420話:ゴーヴァンの戦い


 剣が踊る。

 ゴーヴァンが立っている場所も、ネメシスと同じ暗闇の中。

 偽の夜を彩るように、鋼と鋼が火花を散らす。

 通常の視覚は通じない闇でも、《魔星》筆頭の眼には

 それは《真祖》であるネメシスが持つ、超常的な知覚によるものではない。

 経験に基づく第六感、とでも呼ぶべきか。

 肉体が持つ五感に依らず、ゴーヴァンは敵の姿を正確に把握していた。


「……嫌がらせのつもりか? 《最強最古》め」


 呟く。

 この異界の牢獄にゴーヴァンを引きずり込んだ存在。

 欠け落ちた《最強最古》の四肢、その一つから生じた怪物。

 それは竜ではあった。

 翼はなく、二足歩行で造形は人形に近い。

 いや、もっと言ってしまえば。

 その姿は、剣を構えた鎧の騎士に良く似ていた。

 見た目だけで言えば、ゴーヴァンの格好に近くはある。

 ただ、それが自分ではなく何か別のモノを模したのではないかと。

 特に根拠もなく、ゴーヴァンはそのように感じていた。

 ともあれ。


「剣で私を屈服させたいと言うのなら、やってみるが良い」

『――――』


 怪物――形だけ整えられた《騎士》は応えない。

 爪か牙を形状変化させたと思しき、一本の大剣を構える。

 睨み合う時間は一秒以下。

 刃がぶつかれば、暗闇に星の如き火花が散る。

 ゴーヴァンと《騎士》では、技量は圧倒的に前者が勝っていた。

 鋭さと柔軟さを兼ね備えた剣舞。

 《騎士》の振るう刃を掻い潜り、鱗で形作られた装甲を何度も斬りつける。

 手にした剣から伝わる感触。

 その手応えに、ゴーヴァンは小さく唸る。


「硬いな」


 或いは、《最強最古》本体よりも硬いかもしれない。

 単純に鱗の密度が高いのか、それとも防御術式が仕込まれているのか。

 残念ながら、魔術に疎いゴーヴァンにはそこまでは分からなかった。

 ただ、《竜体》となった化身の一体とはいえ。

 決して侮ることのできない難敵である事、それだけは間違いなかった。


『――――』


 声もなく、《騎士》は剣撃を繰り出す。

 発声する機能が、元々備わっていないのだろう。

 兜に似た頭部には、赤い光を輝かせる双眸が覗いている。

 強烈な敵意を帯びた視線。

 装甲すら貫きそうなその眼差し。

 それを全身に浴びながら、ゴーヴァンは相手の剣を弾いた。

 ――先ほどよりも、少し速くなっている。

 胸中で呟き、反撃の一刀を振り抜く。

 切っ先が捉えたのは、《騎士》の装甲の表面のみ。

 首を狙ったはずだった。

 しかし、刃が触れたのは相手の右肩部分。

 剣を振るう速度もだが、反応の方も徐々に鋭くなって来ている。


「……なるほど。私の剣を、学習しているワケか」

『――――』


 《騎士》は応えない。

 ただ一手毎に精度を増す剣が、返答の代わりと言えた。

 戦う相手の技量を学習し、即座に自らの剣に反映させていく。

 それこそが、この《騎士》の持つ特性なのだろう。

 異常とも言える身体強度。

 これも、「学習する前に瞬殺される」事を防ぐためのものか。


「下らん嫌がらせではあるが、理に適ってはいるな」


 そう呟きながら、ゴーヴァンは剣を合わせる。

 さっき通じたはずの手筋は、次にはもう完璧に対応されてしまった。

 逆に、《騎士》がそれに合わせて放った刃にゴーヴァンの装甲が削られる。

 少しずつ、だが確実に。

 戦いの天秤は、異形の《騎士》の方に傾きつつ合った。

 敵の技を吸収する速度も脅威ではある。

 だがそれ以上に、それを元に「改良する」学習能力こそ恐ろしい。

 ゴーヴァンから一つの技術を盗み取ったとして。

 《騎士》は、ただそれを振り回すだけでは終わらない。

 既に獲得した技術と合わせる、または新しい派生の技術を即席で編み出す。

 最初こそ稚拙だが、それも数を重ねる程に飛躍的に精度が上がっていく。

 派手な破壊力や、異常な能力を持っているワケではない。

 だが剣に生きる者にとって、この《騎士》の特性はまさに悪夢そのものだった。

 嘲笑う《最強最古》の顔が目に浮かぶようだ。


「…………ふ」


 技を盗まれ、確実に追い詰められつつある中。

 絶望するに値する状況にありながら、ゴーヴァンは兜の奥で笑っていた。

 目の前の《騎士》に対する畏怖よりも。

 今は「懐かしい」という気持ちの方が勝っていた。

 ……かつて一人の戦士として、偉大なる英雄に忠誠を誓った。

 それから幾星霜、ゴーヴァンは数多の戦いを経験した。

 文字通り、星の数にも等しい闘争の記憶。

 その中で、今回と似たような状況を彼は体験した事があった。

 それはまだ、大真竜の加護を受けて人を超えた魔の星となる前の事。

 相手はこのような怪物ではなく、幼い半森人ハーフエルフの少女だった。


「あぁ、懐かしいな」


 つい、胸の内に湧いた感情を言葉として呟いてしまう。

 最初は、仲間が何かに襲われたという話だった。

 「何か」の正体も分からぬまま、調査に向かったゴーヴァンが見たもの。

 それこそが、幼い少女だった頃のドロシアだ。

 戦火に焼け出され、何処かで手に入れた古びた剣だけを持った孤児。

 彼女は本当に未熟で、右も左も分からぬような有り様だった。

 しかし、剣の理だけは誰よりも理解していたのだ。

 既に《剣聖》とまで呼ばれていたゴーヴァン。

 まだ若かりし頃の彼と、まだ幼く未熟なドロシア。

 あらゆる技術をその場で吸収する、恐るべき天才との一戦。

 ゴーヴァンはそれを、昨日の事のように思い出せた。


『――――』


 状況そのものは、あの時に近い。

 故にゴーヴァンにとってもこれは初見ではなく、おかげで動揺せずに済んだ。

 未だ見せていなかった剣技を放つ。

 不意を打たれた《騎士》だが、与えた負傷は腕の装甲に傷を入れる程度。

 瞬間、《騎士》は今自分が受けたのと全く同じ技を繰り出してきた。

 これは予想していたので、ゴーヴァンは容易く弾く。

 が、次に見せた剣は今の「技」にさらなる変化を与えたモノだった。

 反応し切れず、今度はゴーヴァンの装甲が削られる。


「やはり、ドロシアの時と良く似ているな」


 あの時の戦いも、大体この流れだった。

 違いがあるとすれば、ドロシアは初見の技にもほぼ反応した事ぐらいだ。

 ならば、この異形の《騎士》よりも義理の娘の方が厄介だったな。

 微妙にズレた親バカ的な思考だが、ゴーヴァン自身にあまり自覚はない。


『――――』


 踏み込みの鋭さ。

 剣の素早さ。

 最初は技など欠片もなく、ただ振り回すだけだった《騎士》。

 それが今はどうだ?

 人を超越し、千年を戦う星となった《剣聖》。

 その技量の何割かを略奪し、それを新たな剣へと昇華して。

 今や異形の《騎士》は、恐るべき剣士へと進化しつつあった。

 戦いの天秤は、未だ左右に揺らいでいる段階だ。

 しかし、それが片方に沈み込んでしまうのは時間の問題だった。

 戦うほどに強さを奪われる戦士の悪夢。

 本来なら、絶望に心が折れてもおかしくはない――が。


「確かに恐ろしい。

 ――だが、ドロシアほどではないな」


 笑う。

 ゴーヴァンは兜の下で笑っていた。

 彼はどちらかと言えば、堅物な気質ではある。

 決死の戦で不用意に笑う事。

 それは礼を失することだと、普段ならば戒めていただろう。

 だが、相手は言葉も持たないケダモノ。

 戦士にとっての悪夢も、根底にあるのは大悪竜の嘲笑だ。

 ――どれほどの才、どれほどの時間と経験を積み上げて鍛えたとしても。

 そんなものは、こうして簡単に覆せる児戯に過ぎない。

 異形の《騎士》を通じて、そんな言葉が聞こえるようだった。


「好きに嘲笑っていればいい、《最古の悪》よ」


 だが、我らはそう容易くない。

 それを言葉ではなく、結果として示すために。

 ゴーヴァンは剣の柄を、これまで以上に強く握り締めた。

 勝利の道筋は見えている。

 後はそれを、過たずに渡り切れるかどうかだ。


『――――』


 異形の《騎士》に感情はない。

 刺さるような敵意も、温度はなくあくまで機械的だ。

 振るう刃は、素晴らしい技巧の冴えを見せている。

 しかもそれは、単なる猿真似ではない。

 より強く、より速く、より鋭く。

 戦士が時を重ねる事で、初めて手にすることができるはずの成果。

 それをごく短期間で貪りながら、《剣聖》たるゴーヴァンの領域へと迫る。

 異形の《騎士》は、己の創造者が込めた悪意を忠実に体現していた。


「ッ……!!」


 その脅威に対し、ゴーヴァンはひたすら耐え続ける。

 新たな手を、次から次へと使い捨てる事で。

 敵は機械的で、かつ極めて貪欲だ。

 未知の技を繰り出せば、先ずは確実に受け手に回る。

 その性質を利用する事で、ゴーヴァンはギリギリの均衡を保ち続けた。

 《騎士》が一手吸い取れば、間髪入れずに次の一手を。

 引き出しに溜め込んだ分は誇張無しに千年分。

 義理の娘である剣魔と刃を交えた密度を考慮すれば、それは単純な年月以上だ。

 己の半生と呼ぶべきモノを、ゴーヴァンは惜しみ無く吐き出し続ける。

 異形の《騎士》は、雪崩れの如く押し寄せる技を全て呑み込む。

 一つ残らず、例外なく。


『――――』


 しかし当然、どれだけの積み重ねも無限には至らない。

 ゴーヴァンの繰り出す技から、未知が消えた。

 《剣聖》の持てる剣、その大半を異形の《騎士》は食い尽くしていた。

 故に、今度は《騎士》の方から――。


「――それで、?」

『ッ!?』


 天秤が激しく揺れた。

 それを成したのは、ゴーヴァンの剣だった。

 明らかに動きを鈍らせた《騎士》。

 致命的なその隙を、《剣聖》が見逃すはずもない。

 技と呼ぶには乱雑な一撃。

 力と速度を優先した刃は、《騎士》を正面から押し込んでいく。

 無論、相手も反撃を試みようとはしていた。

 剣を構え、これまでのようにゴーヴァンの攻め手を迎え撃つ。

 今のゴーヴァンが振るう剣は、力任せで技とも呼べない。

 故に、対処する手はあるはずだった。


「節操なく、一度に喰らい過ぎたな」


 それが、《騎士》が自ら招いた敗因だった。

 ここまでの戦いで、ゴーヴァンは《騎士》が持つ特性については把握していた。

 極めて高い学習能力。

 どんな技も一度受ければ吸収し、三手もあれば改良して独自の形に昇華する。

 剣士にとって、それは途方も無い脅威だ。

 故にゴーヴァンは、これを崩すための搦め手に出た。

 敢えて新たな技を立て続けに放ち、相手を吸収するのに専念させる。

 吸収しても、《騎士》がそれを我が物にするには少なくとも三手は必要だ。

 その「三手」を挟ませる事なく、技を大量に食わせ続けた。

 今、《騎士》の中にはゴーヴァンが重ねた千年以上の技術が詰まっている。

 それらがどんな性質を持つのか、ゴーヴァンは当然把握していた。

 しかし、まだ吸収しただけの《騎士》では理解できない。


「この角度から打ち込まれる剣に、どの技で対処するのが最善か。

 分からんだろうな、理解しないまま選択肢だけ大量に増えてしまっては」


 ゴーヴァンは笑う。

 技はある、千年分に等しい数だけ存在する。

 相手の一手に対して、浮かび上がる選択肢の数は二桁を超える。

 どれが最善で、どれが最適なのか。

 我が物としていない技術の数々は、歯車に紛れ込んだ砂粒に等しかった。

 一度狂ってしまった精密機械は、もう自力では修整できない。

 薄氷を踏むほどに、危ういはずだった戦い。

 だが、それは一瞬にして一方的な形に変貌していた。

 如何に優れた学習能力を備えようと、《騎士》が持つのはケダモノの知性。

 事態を理解できず、声なき声で叫ぶしかできない。

 そして。


「次の機会があれば、主に真っ当な脳みそを入れて貰うのだな」


 放たれるのは、最後の一刀。

 蒼白い炎――魂に届く、《摂理》の火を帯びた刃。

 ゴーヴァンが操れるのは、剣に一瞬纏う程度。

 《剣聖》は己の未熟を感じながらも、結果としては十分過ぎた。

 鍛錬と研鑽により再現された神威の力。

 それは強靭な装甲も物ともせず、異形の《騎士》を両断していた。

 断末魔はなく、《騎士》はそのまま灰となって崩れる。


「……思いの外、手こずってしまったな」


 残心。

 完全に滅んだ事を確認しても、ゴーヴァンは己を緩めることはない。

 呼吸も殆ど乱さず、しかし予想以上の苦戦だった事を認めた。

 ドロシアという天才と遭遇した経験が無ければ、万一もあり得たか。

 ともあれ、邪魔者の排除は完了した。


「急がねばな」


 《主星》の勝利は揺るぎなく信じている。

 同時に、彼の《最強最古》はとても楽観できる相手ではない。

 ゴーヴァンは素早く剣を構え、即座に振り下ろす。

 究極とも呼べる一刀。

 それは異界に綻びを生じさせ、現実に繋がる「穴」を切り開いた。

 《剣聖》と讃えられた技巧の極致だった。


「こんなザマでは、ドロシアの奴をとやかく言えんな」


 しかし、ゴーヴァンは「それでも足りぬ」と己の未熟を恥じた。

 未熟――そうだ、同じく未熟なドロシアは問題ないだろうか。

 ほんの一瞬、この場にはいない義理の娘の身を案じる。

 案じてすぐに、彼女や他の仲間も、何一つ心配する事はないと結論づけた。

 故に、今は一刻も早く主の元へ。

 ゴーヴァンは自らが開いた夜の裂け目へと、迷わず飛び込んだ。


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