幕間3:永遠の螺旋階段

 

 その場所が何の為に造られているのか。

 部外者に過ぎない「彼」には何も分からない。

 ただ一つの目的の為に、延々と続く階段を下り続ける。

 そう、其処は「階段」だ。

 広く頑丈で、そして異様に長い螺旋階段。

 ロクに明かりも無い暗闇の中を、只管に下りて行く。

 

「……この《七不思議》は何て名前だったか?」

 

 階段を下りているのは二人。

 一人は甲冑に身を包んだ男――レックスだ。

 既に抜き放った《一つの剣》を片手に先を進む。

 そしてもう一人は――。

 

「『魔の十三階段』ですよ。見ての通りでしょう?」

「十三どころじゃなくない??」

 

 黒いドレスを身に纏った蒼白の少女、《黄金夜会》のイヴリス。

 彼女は心底楽しそうに微笑みながらレックスの後に続く。

 この階段――『魔の十三階段』を下りてから、どれだけの時間が経ったか。

 既に何日も経過したような気がするし、まだ下りて間もない気もする。

 二人は自分の時間感覚が狂っている事は自覚していた。

 なのでその辺りは気にする事無く、目の前の単純作業に専念する。

 即ち、この階段の「底」を目指す事だ。

 

「ちなみに、下りた段数は数えていますか?」

「いや、最初はちょっと頑張ったんだが無理だった」

「そうでしょうね。

 私もカウントはしていましたが、今は正確な数字を認識できていません。

 『』ちゃんと数えられていたんですけどね」

 

 それが「魔の十三階段」だ。

 この怪異の厄介な処は「十三段以上ある階段なら何処でも発現し得る」事。

 時間さえ合っていれば《学園》内に存在するどの階段でも怪異が起こる。

 故に《七不思議》の起動が確認された時点で最優先に対処しなければならない。

 でなければ生徒の中から無数の行方不明者が出る事になる。

 本来なら会長であるイヴリス含めた夜会メンバー全員で動く案件だが――。

 

「改めて感謝を。正直、付き合って貰えるとは思っていませんでした」

「まぁ断る理由も無いしな」

 

 今この場にいるのは、イヴリスとレックスの二人だけ。

 怪異の実態を把握しているイヴリスの方が、レックスを誘った形だ。

 そうして現在。

 永遠に続く螺旋階段を、鎧の男と蒼白の少女は下り続ける。

 

「何処まで把握していらっしゃいますか?」

「いや、全然。何かおかしいなと思ってるけどな」

「勘は宜しいんですね?」

 

 レックスの言葉に、イヴリスは童女のように笑う。

 階段の「底」は未だ見えず、時間は停滞したように進む事は無い。

 此処は現実世界とは隔絶した《寓話結界》の内側。

 迷い込んでしまった者はその中の秩序ルールに従わなければならない。

 だからイヴリスはこの場所にレックスを連れ込んだ。

 何故ならこの場所は――。

 

「で、結局何をして欲しいんだ?」

「《七不思議》の対処。これについては変わりません。

 活性化した怪異を停止させる事で『進行』は抑える事が出来る。

 けれど『七番目』の顕現は最終的には必ず起こります」

「ソイツをどうにかしなきゃならない、と」

「ええ。以前は『犠牲者が出る』と穏当な表現をしましたが。

 最悪の場合、《学園》そのものが壊滅する可能性もあり得ます」

「無茶苦茶だなオイ」

「ですから、我々《黄金夜会》はその対応に全力を尽くしています」

 

 終わりなき階段を下りている間。

 誰も聞く事のない会話を二人は続ける。

 レックスは幾つかの事実を確認し、イヴリスはそれに応える。

 誰も聞く事のない会話は、誰にも知られる事無く終わる。

 階段の「底」はまだ見えない。

 

「……成る程。大体、何となく、多分分かった気がする」

「そういうのはもっと自信を持って言って欲しいですね?」

「悪いな、あんまり頭は良くないんだ」

「さて、私はそうは思いませんけど」

 

 イヴリスはやはり幼い少女のように笑った。

 レックスは後ろを見ず、ただ前だけを見て階段を下り続ける。

 まるで永遠に底には辿り着けないような錯覚を覚える。

 

「これは興味本位で聞くんだけど」

「ええ、何でしょう?」

「どのぐらい続けてるんだ?」

「さて、数える意味もありませんから」

 

 それはこの階段のような話だ。

 十三を数えたら、後はもう永遠に同じモノが続く。

 数える意味は何処にも無い。

 そんな空虚な話を、イヴリスは楽しそうに語る。

 

「全て『学園長』が始めた事です。

 私は――『私達』はそれに付き合う事を選んだだけ」

「成る程なぁ」

「……此処だけの話、私は貴方達に感謝しているんですよ?

 今回のような例外イレギュラーはそうありませんから。

 『学園長』も、色々と期待しているんでしょう」

 

 一体何に対しての期待なのかは、イヴリスは口にしなかった。

 言葉にしたところで意味はないからだ。

 レックスの方も敢えて問う事はしなかった。

 全て、この永遠に続く階段のような話に過ぎない。

 だからイヴリスは、いつもの如くに笑うだけ。

 

「ま、こっちはこっちのやる事をやるだけだしな」

「ええ。お互い、目的が一致する間は協力するだけ。

 後腐れの無い関係は素晴らしいと思いませんか?」

「それが一番楽ではあるな」

 

 結局のところ、敵とか味方とかは立場の違いに過ぎない。

 都合が良ければ力を合わせて、悪くなれば互いに刃を向け合う。

 レックスはそういうモノだと割り切っていた。

 敵対する可能性が「今」でなければ、肩を並べる事に頓着は無い。

 未だ短い付き合いだが、イヴリスはそんな男の性質をある程度理解していた。

 理解したからこそこの状況を楽しんでいる。

 敵と味方の境界が希薄という事は、今この瞬間に斬られる可能性も十分にある。

 薄氷の上を踏む危機感スリルはなかなか悪くない。

 

「……で、そろそろ良いか?」

「ええ、必要な話は済ませましたし。

 始めて貰って構いませんよ」

「分かった」

 

 イヴリスの許可を受けて、レックスは足を止める。

 未だ階段の底は見えず、頭上もただ暗闇に無意味な螺旋が伸びるばかり。

 まるで無限を具象化したような光景。

 しかし、どんな愚か者でも理解できる真理がある。

 即ち、本当に「無限」なモノなどこの世には存在しないという事。

 

「これでダメでしたとか言わんよな」

「協力者に嘘は言いませんよ。

 私の信条を無視する程の必要がない限りは、ですが」

 

 からかうようなイヴリスの言葉。

 それは特に気にせず、レックスは手にした剣を振り上げた。

 切っ先を下へと向けて、狙うのは階段そのもの。

 無機質な石造りの段へと。

 レックスは迷い無くその先端を突き立てた。

 竜の鱗さえ切り裂く刃は、容易く螺旋階段を貫く。

 次の瞬間、無限のように思えた暗闇が大きく鳴動した。

 

「これが《七不思議》の一つ。

 正確な名称は、『地獄へ続く魔の十三階段ステア・ウェイ・トゥ・ヘル』」

 

 そんなイヴリスの声を聞きながら、レックスは目の前の変化を見る。

 下へ続くだけの階段がグニャリグニャリと歪み出す。

 まるで蛇がのたうつような動き。

 ――いや、「ような」ではなかった。

 ついさっきまでは階段に見えていたモノはまったく別物に変わっていた。

 白い石のような鱗にびっしりと覆われた蛇の胴体。

 下りる方向へ伸びていた階段も、今は鎌首をもたげる蛇頭に変貌していた。

 赤く燃える三眼が闇に浮かび、レックスとイヴリスを睨みつける。

 常人なら魂が砕けそうな眼光だが、この二人には通じない。

 

「で、この蛇が怪異の本体ってわけか」

「ええ。『無限に続く階段なんて無い』と気付くのが、この階段の『底』。

 後はコレを破壊すれば『十三階段』は停止します」

「よし」

 

 分かりやすくなったと言わんばかりにレックスは頷く。

 犠牲者たちの不遜な態度に、「十三階段」たる蛇は怒りに満ちる。

 音にならない叫びを上げると、自らの背に乗る二人に牙を剥く。

 大人しく立たせておく義理もないと、太い胴体も揺らして振り落とそうと。

 

「――“動くな”」

 

 ――したところで、その動きが「縛られる」。

 まるでイヴリスの「命令」に従うように、「十三階段」は急停止する。

 怒りに焼け付く三眼に困惑が滲む。

 そしてその隙を、竜殺したる男は当然見逃さない。

 

 「よっ……!!」

 

 掛け声一つで跳躍し、迫っていた蛇頭に刃を振り下ろす。

 一閃。斬り裂かれた傷からは赤い血は零れなかった。

 ただ石の欠片のような白い屑だけが飛び散る。

 蛇は悲鳴を上げたようだったが、やはりそれは音にならなかった。

 

「止めていられるのはあと十数秒が限度ですので」

「十分だ」

 

 返す言葉はただ一言。

 あとは全て行動によって示される。

 「十三階段」は必死に藻掻くが、それはイヴリスが許さない。

 戒めが破られるまで十秒足らず。

 それは「十三階段」にとってあまりに致命的な時間だった。

 先程までは階段だった鱗を踏み締めて、レックスは蛇の身体を駆け上がる。

 どれだけの巨体であれ、動きを縛られていればただの的。

 剣は容赦なく閃き、「十三階段」を攻め刻む。

 イヴリスの戒めが完全に解けるまで、残すところ数秒。

 レックスはペースを変える事無く剣を振るい、その度に蛇は削られる。

 三秒、二秒、一秒。

 

「……ゼロ」

 

 イヴリスが囁くと同時に、「十三階段」は無音の咆哮を迸らせる。

 闇と空気が音もなく振動し――。

 

「《火球ファイアーボール》」

 

 レックスはただ一言、《力ある言葉》を口にした。

 剣を持たない指先から放たれる火の球。

 それは開かれた「十三階段」の大口へと放り込まれる。

 殆ど同時に跳躍。

 上から踏みつけるような蹴りが蛇頭に突き刺さる。

 その衝撃に、必然として蛇の口は強引に閉ざされた。

 

「――お見事」

 

 戦いと呼ぶには一方的な幕切れ。

 それを告げるイヴリスの囁き声と、炸裂する炎の花。

 閉所での爆発はそのエネルギーを何倍にも増幅。

 内側から「十三階段」の頭部を破壊し尽くすには十分過ぎた。

 

「……これで終わりか?」

「ええ、これで終わり。

 『十三階段』は攻略法が分からないと詰みな分、物理的脅威は低いけど。

 それを差し引いても素晴らしい手際ですね」

「まーそっちが援護してくれたしな。

 おかげで簡単に済んだわ」

 

 頭を失った蛇の亡骸の上。

 レックスとイヴリスは調子を変えぬままに言葉を交わす。

 本体である怪異が死に絶えた影響か、周囲の闇が剥がれ落ちていく。

 その様を、目を細めてイヴリスは眺める。

 

「騎士像と暴れ牛、それと十三階段。

 これで停止した《七不思議》は三つ。

 顕現していない『七番目』を除けば、残りも三つ」

「丁度半分か。思ったより順調……って言って良いのか?」

「ええ、順調。順調過ぎて怪しいぐらい」

 

 崩壊していく《寓話結界》。

 世界の終わりにも似たその光景が何を意味しているのか。

 それを理解しながら、イヴリスは意味深に微笑む。

 

「恐らく、他の方達も《七不思議》の調査と対処に動いているでしょう。

 《黄金夜会ウチ》のメンバーも動かしてはいますが、どうぞご注意を」

「多分大丈夫だとは思うが、気を付けるよ」

「ええ、是非そうして下さいな」

 

 やがて虚飾は剥がれ落ち、世界は現実に戻る。

 其処はもう『魔の十三階段』ではなく、何の事はないただの階段。

 それを確認してから、レックスは一つ息を吐いた。

 もう一仕事する必要があるだろうと、そんな予感を感じて。

 

「じゃ、俺は行くがそっちはどうする?」

「私は少し休んで行きますよ。

 貴方と違って、これでもひ弱なんです」

「あんまそうは見えんが、分かった。そっちも気を付けろよ」

 

 短い別れの言葉を口にして、レックスは先ほどまでとは逆に階段を上っていく。

 振り向きもしない男の背をイヴリスは黙って見送る。

 足音と気配が完全に遠ざかれば、辺りは静寂に満たされた。

 夜の校舎は暗く、窓の外には僅かな星明りしか見えない。

 蒼白の少女は唯一人佇んでいる。

 

「……さて。何処まで貴方の思惑通りになりますかね。

 ねぇ、『学園長』?」

『――箱の中の猫が死んでいるのか否か。

 それは蓋を開けてみるまで分からない事だ』

 

 突如として響く声にも、イヴリスは僅かな動揺も見せない。

 まるで返事がある事を知っていたかのように。

 

「私には、落ちた卵が割れたぐらいに分かり切った事に思えますけどね」

『今回は不確定要素イレギュラーがいる。実験は継続しなければならない』

「お好きになさって下さいな。私はそれを承知で此処にいるんですから」

 

 誰も聞く事のない言葉を、彼らは交わす。

 その場にいるのはイヴリスだけで、「学園長」の姿は何処にも無いが。

 

『――実験は継続される。

 《七不思議》の怪異は、『七番目』の顕現を以て完了する。

 君には今さら語るまでのない事だろうが』

「《黄金夜会》はその顕現を阻止します。

 それが決して不可能な事であれ、そうする事が私達の意義ですから」

 

 笑う。微かな星の光の中で、イヴリスは笑っていた。

 それは果たして誰に対する嘲りか。

 イヴリス自身にも分かっていないかもしれない。

 

「だから精々、希望を胸に待つとしましょう。

 ……明けない夜など無いと、そう口に出来る時を」

 

 その言葉は祈りに近く。

 決して他人に見せる事のない、イヴリス自身の本心だった。


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