271話:ナメクジの決断


 当然のように、威力は全開時に比べればスズメの涙。

 我ながら情けないことこの上ない。

 それでも、放った閃光は間違いなくウィリアムを捉える。

 無防備なところを直撃させた――と、そう思ったけど……!

 

「チッ……!」

 

 ウィリアムの前に立つ、青白い炎を纏った騎士。

 《吐息》が命中する直前に、壁として呼び出したか。

 しかし咄嗟の事であったため、防御自体が不完全だったようだ。

 受けた騎士は腕の一部が吹き飛び、ウィリアム自身も余波は受けている。

 身体を焦がしながら、一旦距離を取ろうとして。

 

「逃がすかよ」

 

 今度はレックスが動いた。

 既に体勢は立て直し、降り注ぐ矢も苦にはしていない。

 片腕となった騎士を鞘付きの剣で殴り倒す。

 そしてそのまま、後ろに退こうとするウィリアムに迫った。

 再び、互いの剣がぶつかり合う。

 片手で剣を振るっていても、力に関してはレックスが上だった。

 攻めの圧力を真っ向から受け流すウィリアムの業は、腹立たしいが見事なもので。

 ここに来て、戦いの天秤は釣り合いを見せた。

 

「まったく、心底忌々しい男だな……!」

「そりゃお互い様だろ!」

 

 口元だけ笑みの形にして、二人は心底愉快そうに吐き捨てる。

 何だか、お互いの世界に入り込んでしまったような感じだけれど。

 こっちはこっちで、それを眺めてばかりではいけない。

 自身の内側へと少し意識を集中させれば、魔力の流れを感じ取れる。

 鎖が解けたおかげで、ある程度は力が出せる。

 それを確認し、私は即座に術式を編む。

 今も変わらず降り注ぐ矢の雨。

 コイツをどうにかしないと。

 

「“風よ”」

 

 普段なら児戯のような魔法。

 制限が付いた状態では、失敗せぬよう慎重に発動させる。

 私とレックスの周囲を囲むように、薄い風の膜が展開される。

 矢避けの風は、行使されると同時にその役目を果たす。

 途切れることなく降り注ぐ矢。

 それらはレックスに届くことなく、足下の地面へと風に流される。

 大半の矢はこれで問題なし。

 風を貫いて来るような威力の矢に関しては、私が注意すればいい。

 

「助かる!」

「良いから、貴方はその糞エルフをぶっ殺して!」

「仮にも淑女が、汚い言葉を使うのは余り感心せんな!」

 

 やかましいわよ。

 今のも糞エルフなりの渾身のジョークのつもりなんでしょうけど。

 馬鹿なことを言ってる間にも、二人の攻防は続く。

 足を止め、ウィリアムとレックスは剣を振るい続けた。

 斬る。弾く。突く。躱す。払う。避ける。

 本当に、凄まじいとしか言い様がない。

 レックスの強さは当然知っている。

 ウィリアムは、あれだけ策を弄しておいて結局正面から戦っても強いのだ。

 腹立たしいけど認める他ない。

 今のコイツは、あの森で戦った時よりも確実に強い。

 レックスとどちらが上なのか、私の目から見ても断言できない程に。

 

「まったく、残念な話だ!」

 

 鋼同士の衝突に、空気が弾ける。

 振り下ろされたレックスの剣を、ウィリアムの刃が受け流す。

 攻防の手を緩める事なく、ウィリアムは叫ぶように言った。

 

「出来れば、さっきの一手で仕留めたかったんだがな……!」

「そりゃ残念だったな!」

「あぁ、本当に残念でならん!」

 

 レックスも叫び返しながら、何度も剣を打ち込む。

 ……釣り合っていた天秤。

 それが今、少しずつ傾いているのが分かる。

 どちらに傾いているかと言えば、当然レックスの方だ。

 ジリジリと、レックスの剣にウィリアムは押し込まれつつあった。

 この男が相手だから、見せかけの可能性は否定できないけど。

 

「ふっ……!」

 

 気合いと共に、レックスが放つ一撃。

 ウィリアムはこれを刃で防ぐも、完全には止めきれない。

 

「チッ……!」

 

 或いは、それが鞘でなければ決着に繋がったかもしれない。

 防ぎ切れなかった剣の先端が胴を掠め、その衝撃にウィリアムは舌打ちする。

 動きにまだ陰りはない。

 けれど、ダメージは確実に重なっている。

 

「このまま……!」

 

 押し切って、と。

 私がその言葉を言い終える前に。

 視界の端を、何かが疾風の如く駆け抜けた。

 こちらが反応するよりも遥かに速く、閃くのは青白い炎。

 

「っと……!?」

 

 ウィリアムとの間に無理やり割り込む形で、二つの剣が打ち込まれた。

 堪らず後退するレックスにしがみ付きながら、私は見た。

 立ち塞がるのは青白い炎を纏う二人の騎士。

 後方のウィリアムを庇う形で、それぞれ手にした剣を構える。

 そして、現れたのはその二騎だけではなかった。

 

「……これは……」

 

 思わず、呟く。

 いつの間にか、私たちのいる通りからは人の姿が消えていた。

 その代わりとでも言うように、佇む無数の青白い影。

 形は違えど、同じ打ち手の武具を携える月光を宿す騎士の群れ。

 既に私たちを、半ば包囲するような形で展開していた。

 見える範囲だけでも二十騎近くが存在する。

 後方で矢を飛ばしていた連中と合わせれば、総数はどれぐらいになるのか。

 

「……出来れば、こうなる前に決着を付けたかったんだがな」

 

 皮肉げに。

 そして心底残念そうに、ウィリアムはそんな言葉を口にした。

 

「っ……ちょっと、アンタ……!」

 

 戦意で満たされたその空間に、不釣り合いな息を切らした声。

 並ぶ騎士たちの間から、見慣れた姿が出て来た。

 もつれそうになった足を、傍らの幼女に支えられながら。

 

「ブリーデさん、少し落ち着いてくださいよ。

 そのままじゃホントに転びますって」

『千年以上経っても変わらないドン臭さに、ちょっと感動すら覚えるな』

「アンタ達は少し黙ってなさい……!」

 

 幼女と、その頭に乗っかって垂れてる猫。

 何故かそんなおかしなお供を連れて。

 白い娘は――今はブリーデと名乗る彼女が、この場に現れた。

 私はそれだけで、一瞬心臓が跳ねる程の衝撃を受ける。

 そんな事で、こんなにも動揺してしまうのか。

 分からない。

 本当に、私は何も分からなかった。

 分からぬまま、視線だけはブリーデの事を追ってしまう。

 

「…………」

 

 向こうも、見られている事には気付いたけど。

 睨むような目は、一瞬だけ私を見た。

 それだけですぐに顔を逸らして、彼女はウィリアムの方へと向かう。

 胸の奥に、また棘が刺さったような痛みを感じる。

 

「アウローラ」

「……大丈夫。私は大丈夫だから。

 それより、この状況を何とかしないと」

 

 気遣うレックスの声に、応える言葉は平静を装う。

 そう、今は私個人の感情なんてどうでもいい。

 完全に囲まれてないとはいえ、明らかに危機的状況だ。

 一切の隙なく佇む、月の光を宿す騎士たち。

 どいつもこいつも強い魔力を帯びていて、数は多いクセに雑魚じゃない。

 今はまだ、命令がないから動いていないだけで。

 こっちが下手な事をすれば、即座に襲い掛かって来るだろう。

 ……ホント、せめてレックスの剣が万全なら。

 

「ちょっと、ウィリアム……!」

「これは遅いお越しだな、ご主人様」

「アンタが私をほっぽって先に行ったからでしょうが……!」

 

 掠れた声で怒鳴りながら、ブリーデは糞エルフの足を爪先で蹴ろうとする。

 が、むしろ蹴った側が足首を捻ってその場に蹲ってしまう。

 何と言うか、見覚えのあり過ぎる光景で脱力するわね。

 蹴られた側もこの結果は予測していたのか、何も言わずに手を貸していた。

 

「おーい、大丈夫か?」

「同情はいらないから……!」

 

 つい声を掛けたレックスに、ブリーデは涙声で叫び返した。

 何やってるのかしら、あのナメクジは。

 こう、緊張感とか色々緩みそうになるから止めて欲しい。

 もしかしたら、それも含めた高度な……いや、無いわね、無い無い。

 助け起こしたウィリアムも完全に素だったし。

 

「ちょっと、ブリーデさん。

 空気が変な感じになってますから自重してください」

『もう皆で昼寝しない? 絶対その方が良いって』

「いいから、アンタ達は黙ってて」

 

 どうでも良いけど、あの猫はホントにブレないわね。

 アンタが上に乗ってるの、一応以前にアンタを搾取してた本人(?)なんだけど。

 まぁ、そんな事を気にするタチでもないか。

 そんな事よりも……。

 

「……部下の手綱が取れてないようだけど、本当にそんな調子で大丈夫なの?」

「…………」

 

 言葉は返って来ない。

 それでも構わずに、私は改めて白い娘を見た。

 《古き王》より前に創造されながらも、失敗作として打ち捨てられた哀れな白子。

 最初の竜であるはずが、竜として不完全のまま生まれた者。

 心底どうしようもない糞雑魚ナメクジだけど、立場としては私の姉。

 そんな風に思った事は、これまで一度もないけど。

 

「……アンタには、関係ないでしょう?」

「ええ、そうね。関係ないわ。

 けど私も、別に弱いものイジメがしたいワケじゃないの」

「嘘言いなさいよ。そういうの大好きだったでしょ、アンタ」

「別に好きじゃないわよ。面白いと思ってるのはその通りだけど」

「それ違いがあるんですか……?」

 

 何故か横からゲマトリアが突っ込んで来た。

 違うのよ、面白いけど特別好きってワケじゃないんだから。

 正直に答えたはずなのに、何故かブリーデは酷く呆れた顔をする。

 

「……そうね、そうだったわね。

 アンタは昔っからそういう奴だったわ」

「何よ、文句でもあるワケ?」

「アンタに文句なんて言った日には、百年かけても足らないから」

 

 唸るような声で言いながら、ブリーデは私のことを睨んでくる。

 ちょっと数千年も見ない間に、ホントに小生意気なことを言うようになったわね。

 ……だけど。

 少し――本当に少しだけ。

 懐かしいモノを感じてしまう自分に、私は気付いていた。

 口に出したりは、当然しないけど。

 

「……やっぱり、割と仲良さそうだよな」

 

 ぽつりと。

 レックスが漏らした呟きに、私は酷く驚いてしまった。

 それはブリーデも同じだったようで、凄い目で彼のことを見ていた。

 

「いや、今のやり取りちゃんと見てましたか??」

『彼氏殿は分かってるよなぁ。

 こんなんだけど、まぁまぁ仲良いんだよホント。

 長兄殿の態度がアレ過ぎて関係拗れまくってるだけなんだよ』

「まー、その辺のコミュニケーションの問題は難しいよなぁ……」

「ちょっと、黙ってなさいって何度も言ってるんだけど??」

「レックスもいきなり何を言い出すのよ……!」

 

 ホント、誰も彼もが好き勝手言ってる状態だ。

 ブリーデの出した騎士連中も、微妙に困惑した空気出してない?

 どうにも、戦いの空気って感じではなくなって――。

 

「……良いのか、ご主人様?」

 

 その空気を、一切読まない男が一人いた。

 未だに白刃をその手に携えたままで。

 ウィリアムは、ブリーデに対し囁くように言葉を掛ける。

 

「出来れば、そちらが到着する前に事を済ませたかった。

 俺なりの気遣いだったが、気を悪くしたなら謝罪しよう」

「……別に、それは良いわ」

「寛大な心に感謝しよう。

 だが――このまま済ませる形で、本当に良いのか?」

 

 糞エルフの真意は、相変わらず読めない。

 けれどその言葉を聞いて、ブリーデの纏う空気が変わった。

 昔の懐かしい感じから、張り詰めた糸のような鋭さに。

 

「……ゲマ子と猫を連れて、後ろに下がりなさい」

「本当に良いんだな?」

「くどいわね、私はやると決めたんだから。

 いいから、下がって」

「仰せの侭に」

 

 強がりにしか聞こえない言葉で、そう言って。

 命じられたウィリアムは、それ以上は何も語らずそれに従う。

 空気が変わった。

 冷めていた戦場の熱が、再び戻って来る。

 ……こんな場所に、どうしてお前みたいなナメクジがいるのよ。

 似合わないわよ、本当に。

 そんな思いを、私は言葉として口に出すことが出来なかった。

 レックスは、私を抱える腕に少し力を込めて。

 無言のまま片手に剣を構えた。

 

「……抵抗は無駄だって、一応言っておいてあげる。

 けど、この後はもう二度と言わないから」

 

 消え入りそうなブリーデの声。

 それに合わせる形で、周りの騎士たちも各々の武器を構えた。

 

「私は《大竜盟約》の礎たる大真竜――その、序列六位。

 容赦はしない。加減もしない。

 だから――痛くされたくないなら、抵抗しないで」

 

 警告というよりも、懇願に近い言葉。

 そんな主人の意思に従い、月光の騎士たちが動き出す。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る