99話:分断
悩む必要なんて無い。
互いの視線がかち合った瞬間には、私は魔法を編み上げていた。
人間ならば詠唱や《力ある言葉》を口にする必要があるでしょうけど。
大抵の魔法を、私は「思い描く」だけで発動できる。
爆発。閉所だから他を巻き込まないよう、威力と指向性は調整する。
赤毛の女――推定フラワーチャイルドさん。
ソイツが立っている場所を基点に紅蓮の花が咲く。
炎と爆圧は限定された範囲に徹底した破壊をもたらした。
これだけで倒せるとは思ってないけど……。
「――■■■■」
雑音で酷く擦れた女の声。
それは直ぐ目の前から聞こえた。
炎に呑まれたはずの怪異の女が、私の前に立っている。
空間を転移した感覚もなかった。
まったく突然に、ソイツは其処に現れたとしか認識できない。
「■■■■」
「……? 何を――」
怪異の女がまた不明な言葉を呟く。
声のはずなのに、無数の蟲の羽音のようにしか聞こえない。
それが何なのか分からないまま――。
「アウローラから離れて……!」
最初に動いたのはマレウス。
彼女は私の手を引きながら、自らの周囲に水の塊を生み出す。
其処から圧縮した水弾を何発も怪異に向けて撃ち込んだ。
怪異は避ける素振りすら見せない。
当然、水弾は女の身体を貫く――いや、すり抜ける。
濁った瞳は、今度はマレウスを見た。
「さて、これは思った以上に厄介かもね」
「くそっ、何だコイツ……!」
イーリスは《金剛鬼》を盾にしながら、その場から離れるよう動く。
テレサの方は妹を庇う位置に立った上で、怪異に仕掛ける機会を狙っている。
ただこの様子だと、怪異に攻撃しても余り意味はないわね。
私やマレウスの攻撃は、どちらも効果は無かった。
逆に。
「痛っ……!」
怪異の方は、当然のように此方を害せる。
マレウスに向けられた視線を遮る形で伸ばした右腕。
それが今、何か見えない力で締め付けられる。
骨がギシギシと軋む音が聞こえてくる。
これは圧し折られそうね。
そう覚悟を決めた――直後。
「“去れ、疾く、疾く。痩せ犬は餓えたままに荒野を彷徨え”。
――《
短い詠唱の後、ホーエンハイムが《力ある言葉》を口にした。
私の眼の前にいた怪異、フラワーチャイルドさん。
その姿がブレたかと思うと、いきなり泡のように弾けて消える。
同時に、私の腕に掛かっていた力も無くなった。
それを確認してから、ホーエンハイムはそっと息を吐く。
「すまない、式の構築に手間取った」
「それは構わないけど、今のは?」
「フラワーチャイルドさんは物理的な実体を持たない。
今のような霊体に干渉する術式のみ、多少効果がある」
「成る程? 出来れば先に教えて欲しかったけど」
「悪いと思うが、そういうルールだ」
やっぱり良く分からない事をホーエンハイムは口にする。
ともあれ、今は近くにフラワーチャイルドさんの気配も無い。
先程ホーエンハイムが使った術式。
アレは実体を持たない
フラワーチャイルドさんには「多少の効果がある」らしいけど。
「アウローラ、大丈夫!?」
「あぁ、このぐらいなら平気よ。大げさね」
何かの力で捻られて、右腕には赤い痕が残っている。
それをマレウスは泣きそうな顔で見ていた。
不死の竜からすれば、このぐらいは怪我の内にも入らない。
そんな事は言わずとも分かるでしょうに。
「……まずは此処から出るべきだ。
閉所で相手をするのは不都合が多い」
「それは良いけど、何とかするアテはあるのかよ」
「この怪異の本質は『儀式』だ。
始める手順があるように、終わらせる手順が存在する。
それを実行しない限り、フラワーチャイルドさんは消えない」
「だからそれ最初に説明しろよ……!」
イーリスの抗議にホーエンハイムは眉一つ動かさない。
まぁそんな事を言っても始まらないわね。
彼の言葉が真実なら、フラワーチャイルドさんは単純に戦って倒せる相手じゃない。
今は協力者を信じるとしましょうか。
「テレサ、悪いけどマレウスを気に掛けておいて。
私は対処に集中したいから」
「承知しました、我が主」
私の言葉にテレサは一礼で応える。
マレウスは何か言いたげのようだけど、今は気にしないでおく。
それよりもフラワーチャイルドさんね。
「移動しながらで良いから、質問に答えて」
「此方に答えられる事なら」
ホーエンハイムに言いながら、私は最初にトイレの外に出る。
次にホーエンハイム、テレサが殿でイーリスとマレウスも続く。
明かりのない通路。
見た目は少し前と変わらないけど、漂う瘴気は怪異由来か。
此処はもう異界の真っ只中ね。
一応、さっきから《転移》を使おうとしてるけど上手く行かない。
《転移》系の術だけ特別に阻害されているのかしら。
何にせよ、通常の方法では出られないわけね。
「確か《寓話結界》とか言ってたわよね。
それを詳細に説明する事は?」
「難しい。答えられる事なら答えよう」
「それで良いわ。此処から脱出する方法は?」
「怪異であるフラワーチャイルドさんを停止させるしかない」
予想通りの答え。
そう話している間に、再び視線を感じる。
通路の進行方向に佇む影。
それは赤毛の女、フラワーチャイルドさんだった。
相変わらず私を凝視しているようだけど。
「何で私を見てるのかしらね、アレ」
「生贄と定めたのだろう」
「生贄? どういう事?」
それを聞いたマレウスが、やや険しい表情で聞き返す。
ホーエンハイムはあくまで平静な様子で。
「言葉通りです。
フラワーチャイルドさんは『対価に応じて願いを叶える怪異』。
願いを叶えたい者がいるからこの怪異は呼び出される。
逆説的に、フラワーチャイルドさんは呼び出されたなら必ず対価を取り立てる。
願いの有無など関係無いし、呼び出された瞬間から取り立ては始まる。
そして対価とは、呼び出しの儀式に居合わせた誰かの命です」
「無茶苦茶なようで意外と機械的ね」
この場合、標的の「誰か」の決定は恐らくランダム。
それこそたまたま目が合ったから選ばれた可能性もあるわね。
――上等じゃない。
誰に喧嘩を売ったのか、思い知らせてあげなくちゃ。
「少し教育の必要があるわね」
さっきは初見かつ不意打ちだったから、ちょっとだけ対応を間違えただけ。
進路を塞ぐフラワーチャイルドさん。
その目が赤く燃えて、強い魔力が噴き出す。
マレウスを狙い、私の腕を折ろうとした不詳の攻撃。
今度は明確に私の方を狙っている。
目標は恐らく首の辺り。
「何か」が身体の内側に入り込んでくる感覚。
そのまま怪異は、首の骨を砕き折ろうと負荷をかけて来て――。
「馬鹿ね」
私は軽く鼻で笑った。
まさかこんなモノが、二度も私に通じるとでも?
フラワーチャイルドさんが仕掛けて来たのは魔法ではない。
ただ魔力を相手に放って操作する《
恐らくは視線に乗せて力を飛ばし、獲物に強烈な負荷をかけて破壊する。
ネタとしてはそんな処でしょうね。
性質さえ分かれば対処方法なんて幾らでもある。
例えば今、私がやったみたいに。
「一体、どうやって……?」
「単なる力技よ。
《念動力》で負荷をかけてくるのなら、それ以上の《念動力》で抑えてしまえばいい。
これ以上なく簡単な理屈でしょう?」
術式なら解呪すれば良いだけだから、もっと簡単だったんだけどね。
何故か絶句したホーエンハイムは放っておくとして。
私は改めてフラワーチャイルドさんを見た。
力で敵わないと示してもその敵意は衰えていない。
……いえ、これは本当に敵意なの?
ふとそんな疑問が頭を過ぎる。
何故そう感じたのかすら良く分からないけど。
「とりあえず、邪魔だからどいて頂戴」
《念動力》は抑え込んだまま別の術式を組み上げる。
ホーエンハイムが使ったのと同じ、霊体を物質世界から排除する魔法。
それを使えば、フラワーチャイルドさんの姿は再度掻き消えた。
辺りに漂う瘴気も僅かに薄らいだ気がする。
「マジで一方的だなぁ……」
「お見事です、主」
「ええ、本当に流石よね」
「ま、このぐらいわね。あぁ褒め称えるなら幾らでもどうぞ?」
姉妹の畏怖と賞賛はなかなかに心地が良いし、マレウスも安堵した様子で笑う。
ホーエンハイムだけは相変わらず絶句しているようだけど。
「そっちの貴方は、いつまでも間抜け面晒してるんじゃ困るんだけど?」
「……失礼。フラワーチャイルドさんは強力な攻性霊体だ。
それをこうも容易く撃退した事に、少なからず驚いただけだ」
「この程度、何てことはないわよ。
それにあの幽霊モドキはまだいるんでしょう?」
「あぁ、先程言った通りだ。
フラワーチャイルドさんを停止させる為には手順がある。
それはこの校舎の何処かにある、彼女を模した人形を見つけ出す事だ」
「人形?」
突然出て来た人形という単語を、私は思わず繰り返す。
ホーエンハイムは迷い無く頷いて。
「そうだ。物は子供が使うような少し大きめな人形だ。
それを見つけ出す事が出来れば怪異は停止する。
だが、場所は『本校舎の何処か』以外は不明だ」
「それだと範囲がかなり広いな。他に方法は無いのか?」
「無い」
テレサの問いに、ホーエンハイムは短く断言する。
「《寓話結界》の内には定められた
望んで中に入った以上、その秩序には従う必要がある」
「……手順通りにしなければ、フラワーチャイルドさんは消えない。
それがこの場所のルールなのね?」
「……そういう事です、マレウス副学長」
マレウスの時だけは、ホーエンハイムは微妙に歯切れが悪い。
どうにもあの態度が気になるし、一度頭の中をほじくるべきかしら。
そんな此方の考えなど気付かず、眼鏡の青年はまた私の方を見る。
「霊体排除の魔法でも、フラワーチャイルドさんには時間稼ぎが精々だ。
急いで彼女の人形を探す必要がある」
「っても、幾ら何でも広すぎなんじゃ……」
「別にそのぐらいは問題ないわ」
的外れなイーリスの危惧。
それを軽く笑ってから、私は新たな術式を発動させる。
なんて事はない、ただのモノ探しの魔法だけど。
この校舎ぐらいの範囲なら、一度の行使で十分カバー出来る。
「……見つけた」
「! 何処にあるの?」
「かなり上の方ね。《転移》が使えれば面倒もなかったけど」
確認してくるマレウスに私は軽く肩を竦める。
一足飛びに行けない以上、階段なりを地道に上がるしかない。
私達はすぐさま目的の階へと向かう事にした。
面倒ではあるけど、案内の為に私が先頭を走る。
ホーエンハイムを含めた全員がその後に続いていく。
まだフラワーチャイルドさんの気配は現れない。
「ビビって諦めてくれたとか無いかなぁ……」
「希望的観測が過ぎるな。機を伺っていると見るべきだろう」
「だよなぁ……」
後方で言葉を交わす姉妹。
私に怖れをなして出てこない可能性は十分あると思うけどね。
実際のところは不明だし、出てこないなら気にする必要もない。
私は無駄に長い階段を上る。
それから、壁に大きな鏡が飾られた踊り場を通り過ぎて――。
「……!?」
強烈な悪寒が背中に突き刺さる。
一体何が――私は階段の途中で足を止めて振り返った。
其処にいたのは驚いた顔をしているホーエンハイム……だけ。
その後に続いていたはずの顔ぶれが、何処にもいない。
私と眼鏡男以外、その場にあるのは鏡だけ。
踊り場の真ん中に佇む、古ぼけた一枚の大鏡。
私が踊り場を通過した時点では、確実に存在しなかった。
それは壁に飾られている鏡と丁度向かい合う形で立っている。
鏡面に写り込むのは無限に続く銀世界。
「『合わせ鏡の怪』だと……!?
馬鹿な、《寓話世界》に二つの怪異が同時に存在するなど……!」
焦るホーエンハイム。
その言葉から、
けど、私にはそれ自体はどうでもいい。
ただ無遠慮に所有物を好きにされるのは気に入らない。
「何処の誰だか知らないけれど、離しなさい」
踊り場の鏡に手を翳し、その声を《力ある言葉》として術式を発動する。
力場の檻が鏡を囲み――けれど、鏡自体が幻のように薄れる。
古びた鏡は煙の如く消失し、後には壁に掛けられた方の鏡だけが残る。
急いで其方に近付くけど、もう魔力の反応一つ感じられない。
「今のは?」
「《七不思議》の一つ、『合わせ鏡の怪』だ。
しかし、此処はフラワーチャイルドさんの《寓話結界》の内側だ。
別の《七不思議》が入り込むはずが……」
「そういうのは良いから。
つまり予定外の事態で、対処法は分からないと?」
「すまない、そういう事になる」
「そう」
……冷静に考えれば。
消えた三人の内、マレウスとテレサは余程大丈夫でしょう。
イーリスが多少心配だけれど、あの子も大概しぶといし。
だから今、私が焦る必要は無い。
ホーエンハイムの言う通りなら、あの子達が捕まったのは『合わせ鏡の怪』。
この階段の鏡が原因の一つと見て間違いないはず。
出来ればじっくり調べたいところだけど……。
「……当然、この状況で黙って見ているワケが無いわよね」
三度、感じる視線。
いつの間に其処に現れたのか。
赤毛の女――フラワーチャイルドさんは、階段の上から私達を見下ろしていた。
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