416話:想像がつかない


「ウラノス……!」


 ブリーデは、その男の名を叫んだ。

 《竜体》を砕かれる寸前。

 紙一重のところで割って入ったその勇姿。

 《最強最古》が振り下ろした爪は、《竜体》を砕くに足る力があった。

 その一撃を、男の拳は真っ向から受け止めていた。

 この世の何よりも強靭な鋼。

 男――大真竜ウラノスの五体は、まさにその鋼鉄そのものだった。


「おおおぉぉ!!」


 咆哮。

 受けた爪を弾き、生じた隙間にねじ込まれる正拳突き。

 その場にいる殆どの者が、それを見ることができなかった。

 ウラノスがやった事は、単に拳を突いただけ。

 そんな単純な動作があまりにも速く、あまりにも無駄がない。

 結果として、その拳は知覚不可能な速度に達する。

 ただ、速度に反して衝撃波などは殆ど発生しなかった。

 如何なる技法か、力の損失が極限まで抑え込まれた結果だ。

 風を切る音や、大気の壁を貫く衝撃もなく。

 放たれた拳は真っ直ぐに、《最古の悪》の身体を捉えていた。

 その威力は――。


「――――っ!?」


 凄まじい、という形容ではまるで足らない。

 《最強最古》もまた、自身の周囲に防御の術式は張り巡らせていた。

 その上、彼女は至上最強の大悪竜。

 鱗の強度も他の竜とは比較にならず、それ抜きでも肉体の防御力は圧倒的だ。

 右腕が砕かれたのは、魂を砕く別格の一撃を受けたからこそ。

 対して、ウラノスが打ち込んだのはあくまでただの拳だ。

 拳であるはずなのに。


「まだまだッ!!」


 

 ただの拳打が、魂の領域にまで届いている。

 あらゆる防御を纏めて貫き、ウラノスの鋼拳は《最強最古》を叩きのめす。

 一度では終わらず、続くのは嵐の如き連打だ。

 華奢な身体は、暴風にさらされた木の葉も同然だった。

 浮遊している大地が激震する。

 ウラノスの拳は、《最強最古》を埋没する勢いで地面に叩きつけた。


『流石は大真竜ウラノス……!

 いや、やっぱり頼れる男は違いますねェ!!』

『……無茶苦茶だな、マジで』


 その戦いぶりに、ゲマトリアは黄色い歓声を上げた。

 三つ首の《竜体》のまま、その場で小躍りしそうな勢いだった。

 内側にいるヴリトラは、唸る声で呟く。

 恐ろしい、心底恐ろしい。

 《大竜盟約》の序列三位、大真竜ウラノス。

 その存在については、ブリーデやゲマトリアから聞かされてはいたが。


「……本当に、圧倒的ね。

 最初の一撃も、姉さんはまるで反応できてなかったわ」


 マレウスは、やや掠れた声で呟く。

 先ほどの戦闘で、身体は大分ガタついているようだ。

 どうにか立ってはいるものの、いつ倒れても不思議ではない。

 そんな彼女の傍らに、ブリーデが降り立つ。

 既に《竜体》は解いており、妹の身体を支えようと手を伸ばす。


「大丈夫、マレウス?」

「そういうブリーデこそ。

 身体、しんどいんじゃないの?」

「……正直ね。やっぱり、私は向いてないわ」


 強がらず、素直に肯定する。

 ブリーデの《竜体》は強力だが、残念ながら本人は最弱の大真竜。

 元々、彼女はそれほど長く《竜体》は維持できない。

 鱗の何割かを砕かれるようなダメージを受けたのも、初めてに等しい経験だった。


「とりあえず、ウラノスの言う通り。

 私たちは下がりましょう。

 いても邪魔になるだけだし、これ以上はもうどうしようもないわ」

「……そうね」


 不安と後悔。

 重く暗い感情が宿ったブリーデの言葉。

 それに、マレウスは反論することなく頷く。

 白蛇の姉が言う通り、これ以上はもうどうしようもない。


『ええ、まぁ避難するのは良いですけど。

 一体何をそんな不安そうにしてるんです?』

『……まぁ、そういう反応になるよなぁ』


 もう勝ったも同然じゃないですか、と。

 そう言わんばかりの、ゲマトリアの楽観的な態度。

 無理もないと、ヴリトラはため息を漏らす。


『気持ちは分かる。

 ぶっちゃけ、俺もあのウラノスって奴の強さにはビビったし。

 あんなのと戦う羽目になったらと思うと、目眩がして眠くなるわ』

「貴方はいつも眠そうじゃない?

 いえ、昔の私も他のひとの事は言えないけど」

『どんだけ惰眠を貪りたいんですか貴方たち。

 まーウラノスが介入した以上、ボクらは寝てても問題ないと思いますけどね!

 そうでしょう、ブリーデさん!』

「……だと良いけどね」


 明るいゲマトリアの呼びかけとは真逆に、ブリーデの声は重い。

 可能な限り距離を取っている間も、戦いは続いている。

 いや、それを戦いと呼んで良いものか。


「《砕けろ》ッ!!」


 強大な魔力が込められた咆哮。

 その言葉と共に打ち込まれる拳も、また無双の力が宿っていた。

 粉砕。

 ヴリトラがその能力で、地表から引き剥がした浮遊大地。

 浮島と表現した通り、そのサイズはちょっとした島ほどもある。

 そんな巨大質量の一部が、文字通り粉々になった。

 単に砕けたワケではない。

 さながら、《分解》の魔法でも受けたかのように。

 拳を振るった先の空間全てが、言葉の通りに塵となって砕けたのだ。

 その破壊の影響に、《最強最古》もまた晒されている。

 肉体を粉砕こそされていないが、全身をズタズタに引き裂かれていた。


「この力は……!」

「はァッ!!」


 ウラノスが有する力の本質。

 それを看破した《最強最古》に、拳の脅威は途切れず襲い掛かる。

 彼より下の大真竜とは、まさに次元が異なる。

 あまりに圧倒的なその様は、確かに勝利を確信するには十分過ぎるものだ。

 ゲマトリアと同様、ブリーデもまたその強さを知っている。

 信頼しているかと問われれば、迷うこと無く肯定するだろう。

 ――しかし。


「……こうなる前に、何とか私たちだけで止めたかったわね」

『はい?』

「私たちを相手にしている時、アイツは遊んでたわ。

 やる気なんて殆どなかったって、そう言っても良いぐらい。

 さっきだって、最後の最後でようやく『戦う気』になっただけ」


 理解が及ばず、ゲマトリアは三つ首を傾げる。

 どこか苦痛を堪える表情で、ブリーデは言葉を続けた。


「本来なら、あのバカは私たちなんて反撃も許さず捻り潰せる。

 けど身内と認めた相手には甘いから、そうはしなかった。

 だから私たちは、アイツがその気になる前に仕留めるしかなかったの」

「ええ。それが、限りなく低いけど確実に存在した勝機。

 少なくとも、私たちにとっては」

『……それは、つまり?』


 マレウスの言葉を聞いて。

 楽観で花が咲いていた頭でも、言わんとする事が分かって来た。

 その眼に不安の色が帯びたゲマトリア。

 彼女の視線は、続く戦いを見ていた。

 状況は変わらず。

 大真竜ウラノスの攻勢が、一方的に《最強最古》を打ちのめしている。

 ――いや、これなら心配する事なんてない。

 ゲマトリアは安堵の息を漏らした……が。


「――素晴らしいな、戦士。ウラノスと言ったか?」

「……!」


 笑う声には、僅かな陰りもない。

 叩き込まれた右拳。

 一切の無駄を排除した、究極の一すら超える極限の零。

 極まった武の限界点と呼ぶべき拳撃。

 それを、少女の左手がしっかりと捉えていた。

 ウラノスにも劣らぬ剛力が、その細い指先に込められている。

 両者の間の大気が、音を立てて軋んだ。


「お前は強い、私が知る中では間違いなく最強だ。

 《五大》ですら、お前の拳と比べれば霞むかもしれん」

「《潰れろ》ッ!!」


 戯言を全て聞く必要は無し。

 拳を掴まれた状態で、ウラノスは鋭く叫ぶ。

 直後に発生する超重力。

 何十倍、いや何百倍にも達する重圧が《最強最古》に押し寄せる。

 例え《古き王》であっても、翼一つ動かせなくなるだろう拘束。

 それを受けても尚、邪悪は揺るがない。


「――お前は強い。

 故に私も、全力で相手をしてやろう」


 《最強最古》は笑う。

 これまでとは、まったく種類の違う笑みだった。

 獲物を目にした獣であっても、ここまでの表情は見せまい。

 総身に怖気が走るのを、ウラノスも自覚していた。

 硝子が砕けるのに似た音。

 超重力の封印を、《最強最古》が力任せに砕いた音だ。

 掴まれたままの拳を、更に強く握り締める。

 当然、少女の形をした悪竜はそれを離す気はなかった。

 その状態で、ゼロ距離からの術式を展開し。


「ふんッ!!」


 発動する前に、衝撃が《最強最古》を貫いた。

 もう片方の拳で殴られた――ワケではない。

 左手で掴んでいた右拳。

 隙間などまったく無く、押すのも引くも不可能。

 にも関わらず、そこからウラノスが右の拳打を繰り出したのだ。

 《最強最古》ですら未知の領域の技量。

 驚きと称賛を覚えながら、細い身体がまた大地を砕く。

 度重なる破壊を受けて、浮島は崩壊寸前にまで追い込まれる。


『ちょっと、これ以上は維持すんのキツいんだけど!』

「もう少し頑張って……!

 粉々ならまだしも、原型を残ったまま地上に落とすのはダメよ!」


 幸いにも、森人たちの都市は位相のズレた空間に存在する。

 故に余程のことがない限り、物理的な被害を被る可能性は少ない。

 が、それも「絶対」を保証するものではなかった。

 その用心のためにも、戦う場を力技で空中に浮き上がらせたのだ。

 しかし、限界は近づいていた。


「……あの馬鹿も、完全に本気ね。

 最悪だわ」


 気遣いも、加減する必要もない強敵。

 それが過去の経験と比較しても「最強」となれば。

 当たり前の結果として、竜の長子は本気で戦う構えを見せていた。

 こうなってはもう手の出しようがない。

 戦いの舞台から、ブリーデやマレウスたちは弾き出されてしまった。

 辛うじて、ゲマトリアなら介入できるかもしれないが……。


『いやいや無理ですよ!?

 ボクなんか巻き込まれた瞬間木っ端微塵になりますって!』

『もう寝ていい??』


 精々が、戦闘の余波を防ぐ盾の役が限界だと。

 すっかり尻尾を丸くしながら、ゲマトリアは三つの首で嘆いた。

 内側でだらけ始めた猫は、この際置いておくとして。


「……勝てると、思う?」

「私にそんなこと聞かないで欲しいわね」


 不安げなマレウスの問いに、ブリーデは不機嫌そうに唸った。

 答えようがないし、出来れば答えたくもない。

 ただ、言えることがあるとするなら。


「……アイツが。

 あの馬鹿が、あそこまで本気で戦うのは初めて見るわ」

「貴女でも?」

「当然でしょう? アイツは《最強最古》。

 そもそも、『戦い』になるような奴が滅多にいないんだから」


 圧倒的、という言葉でも不足する竜の絶対的頂点。

 大真竜と言えど、それと互角以上に戦うウラノスもまた凄まじい。

 同胞に向けた信頼は、勝利の可能性を願わずにはいられない。

 けれど――それでも。


「……完全に本気になったアイツが、負けるところなんて。

 私じゃ、とても想像が付かないわ」

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