463話:オーティヌスの提案


 テレサによる《転移》。

 物質的な縛りから解き放たれた浮遊感が、一瞬だけ全身を包む。

 時間としては、本当に刹那。

 両足が地面に着くと同時に、油断なく剣を構えた。

 何の異常もなければ、ここはもう地下神殿の何処かのはず。

 アウローラたちを背に庇う形で一歩踏み出し、視線を周囲に巡らせる。

 光に乏しい薄闇の中。

 見えるのは、相変わらずだだっ広い石造りの空間。

 最初に来た時と同じ場所に見えるが、ハッキリとは言えない。

 そもそも、この神殿内部の構造なんてまるで把握してないしな。


「……さて、静かだな。

 まさか我らが攻め入って来ない、などと考えてはおらんだろうが」

「待ち伏せぐらいはしてるでしょ、当然」

「だなぁ」


 竜の姉妹の言う通り。

 正直、いきなり罠のド真ん中ぐらいの覚悟はしていた。

 ――妙に静かだな。

 待ち伏せによる奇襲もないのは、逆に不気味だ。

 さて、一体何を考えて……。


『……来たか。

 思ったよりも遅い来訪だな、招かれざる客人たちよ』


 声。

 途方もない年月に晒され、磨かれ抜いた巨岩の響き。

 ただの一声で、広大な空間全てが一つの気配に呑み込まれた。

 圧倒的――そんな言葉でも、まるで足りない存在感。

 本気モードのアウローラと互角か、もしかしたら上回っているかもしれない。

 加えて、そこに混じる竜の気配。

 間違いなく、《天秤狂い》のヤルダバオトのものだ。


「そっちこそ、予想より随分と丁寧な対応ね。

 もしかして歓迎会の準備でもしてくれていたの?」

『友人相手にならば、私手ずから馳走を振る舞うのも吝かではないがね』


 いや、料理できるんだな。

 その事実こそ意外だわ。

 などと考えていると、目の前に人間サイズの歪みが生じる。

 入ってきた俺たちと同じ、《転移》による再出現。

 姿を見せるのは、予想通りの法衣姿。

 髑髏の顔は冷たく、虚ろなはずの眼窩に宿る意思の光だけは激しく燃えていた。

 《大竜盟約》、その礎である序列二位の大真竜。

 同時に、古き十三人の《始祖》たちの王。

 オーティヌスは、俺たちと相対する形で現れた。

 ……ホント、こうして向かい合うだけでも圧力が半端じゃないな。


『――不要ではあるだろうがな。

 礼儀として、先ずはそちらの用件を聞こう』

「…………」


 敵意、戦意。

 何気なく立っているようで、オーティヌスは既に戦闘態勢だった。

 正十字の杖を握る手にも、強烈な力が籠もっている。

 後は一言……どころか、簡単な動作でさえ大魔術を連射してきそうだ。

 もしくは、それ以上の事すら容易いかもしれない。

 《始祖》の王オーティヌス。

 内に呑んでる竜王ヤルダバオトも含めて、途轍もない難敵だ。

 勿論、戦うのなら勝つし、最初っからそのつもりだが――。


「おい、アウローラ」

「分かってるわよ。

 けど、お願いだから変な真似は止めて頂戴ね」

「それはオレに言う台詞じゃねぇと思うわ」


 イーリスに促されて、アウローラは《力ある言葉》を囁く。

 一瞬、オーティヌスが反応する。

 が、それが攻撃的な意図でない事はすぐに分かったらしい。

 様子を見る老賢人の前に、別空間から取り出された「それ」が横たわる。


『ッ――――』


 錫杖を持つ手が、大きく震えた。

 オーティヌスの意識は、俺たちから眼前の「それ」に向く。

 《黒》と呼ばれた、魔法使いの屍。

 言葉を失った《始祖》の王へと、イーリスは一人で足を踏み出した。

 膝を折り、亡骸に手を伸ばす。

 丁重に抱えあげると、そのままオーティヌスの前へ。


「《灰色アッシュ》……いや、ウィルの遺体だ。

 帰すべき場所に、返しに来た」

『……何故』

「悔いてたからだ。アンタも、コイツも。

 死んだ後ぐらい、家族の元に戻っても良いだろ」

「…………」


 テレサが、ほんの少しだけ目を伏せた。

 オーティヌスの方も、真っ直ぐ過ぎる言葉に声を失っているようだ。

 ……ホント、こういうところがイーリスさんだよなぁ。

 こういう事をするのに、何の打算もない。

 ただ自分がやりたい事、やるべき事を躊躇しないだけ。

 その正しさを突きつけられて、オーティヌスは何を思うのか。


『…………すまない。

 どれほど感謝しようとも、返しきれぬほどの恩だ』

「いらねェよ、ただのお節介だ。

 そら、細腕で抱えてるには重いんだよ」

『あぁ。重ね重ね、感謝する』


 片手をかざすと、魔法使いの亡骸がふわりと浮かんだ。

 そこに、帯状の光が幾重にも包み込んでいく。

 丁寧に、丁寧に。

 多分、それは埋葬だった。

 やがて完成した光の繭は、今度はその体積を徐々に縮めていく。

 縮んで、縮んで、豆粒ほどの大きさまで小さくなる。

 最後に残ったものを、オーティヌスは自らの懐にしまった。


『――――』


 髑髏の口元が、微かに動いた。

 何かを唱えたようだったが、《力ある言葉》じゃない。

 耳には届いていたが、良く意味の分からない言葉だった。

 恐らくは、死者を葬るための祈りか。

 その内容を理解しているのは、きっとオーティヌスだけだろう。


『……愚かな息子よ。

 お前の罪は、未来永劫許されることはないだろう。

 それでも私は、お前を愛していた。

 私の弱さと愚かさが、お前を追い詰めたのならば。

 私の罪もまた、未来永劫許されることはないだろう。

 せめて、安らかに眠れ』


 その言葉を最後に、魔法使いの葬送は終わった。

 正面に相対したままのイーリスに、オーティヌスはその視線を向けた。


「イーリス、こっちに戻れ……!」

「あぁ。もう良いよな?」

『返しきれぬ恩義ができた。

 少なくとも、今は君を傷つけるような真似はすまい』

「……別にそんなつもりはなかったからな」

『分かっている。侮ったつもりはないのだ、許されよ』


 相変わらず、敵意も戦意もある。

 それでも、オーティヌスはイーリスに仕掛ける気はないらしい。

 テレサに呼びかけられ、こっちに戻ってくる彼女。

 《始祖》の王は、黙ってその背を見送った。


「で、事前の用事は終いだな?

 ならば後は、やる事は一つというわけだ」

「ホントに楽しそうよね、お前」

「相手は《始祖》の王、我も直接矛を交えた事はないからな」


 呆れ気味のアウローラに、ボレアスは獰猛な笑みで応える。

 流石にやる気満々だな。

 ボレアスは俺に並ぶ形で立つと、翼を広げて炎の吐息をこぼす。

 アウローラもまた、ボレアスとは逆の側に並び立った。

 テレサはイーリスを守りつつ、後方から援護する構えだ。

 俺はいつも通り、一番前で剣を握る。


「じゃあ、やるか」

「……貴方も貴方で、意外と楽しそうよね」

「かもな」


 やっぱり呆れているアウローラに、こっちも笑って答えた。

 先の襲撃はヤルダバオト単体だった。

 だが今回は、更にオーティヌス自身もいる。

 万全に近い状態とはいえ、まともにやって勝てるかどうか。

 内にある戦への高揚を自覚しながら、俺は先手を取るべく踏み出して――。



 その一言で、足を止められた。

 オーティヌスは構えていなかった。

 こちらに制止を促すため、片手を前に突き出すのみ。

 明らかにやる気はあるっぽいのに、何故か戦いの姿勢を取っていない。

 困惑の言葉を、最初にアウローラが口にした。


「待てって、どういうつもり?

 こっちは喧嘩を売りに来たことぐらい、分かってるでしょ?」

『承知している。ウィルの亡骸の返還も、あくまでついでに過ぎぬ事もな』

「だったら……」

『私は《盟約》を預かる、序列二位の大真竜。

 これまで多くの同胞と戦い、これを討ち取ってきたお前たちは間違いなく仇敵だ。

 ――特に、そちらの《最強最古》。

 お前には私個人としての恨みも、文字通り山ほどある。

 できるなら、如何なる手を使ってでも滅殺したいと考えている』

「まぁ、それは当然よね」


 一切の不純物の存在しない、純度マックスの殺意。

 それを浴びせられて、アウローラは平然と笑っていた。

 まぁ、このぐらいの恨み節はそりゃ慣れっこだよな。

 オーティヌスも、それで相手が動揺したりするとは思ってないだろう。

 なら、本題は?


『お前たちは《盟約》の敵で、怨恨もある。

 ……が、今最も優先するべきは地の底にある《造物主》だ。

 一連の騒動で《盟約》の封印は破壊され、今は王が押し留めている状況だ』

「…………」


 オーティヌスにとっての、《盟約》の王。

 《黒銀の王》。

 千年前にウィルの野望を挫き、《造物主》の残骸を地底深くに埋めた英雄。

 俺がリベンジしなけりゃならない相手だ。


「回りくどいな、御老体。一体何が言いたいのだ?」

『……そうだな。

 正直に言えば、私も納得はしていない。

 納得はしていないが、最善に近い解決法である事も否定し難い。

 故に、私はこの「提案」を口にしよう』

「提案……?」


 訝しむアウローラ。

 さて、この状況で何を言い出す気だ?

 俺はサッパリ思い浮かばないが。


『――《最強最古》と、その伴侶たる竜殺しの男よ。

 《始祖》の王たる大真竜、オーティヌスとしてお前たちに問う。

 大真竜として、《盟約》にその名を連ねる気はないか?』

「………………は?」


 それは。

 それは流石に、完全に予想の外から飛んできた話だった。

 言ってる意味が分からないと、アウローラはぽかんと口を開けている。

 ボレアスやテレサ、イーリスも。

 全員が全員、大体似たような顔をしていた。

 こっちの動揺に構わず、オーティヌスは更に続ける。


『別に難しい理屈のある話ではない。

 《造物主》の封印は、《盟約》に属する真竜全ての力の総和で維持されていた。

 それが大真竜の席も欠けて、真竜の多くが砕かれたが故に破綻した。

 最早、私単独では修復は難しい』


 だが、と。

 オーティヌスは一度言葉を区切って。


『《最強最古》、大陸すら滅ぼし得るその力。

 極めて脅威であるが、同時にその強大さについて異論はない。

 お前だけなら、到底こんな選択肢は認められん。

 だが、そちらの男は《最強最古》を止めるという不可能を成し遂げてみせた』

「まー、がんばりはしたな」

『《最強最古》と竜殺し。

 お前たちが魂を重ね、新たなる大真竜となる。

 そうなれば、封印を再建するのに不足していた力を補って余りある。

 ――加えて、そっちの娘は《人界》の神か?

 神の権能もあれば、《造物主》に施す封印はより強固となろう』

「……なるほど。

 《盟約》は我らを滅ぼしたいと思っていたが。

 確かに、それなら理屈は分かるな」


 苦笑いを浮かべながら、ボレアスは一つ頷いた。

 ……何となくだが、これはオーティヌス自身の考えじゃない気がするな。

 もしそうなら、ここまで苦々しそうに口にはしないだろう。


『機会はこの一度だけだ。

 戦うならば、《盟約》の大真竜として全霊で迎え撃つのみだ。

 ――さぁ、どうする。《最強最古》よ。

 愛しい男と共に、大真竜となる道を選ぶか。

 それを望むならば、私は助力を惜しまぬと約束しよう』


 語る言葉に、虚偽の気配は微塵もなかった。

 宿敵であるはずの《最強最古》――アウローラに向けて。

 大真竜オーティヌスは、本気でその選択を投げかけていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る