第四章:四者の死闘
419話:ネメシスの戦い
「チッ……!!」
油断はしていなかった。
だが、結果として不覚を取ってしまった。
その事実に、ネメシスは忌々しげに舌打ちする。
身体を動かそうとしたが、何か強い力で抑え込まれている。
故に彼女は、先ず視線を動かして状況を確認した。
暗い。
場所は明らかに先ほどとは異なっている。
星一つない暗闇の底は、現実の世界ではない。
恐らくは、高度な術式によって構築された擬似的な異界だろう。
あの《最強最古》が、邪魔者を排除するために用意した
――あぁ、まったく腹立たしい!
最強の称号を持ちながらも、小賢しい手を打つ悪竜も。
子供だましのような手に、まんまと引っかかってしまった自分自身にも。
ネメシスは、そのどちらに対しても腸が煮えくり返る思いだった。
『GAAAAAA――――!!』
そんな思考を中断させたのは、獣じみた咆哮だ。
見る。
ネメシスは吸血鬼の《真祖》。
彼女の眼は、星灯りすらない暗闇でも真昼の如くに見通せる。
その眼が捉えたのは、一匹の「竜」だった。
闇に溶け込むような黒い鱗。
翼は無く、胴体は長い。
形状としては蛇に似ていた。
五指を備えた足が幾つも生えた姿は、
加えて、大きさはかなりのモノだ。
足の一本に掴まれた状態では、全身を確認できない程度には巨大だった。
ミシミシと、身体から軋む音が響く。
腕力で振り払おうとも思ったが、それは難しい。
内で渦巻く魔力の質は、あの《最強最古》のモノと同質。
千切れたどの部位から変化したかは不明だが。
「身体の一部だけを、《竜体》に変化させるとはな。
まったく聞きしに勝る怪物よな」
『GAAAAAAAA!!』
漏らした呟きに、応えたワケではないだろう。
竜――《百足》は、耳障りな声で高らかに吼えた。
見たところ、知能らしきものは感じない。
あの《最強最古》の分身のようだが、どうやら頭の中身は獣と同じのようだ。
「……ふん、《最強最古》め。
こんなケダモノで、私を始末できると思ってるのなら――」
『GAAAA! GAAA!』
言葉はなく、会話を交わせるような高度な知性も存在しない。
ただ予め設定された敵に襲いかかり、これを排除する。
《百足》はそのために創造された、ただそれだけの怪物だった。
しかし、脈動する力の質だけは古竜や真竜の《竜体》にも匹敵する。
例え《真祖》であっても、単純なパワー勝負では分が悪い。
故に、《百足》はその本能のままネメシスを握り潰す。
いや、握り潰そうとした。
「――これほどの侮りはあるまい!
あぁ、《真祖》たる私を舐めてくれるなよ!!」
『ッ――!?』
ネメシスの身体が、《百足》の指の間で崩れた。
一見すれば、それは彼女が潰れてしまったようにも見えただろう。
だが、当の《百足》は違和感を覚えていた。
ついさっきまで、あれほど強い力で抗っていたはずなのに。
潰れた瞬間、まるで紙細工のように脆い手応えしか感じなかったのだ。
無論、ケダモノに等しい《百足》にそこまで論理的な思考は存在しないが。
敵を潰したと確信するには、明らかにおかしい事だけは理解していた。
「「「死ね、邪悪の傀儡め」」」
そして、それが正しかった事はすぐに証明される。
《百足》に握り潰されたはずのネメシス。
彼女の声が、周囲の暗闇から無数に響いてきたのだ。
同時に、それを《力ある言葉》として術式が発動する。
空間を満たす闇が蠢く。
実際は、ネメシスの魔法によって生じた魔力の渦。
闇と同じ色をした重力渦動が、《百足》の巨体を呑み込んでいた。
『GAAAAAAッ!?』
全身を、巨大な手で雑巾のように絞られる苦痛。
その強烈な痛みに絶叫しながら、《百足》は見た。
暗闇に紛れて飛ぶ、幾つもの夜の断片。
数百という数の蝙蝠が、自分の周囲を飛び回っている事実に。
「抵抗は無駄だ。
再生できぬよう、このまま圧縮してくれる」
冷然と、《百足》に対して処刑を宣告するネメシス。
彼女は《真祖》、古竜とも並ぶ性能を有する上位の生物種。
竜にも迫る身体能力や、不死にも等しい再生能力など。
幾つもの超常的な力を備えているが、ネメシスが多用する「変化」もその一つ。
自身の肉体を、まったく別の形状へと文字通り変化させる能力。
この力を使えば、身体を蝙蝠の群れの形に分裂する事さえ容易い。
そうして無数に増やした「自分」で、魔法の術式を重ねて増幅・強化する。
ネメシスが最も得意とする戦術だった。
『GAAAAAA……!!』
「チッ、しぶとい奴め……!」
百を超える術式を重ね合わせた重力魔法。
発生した渦の中心に囚われながらも、《百足》は未だに潰れていなかった。
当然の事ながら、加減などしていない。
全力を注ぎ込みつつ、ネメシスは忌々しげに呟いた。
あっさりと潰せるかと思ったが、想像以上に《百足》は硬い。
術式越しに伝わる感触は、異様な重さを伝えてくる。
存在――魂の有する質量とでも言うべきか。
この怪物は、あくまで《最強最古》が切り離した一部に過ぎないはず。
にも関わらず、ここまでの「質量」を有するとは……!
ならば、恐らく今はウラノスが戦っているだろう「本体」。
そちらは一体、どれほどの――。
「……いや、考えるな」
呟く。
油断や侮りは不要だ。
しかし、想像で敵を膨らませ過ぎるのも決して良い事ではない。
敵がかつてないほどに強大である事は、十分承知している。
或いは、最強の英雄たるウラノスでも届かないほど。
だが同時に、あの人がこれまでその拳でどれだけの困難を打ち破ったか。
どれほどの勝利を掴み取ってきたのか。
それもまた、ネメシスは正しく理解していた。
「……そうだ。あの方は大真竜ウラノス。
《盟約》最強の戦士である、鋼鉄の大英雄」
元々、ネメシスはウラノスの部下ではなかった。
彼女は《真祖》。
永遠の狂気に抗う《始祖》が創造した、吸血鬼の
永世者の模範の如く傲慢だった、かつての彼女。
最初は、創造者の一人である《始祖》の王たるオーティヌスに仕えていた。
しかし千年前の戦いが激化する中。
《真祖》でも特に優れた戦士だった彼女は、頻繁に最前線に身を置いていた。
そして当然、その男と轡を並べる機会が多かった。
《鋼の男》など、そんなものは弱者が夢見ているだけの幻想に過ぎない。
超常の種族であるネメシスは、そんな風に男を見ていた。
そんな侮りが粉々に消し飛ぶのに、大した時間は必要なかった。
彼は噂通り――いや、噂以上の戦士だった。
《始祖》の王であるオーティヌスへの忠誠は、今でも変わらない。
しかしネメシスは、戦士として完全にその男に心酔していた。
自ら望んで、彼の《爪》たる《魔星》になることを選んでしまう程に。
「彼が――我らが《主星》が、あのような輩に負けるものかよ」
例え、どれほど勝機が薄くとも。
彼は、ウラノスは決して負けない。
《鋼の男》はいつだって、最後には勝利して来たのだ。
ならば案ずる事など何もない。
今この時、自らの成すべき事を成すだけで良いのだ。
そう考えれば、重苦しかった胸の内は軽くなる。
ネメシスは笑っていた。
――我らは勝つ。
ウラノスが口にした言葉を、声にはせずに繰り返した。
「さぁ、私は急ぎ《主星》の元へ向かわねばならない。
だから走狗風情が邪魔をするなよ――!!」
『GAAAAAAッ!!』
重力渦動にすり潰されながら、《百足》が吼える。
その咆哮には強大な魔力が込められていた。
言うなれば音の《吐息》。
全周囲に向けて放たれた波動が、《百足》を捕らえる術式を内から破壊する。
再び竜の巨体が、暗闇に閉ざされた世界で自由を得る。
だが、その瞬間。
「はァッ!!」
圧倒的な暴力が《百足》を襲った。
蝙蝠の群れから、また人の形に戻ったネメシス。
赤黒い甲冑と突撃槍。
同量の鋼よりも遥かに重く、遥かに強靭な術式兵装。
それは、ネメシス自身の魔力と血肉で編まれた自慢の武具だ。
生身の人間なら身動きすら取れなくなる重量。
しかし、《真祖》であるネメシスのパワーなら普通の武具と変わらない。
むしろ、それは小柄な彼女の体躯に「重さ」という攻撃力を加算する。
竜に匹敵する膂力に、速度と重量。
更に槍の本体には、重力渦動を巻き付けて。
叩き込まれる全霊の一撃は、《百足》の肉を派手に抉り取る。
ネメシスとしては、それだけで仕留める気だったが。
「ええい、しつこい奴め!」
『GAAAAAA――ッ!!』
胴体を丸ごと消し飛ばすはずの槍撃。
が、《百足》は紙一重で長い身体をくねらせていた。
おかげで狙いは僅かにずれ、半ば程度しか削れていない。
とはいえ、槍の攻撃は一度では終わらない。
悪夢じみた速さで、ネメシスは《百足》に対して追撃を仕掛ける。
対する《百足》も、決して無抵抗ではなかった。
『GAAAAAAAAッ!!』
本能を剥き出しにした咆哮。
魔力を帯びた叫びは、音の《
今度は全周囲に垂れ流す形ではない。
幾つかの塊として固め、「砲弾」のように撃ち込んで来た。
音、というのが厄介だ。
単なる炎や冷気なら、纏った装甲で遮断できる。
しかし音――物体を振動させる衝撃は、ネメシスの甲冑でも防ぎ切れない。
防御に専念すべきだと、頭では分かっていた。
「――温いわ、ケダモノがっ!!」
が、ネメシスはそうはしなかった。
持久戦となるのを嫌ったからだ。
《真祖》は強大だが、その分だけ燃費が悪い。
吸血――血液による生命力の摂取を行わねば、あっという間に力尽きる。
ネメシスは事前に「蓄えて」はいるが、備蓄である以上限界はある。
故に狙うは短期決戦。
先ほど抉った《百足》の傷。
胴体を半ばまで削った痕が、既に再生を始めている。
それもまた、ネメシスが決断した理由だった。
――この一撃で、必ず仕留める。
音の《吐息》が装甲を叩けば、内側の肉と骨が軋む。
砕けて裂けた瞬間から、《真祖》の再生能力で無理やり傷を塞いでいく。
『GAAAAAAAAAA――ッ!!』
吼える《百足》も攻撃を緩めない。
《吐息》を途切れず放ちながら、胴体から無数に生えた足を伸ばす。
突撃してくる《真祖》の娘。
無謀にも突っ込んで来る、その小さな身体を捕えようと。
質量と物量による、単純極まりない圧殺。
《吐息》が飛び交う中を、傷付きながらも駆けるネメシス。
彼女に為す術はない――ケダモノの本能で、《百足》は勝利を確信する。
だが。
「何を笑っている、愚か者が」
そんな獣の浅知恵を、ネメシスは力技で踏破する。
槍に纏わせていた重力渦動。
ネメシスはその術式に、さらなる魔力を注ぎ込んだ。
限界を超える魔力を喰らい、渦は何倍にも膨れ上がる。
必然、ネメシス自身を呑み込むほどに。
「ッ……!」
渦が放つ重力を全身に浴びて、ネメシスは奥歯を噛み締めた。
装甲ごと押し潰されそうな重圧。
それを気合いで耐え、ただ前へと走る。
今や、渦に覆われたネメシスこそが巨大な槍そのものだった。
《百足》の放つ音の砲弾も、幾つもの足も。
それを受け止めるには、あまりにも脆かった。
『――――!?』
断末魔は、声になることなく闇に散る。
今度こそ胴体の大半を打ち砕かれて。
《百足》は一瞬だけ痙攣すると、後は完全に動かなくなった。
「…………ふー……」
それでも、ネメシスは残心を忘れない。
警戒は解かず、注意は疎かにはしないまま。
怪物が絶命したのを確認すると、ほんの少しだけ息を吐いた。
とりあえず、この場は無事に勝利した。
しかしこれで終わりではないのだ。
「……アレを倒しても、脱出できる気配は無し。
どうやら、出口は出口で探さねばダメと」
何とも面倒極まりない話だ。
文句を吐き散らしたいところだが、虚空に愚痴っても仕方がない。
早く脱出し、他の仲間たちと合流せねば。
「負けるはずはないと、信じていますよ」
祈りに似た言葉を、小さく囁いて。
傷付き消耗した身体を引き摺りながら、ネメシスは暗闇の出口を探し始めた。
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