369話:誤算
何もかもを嘲るような《秘神》の声。
それを《巨人殺し》は耳を塞ぐこともできずに聞く他なかった。
人間サイズの《巨人》。
確かに、それならば彼女の不死身っぷりも納得は行く。
《巨人》だったら心臓が潰れようが、首の骨が圧し折られようが。
その程度の負傷で死ぬ事はないだろう。
……ただ、気になる事が一つだけあった。
果たして、《秘神》の方はそれを認識しているのか。
「さぁ、説明は十分だろう?」
変わらず嘲笑いながら、《秘神》はその手に力を込める。
先ほど首の骨を折った時とはまた別だ。
物理的なものとは異なる「力」。
それが掴んでいる手を通じて、《巨人殺し》に流し込まれようとしている。
「ヤバいよなぁアレ」
「……どうするの?
もう剣が向こうに当たるとか、配慮してる暇はないわよ?」
『我も長子殿の意見に賛成だな。
あの娘が本当に《巨人》であるならば、厄介な事になるぞ』
アウローラとボレアスの言う通り。
あの《秘神》は《巨人》を操る力があるらしい。
そして恐らく、その能力を《巨人殺し》に向けて行使しようとしていた。
明らかに拙い状況だ。
邪魔をするためにも、全力で斬りかかるのも考えた。
「……いや」
「レックス?」
「悪いな、もう少しだけ」
そう、もう少しだけ様子を見たかった。
微妙に困惑するアウローラを押し留め、俺は周りの《巨人》に剣を振るう。
こっちは《巨人》が邪魔で、手出しができないフリをしておく。
根拠のない勘ではあったが。
未だに、《巨人殺し》の相棒である黒蛇が動いていない。
その一点に賭けて、俺はその場に踏み止まる。
「私に従うが良い、この大いなる《秘神》アベルに!
愚かなる父が創造せし《天使》の写し身よ!
旧き文明を滅ぼしたその力、私のために蘇らせるが良い!!」
「ッ…………!」
仰々しい言葉で叫び、《秘神》が一際強い力を放った。
それこそが《巨人》を支配するための力なのだろう。
その余波を浴びた他の《巨人》たちも、一瞬だがその動きを止める。
既に命令を与えられてた連中は混乱してしまったか。
《巨人殺し》は動かない。
顔は俯き、身体はダラリと弛緩している。
「オイ、あれやっぱヤバいんじゃ……!?」
「……《天使》。私も、おとぎ話でしか知らないような存在だ。
かつてこの星にあった文明を駆逐した脅威。
《造物主》が生み出した、悍ましき《巨人》どもの始祖」
焦燥に駆られたイーリスの声。
それを受けて、アストレアは苦々しく語った。
《天使》。
旧世界を滅ぼした、ってのはピンと来ないけどな。
少なくとも大真竜と比較しても負けないぐらいの化け物だろう。
「ハハハハハハハハハハハハハハ!!」
手応えを感じたか、《秘神》は高らかに笑った。
《巨人殺し》は動かない。
俯き気味の顔を《秘神》は無遠慮に覗き込む。
「さて、支配も施した上に私の力も注いでやった。
人間としての形状は破綻してもおかしくはないが、外見上の変化は無しか?
これはこれで素晴らしい事だな!」
「…………」
「人間の殻を被り、これまで人間のように振る舞っていたとしてもだ。
お前の本質は《天使》だ。
不完全なモノを憎んだ、《造物主》が抱いた憤怒と憎悪の化身だ。
《巨人》を殺したいという衝動。
それもまた、不完全性を排除したい《造物主》の悪意の発露に過ぎん。
愚かで醜い事極まりないが、私だけはその在り方を肯定しようじゃないか。
私は愚かなる父を超える者、完璧で完全なる神!
《天使》であるお前の主にして、万物の支配者たる者!
さぁ、それを理解したのなら呆けてないでいい加減に――」
「……呆けているのはどっち?」
声。
誰の声か。
当然、《巨人殺し》の声だ。
少し前までと何一つ変わる事のない。
《巨人》は殺すという、冷徹な意思が芯となった言葉。
その殺意と敵意は、今は目の前で呆けている神も対象としていた。
「は?」
本当に想定どころか欠片も考えていなかったのだろう。
間抜けな声を上げる《秘神》。
その顔面に向けて、《巨人殺し》の剣が直撃した。
衝撃を受け、神様の身体が軽く仰け反る。
「がッ……!?」
「離せ、この変質者」
不意の一撃に、《秘神》は明らかに驚いている様子だった。
それでも掴んだ手は簡単には離れず、立て続けに二度三度とぶっ叩く。
刃で打たれた肉は、異様に硬い金属音を響かせる。
ギリギリと、《巨人殺し》を掴む手が再び万力のように締め付ける。
「な……ッ、どういう事だ……!?
《巨人》であるはずのお前が、何故に私の支配を拒絶する!!」
『――ゴチャゴチャとうるさい奴だな、お前は』
「ッ……?」
《巨人殺し》の胸元から聞こえてくる声。
襟から顔を出した黒蛇を見て、《秘神》は戸惑いの表情を見せる。
多分、その瞬間まで存在に気付いていなかったか。
それは《秘神》が鈍いというより、蛇の方が気配を消していたんだろう。
黒蛇は身体の半分ほどを外に出して、神様の顔を正面から覗き込む。
声の調子は変わらないようで、其処には強烈な怒りが滲んでいた。
『お前には何一つ理解できんだろうし、親切に説明してやる気もない。
だが、これだけは言っておいてやるぜ?』
「何だ、貴様は。完璧で完全な神である私に、何を――」
『お前はただの勘違いしたクズだ。
《造物主》に用済みと打ち捨てられ、無意味に嘆き続けているところを。
面白がった「王」が気紛れに拾ってやっただけの、その程度の存在だ』
その言葉は、心を抉る刃のようだった。
虚飾は一切なく、ただ真実の鋭い先端だけがある。
驚き、目を見開く《秘神》。
その目を黒い蛇は真っ向から受け止めて。
『そんな哀れでどうしようもないお前が、完璧で完全?
ハハハハ! あんまり笑わせてくれるなよ。
それこそ「王」がお前を道化としか見てない証だ。
自らを見誤り、勘違いしたまま踊り続けるだけの愚かな生き物。
本当に、その一点だけは同情してやっても良いぜ。
《秘神》アベル、自分を神だと勘違いした哀れな道化よ』
「き、っさま……!!」
『そんなお前が、大事なブラザーを汚い手で触るなよ。
……あぁ、それとな』
一気に怒りのボルテージが振り切ったか。
激昂する《秘神》に対し、黒蛇は余裕の態度で笑う。
『後方注意だ。ホント、脇が甘いよなお前』
「ッ!?」
「よう」
黒蛇の言葉を受けて、《秘神》は弾かれたように振り返る。
そこで見えるのは俺が振り下ろした刃の切っ先だ。
警告をまともに聞いてしまったせいで、逆に動きが鈍っていた。
狙い違わず、振り下ろした剣は《秘神》の腕に食い込んだ。
《巨人殺し》を吊り上げている右腕。
神の力を帯びた刃は《光輪》には阻まれない。
しかし、《鬼神》の装甲ほどではないにせよ《秘神》の肉も異様に硬い。
竜殺しの剣でさえ、腕を半ば抉ったところで止まってしまった。
感触的には、刃は骨に当たって削っている。
全力でブチ込んだ一刀だが、切断するまでには至らなかった。
「き、さまァァァァァッ!!」
腕に剣が刺さった状態で、《秘神》は怒り狂う。
眼に真っ赤な光を宿し、左腕を俺とアウローラに向けようと。
「あら、良いの? こっちにばかり気を取られて」
したところで、腕の中のアウローラが嘲りを口にした。
その言葉を、《秘神》はまたもや聞いてしまった。
頭は判断する事を求められ、必然的にその動きは再び滞る。
アウローラの言葉が何を意味しているのか。
そもそも、そんな敵の戯言をまともに聞く必要があるのか。
……《秘神》は確かに強大な神なんだろう。
無数の《巨人》を操ったりと、その力は間違いなく脅威だ。
しかし、もう一つ断言できる事がある。
「素人め」
それを《巨人殺し》は一言で表した。
一撃。
掴まれたまま、少女の細腕が大剣を振り下ろす。
狙うのは自身を捕らえる《秘神》の右腕。
既に骨まで食い込んでいるこちらの剣に、勢い良く刃が重なった。
硬い何かが砕ける感触と、濡れた重い音。
「あ?」
唖然とした顔で《秘神》は見ていた。
千切れてしまった自らの右腕を。
血は流れず、断面は黒々とした肉が蠢いているのが見える。
人間の形をしているのはガワだけだったか。
「あ――ギ、アアアアァァァァッ!?」
「やかましい」
苦痛か驚愕か。
耳障りな絶叫を響かせる《秘神》。
そこに無慈悲なアストレアの声が降って来た。
それと同時に満ちる光。
頭上を埋め尽くすほどの「剣」の雨。
「ヤバいヤバい……!」
「少しぐらいは気を使っても良いと思うんだけど!?」
アウローラさんの意見もご尤もだ。
しかし当の裁きの神様は気にも留めていない。
なので急いで《巨人殺し》を抱えて、アウローラと共に距離を取る。
千切れた腕に気を取られていた《秘神》は間に合わない。
「裁きを受けろ、罪人ッ!!」
そして、光が降り注いだ。
《巨人》の群れもド派手に蹴散らして。
「剣」の雨に呑まれて《秘神》の姿もすぐに見えなくなった。
こちらは《巨人》を盾にした上で危機一髪だ。
ギリギリ威力範囲の外へ脱出し、大きく息を吐き出した。
「しぬかとおもった」
『いつもの事であろうよ』
「せやな」
「できればいつもの事で片付けて欲しくないんですけど??」
やや疲れた顔のアウローラ。
彼女に兜を指で突かれながら、片腕に抱えた《巨人殺し》を見た。
こっちも今は特に問題はなさそうだが。
「大丈夫か?」
「ええ、ありがとう。助かった」
「大した事はしてないけどな」
精々、《秘神》が隙を見せた瞬間に斬りかかったぐらいだ。
しかし。
「アイツに何かされてたみたいだけど、本当に平気か?」
「平気よ。
どうして平気かは良く分からないけどね」
本当に分かっていない様子で応えながら。
《巨人殺し》はこっちの腕から離れて、軽く手足を動かす。
動作に淀みはなく、本当に平気そうだ。
……《秘神》は確か、彼女の事を《巨人》だとか言っていた。
確かに人間離れした身体能力に、死んでも平気で起き上がってくる不死性。
それらが《巨人》由来だと言われれば納得はできる。
しかし、《巨人殺し》はアストレアとの戦いで《光輪》に引っ掛らなかった。
本当に彼女が《巨人》ならそれはおかしいはずだ。
だから《秘神》が、彼女を《巨人》として操るつもりなら大丈夫じゃないかと。
そう考えて最後まで様子を見ていたワケだ。
結果として予想は大当たりだった。
まぁ、「何故大丈夫だったか」の理由については……。
「……ありがとう、クロ」
『礼を言われる理由が分からんね、ブラザー。
それより今は目の前の事を片付けようぜ』
胸元を軽く抑える少女に、黒蛇はいつも通りに応えた。
あぁ、まったく言う通りだ。
今は先ず目の前からだ。
そう考えて、正面を睨んだ直後。
『――殺す……殺す、殺す、殺す殺す殺すッ!!
一匹残らず殺し尽くしてくれるわ塵埃どもォ!!』
アストレアが降らせる流星の如き「剣」の雨。
砕ける《巨人》の血肉ごと、それらが一瞬で薙ぎ払われた。
地の底から響くような怨嗟。
蠢く黒い巨影は、《秘神》の声で喧しく吠え立てた。
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