ。

 自分一人では、到底届かない。

 それを認めた上で、テレサの心は晴れやかだった。

 ――私は戦える。

 届かずとも、戦う力と術がある。

 何より、たった一人で挑んでいるわけではないのだ。


「良いね、かつての敵同士の共同戦線。

 僕はちょっとテンション上がってきたなー」

「私はできれば、初陣はレックス殿の隣が良かったよ」

「気持ちは分かるが、我慢してくれ」


 胡散臭い森人の男に、頭のネジが外れた半森人の剣士。

 初対面であるが、ゴーヴァンも時期が違えば殺し合うべき相手だ。

 呉越同舟と呼ぶにも、あまりに混沌とした顔ぶれだった。

 ――本当に、隣に並ぶのがレックス殿なら良かった。

 割と本心からそう思うが、あまり贅沢は言っていられない。

 心情はどうあれ、戦力的には間違いなく信頼できる者たちなのだ。


『……面白いですね』


 不快さが滲んだ声だった。

 それでも、メトシェラは笑ってみせる。

 古き支配者と、その愛で絡め取られた鋼の英雄。

 力の格差を理解しながらも、不遜にも諦めない者たちに。

 メトシェラは嘲りを贈る。

 ――「彼」の身体を動かすのも、それなりに慣れてきましたね。

 十全と断言するには、ほんの少しだが心もとなくはある。

 それでも問題はないと、《支配の宝冠》は結論付けた。


『本当に、今の私を討ち取れるのか。

 それが戯言でない事を、是非証明して貰いましょうか。

 不可能であっても、嘆く事はありませんよ。

 世界とは、そのように残酷なモノなのですから』

「口数が多い女だな」


 竜の嘲笑に、テレサは冷めた声を返す。


「そんなに自信が無いのなら、諦めて尻尾を巻いたらどうだ?

 こっちも手間が省ける」

『――良いですね、貴女。

 まだ出会って間もないのに、好きになってしまいそう』


 身も心も、魂の精髄に至るまで。

 支配し、蹂躙し、この手で永遠に弄びたい。

 それこそがメトシェラにとっての「好意」であり、「愛情」に他ならなかった。

 醜悪な情念を、向けられたテレサも感じ取る。


「そうか。残念だが、私はお前のようなタイプが一番嫌いだ」

『おや――何か嫌な思い出もあるのかな?』

「あぁ。私が、今よりもずっと弱くて愚かだった時の話だ。

 …………そういう意味では、少しだけお前に感謝しても良い」


 拳を握る。

 これまでで一番強い意思を込めて、テレサはメトシェラを睨む。

 他者を餌として搾取し、支配する事だけを強いる暴君。

 それはまさに、テレサにとっては過去の悪夢そのものと言えた。


「お前を殴り倒したら、きっと人生で一番スッキリできるだろうな。

 あぁ、貴重な機会だ。遠慮なくやらせて貰おうか」

『ハハハハハハ。良いですね、そんな事を言われたのは初めてだ。

 嗚呼、その魂の輝きも何も、全て私が支配したい――!!』

「やれるものならやってみろ、下衆が!!」


 狂ったように笑うメトシェラに、テレサは鋭く叫ぶ。

 ウィリアムたちも、互いに息を合わせて動き出す。

 その場にいる誰もが理解していた。

 《支配の宝冠》との戦いは、此処からが始まりであると。

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