418話:四対一
偽りの夜空から、星が落ちる。
ブリーデやマレウスたちの時のように、加減などはしていない。
仮に一つでも当たれば、浮島を容易く粉砕する規模の《流星》の雨。
《最強最古》は、それを指の動きだけで自在に操る。
あまりにも絶望的な光景だった。
ゲマトリアの《竜体》。
翼を広げたその背に乗りながら、ブリーデたちはそれを見ていた。
最早介入する事など不可能な戦場。
押し寄せる破滅へと向かう、四人の戦士たちを。
「《砕けろ》!!」
《支配》の権能を帯びた一声。
その言葉と共に、大真竜ウラノスは拳を突き出す。
虚空を貫く正拳突き。
意思と力はその正面の空間に伝播し、落ちる星を速やかに粉砕する。
たったそれだけで、落下する《流星》の半分が塵と化した。
つまり、半分の星は未だ健在。
そちらまでウラノスが砕くのは、ほんの数秒ほど間に合わない。
故に。
「クロトー!」
「お任せを」
それを三人の《魔星》たちが補う。
開かれた魔眼。
邪毒の呪いは、視界に映る任意の対象を汚染する。
生き物を見れば血肉を蝕み、物質を見ればその構造を朽ち果てさせる。
はては魔力や魂にも影響を及ぼし、衰弱させる特級の呪いだ。
《最強最古》が落とす星とて例外ではない。
砕き損ねた星々は、クロトーの一瞥を受けて黒く染まる。
とはいえ、呪いで侵されてもそれだけで砕けるワケではない。
「暗き渦よ、呑み込め!!」
脆くなった星に向けて、ネメシスが《力ある言葉》を叫んだ。
その言葉の通り、夜よりも暗い闇が渦巻く。
強大な重力を帯びた魔力の渦動。
それが呪いに染まった星を呑み、砂の塊のようにすり潰す。
まだ砕き切れぬ大きな星に関しては。
「覇ァ!!」
ゴーヴァンの大剣が、バラバラに斬り砕いていく。
その速さは風を超え、音を置き去りにする。
《流星》が一掃された事で生じた空白。
ばら撒かれた破片を掻い潜り、剣聖の刃が《最強最古》を襲う。
「チッ……!!」
苛立たしげに舌打ち一つ。
どうにも、甲冑姿というのが気に入らない。
見た目のデザインも雰囲気も、何もかもが違うというのに。
たったそれだけの要素で、心を乱されてしまったという事実。
《最強最古》にとって、それが不快で仕方ない。
「何処を見ている!」
そんな相手の動揺など、ゴーヴァンは知る由もなかった。
ただ技巧の極致と呼ぶべき剣撃は、少女の身体を躊躇いなく切り裂く。
防御の類に意味はない。
致命の隙を逃さず、その一刀は《最強最古》の左足を切断した。
細い肉片が玩具のように宙を舞う。
見た目上では、間違いなく重大な欠損だ。
しかし相手は古竜、その中でも頂点に位置する者。
人間体の部位を切り離したからといって油断はできない。
「《動くな》!!」
「っ……」
権能を上乗せした拳打。
片足を失ったばかりの《最強最古》に、それは正面から突き刺さる。
単純に拘束する力ではない。
言葉通り、その場に「縫い止める」事で動けなくさせる力。
空間に固定化された少女の肉体に、最強の打撃が貫く。
攻撃は終わらない。
「力を出し切る間もなく滅びるが良い、《最古の悪》!!」
ネメシスが走った。
手に構えたのは巨大な
明らかに、使い手であるネメシス自身よりも遥かに大きい。
その大槍に、先ほどと同じ重力渦動を纏わせて。
動けない《最強最古》に向けて、真っ直ぐに突っ込んだ。
吸血鬼の身体能力は凄まじい。
最も古い者であれば、生物としての性能は竜に次ぐとも言われる。
そしてネメシスは《真祖》。
四肢を流れる《真血》は、莫大なエネルギーを生み出す。
「が……っ!?」
直撃。
重力渦動を帯びた槍の一撃は、動けぬ《最強最古》を叩く。
ブチブチと、血肉の千切れる音がした。
ネメシスの槍が持つ、あまりの威力に耐えかねたか。
《最強最古》の左腕が、肘の辺りから無残にも失われていた。
ボロボロの断面を覗かせて、また肉片が地に落ちる。
ダメージは確実に積み重なっている。
ウラノスたちは、休まず追撃を仕掛けようと。
「ガァ――――!!」
したところで、極光が爆ぜた。
動けぬ状態から、《最強最古》が放った《
ゼロ距離で弾ける熱量は凄まじく、ウラノスは全身が焼けるのを感じた。
――だが、こんな苦し紛れの攻撃!
直撃したのはまだウラノスのみ。
自分が耐えねば、ゴーヴァンやネメシスまで被害が及ぶ。
思考は刹那で済み、大真竜は一瞬で拳を固めた。
「この程度ッ!!」
《支配》の権能無しの、ただの鋼拳。
放たれた拳は、究極とも呼ぶべき《最強最古》の《
結果が出たのも、また一瞬だった。
砕ける――砕け散る。
万物を滅却するはずの《竜王の吐息》。
それが今、たった一人の男の拳に破壊されたのだ。
「流石ですな、《主星》」
「ええ、助かりました」
「良い。気を抜くな」
まともに喰らえば、間違いなくタダでは済まなかった。
ゴーヴァンもネメシスも、それは当然理解していた。
仲間たちの礼に短く応えて、ウラノスは光が消えた先を見た。
そこには、《最強最古》の姿があった。
但し位置は変わっていて、間合いはかなり離れている。
どうやら《吐息》と競り合った僅かな時間で、権能の拘束を解いたようだ。
傷だらけの状態でも、浮かべる笑みに変化はない。
あくまでも高みから見下ろす表情で、《最強最古》は笑っていた。
「ハハハ、強いとは認めたつもりだったが。
いや、思った以上だな」
ボロリと。
まだ残っていた右足が落ち、四肢を失った胴体だけが浮かんでいる。
右足は、半ばから朽ちたように崩れていた。
「まさか、逃げられるとは思っていないでしょう?」
それを成したのはクロトーだった。
《吐息》が炸裂した、その時。
権能を無理やり脱した《最強最古》を、彼女の眼は捉えていた。
広範囲ではなく、一点に収束させた魔眼の呪い。
それは噛み切るように、《最強最古》の右足を崩壊させたのだ。
「いやまったく、ここまでやられるとはな。
私も長く生きてるつもりだが、流石にこれは記憶にない」
「…………」
世間話でもするように語る《最古の悪》。
その様子を、ウラノスは油断なく観察していた。
相手が何を企んでいるのか。
少なくとも、その見た目からは推し量れない。
諦めている――などという事は、決してあり得ないはずだ。
だが今の《最強最古》から、何故か戦意らしきものが感じられない。
一体、何を狙っているのか。
他の《魔星》たちも、四肢を喪失した邪悪に集中する。
相手がどんな動きを見せても、即座に対応できるように。
「……遺言があれば聞こう、古き悪よ」
「……遺言?」
ウラノスは、何気なくその言葉を口にしていた。
それはささやかな慈悲の発露であり、それ以上の意味はない。
だからこそ。
「ふ――はっ、ハハハハハハ!」
《最強最古》は、それを腹の底から嘲笑った。
こんな戯言を聞いたのは初めてだと。
戦いの場である事を僅かながら忘却し、邪悪は笑い転げる。
両手が無事だったなら、間違いなく腹を抱えていたことだろう。
芋虫の如く身をくねらせる大悪竜。
それを見ていたネメシスが、大きく舌打ちをする。
「何がそんなにおかしい?
貴様のような外道にも、《主星》様は慈悲を見せたというのに」
「ハハハハ、不死不滅である竜の王に、遺言を聞くなど。
これほどの冗句は聞いた事がなかった。
いや、今のは危なかった。
ついつい本気で笑ってしまったからな」
ネメシスの言葉に、《最強最古》は笑い声を重ねた。
その侮辱を聞き流せるほど、《魔星》たちの気は長くなかった。
胴体と頭だけの状態でも、《最強最古》が放つ存在感は変わらない。
迂闊に踏み込むべきではないと、頭では理解しながらも。
良く回る舌を黙らせるべく、先ずはゴーヴァンが動く。
神速の踏み込みからの必殺の一刀。
「警戒心が仇になったな」
その切っ先が届くよりも、《最強最古》の一手の方が早かった。
唐突に発生する、莫大な量の魔力。
少女の姿をした邪悪が何かしたなら、ウラノスたちは即座に対応しただろう。
最大限の警戒と共に、僅かな異変も見逃すまいと彼らは集中していた。
――そう、集中し過ぎてしまった。
故に、地に落ちた四肢が動き出した時、誰もが反応し切れなかった。
「なんだと……!?」
歴戦のウラノスにとっても、それは未知の事象だ。
《最強最古》は静かに笑う。
「自惚れていた事を認めよう。
お前たちは強い。
流石に四人纏めてでは、私でも厳しい」
語る間に、魔力を膨れ上がらせた手足が蠢く。
その様は、蛹から脱皮する虫にも見えた。
今やそれらは、単なる肉片ではない。
膨大な魔力が新たな血肉へと変わり、それぞれが独立した存在だった。
数は千切れた手足と同じ三匹。
ゴーヴァンとネメシス、クロトー。
《魔星》である三者へと、新たに生まれた怪物が飛びかかる。
その姿は個体ごとに異なるが、どれも竜に酷似していた。
「これはまさか、《竜体》……!?」
声を上げたのはクロトー。
彼女の眼は、その竜に似た怪物の正体を看破していた。
正解だと、《最強最古》は応える。
「どれも私から切り離された私自身。
化身だから、私本体よりは弱いがな」
「お前たち!!」
不意を打たれた形で、《魔星》らは怪物たちに絡み付かれる。
ただ一人、ウラノスだけは自由だ。
目の前に浮かぶ《最強最古》をそのまま狙うべきか。
或いは、捕まった仲間を救うべきか。
その迷いは一秒にも満たなかったが――。
「残念、時間切れだ」
笑う声と同時に、三人の《魔星》が消えた。
彼らを襲った怪物もろとも。
どれだけ気配を探しても、ウラノスの知覚には何も掛からない。
ゴーヴァンたちの反応を、完全に見失った形だ。
「……三人を、何処へやった?」
「邪魔だからな、遊び相手と一緒に異なる空間に飛ばしたよ。
そうすぐに死ぬ事はあるまいよ」
そう言いながら、《最強最古》の身体に急速な変化が生じた。
失われていた四肢。
それらがあっという間に再生していく。
……最初から、こちらの油断を誘うための策だったか。
やはり手足の欠損ぐらい、奴は痛手でもなんでもなかったのだ。
新たに生えた腕と足。
《最強最古》はそれらを動かし、具合を確かめる。
形状こそ、千切れてしまう前と同じだ。
少女らしい、細いが健康的な肢体。
ただ一つ異なるのは、その肌の色だった。
簡単に形容するならは――夜空だ。
うっすらと透けた黒色と、その内に星の瞬きに似た光を内包している。
見た目こそ奇妙……いや、不可思議な美しさがあった。
だが、ウラノスは知覚していた。
それら夜の手足には、先ほどとは比較にならない魔力が循環している事を。
一本だけでも、並みの真竜の《竜体》を遥かに超える魔力量だ。
ただ其処に在るだけで、空間が歪んで見える。
世界そのものを侵しながら、《最古の悪》は微笑んだ。
「さて、また一対一だ。
仲間の事が心配か? それとも怖気づいてしまったか?」
「……いいや、そのどちらでもない」
拳を握る。
これまでで――千年以上の時の中で、最も強く。
大真竜ウラノスは闘気を燃やす。
ただ一人となっても、戦う決意に陰りはない。
「私の仲間たちは強い。
彼らなら、お前の策略など自力で食い破る。
だから、私がそちらの心配をする必要はないさ」
「では、こちらは?」
「それこそ愚問だ、《最強最古》」
嘲る少女に、鋼の男は揺るがず応えた。
「勝つのは我々だ。
例え私一人になったとしても、それは変わらない。
私の持てる力の全てで、貴様を討ち滅ぼす!」
「――良い答えだ。
素晴らしいな、血が滾るなど久しいぞ」
笑う。
獲物を弄ぶ、残忍な獣の笑みで。
拳を構えるウラノスに対し、《最強最古》は夜の腕を広げる。
未だに大陸を覆う、偽りの夜空。
その星々の天蓋もまた、強大な魔力を帯びて駆動する。
神話の再現と呼ぶべき神秘の領域。
中心で対峙するは、二柱の超越者たち。
「私が《最強最古》と呼ばれた意味を、その魂に刻んでやろう」
「不要だ。貴様こそ、我が拳でその邪悪な魂を砕いてくれる」
どちらも等しく、己の勝利を疑わず。
そして、大陸を物理的に揺るがす決戦が始まった。
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