417話:侮っているのは


「おおおおぉぉッ!!」


 大真竜の咆哮が轟く。

 繰り出される拳、その一撃一撃が例外なく必殺。

 千年以上前の頃から、竜をも屠り去ってきた打撃だ。

 威力も凄まじいが、それと同じぐらいに技量も極まっていた。

 拳の間に僅かな隙間すらない状況からでも、致命の一打を放つ。

 肘や肩、その他の身体のあらゆる部位で高威力の打撃を実現できる。

 その五体に、ほんの少しでも触れたなら。

 そこから拳を受けたのと、殆ど変わらない衝撃が貫くのだ。

 敵対者にとってはまさに悪夢。

 怪物などという言葉ではまるで足らない。

 大真竜ウラノスは、己の全戦力を躊躇いなく叩きつける。

 これまで、その力で砕けなかった敵はいなかった。

 ――そう、これまでは。


「良く吠える犬だ」


 嘲りの声には、途方も無い力が宿っていた。

 瞬間、爆ぜる炎がウラノスの視界を埋め尽くす。

 鉄すら溶かすほどの炎熱の嵐。

 小さな町ぐらいなら、これ一発で全てが燃え尽きるかもしれない。

 それほどの大魔法を詠唱も無しに発動させる手腕。

 千年を生きるウラノスでも、同レベルの術者は一人しかしらない。

 炎は、それ自体が意思を持っているかのように絡みつく。

 単純に焼くだけでなく、敵を拘束する事を目的とした術式か。

 対象が灰となって燃え尽きるまで消えぬ炎。

 まともに喰らえば当然致命傷だが――。


「《消えろ》!!」


 ただ一言。

 それと共に放った拳が、展開された術式を粉砕した。

 炎は幻のように消え去る。

 晴れた視界の向こう側で、少女の姿をした邪悪が笑っていた。

 その指先に灯る極光――《竜王の吐息ドラゴンブレス》。


「ッ……!!」


 収束された《吐息》は、まるで光の槍のよう。

 回避は間に合わず、咄嗟に構えたウラノスの腕に直撃する。

 その破壊力は、ウラノスの長い戦歴でも稀有なもので。

 纏った装甲の一部を削られながら、その巨体が耐え切れずに吹き飛ばされた。

 浮島の大地が、また大きく抉られる。

 細かく揺れる地面を踏みしめ、《最強最古》は倒れたウラノスを見下ろした。


「どうした?

 この程度で心折れてくれるなよ。

 私もようやく楽しくなってきたところなんだ」

「……余裕だな、《最強最古》。

 侮りの代償は、貴様が思うよりずっと重いものだ」

「侮る? 私が?」


 立ち上がるウラノスに対し、邪悪は敢えて手を出さない。

 再び拳を構える姿を、少女は律儀に待っていた。

 それを侮りと感じても、あながち間違いではないだろう。

 だが、《最強最古》は細い首を横に振って。


「私はお前を侮ってはいない。

 むしろこれ以上なく評価しているつもりだ。

 今も、無理に狙えば反撃でその拳を打ち込む腹積もりだったろう?

 その打撃も脅威だが、お前は《支配》の権能まで有している。

 そんな相手を侮るなど、幾ら私でもあり得ぬ事だ」

「…………」


 ウラノスは無言。

 ただ、《支配》の権能という言葉に僅かに反応した。

 そして、《最強最古》はそれを見逃さない。


「《支配の宝冠》――《五大》の一柱。

 あの女の魂を呑んでいるのだな」

「……流石は竜の長子、同胞のことには詳しいか」

「言うほど詳しいワケでもない。

 まぁ、知らぬ仲ではなかったのは間違いないがな」


 言いながら、少女は懐かしそうに目を細める。

 旧知の相手に、久々に出会ったと。

 《最強最古》は、そんな懐旧に浸る空気さえ醸し出す。

 今が死闘の真っ最中である事を忘れたかのような態度だが。

 何故かウラノスは、それを隙と見て狙い打つことができなかった。

 ――今の状態で、迂闊に手を出すのは危険だ。

 根拠は不明のまま、戦士としての本能がそう判断していた。

 そんな相手の様子など構わず、《最強最古》は続ける。


「あの女が有する力は《支配》。

 言葉の通り、奴は自分以外のモノを《支配》する。

 まぁ、流石に距離や範囲に限界はあったが。

 一定の空間を《支配》して砕く事、術式を《支配》して消し去る事。

 その程度なら、欠伸が出るほどに容易いだろうな」

「……一体、何の話をしている?」

「侮っているのはどちらだと、私はそう言いたいだけだよ。

 ウラノスとやら」


 するりと。

 言葉の毒は、魂の隙間に入り込んでくる。

 侮っているのはどちらか?

 ウラノスは当然、《最強最古》を最大級の難敵として認めている。

 侮っていることなどあり得ない。


「《支配の宝冠》の力。

 それを持ちながら、欠伸が出る程度の行使しかしていない。

 まさか、使いこなせていないワケではないだろう?

 そもそも、お前はまだ全力を出していない」

「…………」

「《竜体》はどうした?

 お前が挑んでいるのは《最強最古》。

 あのナメクジのような策があるワケでも無し。

 ただ出し惜しみをしているだけなら、これほどの侮りがあるものかよ」


 沈黙するウラノス。

 確かに、今の彼は《竜体》を使ってはいない。

 《支配の宝冠》の力も、《竜体》を顕現させねば完璧には行使できない。

 出し惜しみをしていると、そう言われたなら反論は難しかった。

 ――この千年。

 ウラノスは、戦いで《竜体》を用いた事はない。

 それが必要な敵がいなかったからだ。

 扱えないワケではない。

 《竜体》を制御するための鍛錬も、この千年の間は欠かしていない。

 この最古の大悪竜と戦うには、必要な力だと。

 頭では理解しているが……。


「――不要ですよ、我らが《主星》。

 貴方が《竜体》を晒すまでもありますまい」


 声は、ウラノスたちの頭上から響いた。

 女の声は、《最強最古》は知らぬ相手だった。

 ウラノスにとっては聞き慣れた、最も信頼する仲間の声。

 夜の欠片が渦巻く。

 数百にもなる蝙蝠の大群が、戦いの場を埋め尽くす。


「何だ、お前は?」

「第二の《魔星》、ネメシス。

 しかし覚えておく必要はないぞ、《最古の悪》よ!!」


 蝙蝠たちは、数多の口で一つの声を叫ぶ。

 その全てが《力ある言葉》であり、数十の術式となって折り重なる。

 《拘束》、《束縛》、《重圧》。

 単純な弱体化デバフの魔法。

 例え百に及ぶ数を一度に被せたとしても、《最強最古》には通じない。

 ほんの一瞬、動きを止めるのが限度だ。

 そして「彼ら」にとっては。その一瞬だけでも十分過ぎた。


「破ァ!!」


 舞い踊る蝙蝠たちの影。

 そこから現れたのは甲冑の騎士。

 その姿に、邪悪である少女は既視感を覚えてしまう。

 だが、違う。

 それは彼女が知る相手ではない。

 しかし、似た姿を見たせいで術式を砕く手が僅かに鈍ってしまった。

 そうして生じた空白に、鋭い刃が斬りつける。

 超高速の踏み込みから繰り出される、必殺の一刀。

 横薙ぎに振るわれた大剣が、《最強最古》の胴を捉えた。

 強靭極まりない鱗と、莫大な存在の質量を有する血肉。

 その強度にも関わらず、騎士の剣は深く斬り裂いた。

 真っ赤な血が大地にこぼれる。

 受けた苦痛に、少女は僅かに眉をしかめた。


「――朽ち果てなさい。

 この時代に、お前の居場所は無いのだから」


 続く女の声は、厳かに断罪を告げた。

 やや離れた場所に佇む、白と青の装束を纏う女。

 常は黒い帯で封じられている双眸が、今は大きく見開かれている。

 赤黒い、濃い血の色に染まった眼球。

 毒々しいその色彩は、視界に捉えた空間を侵食する。

 傷つき、動きを止めている《最強最古》。

 その身体に、魔眼から投射された邪毒が絡みついた。

 血肉は疎か、魂にすら侵食する呪いに小さく舌打ちをこぼす。


「ハッ! 随分とゾロゾロと湧いて出てきたな!」

「好きにほざけよ。

 《主星》は己一人で片を付けるつもりだったようだがな」


 挑発めいた言葉に、蝙蝠の群れが冷たく応じる。

 夜の欠片はより集まり、瞬く間に美しい女吸血鬼ヴァンパイアの姿へと変わった。

 大真竜ウラノスの《爪》、恐るべき《魔星》たち。

 彼らの参戦に、その《主星》であるウラノスは唸るような声を漏らした。


「お前たち……」

「今更下がれ、とは言って下さるなよ。

 我らの力の全てで悪を誅すると、最初から決めていたはず」

「先ずは貴方の意地を優先して、大人しく見ていただけですからね。

 ここからは総力戦と参りましょう」


 油断なく、愛用の大剣を構えるゴーヴァン。

 クロトーは朗らかに言いながら、その眼は《最強最古》を捉えたままだ。

 その身に血の色をした鎧を纏いながら、ネメシスは笑う。


「ドロシアはさぞ悔しがっている事でしょうな。

 このような一戦に、遅れて参じねばならぬのですから。

 いや、戦う機会も逸するやもしれませんが」

「侮るなよ、ネメシス。

 相手は間違いなく、我らが戦う敵としては究極の存在だ」

「…………」


 《魔星》たちの言葉を聞き、ウラノスは拳を握り締める。

 ――侮っているのはこちらの方、か。

 《最強最古》に言われた事を、今は静かに認める。

 その脅威を目にした瞬間、自らの拳で打ち砕かねばと考えた。

 あまりに強大過ぎるその存在に、鋼の男は味方の犠牲を恐れてしまった。

 かつての戦いでも、轡を並べた戦友たちを多く失った。

 その喪失を、自分一人の奮闘で避けられるならば。

 己の力に自惚れ、敵を侮った。

 ――あぁ、それでは駄目だ。

 《竜体》に頼るよりも前に、自分には頼るべき仲間がいるのだ。


「……すまなかった、お前たち。

 どうやら、私は目を曇らせていたようだ」


 決意と、そして覚悟。

 その二つを、胸の内に改めて抱いて。

 大真竜ウラノスは、拳を掲げて一歩前に進み出る。

 向けた視線の先には、《最強最古》の大悪竜。

 右腕は無く、クロトーの邪毒も含めて無数の負傷がその細い身体に刻まれている。

 それでもまだ、纏う力の気配は些かも衰えてはない。

 傷付いた少女の姿とは裏腹に、強大無比なその力は健在だった。


「奴は、《最強最古》は此処で討ち取る。

 我々の持てる力、その全てを使い切ったとしてもだ。

 頼めるか、皆」

「最初からそのつもりですとも、我らが《主星》よ」

「ネメシスの言う通り。

 数千年を永らえた悪の命脈、此処で断ち切ろう」

「《大竜盟約》と、我ら星々の名において。

 《最古の悪》、御身に相応しき裁きを」


 意思が重なる。

 鋼の大英雄たるウラノスと、彼に従う三つの星。

 星の輝きは、一つ欠いている状態だが。

 それでも《盟約》が誇る最強戦力が、《最古の悪》の前に立ちはだかった。

 相対する大悪は、過去に比肩するモノ無き脅威であることを認めた。

 或いは、彼らの言う通りにこの命にすら届き得ると。

 しかし。


「――茶番はもう良いか?」


 邪悪は崩れない。

 甲冑騎士の姿を目にした時に漏れ出た、ほんの少しの動揺。

 今はそれも消え失せて、後には傲慢な悪竜の表情があるのみ。

 本気で戦うべき敵だと認めた。

 命に届き得る脅威である事も、同じく認めた上で。

 《最強最古》は笑っていた。

 自らの勝利を、完全に確信している笑みだった。


「下らん三文芝居はもう十分だ。

 来い、格下ども。

 お前たちの言う事がどれだけ夢見がちか。

 私が教えてやろう」

「――戯言を口にしているのは、貴様の方だ。

 我らは勝利する。

 例え貴様が、どれほど強大な竜であってもな――!!」


 そして、偽りの夜空にウラノスの咆哮が響く。

 三つの《魔星》を従える、《盟約》で最も強く輝く英雄の星。

 迎え撃つは《最強最古》たる暗黒天体。

 戦いの終わりは未だ見えず、その激しさを一層増していくのだった。


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