第四章:怪異と踊る夜

98話:トイレのフラワーチャイルドさん

 

「……当たり前だけど、全然人の気配無いのな」

「今日の訓練課程は全て終了してるからね。

 基本、時間外の教育棟への生徒の立ち入りは許可制だから」

 

 警戒心強めに通路を進むイーリスと、その傍らを歩くマレウス。

 私は姉のテレサと二人、並ぶ形でその後ろを付いて行く。

 普段の《学園》生活では「物騒だから」としまっておかれた機械人形。

 イーリスの《金剛鬼》はその目を光らせて暗闇を照らし出す。

 竜である私やマレウスを含めて、夜目が利かないのはいないはずだけど。

 

「一応、念の為な。念の為」

「完全に暗いのは不安だと、素直に言っても良いんだぞ?」

「うっせーよ姉さん」

 

 冗談交じりのテレサの言葉にイーリスは軽く毒吐く。

 何とも和やかな空気で、少し拍子抜けしてしまいそうね。

 小さなため息を意識せずに漏らして、私は頭の中で情報を整理する。

 基本はイーリスが《奇跡》を使って調べたモノで精度は不明。

 大半が「噂話」の域を出ない以上、仕方のない事かしら。

 曰く、本校舎内にある教育棟のトイレを住処にしている怪異。

 それが「フラワーチャイルドさん」であるらしい。

 

「何と言うか、ふざけた名前よね。

 まさかとは思うけど、これも『学園長』とやらが付けたの?」

「流石に其処までは分からんよ」

 

 まぁそうでしょうね。

 イーリスの答えに頷いて、改めて「フラワーチャイルドさん」について考える。

 何でもソイツは「呼び出す手順」が存在するとか。

 だから普通に縄張りに近付いても恐らく遭遇する事は無いらしい。

 そしてその手順に従う事で「フラワーチャイルドさん」は召喚される。

 「フラワーチャイルドさん」は呼び出した者の願いを叶えると言われているけど……。

 

「その代わりに対価を要求される。

 それは大抵の場合は命とかそれに準ずるモノ。

 結果的に召喚主は『フラワーチャイルドさん』に殺される、ね」

「その辺、アウローラはどう思うよ」

「どうもこうも、良くある話じゃないの?」

 

 人を呪わば穴二つ、というのは人間のことわざだったかしら。

 それとはまた方向性は違うけれど、結局は似たようなものだ。

 身の程を過ぎた事をしようとすれば、その反動は本人へと返ってくる。

 何事にも代償は必要だという当たり前の話に過ぎない。

 過去にどれだけ馬鹿な真似をした人間がいるかは知らないけれど。

 「何でも願いを叶えてくれる」なんて聞けば、馬鹿な事を考える者も出てくる。

 いつの時代もそういう輩は変わらずいるものだわ。

 

「なーんか悪いこと考えてる顔だよな」

「イーリス」

「別に良いわよ、間違いでも無いし」

 

 此方の顔を少しジト目を向けてくるイーリス。

 テレサは妹を諫めるけれど、そのぐらいで怒る程に不寛容でも無いわ。

 まぁ度が過ぎればお仕置きも考えるけど。

 そしてそんな私を、何故かマレウスは微笑ましそうに眺めている。

 

「……貴女まで何?」

「ううん、何でも無いわ」

「どうだかね」

 

 やはり楽しげに笑うマレウスに、私はため息一つ。

 《七不思議》とかいう未知の怪異を調べに行くのに、空気は随分弛緩していた。

 別に緊張感を求めているわけじゃないけれど、もう少し何か無いかしら。

 

「……ん?」

 

 と、先を歩いていたイーリスが足を止める。

 同時に軽い金属音を立てながら《金剛鬼》が前に立つ。

 ほんの僅かに空気が張り詰めるのを感じる。

 私にとっては大した脅威でもなさそうだけどね。

 一応は年長者らしさぐらいは見せておくべきでしょう。

 

「誰かしらね、こんな夜中に」

 

 警告の意味を込めて、私は暗い通路の向こう側へと声を掛ける。

 明かりは無くとも、其処に誰かが立っているのを私の眼は捉えていた。

 見たところ、それは制服姿の背の高い男のようだった。

 男――人間として考えても歳はかなり若く見える。

 多分、二十歳には届いてない程度。

 くすんだ金髪を紐で纏めて、仏頂面を眼鏡で隠した青年。

 彼は私の声に応じる形で前へと踏み出す。

 

「……《黄金夜会》会計、ホーエンハイムだ。

 マレウス副学長もいる辺り、あなた方が会長の言っていた新入生か」

 

 そう語る声には、苦労とかその手の感情が強く滲んでいる。

 外見とは違って老成した男の声のよう。

 その渋面を見たマレウスは、複雑そうな笑みを見せた。

 

「ホーエンハイム、貴方だったのね」

「……ええ、不本意ではありますが。イヴリス会長の命令とあらば是非も無い」

「ありがとう。貴方が味方なら心強い……」

「あくまで一時的な協力。味方と呼ぶには語弊がある」

 

 硬く尖った言葉。

 込められているのは拒絶――と、思うのだけど。

 マレウスはただ悲しげな顔をして。

 ホーエンハイムはほんの一瞬だけ、痛みを堪える顔をした。

 

「とりあえず、喧嘩売りに来たってわけじゃねェんだよな?

 だったら素直にそう言ってくれよ」

 

 空気を読まず――いえ、読んだからこそかしらね。

 イーリスは《金剛鬼》共々マレウスの前に一歩踏み出す。

 その気ならいつでも交戦する事だって出来ると、暗に示す形。

 それを見たホーエンハイムは眉間にキツく皺を寄せて。

 

「……一時的とはいえ、協力関係なのは間違いない。

 あなた方と今戦うつもりはない。

 先ずは《七不思議》の対処を優先したい」

「此方も同意見だ。賢明なようで助かる」

 

 そう言ったのはテレサだった。

 彼女も彼女でそれとなく構えていたけど。

 ホーエンハイムが妙な動きを見せたら、その瞬間に対応したでしょう。

 

「立ち話はもう終わりで良いかしら?

 無駄に時間も取りたくないからさっさと動きたいのだけど」

「アウローラ……」

 

 私の言葉に苦笑いをこぼすマレウス。

 別に間違った事は言ってないでしょう?

 向こう――ホーエンハイムも、それに関しては同意見のようで。

 

「あぁ、対処は早ければ早いほど良い。

 怪異……『フラワーチャイルドさん』の発生点の座標については?」

「もう調べてあるな。まぁ正解かは分からねェけど」

「正しい位置座標は私が知っている。異論が無ければ着いて来てくれ」

 

 半ば一方的に言うと、ホーエンハイムは私達に背を向ける。

 まぁ、これは判断を迷う必要も無いわね。

 

「じゃ、お言葉に甘える事にしましょうか」

 

 メンバーを一人増やして、私達は再び夜の校舎を進む。

 当然と言うべきか、ホーエンハイムは何も語ろうとはしない。

 むしろ背中に拒絶の意思を見せ、無言のままハイペースに歩き続ける。

 ……さて、これは単なる新参者への敵意かしらね?

 もう少し根深い感情にも思えるけど。

 

「あの坊やの事も知ってるの? マレウス」

「……ええ、そうね。彼も生徒の一人だから」

 

 私の問いに、マレウスは笑みも言葉も曖昧に応える。

 

「彼も、タイプとしてはオーガスタに近かったかな。

 夜会に入る前から真面目で頑固だったけど。

 今は以前よりもっと磨きが掛かってるみたいね」

「一応先生なんでしょう? 貴女。

 そんな弱気な態度だから舐められてるんじゃないの?」

「かもしれないわね……」

 

 特に声を抑えたりはせず、私はマレウスと言葉を交わす。

 当然ホーエンハイムの耳にも入っているでしょうけど、特に反応はない。

 どうにも面白くないわね。

 露骨につまらなそうな顔をしたら、マレウスはまた苦笑して。

 

「けど、良いの。

 昔と関係が変わったとしても、彼らがちゃんと立ってくれているなら。

 私はただ、それだけで……」

「……下らない話はその辺にして頂きたい、マレウス副学長」

 

 今まで黙っていたホーエンハイムがその言葉を遮った。

 努めて感情は抑えているようだけど、苛立ちめいたものは隠し切れていない。

 

「そんな事より、着きましたよ。

 此処が《七不思議》――『フラワーチャイルドさん』の発生点です」

 

 そう言ってホーエンハイムが立ち止まった場所。

 其処は事前に得ていた情報通り、教育棟の一角にある女性用トイレ。

 ……今さらと言えば今さらだけど。

 

「こんな場所に真面目な顔でゾロゾロ入るとか。

 何と言うか、ただの悪ふざけをしてる気分になってくるわね」

「言うなよ。オレもちょっと思ってたんだから」

 

 恐ろしい怪異を語るのなら、もう少し相応しい場に出来なかったのかしらね。

 言っても仕方ないのは分かってるけど。

 

「……貴方も入られるので?」

「当然だろうが」

 

 場所は女性用トイレ。

 つい確認してしまったテレサに、ホーエンハイムは微妙に苛立った様子で応える。

 気にする必要は無いんでしょうが、言われたら気になるでしょうね。

 ま、此方は関係ないからさっさと入りましょうか。

 

「その玩具、天井にぶつけないようにね?」

「分かってるよ。あと玩具言うなし」

 

 最初にイーリスの《金剛鬼》を中に向かわせ、様子を確かめる。

 サイズがサイズだから、頭を低くして慎重に。

 

「……特に変化無し。今のところただのトイレだな」

「そ。じゃあ私達も行きましょ」

「ええ。先ずは私から」

 

 《金剛鬼》に続いたのはテレサ。

 彼女の次に、何も言わずにホーエンハイムが入る。

 それからイーリスとマレウスで、最後に私。

 一応後ろから何か来る可能性を警戒したけど、静かなものね。

 

「さて――」

 

 到着した現場だけど……まぁ、ただのトイレね。

 かなり広く作ってある事以外は特別に言う事もない。

 並ぶ個室の扉は全て閉まっていて、夜中に見るには少々不気味なぐらいで。

 

「……奥から三番目だ」

 

 ぽつりと呟くように言うのはホーエンハイム。

 彼の視線は言葉通りの場所を見ていた。

 

「其処が『フラワーチャイルドさん』のいる個室だ。

 後は正しい手順を実行すれば呼び出せる」

「その手順とやらは『噂』通りのやり方で良いのか?」

「問題ない」

 

 確認するイーリスに、ホーエンハイムは短く応える。

 

「ちなみにどういう手順なの? 何か面倒な儀式だったりする?」

「いや、そういうんじゃねェな。

 ……これ誰がやるんだ? やっぱオレなの?」

「手伝う必要があるなら手伝うが」

 

 首を傾げるテレサに、イーリスは暫し悩んだようだけど。

 「いや、大丈夫」と軽く手を振った。

 それから少し黙って、何か口の中で小さく呟く。

 自分が引き出した情報を確認しているんでしょうね。

 

「……よし、大丈夫。多分大丈夫だ。

 で――オイ、ホーエンハイムだったよな」

「何だ」

「そっちはオレらより詳しいんだろ。

 注意事項とかねェのかよ」

「……手順が終われば、直ぐに怪異は現れる。

 気を抜くな。私とて、語れる事はそう多くない」

「なんだそりゃ」

 

 なんというか、助言と呼ぶにはイマイチ曖昧過ぎる内容ね。

 聞いたイーリスの方も困惑してるようだし。

 

「まぁいいや。始めるぞ?」

「ええ、お願いね」

「何が起こってもおかしくはないから。

 アウローラも警戒しておいて」

 

 マレウスの言葉に私は少し笑ってしまった。

 一体誰にモノを言ってるのかしらね、この子は。

 兎も角、やや硬い表情でイーリスは問題の個室へと近付く。

 扉の前に立つと、一度深呼吸をしてから。

 

「……フラワーチャイルドさん、お越しください」

 

 コン、と。

 やや棒読みで言いながら、扉を軽く叩く。

 

「フラワーチャイルドさん、願いを聞いてください」

 

 コンコン、と。

 今度は二回、扉を叩く。

 特に大きな変化は感じられない。

 

「フラワーチャイルドさん、どうかお願いします」

 

 コンコンコン、と。

 手順であろう言葉を口にしながら。

 イーリスが扉を三回叩いた――その瞬間。

 ドンッ!と。

 扉の内側から、「何か」が激しく叩き返して来た。

 いきなりの事に驚いた様子で、イーリスは思わず後ずさる。

 尻餅を突きそうなところを、傍に控えていたテレサが受け止めた。

 

「大丈夫か、イーリス」

「び、ビックリしたぁ……!」

 

 一応構えてはいたのでしょうけど、流石に今のは予想外だったみたい。

 若干涙目になって自分の胸辺りを抑えるイーリス。

 そんな事をしている間にも、個室の扉はゆっくりと開く。

 軽く軋みを上げて、ひとりでに。

 其処には……何もない。

 普通のトイレが狭い空間にポツンと存在しているだけ。

 では何が、この扉を内側から叩いたのか?

 

「マレウス」

「ええ、分かってる」

 

 姉妹の方はまだ気付いていない。

 ホーエンハイムは恐らく知っていたんでしょうね。

 イーリスが手順を行う前とは、明らかに場の空気が変わっていた。

 

「《寓話結界》だ。直ぐ近くにいる」

 

 聞き慣れない単語を口にしながら、ホーエンハイムは周囲に視線を巡らせる。

 その警告を受け取ったテレサとイーリスも同様に動く。

 マレウスを少し後ろに下がらせながら、私も気配を探る。

 周囲に見た目上の変化はない。

 けれど漂う瘴気は世界が「塗り替わった」事を物語っていた。

 そして――。

 

「――――」

 

 いつの間に其処にいたのか。

 トイレの入り口に佇む不気味な女。

 背は小柄なようだけど、少女と呼べる雰囲気ではなかった。

 ボサボサの赤い髪に、薄汚れた白いドレス。

 そして垂れた髪の間から覗く焦点定かならぬ暗い瞳は。

 何故か真っ直ぐに、私の事を見ていた。

 

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