第四章:終わる世界との戦争

497話:世界蛇との戦い


「なぁヤバいだろコレ! 絶対にヤバいだろ!?」

「はい」

『言ってる場合でもなかろう!

 そら、また来るぞ!』


 腕輪の嵌った右手を掲げ、必死の形相で叫ぶイーリス。

 彼女の意思に従い、正十字の翼が暗闇の宇宙そらで一際強く輝いた。

 ヤルダバオトと並んで、一頭の竜が飛翔する。

 それは《竜体》となったボレアスだ。

 こっちもこっちで、焦りを含んだ声で警告を発している。

 瞬間、世界が激動した。

 見上げる。

 星々が煌めく夜――のように見えるモノ。

 その全てが『敵』だった。

 さっきまで俺たちがいた理想世界。

 それを内に異界として構築し、数多の魂を呑んでいる巨大な『蛇』。

 あまりにも巨大過ぎて、具体的にどれだけのデカさなのか想像もつかない。

 そんな途方もない怪物が、激怒した眼で俺たちを睨んでいた。


「大人気なくブチギレじゃない、お父様ったら……!」


 腕の中、冷や汗を浮かべたアウローラが笑う。

 その声や、細かな腕や指先の動作。

 全てに魔術的な意味を持たせ、強固な防御結界を構築し続けている。

 そうしなければ、途端に木端微塵に打ち砕かれかねない状況だ。

 衝撃。

 世界蛇――《造物主》の敵意が、有形無形の『攻撃』として襲い掛かる。

 目に見えない破壊の波であったり、炎や氷の混じった嵐であったり。

 その形は本当に様々だった。

 星が火の玉になって、あらゆる方向から幾度も『落下』してくる。

 いつぞや見た悪夢とまったく同じ光景だ。


「流石に無茶苦茶過ぎるだろ……!!」

『《造物主》――父に挑むという事は、一つの世界そのものに挑むに等しい。

 覚悟の上では?』

「覚悟してても文句の一つは言いたくなるんだよクソッタレ!」


 言いながらも、イーリスは《造物主》から片時も目を離さない。

 ヤルダバオトの言葉通り、世界と同じ存在規模を持つ強大無比な怪物。

 思い浮かべるのは《人界》の王や、《盟約》の《黒銀の王》。

 間違いなく、それらに匹敵するほどの超越者だ。

 どう考えても、人間がまともに相対して良いような相手じゃない――本来なら。


「大丈夫か、イーリス!」

「そういう姉さんこそ平気かよ!」

「一人だったら、とっくの昔に潰されていただろうな……!」


 姉妹は、互いの手を強く握っていた。

 恐ろしくないはずがない。

 敵は天変地異が具現化したような化け物だ。

 けど、一人じゃない。

 それだけで、二人とも折れずに戦うことができる。


「俺もちょっとは頑張らないとな……!」


 多少なりとも、頼られてるって自覚はあるからな。

 抱き締めているアウローラを見下ろせば、丁度視線が合った。


「――正直、勝ち筋がまったく見えないけど」

「いつものことだな」

「それでも行く?」

「いつものことだからな」

「ホント、仕方のない人」


 笑う。

 笑って、そのままヤルダバオトの上から跳んだ。

 一瞬の浮遊感。

 そのまま直ぐに、傍らを飛翔していたボレアスの背に着地する。

 落下する星を旋回して回避したのは、それとほぼ同時だった。


「危なっ!!」

「おい、大丈夫か!?」

「ええ、そっちは自分の心配をしなさい!

 ヤルダバオト、しっかり仕事を果たして頂戴!」

『ええ、均衡が乱れていますので』


 気遣うイーリスに、アウローラが言葉を返す。

 まぁ、ヤルダバオトの存在が色んな意味で心配ではあるが。


「こっちから仕掛けるが、問題ないな?」

『問題しかなかろうが、我もそのつもりで《竜体》となったからな。

 ――あぁ、愚かな父に感謝しよう。

 番犬などにしてくれたおかげで、力だけは十分に漲っているぞ』


 屈辱は倍にして返す。

 言葉に出さずとも、その意思が伝わってくる。

 そりゃあ、あの扱いは腹が立つよな。


「それじゃあ、腹を括って行きましょうか。

 頼むわよ、ボレアス」

『長子殿も、彼氏の世話はしっかりやれよ――!!』


 加速。

 吹き荒れる嵐に、不可視の破壊の渦。

 落下し続ける星々の隙間を縫って、《北の王》は高く飛ぶ。

 後方では、ヤルダバオトが暴れている気配がハッキリと伝わってくる。

 こっちが攻め込み易いよう、イーリスが囮として動かしてるようだ。

 相手の敵意ヘイトが分散するのはありがたい。

 実際、襲ってくる『攻撃』の密度は気持ち薄くなった気がする。


『ガアァ――――――ッ!!』


 轟く咆哮。

 翼を広げて飛翔しながら、ボレアスが《吐息》を撃ち放つ。

 炎熱の塊は、しかし蛇の巨体に届く前に砕かれる。

 幾ら密度が下がったとはいえ、先ず向こうの『攻撃』が激しすぎるか。


『駄目だな、牽制にもならんか』

「……もう少し近づける?」

『具体的には?』

「剣の間合いよ」

『ハハハハハ、まぁそれしかあるまいか!!』

「悪いなぁ」


 いやホントに。

 近づかなきゃ話にならんが、その『近付く』のが先ず難事だ。

 現状、俺はただボレアスの背中に乗ってるしかない。

 ……うん、もう少しやることがあるな。


「ボレアス」

『む?』

「頼んだ、がんばれ」

『――ハハッ、そうか。そう言われては仕方あるまいな!!』


 信じて、任せる。

 俺の言葉を受けて、ボレアスは愉快そうに笑った。

 アウローラがちょっと不満げな顔してるけど、うん。

 抱き締めて頭を撫でたら、直ぐに機嫌は良くなってくれた。

 ――さぁ、覚悟を決めようか。


『少々荒くなるが、振り落とされるなよ!!』


 加速、加速、加速。

 展開されるアウローラの術式もまた、速度を補助するためのモノだ。

 何重にも施された強化が、ボレアスを流星へと変える。

 生きた心地がしないってのは、まさにこの事だ。

 自らが星になって、夜空を翔けていく光景。

 こんな状況じゃなければ、目を奪われそうなぐらいに美しい。

 手にした剣を、強く握る。

 今は信じて、任せるしかなかった。

 この刃を振るう時が必ず来る――それまで、力を溜める。


『――――痴愚どもが』


 敵意。

 音ではなく、意思が直接頭の中に言葉のイメージを焼き付けてくる。

 《造物主》。

 全ての古き竜を創造し、今は理想世界で何もかもを呑み込もうとする超越者。

 その憤怒が、憎悪が、殺意が。

 俺たちに向けて、洪水の如く降り注ぐ。


『不完全で蒙昧な、知恵も足りぬ矮小なる愚者どもが。

 不愉快だ、不愉快だ、不愉快極まる。

 貴様らのせいで損なわれている。

 私の、完全な、永遠不滅の永劫楽土が。

 理想を見せてやったはずだ。

 幸福を約束してやったはずだ。

 なのに、お前たちはそれを拒絶する。

 何故? 意味が分からない。

 お前たちはただ私を崇め、私に従えば良い。

 私より正しき理など、この全宇宙には存在しない。

 だというのに――』

「ゴチャゴチャうるせェよ馬鹿が!!」


 《造物主》の意思。

 それを跳ね除ける形で響くのは、イーリスの声だった。

 物理的な距離は、随分と遠い。

 にも関わらず、彼女の言葉は暗闇の隅から隅まで届きそうだ。


「お前の世界も別に悪いもんじゃなかった! あぁ、そこは認めてやるよ!!

 それを幸福だと受け取る奴もいるし、それも悪い事とは言わねェ!

 オレが気に入らないのは、テメェの腐り切った性根だけだよ!! バーカ!!」

「言うなぁ」


 こっちも大体同意見で、思わず笑ってしまった。

 まぁ、俺は隅っこの牢屋に押し込められてただけなんで。

 理想世界の中身ついてはノーコメントだが。


「……《造物主》よ。

 私も、お前の語る楽園とやらを否定するつもりはない。

 だがアレは夢だ。どれほどの楽園を歌おうとも。

 目覚めて訪れる朝を前に、夜は何も語らずただ去るべきだ」


 続くテレサの言葉に、空間を満たす憤怒が強まる。

 神の如き力を振るいながら、《造物主》はまるで人間のように怒り狂っていた。


『人間が――永遠に生きることもできない、脆弱な人間風情が!!

 私は《造物主》!! 万象の頂点、星すらも平伏す完全な存在だぞ!!』

「いや、完全じゃないから一度死んだんだろ」


 笑う。

 ブチギレてるし、聞こえてるかどうかは知らないが。

 話せる余裕がある内に、言いたいことは言っておくべきだろう。


「失敗して、くたばって。

 そんで性懲りもなくやり直そうって気概だけは、認めないでもないけどな。

 悪いが、こっちは良い迷惑なんだ。

 だからまた自殺しろ――とは言わないが」


 握った剣、その刃を意識する。

 竜を殺すために鍛えられた、この世に二つとない一振り。

 そして唯一、この傲慢な神様モドキを殺せる剣。


「今度は、俺たちがきっちりぶっ殺してやる」

『ッ――――殺せば死ぬのは、貴様ら人間だろうが!

 私を同列に語るな、不遜だぞ!!』


 爆発する。

 《造物主》の激怒が、物理的な現象として炸裂した。

 ロクに狙いも付けずに、ただ感情のまま全てを薙ぎ払う炎と衝撃。

 普通は避けるべきだろうが。


「ボレアス、アウローラ!」

『おう、このまま突っ込むぞ!!』

「守りは任せて!」


 俺たちは、その破壊の渦に自ら突撃した。

 何重にも展開される、アウローラの防御結界。

 ボレアスは翼をなるべく小さく畳み、受ける衝撃に備える。

 そして俺は、気合いを入れて構えた。

 なんとかなる。

 我慢できるなら、つまりは死なないって事だ。

 我ながら無茶苦茶なことを考えてる間に、荒れ狂う炎熱の中へと飛び込んだ。

 視界は真っ赤に染まり、天地の境を見失う。

 ヘカーティアと戦った時も大概だったが、この状況はアレ以上だ。

 結界の幾つかは一瞬で砕け、その下から絶えず新しい壁が築かれる。

 それでも間に合わず、ボレアスの《竜体》が削られていた。

 竜の鱗すら焼く破壊の炎。

 流石は《造物主》、デカい口を叩くだけはある。


「おい、生きてるか……!!」

『ッ……この程度、どうということもない……!!』

「あと少しよ……っ!」


 耐える、耐え続ける。

 きっと《造物主》は、考えもしてないだろう。

 星に匹敵する己の怒りを真っ向から受けて、それでも耐える。

 矮小だと、脆弱だと。

 嘲り見下す存在に、そんな真似ができるなんて。


「――抜けるわ!」


 あぁ、思い浮かべすらしてないな。

 破壊の嵐を突き抜けて、視界は再び世界蛇の巨体が埋め尽くす。

 やっぱりデカ過ぎて遠近感が狂う――が。

 間違いなく、相手は目の前だ。

 俺たちがその姿を見上げると同時に、向こうもこっちの存在に気付いたようだ。

 気付き――案の定、その眼が驚愕に見開かれた。


『何故……!?』

「そりゃがんばったからだよ!!」


 単純な、どんな馬鹿にだって分かる理屈だ。

 《造物主》だけは、それを理解できていなかった。

 焼かれてボロボロな状態でも、ボレアスは速度を緩めない。

 再びアウローラが補助と強化の術式を施し、更に加速をかけた。

 合わせて、俺は剣を構える。

 これまでで一番の気合いを入れて。


「オラァッ!!」


 振り抜いた。

 切っ先は深く、神の血肉に喰い込む。

 ――硬い。

 当然だ、相手は星そのものと戦えるような怪物なんだ。

 弾かれそうになるのを、兎に角気合いで耐えた。

 耐えて、耐えて、そして。


『ッ――――――!?』


 世界蛇の身体に、一筋の傷が刻まれた。

 巨体と比較するなら、恐らく鱗一枚にも満たない。

 けど、間違いなく《造物主》にダメージを与えていた。

 その事実に、俺は確信する。


「あぁ、これなら勝てるな」

『き、さま……!!』


 勝てる。

 剣が通じて、傷を付けられるなら。

 相手が何であれ、必ず勝てる。

 そう言って笑う俺に対し、《造物主》は強く意識を向けてきた。

 恐らく初めてだろう。

 俺という個人を、怒りに燃える眼差しが捉えるのは。


『人間が、殺してやる――!!』

「そりゃこっちの台詞だな、神様!!」


 戦いと呼ぶには、あまりにも絶望的な格差。

 天と地、なんて言葉じゃまるで足らない。

 先ずはそれを埋めるために、俺たちは世界蛇へと挑みかかった。

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