第二章:古き災厄との戦い

434話:無駄な足掻き


 拳の一振りで、容易く大地が砕ける。

 足を一歩踏み締める度に、世界の距離は簡単に縮まる。

 ――自由だ。

 千年もの間、虜囚の身に甘んじできた。

 それそのものは自ら望んだ事で、特に苦痛に思った事はない。

 けれど、やはり自由というのは良いモノだと。

 《支配の宝冠》――《五大》の一柱たるメトシェラは、そう感じていた。

 生まれながらの支配者。

 最も古き王たる彼女は、己の身の軽さを楽しむ。

 ついでに、ようやっと手中にした無二の宝の具合も。


『ふふ』


 自然と笑みがこぼれる。

 今のメトシェラ自身は、元々の形ではない。

 一人の男、偉大な戦士の身を包む竜鱗の装甲。

 メトシェラの本質と意識は、そちらの方に宿っている。

 戦士が纏う武具ならば、道具として扱われるべきはメトシェラの方だ。

 しかし現在、主従の関係は逆転していた。

 支配権を握っているのはメトシェラ。

 偉大な戦士、大真竜ウラノスは最早傀儡に過ぎない。

 無敵を誇った鋼の肉体も、無双と称えられた極限の武技も。

 その全てが、《支配》の女の玩具と成り果てていた。


『それで、鬼ごっこはいつまで続けるつもりですか?』

「追いつこうと思えば、すぐに追いつける癖に良く言うよ!!」


 まだ破壊されていない森の木々。

 それらを縫うようにして走る、幾つかの影。

 その一つ、外套を羽織った半森人の娘が声を上げた。

 ドロシアだ。

 彼女は疾風の如く駆けながら、右手に持った愛用の剣を揺らす。

 瞬間、虚空に無数の白線が煌めいた。

 一振りで、全く同時に幾つもの斬撃を放つドロシアの「技」だ。

 剣魔たる彼女のみが扱う絶技。

 これまで、その太刀は何人もの強者を切り刻んできた。


『ええ。こちらとしても、まだ「彼」の動きに慣れてないので。

 丁度良い運動に付き合って貰えて、感謝しているぐらいですよ』


 メトシェラは笑う。

 嘲りも同然の言葉と共に、ウラノスの鉄腕を操る。

 ドロシアの放った斬撃。

 それを腕で軽く払っただけで、ことごとく弾き返してしまった。

 当然、装甲の表面にすら傷一つ見当たらない。

 あまりにも隔絶した戦力差。

 わざと見せびらかすような行為に、ドロシアは忌々しげに舌打ちを漏らす。


「いやぁ、余裕綽々でムカつくな!

 そのパワー、大体は《主星》由来のモノだろ?

 操ってる方が自慢するのは筋違いだと思うんだよね!」

『仰る通り。ですが今、「彼」を支配しているのは私ですから』


 何処か戯けたような、わざとらしい言葉。

 そんなドロシアに、メトシェラも笑みを含んだ声で応える。


『そう、《鋼の男》は、この至高の戦士は私のモノ。

 どれだけ隙を窺い、足掻こうと考えても無駄なことです。

 私の愛は、支配の鎖は、決して「彼」を逃したりはしない』

「っ……下衆が……!」


 震える声で、甲冑姿の騎士が唸る。

 大真竜ウラノスに仕える、四人の《魔星》。

 その筆頭であるゴーヴァンは、己の無力さに奥歯を噛み締めた。

 メトシェラの言う通り。

 義理の娘に救われた彼は、逃げを打ちながら可能性を探っていた。

 《支配の宝冠》に囚われてしまった《主星》。

 彼を虜囚の身から解き放つ方法を。

 あのような女に弄ばれたままなど、到底認められない。

 しかし。



 淡々とした言葉だった。

 ドロシアのように、相手の反応を窺うわざとらしさも。

 ゴーヴァンのように、強い感情も込められていない。

 ただ、事実を事実として語っている。

 そんな冷たさのみを含んだ声で、ウィリアムは呟いた。


「お前が手繰る支配の鎖は強固だ、メトシェラ。

 それを外から解き、その男を解放する。

 凡そ不可能な所業である事は――まぁ、分かりきった話だな」

「っ……貴様、何を……!」

「落ち着いてよ、ゴーヴァン。

 そいつの言動にいちいち腹を立てていたら身が持たないよ」


 諦めに近い発言に、ゴーヴァンは反射的に声を荒げてしまう。

 傍らのドロシアがすぐ諌めるが、納得はしていない様子だった。

 ――無理もない。

 無駄な足掻きと知りながらも、諦めきれないのが人の性だ。

 メトシェラは三人を追跡しながら、その様子を観察する。

 ドロシアが言った通り、追いつこうと思えば即座に追いつける。

 しかし、《支配の宝冠》はそれをしない。

 ウラノスの身体を動かすのに、慣れておきたいというのも本音ではある。

 だがそれ以上に、彼女は「竜」だ。

 遊び甲斐のありそうな獲物を、自由に弄ぶことができる。

 その娯楽を、メトシェラは存分に楽しんでいる最中なのだ。


『なかなか面白い人のようですね、貴方は』

「光栄だな」


 ドロシアも、ゴーヴァンも。

 《支配の宝冠》から見れば、出来の良い玩具に過ぎない。

 どれほどの武勇を持っていようが、ウラノスと比較すれば戯れだ。

 故に、その男の存在だけは少しばかり気になった。

 弓を手に走る、森人の男。

 ドロシアやゴーヴァンの剣は、メトシェラには届いていない。

 だがウィリアムの放った矢だけは、ほんの僅かだが竜の装甲に傷を入れた。

 ――警戒するほどでは無いでしょうが。

 この男だけは、他とは少し異なる。

 ウィリアムに対して、メトシェラはそんな認識を抱いていた。


『しかし、そうなると少々解せませんね』

「何がだ」

『貴方は、私からウラノスを解放するのは不可能だと理解している。

 であれば何故、この状況に陥る事を選んだのか。

 あの時点で逃げていれば、私もこうして追いかける事はしなかったでしょう。

 ――あぁ、それとも囮のつもりで?

 今は姿が見えないけど、懐かしい気配を幾つか感じてはいましたよ』


 古き竜の気配。

 ウラノスを支配した歓喜が思考を占めていたせいで、正確には把握していない。

 ただ近くに、かつての兄弟姉妹がいる事だけは分かっていた。

 特に、最も古い白子の長姉。

 彼女に手を出せば、間違いなく《最強最古》の怒りを買うことになる。

 だから何をするにしても、あの長姉は巻き込まぬよう配慮するつもりだったが。


『まぁ、おかげで助かりました。

 正直に言って、はしゃぎ過ぎて加減を忘れる可能性もあったので。

 そちらが囮役として逃して貰えているなら……』

「勘違いがあるようだな、《支配の宝冠》」


 冷たい空気を、一本の矢が切り裂く。

 急所を狙った鋭い射撃。

 しかし、その程度では牽制の役にも立たない。

 メトシェラはあっさりと、その矢を片手で払い落とす。

 速度は緩めず、ウィリアムは後ろ向きに走りながら器用に弓を構えていた。

 振り向く形になった事で、その表情が良く見える。

 不敵な、思考の底が読めない不気味な笑み。

 何故この男は、この状況でそんな風に笑えるのか。


「俺たちは別に、囮のつもりでお前から逃げ回っているワケではない」

『ならば、何故?』

「分からんのか? 竜に挑む理由など、一つだけだろう」


 ウィリアムは笑う。

 笑って、躊躇わずに宣言する。


、メトシェラ。

 ようやく目当ての男をモノにしたばかりで悪いがな。

 これ以上、好き勝手されても面倒なんだ。

 ここで大人しく死んでくれ」

『――――』


 言っている意味が理解できない。

 メトシェラは、ついつい言葉を失ってしまった。

 あぁ、本当に何を言っているんだ?

 思考に生まれた空白を、馬鹿馬鹿しい疑問が埋め尽くす。

 ――討ち取る? 誰を?

 この、《支配の宝冠》である私を?

 私のモノとなった、この偉大な戦士を相手に?

 この森人は、勝てる気でいるのか?

 空白の後にこみ上げてくるモノ。

 メトシェラは、それに抗うことはしなかった。


『――ハッ、ハハハハハハハハハハハハハハハ』


 声を上げて笑う事など、いつぶりだろう。

 支配者とは、常に余裕を持って微笑むものだ。

 故にメトシェラにとって、笑みとは仮面の一種に過ぎない。

 けれど、今。

 《五大》の一柱である支配の女は、初めて腹の底から笑っていた。


「そんなに面白かったか?」

『ええ、とても愉快な気分ですよ。

 貴方は本当に、面白いことを言いますね。

 生まれて初めて、ジョークに本気で笑ってしまいましたよ』

「そうか」


 それは何よりだと。

 感情を見せず、ウィリアムは笑っている。

 当然、先の言葉はジョークのつもりなど微塵もない。

 そんな事はわざわざ口にするまでもないだろう。

 言っている間も、ウィリアムは牽制を狙っての射撃を続けている。

 ドロシア、それにゴーヴァンも。

 広大な森を走りながら、それぞれ手にした剣を振るう。

 網目の如く広がる無数の斬撃。

 青い炎を帯びた大剣の一刀。

 どれもこれも、普通に考えれば必殺の攻撃だ。


『――ええ、本当に。

 この程度の力で、何をどうすると?』


 それを、嘲りと共に踏みにじる。

 苛烈な鍛錬と、過酷な死線の果てに完成した武勇。

 その全てが、支配された男の前に脆くも砕かれていく。

 嗚呼、英雄たちの奮戦のなんと儚い事か。

 《支配の宝冠》たるメトシェラは、陶然とその快楽に耽る。

 これが支配だ。

 強者の傲慢の報いを、弱者が理不尽に受けるという構図。

 遥か昔から繰り返されてきたこの世の原理。

 メトシェラは、ただそれを忠実に実行するだけ。

 その上で、女は手にしたモノを胸に抱く。

 ひと目見た時から執着した、世界に二つとない宝石。

 鍛え抜かれた鋼の魂。

 これを愛と名付けた支配の鎖で捕らえながら、メトシェラは微笑む。

 楽しい。心底愉快で堪らない。

 欲しいモノを手に入れて、千年ぶりの自由を謳歌して。

 数千年を超える時の果てに、支配の竜は我が世の春を迎えていた。


「っ……どうする、勝算はあるのか……!?」

「無ければ挑まないのか?」

「ちょっと前も同じようなこと言ってたな、この糞エルフ」


 焦るゴーヴァンに、ウィリアムは淡々と応じる。

 苦笑いをこぼすドロシアも、養父の気持ち自体は理解できた。

 絶望的――なんて言葉では、到底足りないほどに絶望的な状況だ。

 ウラノスを支配するメトシェラ。

 序列三位の大真竜が有する全戦力。

 到底、勝ち目など見いだせるものではない。

 ウィリアムも理解している。

 今ある戦力だけでは、まともにぶつかっても玉砕するだけだと。


「――あぁ。

 当然、分かっているとも」


 笑う。

 その笑みは、自分の勝利を確信している笑みだ。

 支配者の笑い方だった。


「支配の女。俺たちだけでは、お前には勝てない。

 そう、

『? 何を――――ッ!?』


 唐突に襲う、意識外からの衝撃。

 予想すらしていなかった事態に、メトシェラは初めて動揺する。

 何が起こったのか。

 最強の戦士であるウラノスの知覚でも、直前まで気が付かなかった。

 態勢を崩し、メトシェラは不本意ながら足を止める。

 その眼前へと、細い影が降り立った。


「失礼、お待たせしてしまったかな?」

「いいや、問題ない。どうせ相手は遊んでいたからな」


 メトシェラにとっては初見の相手だった。

 しかし、知った仲であるウィリアムは浮かべた笑みを深める。


『……いきなり、随分な挨拶をしてくれるね。

 貴女は?』

「人に名を尋ねるのなら、先ずはそちらから名乗るべきじゃないか」


 皮肉を込めた言葉。

 支配された大真竜の前に立って、その娘は笑う。

 身体に纏うのは、人ならざる神気。


「それと挨拶無しの不意打ちぐらい、まさか卑怯とは言わないだろう?」


 挑発するような笑みと共に、テレサは堂々と言ってのけた。

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