97話:杞憂
一応抵抗を試みたが、結局長子殿に抑え込まれてしまった。
やはり侮り難し《最強最古》。
とりあえず本気で抗ってはみたのだが、暫しの格闘の末に上回られた。
まさか人の姿でしか使えぬような組み技の心得まであるとは。
「ええい、離せ長子殿……!」
「馬鹿言ってるんじゃないわよ。
《七不思議》の一つ、『出処不明の暴れ牛』を撃破した後。
ヤオフェイの小僧は「会長に報告して来るンデ」と何処ぞに姿を消した。
例の《寓話結界》とやらも牛が死んだ事で解けたようだった。
一応、他に何かないか付近を一通り見て回ったが特に異常も無し。
故、我はマレウスと共に拠点としている部屋に帰還を果たしたのだが。
丁度姉妹と《七不思議》調査を確認していた長子殿に恰好を見られてしまった。
そして現在。
「まったく……マレウス。
貴女が付いてるんだから、もうちょっと何とかしなさいよ」
「ははは……ごめんなさい、アウローラ。
でもあんまり嫌がるものだから」
「おおぉぉ……なんという屈辱だ……!」
苦言を呈する長子殿に、マレウスは曖昧な笑みで応える。
我はというと、再びあの制服を無理やり着せられてしまった。
やはり窮屈極まりない。
人の姿でも十分以上に狭苦しいというのに。
よもや《北の王》たる我が、こんな虜囚の気分を味わう事になるとは。
「まぁ裸族の断末魔はどうでも良いんだけどよ。
《七不思議》の一つは何とかなったんだな?」
「ええ、『出処不明の暴れ牛』……だと思う。
ホントに牛か大分怪しい見た目だったけど……」
「歯応えはそれなりにあったな……おぉぉ……」
「ちょっと、気持ち悪い呻き声上げないで貰える?」
長子殿はまったく理不尽なことばかり言う。
しかしまぁ、マレウスが言葉を濁すのも無理はない。
初見でアレを「牛だ」と言われても信じられんだろう。
我としては誰がアレを牛などと言い出したのかが気になるな。
「……ふーむ」
と、何やらイーリスが難しい顔で唸り始めた。
恐らくは頭に入れた情報を確認しているんだろうが。
姉のテレサはそんな妹の顔を覗き込む。
「どうした? イーリス」
「いや、どうにも引っ掛かるっていうか……」
「何だ、気になる事があるなら言ってみるが良い」
再度の戒めに脱力し切ってしまったが、《七不思議》には多少興味も沸いた。
竜殺しが一つ砕いたらしいので、残るは五つ。
存在しないらしい七つ目を除けば後四つの怪異が存在するはずだ。
「《七不思議》には『学園長』が絡んでるって話だけど。
結局一体何がどう関係してて、何を考えてやってんのかなって」
「それは……まぁ、今出ている情報ではハッキリとした事は言えないな」
「手駒にする怪物の創造と実地テストとか、そんなところではないのか?」
あのような化け物を自分の庭で放し飼いにする理由など、他に無いだろう。
かつて《北の荒れ野》にいた頃の我は良くやっていたな。懐かしい。
が、イーリスは我の意見では納得しなかったらしい。
その目は宙を彷徨い、此方では見えないモノを追っているようだった。
「……やっぱ記録はないな」
「? 何の記録だ?」
「死人だよ」
姉の確認に対し、イーリスは極めて簡潔に言葉を返した。
我の傍でマレウスがほんの僅かに息を呑んだ。
「どういう事? 詳しく聞かせて」
「言葉通り、少なくとも記録上では《学園》で死人は出てない。
訓練中の事故とかで大怪我したぐらいなら幾らでもあるけどな。
不審死の類も、行方不明みたいなのも全く無い」
「此処は、《学園》だから。
少なくともその管理下にある限り、生徒の安全は保障されてるわ」
「けど《七不思議》とやらが『学園長』のやってる実験か何かだとして。
これの犠牲者らしい人間がまったくいないってのもおかしくないか?」
マレウスの答えに、イーリスは再度の疑問を提示する。
確かに、あの《七不思議》が怪異の創造実験であると仮定しての話だが。
それを実地で試すのであれば犠牲者の存在は必要となる。
まぁ《黄金夜会》という連中がその役割を担っている可能性はある。
小僧の言動が正しいのなら、《七不思議》の対処は連中の仕事らしいしな。
「……ごめんなさい。
《七不思議》に関して、私は本当に何も知らないの」
痛みを堪える表情で、マレウスは小さく首を横に振る。
少なくともその言動に虚偽の気配は無い。
「……まぁ、マレウスは実質『学園長』とやらに首輪を付けられた状態だもの。
不都合な情報は記憶できないようにする程度、造作も無いでしょう」
不愉快そうに長子殿は言う。
マレウスの現状に関して、一番憂いているのは長子殿やもしれんな。
それを口にした瞬間に殴られそうなので言うつもりはないが。
微妙に空気を察した長子殿がギロリと睨んでくるが、目を逸らしておく。
「不明な点はまだ多いけど、やる事は同じよ。
《七不思議》を無力化して背後にいる『学園長』の尻尾を掴む。
いつまでも黒幕気取りで隠れられても面白くないもの」
絶対に捕まえて、可能な限り苦しめながら嬲り殺す。
言葉にせずとも長子殿の邪悪な殺意が雄弁に物語っていた。
我やマレウスは慣れたモノだが、姉妹は若干ヒいてしまっているな。
この辺、昔と変わらぬようでどう思うべきやら。
竜殺しが傍にいないとネコを被る気がない、というのも困りものよな。
と、不意に鐘の音が響いて来た。
それは既に聞き慣れてしまった音色だ。
『――本日の全訓練課程は修了しました。
生徒の皆様は、大変お疲れ様でした。
自由時間は節度を持って、各自寮の門限は厳守するようお願いします。
明日も良い一日でありますように』
その鐘の音の後は、機械的な声がお決まりの文句を唱える。
確か《アヴェスター》だか、そんな術式による定時の連絡だったか。
これで今日、生徒が受ける訓練は全て終わったようだ。
それを聞きながらイーリスは頷く。
「よし、自由時間だ。オレらも《七不思議》調査に動くか」
「それは良いけど、レックスは?」
「いや知らんけど。そっちが一緒にいたんじゃないのか?」
「いたけど、私も座学を入れてたから。いつの間にかいなくなってたのよ」
不満げに頬を膨らませる長子殿。
ご機嫌を取っておけと我は言ったはずだがなぁ。
そんな拗ねた子供そのものな長子殿を、マレウスは宥めるように撫でた。
「彼は彼なりに考えがあると思うわ。だから気を落とさないで?」
「別に気落ちなんてしてないわ。平気よ」
強がる長子殿にマレウスは少し楽しげに笑みを深める。
昔を知る者なら、まぁこのギャップは色々と愉快ではあろうな。
「話、続けていいか?
調査を予定してる《七不思議》だけど」
「どれを調べるんだ?」
「今のところ、この『フラワーチャイルドさん』って奴だな」
テレサに問われて、イーリスはその名前を口にした。
フラワーチャイルドさん。
確か招いた者の願いを叶える、だったか。
「で、誰なのだその『フラワーチャイルドさん』とやらは」
「オレに聞くなよ。つーかそれを調べに行くんだろ」
成る程、それは道理だな。
何者かは知らぬが、十中八九まともな相手ではあるまい。
あの暴れ牛からもそれは明白だ。
それはイーリスも分かっているようで、渋い表情で頭を掻く。
「《七不思議》の数も多いし、手を分けて調べるのも考えたけどな。
ボレアスの結果を見るに、どれもかなり危険って考えた方が良さそうだ」
「私も同意見だ。単独で当たるのはリスクが高すぎる」
我は一人で十分だったがな。
それはそれとして、侮るべきではないという意見は正しかろう。
長子殿は兎も角、姉妹が単独であの牛に遭遇していたらどうなったか。
他の《七不思議》も同じか、それ以上の脅威と考えて然るべきだ。
「まぁ、我はこのまま休むがな。お前達は精々頑張ると良い」
「コイツ……」
そう睨んでくれるなよ長子殿。
今日のところは十分過ぎる程に働いたはずだ。
その事実をマレウスの方が代弁してくれる。
「まぁまぁ、落ち着いて。
ボレアスのおかげで《七不思議》の一つは攻略できたのよ?
脅威度もある程度は判明したし」
「崇め奉っても良いのだぞ?」
「マレウス、煽て過ぎると調子に乗るから程ほどにしなさい」
まったく失礼な長子殿だな。
マレウスも何を笑っておるのだ。
姉妹の方も何故か呆れ顔でこっちを見ているし。
「まぁ良いんじゃねぇかな。
実際、今日のところはボレアスが一番身体張ってるし」
「良く分かっているではないか、イーリス」
「後、仮に戦闘になってまたボレアスが脱ぎ出すのは嫌だぞ。
後始末が面倒過ぎる」
何と失礼な奴らであろうか。
とはいえ、話している間にまた眠気がぶり返して来た。
制服を着せられたせいか、牛との戦いで魔力を使い過ぎたかは不明だが。
此処は大人しく自分の寝台に寝転がっておく。
この柔らかい場所で眠るのも、少しずつ慣れて来た気がするな。
「じゃ、出る前に確認できる事はしておこうぜ。
『フラワーチャイルドさん』が出るって噂の
「あ、場所の案内なら私が出来るわ」
「そうして貰えると助かるが、貴女も疲れていないか?」
「大丈夫、ボレアスほど暴れてないから平気よ」
「じゃ、案内自体はマレウスに頼むか」
姉妹とマレウスは和やかな空気で言葉を交わす。
我は意識の何割かを眠気に浸しながら、その様子を見ていた。
フラワーチャイルドさんなる怪異がどんなモノかは未だ不明である。
が、まぁ何とかなるだろう。
マレウスと長子殿も同行するようだしな。
「……で、まだ我に何か言いたい事があるのか?」
「あら、何の話?」
調査前の話し合いには参加せず。
長子殿は何故か我の近くに腰を下ろしていた。
「恥辱に耐えて制服を着てやったのだ、これ以上何があると?」
「それはそれで言いたい事は幾らでもあるけど、今はそれじゃないわ」
ならば一体どういう用向きか。
我が首を傾げていると、頭の中に何かが触れる感触がした。
長子殿の魔法、恐らく《念話》か。
声にならない声が我の内に直接響いて来る。
『他意はないんだけど、マレウスについてどう思う?』
「? どう、とは?」
質問の意図が良く分からん。
一体何が「どう」なのか、基準も曖昧ではな。
それを口にした長子殿自身も余り良く分かっていないようだ。
『それがハッキリわかるなら、わざわざ貴女に聞いたりしないわよ。
兎も角、《七不思議》とやらと一緒に戦ったんでしょ?
なら何か気付いた事はないの?』
「一緒でなくとも我だけで十分だったぞ」
『そういうこと聞いてるんじゃないんですけど??』
長子殿の怒りの声と共に、何やらキリキリと頭痛がして来た。
《念話》の経路を使っての嫌がらせか。
本当に長子殿はこういう器用で狡いやり口が抜群に上手いな。
『この状態では貴女の思考は基本筒抜けなの理解してる??』
「いたたたた。まぁ落ち着けよ長子殿」
それでどうこうなるものではないが、痛いものは痛い。
おかげで多少なりとも眠気は覚めた。
なので問われた事を少し真面目に考えてみる。
……が、大して引っ掛かる事も無いな。
「そもそも、長子殿は何を案じているんだ?」
わざわざ《念話》を使ってまで内緒話とは。
人知れず悪だくみはお手の物だろうが、こういうのはらしく無いな。
我の疑問に長子殿は直ぐには答えなかった。
自らの中で言葉を選ぶように、暫し沈黙してから――。
『……変わらないのよ、あの子』
「何?」
『だから、変わらないの。
私はマレウスが人間と交流していた頃を知ってる。
それ以前は穏やかだけど眠ってばかり。
人の集落に混ざるようになってから、今みたいな感じになったわ』
「我が知っているのは、その眠ってばかりの頃だな。それで?」
『……昔のマレウスは変わったわ。
人間と関係を持つようになってからね。
不変の古竜であっても変化は起きる。
私も貴方も自覚のある無しに関わらず例外じゃない』
竜であっても変化は起こる。
それもまた道理であるし、何もおかしな事でもあるまい。
だが長子殿は、マレウスを「変わらない」と評した。
それの意味する所は……。
『人と交わってマレウスは変化した。
……それから少なくとも数千年。
私の目には、マレウスはあの頃のままに見えるわ』
「……成程」
何となく長子殿の言いたい事は分かった。
脳裏を過るのは少し前に目にした《戦王》ラグナの末路。
変わり果てたあの竜王の有様は、我も少なからず衝撃を受けた。
真竜に従属させられているというマレウスが、本当に変わらぬままであるのか。
「……意外と心配性よな、長子殿は」
『うるさい。私は不確定要素を排除したいだけよ』
怒りの言葉と共にまた頭を締め付けられた。
まったく困った長子殿だ。
「? 二人とも、どうかしたの?」
「……いえ、何でも無いわ。それよりそっちの話は纏まった?」
「ええ、一応は。アウローラも一緒に来てくれるのよね?」
「貴女やイーリス達だけじゃ心配だもの」
どうやらこちらの話は終わりのようだ。
長子殿は我から離れると、マレウス達の方へと近寄る。
ただ返事をしただけというのに、マレウスは酷く嬉しそうだった。
……まぁ、杞憂であろう。
少なくともマレウスからは虚偽など妖しい気配は感じない。
長子殿を笑う代わりに、我は一つ欠伸をした。
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