第五章:そして、愛は鋼を腐らせる

423話:ウラノスの《竜体》


「――なるほど。

 それがお前の《竜体》か、ウラノス」


 世界が悲鳴を上げている。

 大陸全土を覆い尽くす形で展開された、偽りの夜を映す天蓋。

 それらが軋むのを肌で感じながらも、《最強最古》は笑っていた。

 本来ならばあり得ぬ事だ。

 彼女が誇る最強の秘儀、《竜星の中庭ミーティアル・ガーデン》。

 小規模な「世界」を創る、神の領域に限りなく近い魔導の究極。

 同等規模の術式との「せめぎ合い」であれば、構造が揺れる事もあるだろう。

 だが、相対する敵はそうした魔術とは無縁の男だ。

 であれば、結論は一つ。

 そのたった一人の男が有する、存在の全質量。

 ただ其処に在る事で生じる「重さ」だけで、世界そのものを歪ませている。

 あり得ないと、《最強最古》は考える。

 幾ら《五大》の魂を呑んでるとはいえ、個人で到底届く領域ではないはずだ。

 あり得ない――あり得ないが、目の前の現実は変わらない。

 故に、《最強最古》はその事実を認める他なかった。


「そうだ。

 これが、私の持てる力の全てだ」


 この男、ウラノスは。

 一個人でこの《竜星の中庭》に匹敵する質量を有していると。

 まるで人間サイズに凝縮された天体だ。

 改めて、《最強最古》はその姿を観察する。

 存在の質量に反して、物質的なサイズは増大したワケではない。

 造形自体は、先ほどまでとそう大きくは変わっていなかった。

 全身を装甲でよろう武神。

 ただ、纏っている装甲の形状には変化があった。

 赤と白。

 相反する二つの色が、渾然一体となりながら完璧な調和を見せる。

 竜の頭部に似た兜、身体の要所には逆立つ鱗のようなパーツが目立つ。

 全体としては竜の雰囲気が強く出ているが、纏う形は人の身だ。

 配色と同様、不自然さは微塵もない。

 人間という器に、竜の力が完璧に統制されている。

 その背に翼はないが、ウラノスの両足は空を地面と同様に踏み締めていた。

 完全なる調和と、理性に基づく力の秩序。

 或いはこの姿こそ、大真竜と呼ばれる存在の究極系なのかもしれない。


「面白い――いや、美しいな」

「覇ァッ!!」


 忌々しさを感じながらも、《最強最古》は認めざるを得なかった。

 ウラノスの《竜体》――完成された《武装竜化》は、美しいと。

 当然、大真竜はそんな戯言を聞く気はなかった。

 咆哮と同時に放たれる正拳突き。

 距離はまだ遠く、拳が届く間合いには入ってない。

 だが物理的な距離など、もう何の関係もない。


「ッ――!?」


 かつてない衝撃が《竜体》を貫く。

 少女の形をした邪悪は、その威力に息を詰まらせた。

 例えるなら、星の一撃。

 自らが放った《流星》をまともに喰らったなら、同じ状態になるやもしれない。

 そんな戯れめいた思考は、すぐに中断する事になる。


「おおおぉぉぉぉ!!」


 ウラノスの攻撃は終わっていない。

 遠距離からの「遠当て」が当たった瞬間。

 《鋼の男》は大きく一歩踏み込んだ。

 たったの一歩。

 足を少しばかり深く踏み込んだだけで、互いの距離はゼロになった。

 空間を《転移》したようだが、違う。

 《最強最古》の優れた知覚は、その現象を捉えていた。

 それは、ウラノスが前に踏み出した時。

 ほんの一瞬だが、世界の方が「縮んだ」ように感じられた。

 まるで、こうべを垂れて自ら道を開くように。

 結果として、ただの一歩でウラノスは《最強最古》の前に辿り着いた。


「ぐっ……!!」


 そして、叩き込まれる拳打。

 呼吸を一度済ませる間に、五度の衝撃が走った。

 恐らく、その気になればその何倍もの数を打ち込めただろう。

 が、単なる手数ではこの大悪竜には届かない。

 そう考えたウラノスは、拳の一つ一つに全霊を注ぎ込む。


「大した馬鹿力だな……!」

「まだだっ!!」


 顔を歪めて、《最強最古》も反撃に出る。

 神速で放たれる鋼の拳に、夜の腕を叩きつける。

 接触と同時に発動する《流星》の術式。

 空で繰り返される星の運行を、生身の人間にぶつけるに等しい暴挙。

 その圧倒的な力に、ウラノスは死ぬ寸前まで追い込まれていた。

 ――ついさっきまでは。


「こんなものッ!!」

「ッ……!」


 敢えて強い言葉を選び、ウラノスは短く吐き出した。

 砕け散る。

 放たれようとしていた星――だけでは済まなかった。

 夜を宿した右腕。

 見た目こそ細いが、《最強最古》の莫大な魔力が循環していた夜のかいな

 それが、ウラノスの拳によって粉砕されたのだ。

 割れて粉々になった硝子の如く。

 夜の破片が、キラキラと煌めいていた。

 刹那、ウラノスは其処に己の勝利を幻視した。

 だが、しかし。


「流石に、やるではないか」


 《最強最古》は笑っていた。

 油断と慢心はなくとも、余裕と傲慢に満ちた笑みだった。

 その表情を、視界に捉えた直後。


「がッ……!?」


 今度は、ウラノスの身体を衝撃が貫いていた。

 それを成したのは、当然ながら《最強最古》だ。

 やった事は、お返しとばかりに突き刺さった拳の一撃。

 特筆すべきは、それを実行したのは右腕だという事だろう。

 つい先程、ウラノスによって砕かれたはずの腕。

 それが今は、傷一つない完璧な状態で再生していた。


「高速再生など、できて当然だろう?」

「怪物め……!!」


 ほんの僅かな時も、目を離していなかったと断言できる。

 にも関わらず、砕けた腕が再生するのを見ていない。

 一体どれほどの速度で再生を果たしたのか。

 衝撃に怯んだウラノスに、《最強最古》は容赦なく追撃を仕掛ける。

 拳に蹴り、更には《吐息》と《流星》。

 一つ一つでも、並の真竜ならば即座に絶命する威力。

 押し寄せる津波の如くにぶつけながら、邪悪は笑っていた。


「さぁ、もっとだ! もっと吐き出してみせろよ!

 この程度で屈するなよ、私がわざわざ相手をしてやっているんだ!!」

「言われるまでも無い!!」


 折れず、朽ちず、そして腐らず。

 鋼の拳は硬く、抱いた決意と覚悟はそれ以上に強い。

 再び、星と夜を砕く。

 単純な拳の威力だけではない。

 今のウラノスは《竜体》、それをより最適化した《竜化武装》。

 十全とは言い難かった《支配》の権能。

 その強すぎる力も、この状態ならば完全に制御できる。

 平時は、《力ある言葉》として支配の対象を定めなければならなかった。

 が、今のウラノスは違う。

 ほんの少し、意識するだけで良い。

 力で《支配》するべきモノを認識するだけ。

 それだけで、万物は彼の意に従うのだ。

 砕くことも、消し去ることも。

 全てが自在だ。

 万物はその支配を受け入れ、思う様に蹂躙される他ない。

 ……あまりの全能感に、まともな神経なら酔い痴れてしまうだろう。

 それほどまでに、ウラノスが持つ《支配》は強大な力だ。

 だが、そんな凡夫の例にこの男は当てはまらない。

 決して揺るがぬ鋼の精神力。

 ウラノスは自らを完璧に律し、《支配》の力を邪悪打倒のためだけに注ぐ。


「破ァッ!!」

「チッ……!!」


 ぶつかる。

 鋼の拳が、夜の腕を砕いた。

 目にも映らぬ速度で復元を果たし、逆に鋼の拳が断ち割れる。

 が、そちらもまた瞬時に再生する。

 この異常な応酬が、一秒以下の時間で延々と繰り返されていた。

 ウラノスと《最強最古》。

 互いの攻撃が、容易く相手の肉体を打ち砕く。

 しかしお互いに、打ち砕かれた部分を刹那の時間で修復してしまう。

 最早、欠損レベルの負傷すら殆ど意味はなくなっていた。

 無尽蔵とも思える、圧倒的なまでの力の総量。

 それを正面から激突させ続ける、人智の及ばぬ超常の戦。

 どちらが先に、持てる力が底を付くのか。

 両者共に全力で相手を滅ぼしに行きながら、本質は持久戦の様相を呈していた。


「――どうした、焦りが見えるぞ!!」

「ッ……!?」


 左右に激しく揺れる天秤。

 見た目上は殆ど互角で、実際のところも同様だ。

 が、主導権を握っているのは《最強最古》。

 彼女はに、明らかに手慣れた様子だった。


「あぁ、お前は本当に強い。

 互いに《竜体》を晒した今、単純な力だけならお前が上回るかもしれん。

 《最強最古》が認めよう。

 お前は間違いなく、大陸の歴史で最も強い戦士だと」

「光栄だな!!」

「だが、それでも勝つのは私だ」


 偽りのない賞賛を口にしながら。

 それでも勝利という結果は揺るがぬと、《最古の悪》は嘲る。

 否定は言葉ではなく、拳の一撃で返した。

 拳打は左の腕を砕くが、直後に復元した左の爪が逆に拳を砕き返す。

 ウラノスも、負けじと拳を再生させる――が。


「ッ!!」


 偽りの夜空から、星の魔弾が降り注ぐ。

 貫かれた身体へと、鞭の如くしなる尾が更に打ち据えた。

 防御も回避も間に合わない。

 硝子細工も同然に砕けた血肉に、追撃は次々と襲いかかる。

 無論、ウラノスも受けた傷はすぐさま再生させていた。

 しかし《最強最古》は、それを上回る速度で負傷を重ねていく。


「元は人間で、しかも千年の間にそこまで大きな戦もなかっただろう?

 鍛錬は重ねていても、こういう戦いの経験は多くあるまい」

「ぐ、ぅッ……!」


 応える余裕もなく、ウラノスは防戦に回るしかなかった。

 その様を見下ろして、少女は邪悪に微笑んでいる。

 こういう戦いと、《最強最古》は口にした。

 人の戦いではなく、極めて強大な力を持つ竜同士の戦争。

 指摘された通り、大真竜という頂点の身では経験が少ないのは事実だった。


「手足がもげようが、即座に魔力で接いで戻せば良い。

 器である肉体など、粉々に破壊されない限りは致命傷すら無意味だ。

 あぁ、雑魚の古竜ならば欠損を治すのにも時間が掛かるだろうが――」


 語る間も、攻める手は休めない。

 力の波濤は容赦なく、ウラノスを呑み込もうとしていた。


「――私がいる領域ならば、この程度はな?」


 傷が刻まれた時には、もうその傷は跡形もない。

 人間の常識を遥かに超越した高速再生。

 《最強最古》のそれよりも、ウラノスはほんの僅かに遅い。

 時間にすればコンマ一秒以下の差だろう。

 だが実力が近しいほどに、そのあって無いような差が響いてくるのだ。

 力の強さでは、自身を上回っていると。

 そう語ったはずの相手に、《最強最古》は力押しで圧倒する。


「っ……!!」

「このまま潰れて死ぬか? 若造」


 抗うウラノスの頭上に落ちる、嘲りの声。

 美しく微笑む少女のかんばせ

 そして、迫るのは夜の爪と燃える星々。

 だけではなく、極光の《吐息》が目の前で輝いた。

 偽りの夜空を翼と共に広げて、絶望的なまでの力が解き放たれる。

 対して、ウラノスは諦めてはいなかった。

 心は屈さず、戦意に一切の陰り無し。

 故にこそ、無心のまま打ち込む右の鋼拳。

 頭で考えたものでなく、肉体が自然と繰り出した一撃。

 それが、死の波濤と真っ向からぶつかり合う。

 衝突の余波は世界を揺るがし、少女と男の両方を呑み込む。

 夜空に爆ぜる破壊の華。

 傍から見るだけなら美しく映るのは、酷く皮肉な話だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る