130話:二人の時間
宿の部屋に付いている浴室は、一人では広いが二人で入るには少々手狭だ。
それでも構わずに、俺とアウローラは湯舟に身を浸していた。
流石に《学園》の時みたいに全員纏めて、というわけにもいかない。
いや、アレはアレで楽しかったんだが。
イーリスからは「調べ物とかはこっちでするから、お前は休んどけ」と言われた。
なので有難く休息に専念する事にした。
傷に関しては賦活剤や治療でほぼ完全に塞がっている。
だが疲労は抜け切っていないので、温かいお湯が実に身に染みる。
今は傍にアウローラしかいないのもあり、鎧も兜も全て取り去っている。
別段不満はないが、やはり解放感に近いモノはあった。
「気分はどう?」
「なかなかだな」
同じ湯舟に入り、ぴったりと身体をくっつけながら。
アウローラは柔らかく微笑んだ。
おかしなのに絡まれたせいで、彼女も結構疲れた様子だったが。
大分回復したようで少し安心する。
濡れた髪を指で梳けば、目を細めて喉を鳴らす。
そうすると、彼女は戯れるように俺の頬に唇を触れさせた。
何度も啄むみたいにされると少しくすぐったい。
俺もお返しに首筋を噛めば、甘い鳴き声が唇から零れた。
「もう、いきなりはビックリするでしょう?」
「そうするのが目的だったからな」
「悪い人ね」
クスクスと笑うアウローラ。
それに釣られてこっちも声を出して笑う。
汗とお湯に濡れた細い肢体を、両腕でしっかりと抱き締める。
湯加減も丁度いいが、触れる体温も酷く心地が良い。
普段では考えられないぐらいに脱力しながら、俺はほっと息を吐いた。
そんな俺の様子が面白かったか、アウローラはまた笑っていた。
「今日は本当にお疲れ様。また次からが大変だと思うけど」
「《闘神武祭》だったか。
まぁ好都合っちゃ好都合だけどな」
こういう都市部で真竜と戦う場合、どうしても殴り掛かるまでの面倒が多かった。
敵地のど真ん中でそのトップの首を狙うのだから、ある意味当然な話だが。
それが今回は合法的に認められている形だ。
大変なのは間違いないだろうが、やる事は単純で丁度良い。
そんな俺の言葉に、アウローラも小さく頷いて。
「……けど、気を付けて。
あの《闘神》とかいう真竜、ふざけていたけど相当に強いわ。
恐らくだけど、力の規模で言えば《古き王》にも匹敵すると思う」
「バンダースナッチやマレフィカルム、あの辺の真竜と同格ぐらいか」
かつて大陸に存在した古竜達、その頂点に君臨していた《
既に二度、その魂を持つ真竜と戦って来た。
どちらも比喩抜きで天変地異に等しい災厄の具現だった。
勝ちこそしたが、言葉通り死ぬほど苦戦させられた。
《闘神》は少なくともそれらと同格。
後には大真竜も控えていると考えると、厳しい戦いになるだろう。
そもそも辿り着くまでも一苦労だ。
ドロシアとかいうヤバいの以外にも、街の闘士連中は決して侮れる相手じゃない。
うん、下手したら過去最高に大変かもしれんなコレ。
「レックス?」
「いや、大丈夫だ」
其処まで考えてから、とりあえず今は癒されようと。
目の前にあるアウローラの身体をちょっと強めに抱き締めてみた。
彼女は少し恥ずかしそうにしながらも身を寄せてくる。
髪を撫で、また互いにちょっとだけ戯れ合う。
こうしているだけでも疲れが飛ぶように感じるのは、果たして人体の神秘か。
俺は休息の大事さを改めて噛み締める。
「……そういえば」
「? なに?」
「《闘神》もそんだけ強いって事はだ。
喰った古竜の魂はやっぱり《古き王》なのか?」
「多分、だけどね」
「多分なのか」
仮に《古き王》なら、アウローラがどういう相手か知ってるかとも思ったが。
此方の言葉の意図を察したか、彼女は微妙に難しい顔をしてみせた。
首を捻って小さく何度か唸ってから。
「……実は、良く分からないのよね」
「そうなのか?」
「力の格からして、《闘神》が持つ魂は間違いなく《古き王》だと思うわ。
それ以外、ティアマトが産んだ第二世代以降の竜王である可能性も勿論あるけど」
「ティアマトってのも《古き王》だったか?」
「ええ、太母ティアマト。私と同じ《古き王》の一柱。
私達以外の古竜の八割近くはティアマトの産んだ子供達。
父なる《造物主》が創造した《古き王》は古竜として別格の力を持っていた。
けどティアマトの仔の中には、稀にそれに近しい力を持つ者もいたわ」
「ほー」
俺も古竜に関しては其処まで詳しいワケじゃない。
かつての大陸の半分近くを支配していた竜王バビロン。
今現在はボレアスと呼んでる《北の王》。
それ以外となると、ちょっと名前を聞いた事があるのがいる程度だ。
ティアマトの名も聞いた事はあったが、どういう竜なのかは詳しく知らなかった。
しかし古竜の八割近くを産んだとか、随分子沢山だったんだな。
「まぁ、それでも精々が「《古き王》に近い」ぐらい。
やっぱり《造物主》に創られた私や他の《古き王》には届かない程度。
《闘神》の持つ魂がその手の紛い物の竜王なら、そこまで恐れる事は……」
「しかし、竜も子供を産んだりするんだな」
いや、竜も生き物なら当たり前なのかもしれないが。
あんまり考えた事もなかったので、なかなか驚きの新情報だった。
ついでに思い返すのは、あの地下迷宮で戦った真竜。
バンダースナッチも元は竜王と人間の夫婦で、あのルミエルって子はその娘だったはず。
うーん、やっぱり卵とか産むのだろうか?
などと思考を脱線させていたら、何故かアウローラが黙り込んでしまった。
見れば、なんとも形容し難い表情で固まっている。
はて、何か拙いこと言ったか俺。
「? どうした、アウローラ?」
「っ……貴方は、本当にもう……!」
何故か顔を真っ赤にしたアウローラにペチペチと叩かれた。
ペチペチと呼ぶには微妙に力が入ってる奴だけど、ウン。
とりあえず彼女が落ち着くまで、暫く案山子に徹する。
顔の辺りを何度か叩いたところで、アウローラは深く呼吸を繰り返す。
「落ち着いたか?」
「……ええ、大丈夫。大丈夫よ。
ちょっと思った事が口に出たぐらいで、貴方に他意がないのは分かってるから。
そもそも今、そんな事を真面目に考えても色々と困るもの」
うん、とりあえず冷静になったみたいだな。
で、何の話してたんだったか。
「《闘神》が《古き王》の魂を持ってるかどうかよ」
「そうだったそうだった。で、結局どうなんだ?」
「……良く分からないのよね。
私も実のところ、他の兄弟を全員完璧に把握してるワケじゃないもの」
「あー、成る程」
《古き王》はアウローラ自身も合わせて二十柱。
つまりそのまま二十人(?)兄弟か。
確かにそんだけ数が多いと、何人かは良く知らん奴がいそうだな。
俺の思考を肯定するようにアウローラは頷く。
「関係性の好悪はどうあれ、交流が密にあった相手なら流石に分かるんだけど。
私の事を露骨に避けてたのとか、そもそもずっと寝てて起きない奴とか。
そういう相手の魂を《闘神》が取り込んでいた場合は……」
「良く分からん、と」
「そういう事ね」
それならそれで仕方がないな。
俺自身に実感は薄いが、アウローラは三千年を俺の蘇生の為に費やしている。
世界がどう変わったかも分からなくなる程度には長い時間だ。
それだけ外部との交流を絶っていれば、印象の薄い相手を忘れてもおかしくはない。
俺はまた、アウローラの髪をゆっくり撫でる。
「……もしかしてだが」
「? なに?」
「いや、《闘神》のお前に対する反応とか見るとな。
アレが取り込んでる《古き王》って、もしかしてお前の事が好きなんじゃ……」
「それは無いわよ」
軽く笑いながらの即答だった。
冗談を聞き流すぐらいの感じで、アウローラはパタパタと手を振る。
「私の事を蛇蝎の如く嫌ってる相手なら幾らでも心当たりがあるけど。
あんな好意を向けてくる奴なんて一匹もいないわよ」
「でもマレウスとかいただろ?」
今は《学園》を守っているアウローラの妹。
彼女も姉の事は大分好きだったはずだ。
まぁ《闘神》が向けてくる好意とは大分種類が違うが。
マレウスを例に出すと、アウローラは微妙に難しい顔をした。
「んんん……まぁ、あの子が例外なのはその通りね。
正直、あそこまで慕われてるとか全然知らなかったし」
「だろ? だったら他にも似たような奴がいたんじゃないか?」
「でも心当たりとか何とも言えないわよ、ソレ」
まーそれはそうだな。
単なる思い付きだし、仮にそれが事実だとして何か変わるわけでもない。
どんな事情があろうと、最終的には殴り飛ばす相手だ。
などと考えていたら、アウローラが俺の顔をじっと見ている事に気付く。。
今の話で機嫌を悪くしたか……?
「……仮に、《闘神》の持ってる竜の魂が、貴方の言った通りだとして。
そうしたら、レックスはどうするの?」
「ぶった斬るぞ」
相手が何であれ、やる事は変わらないんだ。
俺の答えるべき言葉はそれだけだった。
もとより、俺達の旅は竜を殺す事が目的だ。
マレウスみたいな時もあるが、基本的な方針は変わらない。
アウローラも俺の答えは予想していたか、驚きはせずに楽しそうに笑った。
「私の事が好きかもしれない相手でも?」
「マレウスの時と同じで、場合によりけりだけどな。
でもまぁ、俺としては斬るつもりだ」
「それはどうして?」
「さっき、お前が嫌がってたからな」
応じながら、俺はアウローラの頬を撫でる。
あの《闘神》の態度が、どっからどこまで魂の影響かは分からない。
そも此処までの話は殆ど推測に過ぎないしな。
真実がどうあれ、《闘神》の求愛にアウローラは嫌がってた。
だったらぶった斬るのが一番後腐れもない。
「……もう」
俺の言葉に、アウローラは照れた様子で微笑んだ。
それから頬を撫でる手に、甘えるように唇を触れさせる。
その感触が少しくすぐったくて、俺の方も笑ってしまった。
また暫しの間、二人だけの湯舟で戯れる。
触れ合う熱は心地良く、互いの境界が煙のように揺らぐ。
まるで上等な酒で酔っ払ったような感覚だ。
アウローラの細い身体を抱き締めて、熱い湯底に二人で溺れる。
「……私はもう、貴方だけを選んだから」
囁く声は甘く蕩けていて。
俺は頭の中が痺れるような錯覚を覚えた。
「相手が誰だとか、関係ないわ。
私は貴方が傍に居てくれれば、それで良いの」
「あぁ」
胸の内を確認する言葉に、俺は短く頷く。
濡れた彼女を抱き上げると、名残惜しいが湯舟から身体を起こす。
芯に残った熱は当分冷めそうにもない。
それはアウローラも同じようで、互いの火を共有するようにぐっと身を寄せた。
「……貴方が勝つって、そう信じて良いわよね?」
「勿論」
絶対なんてものはこの世には無い。
しくじれば死ぬだけの生き方だが、この時ばかりは断言する。
あの糞エルフの台詞じゃないが。
「勝つのは俺だ。だから心配しなくていい」
「ええ。心配なんか、最初からしてないから」
悪戯っぽく微笑むアウローラに、俺からもう一度口付ける。
湯冷めしても困るので、じゃれ合いながらも浴室を後にした。
――もう間もなく、《闘神》による戦いの宴が始まる。
ドロシアに糞エルフと、分かってる範囲でも超絶厄介な曲者が二人もいる。
片方は一応味方っぽいが、厄介な曲者という点は間違っていない。
それ以外の連中も油断は出来ないし、《闘神》自身は言わずもがなだ。
考える程になかなか面倒な話だが。
「……ま、いつもの事だな」
だったら何とかなるし、何とか出来なきゃ死ぬだけだ。
但し今回は「勝つ」と約束したからな。
それを破る事はすまいと、密かに誓いを立てた。
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