473話:《黒銀の王》


 下っていく。

 複雑に曲がりくねった螺旋階段。

 或いは、単に壁みたいな角度がついた坂。

 時には魔法によって幻惑された通路も越えて。

 俺たちはひたすらに、地の底へと下り続けていた。


「長いな」

「ホントにね」


 こぼした呟きに、片腕に抱えたアウローラが頷き返す。


「《転移》で一発、というワケにはいかんのか?」

「……普段なら、問題ないのだけど」


 すぐ後ろに続くボレアス。

 彼女の言葉に応えたのは、最後尾近くのイシュタルだ。

 深いダメージを受けているオーティヌスを支えながら、硬い声で。


「今は無理よ。王が――《黒銀の王》が、戦いに備えてる。

 彼女の力が空間を僅かに歪めてるわ。

 短距離ならまだしも、長距離の《転移》では何処に弾かれるか」

「……ただ存在するだけで、空間を歪ませるのか」


 分かっていたが、洒落にならん相手だな。

 テレサが息を呑む音は、ハッキリと耳に届く。

 ……ここに来るまで、色んな相手と戦ってきた。

 真竜たちに、大陸の外では《巨人》や神様。

 どれもこれも強敵だったし、何度も何度も死にかけた。

 その中で、ただ一度だけ。

 コイツは勝てないと――絶対に死ぬと、そう確信させられた相手。

 《黒銀の王》。

 《大竜盟約》の頂点、千年前の戦いの英雄。

 大地の化身を呑み込んだその力には、一回触れたきりだ。

 たった一回だけの敗北。

 あの時の事を思い出すだけで、身体の芯が震える。


「……まさか、怖気づいたとは言わんだろう? 竜殺し」


 笑うのは、猫を片手にぶら下げた糞エルフ。

 ウィリアムは、わざと挑発するみたいに笑っていた。


「お前が望んだことだ。

 こちらとしても、お前が勝つ方に賭けたからこそ協力したんだ。

 今更尻込みされても困るぞ」

「言いよるわ」

『ンなこと言って、端から裏切る気で《盟約》に参加してたクセになぁ。

 彼氏殿が期待通りに動いてくれてむしろありがたいんだろ?』

「猫は黙っていろ」


 ねこは賢いなぁ。

 まー、期待されてたかどうかは置いとくとして。


「正直に言えば、ビビってはいるな」

「……レックス」

「マジのアウローラよりも、間違いなく強い相手だからな。

 そりゃビビるだろ、俺だって別に怖いもの無しってワケじゃないんだ」


 不安げに瞳を揺らすアウローラを、片手で抱き締める。

 恐怖はある。

 今までもゼロじゃなかったし、今回がとびっきりデカいだけで。

 ただ、それでも。


「やるって、そう決めたからな」


 ウィリアムの言った通り。

 これから行うのは、俺自身が望んだ戦いだ。

 ……アウローラが望んだ蘇生術式も、完成させようと思えば完成できる。

 オーティヌスを倒した時点で、《大竜盟約》は殆ど壊滅状態だ。

 ぶっちゃけ、この先は無理にする必要のない戦いだろう。

 いずれ《黒銀の王》は限界を迎えるかもしれない。

 そうなれば、《造物主》の残骸とやらは地の底から解き放たれる。

 最終的には大陸はホントに滅ぶし、それ以上のモノが消えるかもしれない。

 だけど、俺は別に英雄でもなければ正義の味方でもない。

 テレサ、イーリスたちが生きて死ぬまでぐらいは、何事もない可能性は十分ある。

 なんだったら、改めて外界で旅をするのも良いだろう。

 特に姉妹は神様側に気に入られてるし、むしろそっちの方が都合がいいぐらいだ。


「――決めたから、最後まで戦うんだろ?」


 強い意思。

 欠片も躊躇わず、温い判断なら蹴飛ばしてきそうな声。

 発したのは、当然イーリスだ。

 自分が直接戦うワケではないにしても、この先は間違いなく死地だ。

 特別な力はあっても、彼女自身は普通の人間と変わらない。

 ほんの少しの間違いで死ぬ。

 それでも彼女は、笑って地の底へとついて来てくれる。


「ここまで来た以上、オレも限界まで付き合ってやるよ。

 どの道、あの時にお前らに会わなけりゃそのまま野垂れ死んでたんだ。

 生きるにしても、死ぬにしても。

 悔いだけは残さないように、やり切らないとな」

「イーリスさんは強いよなぁ」

「お前ほどじゃねぇよ」

「……私も、イーリスと同じ気持ちです。

 ここまで来たのなら、最後の最後までお供しますよ」


 笑う。

 姉妹のどちらも、覚悟を決めた上で笑っていた。

 ホント、目覚めて最初に出会った人間がイーリスたちで良かった。

 それはアウローラも同じ気持ちだろうな。


『…………』

「……《黒銀の王》が、負けるはずがない。

 貴方の考えてるのはそんなところ、オーティヌス?」

『お前も同じだと、私はそう信じているがな。ブリーデよ』

「そうね。普通に考えたら、勝てるはずないもの」


 《盟約》の大真竜たち。

 彼らは彼らで、俺たちとは違う目で先を見ている。


「大地の化身と契約し、千年前に《造物主》の亡骸を地に沈めた英雄。

 《盟約》の頂点にして最強の大真竜。

 ……勝てるはずがないわ、間違いなく」

「けど、勝つ可能性はあるって信じてる」


 重いブリーデとは違い、マレウスの声は明るい。

 彼女の声は、俺たちへの信頼で満ちていた。

 それを聞いて、イシュタルは難しい顔をして。


「貴女は《黒銀の王》を知らないから、そう言えるのよ。

 おじい様の言う通り、彼女が負けるなんて絶対にあり得ない。

 例え《盟約》が敗北しても、王は決して敗北しない」

『…………だが、可能性はある。

 そもそも、王自身がその可能性に希望を見ているのだ』


 王の勝利を語るイシュタルに、オーティヌスの声が静かに重なる。


『故に、我らも最後の戦いを見届けねばならない。

 千年前に決断した者の責任として。

 《黒銀の王》が、この時に何を選択するのかを』

「……そうね。気になるのは、この場にいない奴だけど」


 呟いて、ブリーデは視線を彷徨わせる。

 この場にいない奴。

 言われるまで、俺も気付かなかった。

 確かに大真竜の内、もう一匹無事な奴がいたはずだ。


『……ゲマトリアか。

 彼女は、王と共にあることを選んだのだな』

「好きにさせておけば良いわ。

 どうせ、大した事なんてできないのだから」

「そう侮るものじゃないわ、イシュタル。

 あの子はあの子なりに、最後の時に自分が立つ場所を決めたんだから」

「…………」


 大真竜たちの言葉を聞きながら、その名を思い浮かべる。

 ゲマトリア。

 《黒銀の王》以外で、俺たちが最初に戦った大真竜。

 そして、一番最初に勝った大真竜でもある。

 もう随分昔の話みたいに思えるな。

 その相手が、最後の最後でもう一度立ち塞がるかもしれないか。


「……関係ないわよ、そうでしょう?」


 囁く声。

 抱えたアウローラが俺に身を寄せて、兜の上からそっと口付ける。


「相手が誰であれ、私たちは勝つ。

 《黒銀の王》も、愚かな父の残骸も。

 全部勝って――――そしたら、次はどうしましょうか?」


 ……うん、そこまでは考えてなかったな。

 勝って、終わらせて。

 その先は、何を見に行こうか。


「……幾らでもあるよな」

「?」

「俺たちが、まだ見てないもの」


 世界は広い。

 この大陸だって、まだ全部を見て回ったワケじゃない。

 外界も、俺たちが目にしたのは本当にごく一部のはずだ。

 遠い昔に見上げた星空。

 彼方を垣間見た海。

 俺たちの知らない、俺たちが想像もしてないような世界。

 それはきっと、探そうと思えば幾らでも転がっている。


「そういうものを、見に行くか。

 アウローラも、最初はそれが望みだったんだろ?」

「……ええ、そうね」


 笑う。

 アウローラは、心底嬉しそうに微笑んでいた。

 俺の手に指を絡めて、強く握る。

 離れないように、離さないと祈るように。


「見に行きましょう。全部終わったら。

 私が知らないモノを、貴方に見せてあげたいの」

「楽しみだな」


 その言葉に、俺も笑って応えた。

 ここまで戦ってばかりだったし、次はもう少しのんびりした旅が良いな。

 まぁ絶対、何かしらトラブルを引っ掛ける気はするけども。


「……先ずは、目の前のことを全部終わらせてからだけどな」


 呟く。

 迷宮も同然の神殿内部。

 気付けば、その構造は終わりに差し掛かっていた。

 捻れた階段を下りきった果て。

 先ず見えたのは、広大な空間に置かれた円卓だ。

 馬鹿みたいにデカいその円卓――その、更に向こう側。

 たった一つだけの玉座。

 黒い金属で造られたソレに座るのもまた、黒色の王様だった。

 竜の鱗を想起させる、漆黒の甲冑。

 手元には同じく暗黒に染まった剣を携えて。

 見た目は少女にしか見えない怪物が、その赤い瞳で俺たちを見ていた。

 色素の薄い金色の髪が、微かに揺れる。


「――ようこそ、《盟約》の中心。楔の玉座へ」

「っ……!」


 震える。

 身体ではなく、世界が震えた。

 玉座の少女――《黒銀の王》が、声を発した。

 たったそれだけの事で、大地が揺らぐような感覚に襲われる。

 

「気をしっかり持ちなさい。

 自分が誰の前に立つのか、覚悟していなかったワケではないでしょう」


 語る声だけは、酷く穏やかで。

 殺意や敵意の類はなく、いっそ慈悲すら感じさせる。

 《黒銀の王》。

 これで、相対するのは二度目だが。


「……ホント、とんでもない化け物だな」

「貴方は、私の考えている以上の器でしたね。最初の竜殺しよ」


 独り言に近い言葉に、王様はわざわざ応える。

 そして、ゆっくりと。

 《黒銀の王》は、玉座から立ち上がった。

 圧力が強まる。

 背後で、イーリスの呻く声が聞こえた。


「おい、姉さん……!?」

「っ……馬鹿な。こんな神威、人の身で抱えられるはずが……!」

「……成る程、《人界》の神がいましたか。

 属性が似通っているため、少しアテられたようですね」


 赤い眼差しが、膝を付きかけたテレサを一瞥する。

 ……そうか、《黒銀の王》も神様と言えば神様なのか。

 大地の化身。

 下手したら、《人界》の王にも匹敵する存在感だ。


「……ホント、馬鹿ですよね。

 勝てるワケがないのに、挑みに来るなんて」


 嘲笑い、《黒銀の王》の傍にかしずく小柄な影。

 間違いない、ゲマトリアだ。

 王の神威が渦巻く中にも関わらず、少女の形をした大真竜は平然としている。


「王様、このまま叩き潰しちゃえば良いんじゃないですかね?

 っていうか、やっちゃっても良いですか?」

「まだですよ、ゲマトリア。

 私は《盟約》の王、挑む者たちに応える側だ」


 余裕――というよりは。

 そうする事が義務であるからと、《黒銀の王》は悠然と佇む。

 敵意はない、殺意もない。

 それどころか、今の段階では戦意すら感じられない。

 ――戦いに来たのでしょう?

 赤い瞳が、言葉にせずとも俺に語りかけてきた。


「……上等だな」


 抱えていたアウローラを、一度足元に下ろす。

 それだけで彼女もふらつきかけたが、奥歯を噛み締めてぐっと堪える。

 うん、こっちもやる気満々だな。


「まさか、一人で戦うなんて言わないでしょう?」

「そう格好つけられたら最高だったんだけどなぁ」

「意地を張って死んだら、それこそお話になるまいよ」


 からかうように言って、ボレアスの身体が炎に変わる。

 剣を通して、竜の熱が俺の内側に宿っていく。


「大丈夫か、姉さん」

「大丈夫――とは言い難いが、問題ない。

 私も、戦える」


 膝を折りそうになったテレサ。

 イーリスの支えも借りて、彼女も無事に立ち上がる。

 ――あぁ、俺たちは戦いに来たんだ。

 始まる前からビビって、そのまま負けるつもりはない。

 その様を、《黒銀の王》は静かに見ていた。


「……資格がある事を認めよう」


 一言、そう告げて。

 王様は手にした剣を持ち上げる。

 瞬間、空気が変わった。

 いや、世界の顔色が変わった。

 《黒銀の王》から、初めて戦意が伝わってくる。

 ――もう間もなく、始まるのだ。


「私と戦い、その先に至る資格がある事を。

 ですが、心しなさい。

 私は《黒銀の王》――《大竜盟約》の頂点にして、千年の守護者だ。

 この名と背負った時の重みは、決して容易いものではないぞ」


 俺たちと、《大竜盟約》。

 その結末を定めるための、最後の戦いが。

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