96話:解放のカタルシス
何を思い悩む事はない。
ただ自らの力の限り殴り、蹴り倒す。
実に原始的かつ野蛮な行為だ。
知性と理性を持つ者としては恥ずべき事やもしれん。
だが、それがどうした?
己が力をただ自由に振り回す。
これ程に愉快な事も他にそうはあるまい。
「ハハハハハハハッ!! どうした、この程度か!?」
『ガアアァアアアア――――ッ!!』
見上げる程の巨体を持つ《七不思議》。
その暴れ牛を相手に足を止めての殴り合い。
合理的では無いし、もっと別の戦い方があるのは百も承知。
しかし落ちたりとはいえ我は《北の王》。
力を誇示する相手に、力で応ずる以外の道は知らぬ。
故にただ渾身の右拳で獣を殴り付けるのみ。
分厚い毛皮と筋肉、そして頑強な骨格。
暴れ牛の肉体は正に動く城塞の如し。
だがそれも、我が力で幾度も無く叩けば綻びも生ずる。
『オオォオオオォォ――――!?』
我の拳や爪で裂けた肉から血が溢れ出す。
狂った暴れ牛の叫びにも苦痛が混じり始めた。
「ハハハハ、所詮は獣よな!」
「だから油断しないでってば……!」
後方からマレウスが叫ぶ。
その声に従うように、暴れ牛の周囲に蠢くモノがあった。
それは『水』だ。
マレウスの魔力によって生成・操作される特殊な水。
さながら軟体生物のように動き、牛の手足に絡みついて阻害している。
我一人で十分だが、「構わん」と言ったのは此方であるしな。
水の拘束は暴れ牛の動きを大きく制限しており、その分こちらも殴りやすい。
さて、このまま終わりなら拍子抜けだが……?
「……何だ?」
不意に巨牛の動きが止まった。
マレウスの水に縛られたから――ではない。
水は絡みついてはいるが、暴れ牛は自分から身を丸めていた。
良く分からんが、攻め手を緩めたりはしない。
丸くなった腕や背中を一方的に打ち付ける。
心無しか、打撃して返ってくる感触が硬くなっているような。
『ギャアァアアアアアァアア――――ッ!!!』
突然、暴れ牛が爆発した。
いやそれは錯覚だが、起こった事は似たようなものだ。
身体を丸めていた巨牛だが、その身体がいきなり膨張したのだ。
目算では恐らく二回りほどか。
ただでさえ巨大だった肉体は更に膨れ上がる。
頭の角は醜く捻じれ、背中から追加で二本の腕が生える。
その姿は最早何処から見ても「牛」などと呼べるモノではなかった。
『ガアァアアアアア――――ッ!!』
憤怒とも憎悪ともつかぬ叫び。
瞬く間に変異を完了した暴れ牛は、倍に増えた腕を滅茶苦茶に振り回す。
その腕の一本に引っ掛かり、そのまま地面に叩き付けられる。
凄まじい衝撃が全身を貫くが、それだけでは終わらない。
我を地にぶつけると、巨牛は上から足で思い切り踏みつけて来た。
一度では終わらず、何度も何度も。
巨大な質量が何度も落ちてくるのは存外堪える。
「ぐッ……!?」
『オォオオォオオオ――――ッ!!』
押し返そうとするが、その試みは失敗に終わった。
図体がデカくなった分だけ膂力も大幅に増加しているようだ。
先程を遥かに上回る力が我の抵抗を抑えつける。
「いけない……っ!」
焦った様子でマレウスは水を操る。
本来の力であれば、町一つを容易く呑み込む波濤を引き起こせるはずだが。
今のマレウスではそれほどの規模の力は発現できないらしい。
絡みつく水に暴れ牛の動きを鈍らせるが、完全に縛るには至っていない。
「っ……もう少しか……」
依然、暴れ牛による攻撃は止まらない。
このままでは抜け出せぬと、我は一度抗うのを止めた。
そして先程とは立場が逆となるが、今は耐える事に専念する。
もう少し。もう少しだ。
《北の王》である我が守りに入るなど屈辱の極みだが、今は仕方ない。
そうだ、勝つ為ならば耐える事も時には必要だ。
脳裏に鎧姿が浮かぶのは、何とも腹立たしい気分であるが。
「あんま調子に乗るンじゃねェヨ……!」
そう叫んで赤黒い影が飛んだ。
声からしてヤオフェイの小僧だが、姿が少々変化している。
いつの間にやらその全身を赤黒い装甲のようなモノが覆っていた。
「《
己の力を高らかに唱えながら、赤い装甲を纏った拳を暴れ牛に突き刺す。
それが小僧の全力なのだろう。
異形となった巨牛に対しても、その力は確実に通っている。
が、暴れ牛はそれを意に介さない。
無傷ではないが、大した脅威でないと判断したのだろう。
ヤオフェイもそれは理解しているようだ。
「舐めンなヨ!!」
吼えると、赤い装甲の一部が刃に変ずる。
それを拳や蹴りの要領で振るえば、暴れ牛の肉が斬り裂かれる。
浅いが、その痛みは巨牛の意識を僅かに逸らす。
今まで我にだけ注がれていた敵意が小僧の方にも向けられた。
「っとォ……!?」
我を踏みつけるのはそのままに、牛は追加の腕を振り回した。
攻めを意識し過ぎた小僧は危うく捕まりかける。
その手に捕らわれる寸前、マレウスの水が小僧を射程外へと引っ張り出す。
「だから無茶し過ぎって言ったでしょう!」
「スンマセン、マレウス先生……っ!」
地面に転がると同時に、ヤオフェイの赤い装甲が解けた。
やはり長時間の維持は難しいようだ。
暴れ牛は小僧を睨みつけるが、腕を伸ばすには遠い位置だ。
――あぁ、獣にしては正しい考えだ。
しかし過ちもある、それを理解していないようだが。
多少肉を斬られたぐらいで、我の方から注意を逸らすべきでは無かった。
此方はもう準備が整ったぞ。
「なッ……!?」
驚きの声を上げたのはヤオフェイだった。
まぁそれも無理からぬ事か。
小僧の目から見れば、いきなり暴れ牛の足下から火柱が上がったのだから。
巻き添えに気を使うつもりはなかったが、そこはマレウスがいる。
此方は冷静に水を動かし、火の粉と熱を塞ぐ壁としていた。
「……出来れば、やるなら先に言っておいて欲しかったわ」
「ハハハハ、すまんな。我も少し余裕がなかったのだ」
踏みつけていた足の一部が炭化した暴れ牛。
本当なら丸ごと消し炭にするつもりだったが。
まだ上手く調整が効かんかったか。
突然片足を失った事で暴れ牛はバランスを崩す。
地に倒れ伏す牛に代わり、今度は我の方が立ち上がった。
嗚呼、この《北の王》によくもやってくれたものだ。
本来なら怒りで腸が煮えくり返るところだ。
が、今はその罪を許そう。
愚かな怪異よ、貴様のおかげで清々しい気分だ。
「ボレアス、貴女……!」
「何をそんなに驚くのだ、マレウス。
これこそがあるべき形よ」
再び地に立つ我の姿にマレウスは戦慄を隠しきれぬようだ。
ヤオフェイの小僧など目を丸くして絶句している。
まぁ無理からぬ事だろうよ。
「すまんな、《七不思議》なる怪異よ。
コレは長子殿とマレウスの二人掛かりで縛られていてな。
外すのに貴様の力を使わせて貰ったぞ」
倒れ伏す暴れ牛にそう告げてから。
我は身体に残る布切れを引き剥がして放り捨てた。
随分と頑丈な作りの服であったが、巨牛の力には耐え切れなかったようだ。
原型も無いぐらい破壊された事で縛りも消失している。
我が身を拘束する制服という戒めは、これで完全に取り去られた。
「ようやく本調子だ……!」
「生徒もいるんだから自重しなさいよ……!?」
マレウスの抗議はとりあえず聞き流す。
そもあの服とやらのせいで力が出し辛かったのだ。
邪魔なら取り去る、当然の結論に過ぎん。
『オオオォオオオ……ッ!!』
片足を失っても尚、暴れ牛の敵意は萎えていないようだ。
良し、そうでなければ困る。
牛は両の前脚で身体を支え、背から生えた追加の腕に力を漲らせる。
咆哮。大気を揺るがす叫びと共に、暴れ牛はそのまま真っ直ぐ突進してくる。
我は当然それを迎え撃つ構えだ。
軽くなった両手を広げ、両足で地を踏み締める。
マレウスや小僧が何か言っているようだが、今は耳に入らん。
さぁ力比べだ。
『ガアアアアアァァァアア――――ッ!!!』
「ふんっ……!!」
我が胴体を貫かんとする巨牛の角。
その切っ先を掴み取る。
戒めの無い身体は十全の力を発揮していた。
爪先が地面を抉るが問題はない。
五指を牛の角にめり込ませて、我は巨体の侵攻を完全に塞き止める。
暴れ牛は藻掻いているようだが無駄な抵抗だ。
「さぁ、王の力を見るがいい!!」
その状態のまま我は大きく息を吸い込む。
先程は半端な結果に終わったが、次はそうはいかん。
この距離ならば外す心配も無い。
『オオオォオオ……ッ!?』
吼える暴れ牛の声に僅かな変化が生じる。
それは我にとっても馴染みの深い感情だった。
即ち、避けがたい死に対する恐怖。
完全に狂っていればよかったものを。
その点だけは同情しても良いが、我のやる事は変わらない。
胸の奥に溜まった熱の塊を、そのまま一気に吐き出す。
《
やはりかつての威力には遠いが、暴れ牛を葬るだけなら十分過ぎる。
炎は大気を焼き焦がし、巨牛の身体をも呑み込んだ。
断末魔の絶叫は炎の音に掻き消された。
焼かれながらも暫しのた打ち回っていたが、それも直ぐに弱々しくなっていく。
完全に動かなくなった頃には、其処には真っ黒い塊だけが横たわっていた。
「ふん、こんなものか。まぁ少しは楽しめたぞ」
最早応える事のない屍に餞の賛辞を送る、
そこそこ全力で《吐息》を使ったが、以前のように魔力切れは起きていない。
竜殺しと繋がっている我も、大分力は戻ってきているようだ。
「さて、とりあえずは終わったぞ」
「無茶苦茶し過ぎよ、もう」
周囲に展開していた水の膜を解いてマレウスは呆れ顔を見せる。
「長引かせぬよう一気に焼き払ったのだ。
これでも気を使っているつもりなんだがな」
「……貴女も変わったわね。昔はそんな事、絶対に言わなかったでしょ?」
「かもしれんな」
実際がどうあれ、それは我にとって大して重要ではない。
何が変わろうと我が我であるという事実は不変。
ならばそれで良い。他は所詮些末事だ。
それは兎も角。
「これで《七不思議》とやらは片付いたのか?」
「あくまでこの《出処不明の暴れ牛》だけですけどねェ」
我の問いに答えたのはヤオフェイの小僧だった。
今は赤い装甲も消え、身体に浮かんでいた紋様も何処にも無い。
しかし疲労は濃く、足下はややふらついていた。
「なんだ、情けない姿よな?」
「返す言葉もないッスね。正直、お二人がいなきゃ死んでマスよ」
「皆が無事で、それは良かったけど……」
と、何やらマレウスが難しい顔をする。
さて、気になる事でもあったか?
「貴方たち《黄金夜会》は、今までもこの《七不思議》に対処し続けて来たの?
いえそもそも、この怪異は一体……?」
「前者の質問はイエスですヨ、副学長。
今見た通り基本くっそ危険で命の保証とかもないンで。
その辺り《黄金夜会》以外の人間には徹底的に情報制限してありマス」
「それは、私も含めて?」
「ハイ、副学長も含めてです。
これまでは上手くやれてたンですがね」
そう言いながらヤオフェイは笑う。
軽薄な言動で誤魔化しているが、何か隠しているようだ。
それが何なのかは不明だが……。
「後者の質問については、残念ながらお答えできマセン。
今言った通り、《七不思議》の情報は制限されてマスから。
夜会メンバー以外には開示できないンですヨ」
「……それはつまり、あの怪異も『学園長』絡みの事件だと断定しても?」
「ソレも答えられないンすヨ、申し訳ない」
「……そう、ありがとう」
結局、ヤオフェイの答えは「何も言えない」だけだったようだ。
「何だマレウス。お前が出来ないなら我が情報を絞ってやろうか?」
「イヤイヤ、勘弁してくださいヨ」
「いいわ、ボレアス。彼らにも事情があるだろうから」
逃げ出そうとする小僧を、マレウスが後ろに庇う。
まぁ分かり切っていた反応よな。
「冗談だ。仮に我が力尽くで口を割らせようと、そやつは吐かぬだろう。
そのぐらいは見ていれば分かる」
「……イヤ、流石にそこまで根性据わってませんヨ」
「そうか。それならそれで構わんがな」
敵対するなら喜んで叩き潰すが、今はそうではない。
ならば無駄な努力に敬意を払う義理もなかろう。
それよりもだ。
「我の勝利だぞ、マレウス。
何か言う事はないか?」
「きゃっ! な、何かって……?」
軽く背中を叩いてやったら、素っ頓狂な声を出すマレウス。
仮にも《古き王》たる者がこれぐらいで驚くなよ。
それはそれとして、マレウスの前で我が力を振るったのは久しくなかった事だ。
ならば賛辞の一つも聞いておきたい。
我の意図するところに思い至ったか、マレウスは少し笑って。
「凄かったわ。見た目は可愛らしくなってしまっても相変わらずね」
「一言余計であるが、まぁ良しとしよう」
「それより、いい加減目のやり場に困るンで服着ませンカ???」
小僧が何か言っているが無視する。
どうせまた長子殿が無理やり着せに来るのだから、一時の自由を楽しまねば。
「……ふふっ」
と、何やらマレウスが声を出して笑った。
別に可笑しい事を口にしたつもりも無かったが。
「あぁ、ごめんなさい。別に貴女やヤオフェイを笑ったわけじゃないの。
……ただ、昔を少し思い出して」
「昔とは、何時の話だ?」
「人に混じって集落で生活していた時よ。
まだ小さい村だった頃、若い竜とか凶暴な獣が寄ってくる事があって。
最初は私が竜の力を使って追い払っていたの。
けど、村の皆も少しずつ協力して守ってくれるようになってね」
語るマレウスは、何処か遠くを見ていた。
その声は優しげだが、同時に物悲しくもあった。
小僧は黙したまま少し顔を伏せている。
マレウスの昔語りに一体何を思っているのか。
「何となく。何となく、その時の事を思い出したの。
……本当に、何故でしょうね?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます