270話:一進一退

 

「…………ッ!!」

 

 激突。

 レックスと私は、落下した勢いのまま地面に到達する。

 どれぐらいの高さを落ちたかは、正確には分からないけど。

 凄まじい衝撃がレックスと私の身体を貫く。

 ――恐らく、ここまではウィリアムの狙った通り。

 包囲に意識を向けさせた状態から、警戒の薄い頭上からの奇襲。

 そのまま地面まで叩き落せば、どうあれ無事では済まない。

 狙いとしては十分理解できる――けど。

 

「相変わらずの化け物っぷりだな……!」

「生憎と、こっちとらただの人間なんだよなぁ……!」

 

 レックスは、両足で地面に着地していた。

 自身の魔法による強化があるとはいえ、とんでもない話だ。

 彼の強さは知ってるつもりでも、流石に呆れてしまった。

 ウィリアムの方も、流石に普通に耐えるのまでは予想外であったらしい。

 ギリギリと、白刃と鞘が硬い音を響かせる。

 全力で押し込まれる刃を、レックスは私を抱えたまま――片手だけで止めている。

 

「ふん……!!」

 

 鍔競り合ったままで、レックスは前蹴りを放つ。

 牽制か、もし当たれば向こうの体勢ぐらいは崩せる。

 まぁ今のレックスの力なら、直撃したら骨の何本かは折れそうだけど。

 

「――まったく、どの口が人間などと言ってるのやら」

 

 皮肉げに応えながら。

 レックスの蹴りを回避する形で、ウィリアムはあっさりと後ろに退く。

 思ったよりも簡単に間合いを離して来た。

 それなら、次に来るのは――。

 

「まぁ、遠距離攻撃だよな! 《盾よ》!」

 

 先ほどと同様、飛来するのは無数の矢。

 青白い火を纏ったそれは、文字通り雨のように降り注ぐ。

 力場の盾を展開し、レックスは剣を振るって飛んでくる矢を叩き落す。

 やっぱり、さっきまでの射撃は本気じゃなかったワケね。

 あくまで注意を引くのが目的だったけど、今は違う。

 

「チッ……!」

 

 周囲に視線を走らせた直後、レックスは小さく舌打ちをした。

 理由は――すぐに分かった。

 ウィリアムの姿が、どこにも見当たらない。

 私たちが落下したのは都市のど真ん中で、数ある大通りの一つ。

 人気のない裏路地ではなかった。

 そしてそこには当然、この街の住人たちがいる。

 理想郷に住む人間として、認識を操作されてしまった者たちが。

 当然のように、彼らは私たちの事が見えていない。

 まるで何事もなく日常が過ぎているように、彼らは理想的な営みを続ける。

 

「人ごみに紛れたわね、あの男……!」

「だろうなぁ!」

 

 ホント、躊躇なくやったわねアイツ。

 向かって来る矢の狙いは、呆れるほどに正確無比だ。

 流れ弾など出さず、一つ残らず私たちだけを狙う超精密射撃。

 ……あっちは、この都市の人間を傷つけたくはないワケね。

 矢を撃つ騎士たちに命令してるのが、ブリーデかどうかは知らない。

 けどあのナメクジは、そういうのは嫌うでしょうね。

 それを知った上で、住民を隠れ蓑にする糞エルフは本当に大概だけど。

 

「レックス、大丈夫?」

「こんぐらいはまだ平気だな」

 

 力場の盾と剣、これらを巧みに使って矢の雨を防ぎ続ける。

 ホント、半ば剣そのものが封じられていても関係ない。

 防ぐだけならば、レックスには何の問題もなかった。

 けど――。

 

「…………」

 

 矢に対応しながら、彼は動かない。

 動けないのではなく、あくまで彼自身の意思として動かない。

 ……都市の住民たちは、こちらを認識していない。

 ただ意識せずとも危険には近寄らないらしい。

 彼らの動きは、明らかに私たちを避けるものだった。

 それが本能なのか、そこまで含めての認識の改竄なのか。

 どちらかは分からないけど、結果としては変わらない。

 しかし、それもあくまで程度。

 彼らに向けて矢が飛んで来たとしたら、それを防ぐ事は不可能だろう。

 

「……レックス」

「大丈夫だ」

 

 周りの人間を盾にすれば、もっと簡単に矢を防げる。

 或いは射撃そのものを止められるかもしれない。

 別に、そうすること自体は問題ない。

 私もレックスも、無関係な巻き添えで胸を痛める良識など無いから。

 むしろ彼なら、そのぐらいは普通にやると思っていたけど……。

 

「……あのナメクジめ」

 

 そこまで考えて、この場は全てあの糞エルフの仕切りだと理解する。

 あの弱虫のナメクジに、自発的に巻き添えを出すような度胸なんてない。

 やる事はやるかもしれないけど、絶対に後で後悔する。

 そういう、どうしようもない奴だと私は誰より知っていた。

 ……あぁ糞エルフめ、本当にろくでもない。

 レックスも私も、犠牲者を出す事なんて気にしない。

 けど、その結果で胸を痛めるのは誰か。

 それを想像してしまうから、どうしても手が鈍る。

 これが私だけなら、迷いはしても最終的には躊躇わないけど。

 彼は――レックスは、「自分ががんばれば良い」と考えてしまう。

 そこまで分かった上で、あの糞エルフはこの状況を整えたか。

 本当に、どこまでも憎たらしい男。

 

「今度という今度は、絶対に全身の生皮剥いでから殺してやる……!」

「まぁその気持ちはとても分かる」

 

 怒りのあまり唸り声を上げる私とは対照的に、レックスは落ち着いた様子だった。

 彼だって、ウィリアムの目論見は分かっているでしょうに。

 一切気にした風もなく、黙々と攻撃を凌いでいる。

 ……矢の雨は一向に勢いが衰えない。

 姿を隠したあの糞エルフは、次は何を仕掛けてくるのか。

 

「――――ッ!」

 

 瞬間、レックスの動きが変わった。

 剣を鋭く振り、飛来した一条の矢を弾き落とす。

 それは変わらないように見えて、決定的な違いがあった。

 矢を防ぐために展開していた、力場の盾を貫通してきたのだ。

 ……成る程、今度はそういう。

 

「防げない事はない程度の矢に混じって、自分が本命の矢を撃ち込むか。

 ホント戦い方に性格が滲み出てるな」

「まったくね」

 

 しかも、今の矢は明らかに私を狙っていた。

 そう撃てば、どう無理してでもレックスが対応すると分かっているのだ。

 矢の一発や二発ぐらい、最悪当たっても大丈夫だけど。

 それでも彼は私を守るために剣を振るう。

 だからこっちも多くは言えない。

 今はまだ、彼に身を寄せて状況を見守るしかなかった。

 

「でも、辛かったら本当に言って頂戴よ……!」

「おう。とりあえずがんばる」

 

 いつも通りの彼の口癖。

 がんばると言ったら、本当に最後までがんばるんだから。

 弾く。弾く。弾き続ける。

 ウィリアム自身も、意図的に巻き添えを出す気はないはずだ。

 それをやってしまったら、今の主人であるブリーデの不興を買ってしまう。

 そもそも、向こうがそれをやったら私たちが躊躇する理由がなくなる。

 両者の合意の上で、ギリギリの防戦が続く。

 ……そう、状況は明らかに膠着した。

 レックスはまだ矢を一つも受けていないし、疲弊した様子もない。

 ウィリアムが放つ本命の矢も、注意すれば防ぐことはできる。

 威力も精度も段違いではあるが、レックスならば問題ない。

 状況は、変わらず続く。

 何事もなかったように流れる日常の中。

 レックスは黙って、降り注ぐ矢の雨を弾き続ける。

 このまま持久戦に持ち込んで、少しずつ追い詰めていく――なんて。

 本当に、あの性格の悪い男が考える?

 

「っと……!」

 

 何度目になるか分からない、本命の一矢。

 レックスはそれを危なげなく弾き落として――。

 

「ッ、レックス!」

 

 私は思わず叫んでいた。

 弾かれた矢の陰に、もう一本の矢が隠れていたのだ。

 ここに来て繰り出される新たなパターン。

 感覚を慣れさせたところで、不意に殺しに来る奇襲の一矢。

 けど、レックスはそのぐらいじゃ殺せない。

 私が声を上げるよりも早く、彼の方も隠し矢に反応していた。

 

「舐めんな……!」

 

 剣では防げなかったが、当たる寸前で身を躱す。

 胴体のすぐ脇を掠めていく殺しの一矢。

 どうしようもなく体勢が崩れたところで、更に別の矢が降り注ぐ。

 ここまで想定した上での攻撃か。

 通常の矢ですら、さっきよりも明らかに鋭さが増している。

 半ばバランスを崩した状態でも、レックスはそれにすら対応してのける。

 

「――――ッ!!」

 

 弾く。弾く。弾き続ける。

 剣を振り、力場の盾を展開し、時には鎧の表面で滑らせて。

 再び本命の矢と、その陰に潜む隠しの矢も飛んでくる。

 が、二度目は通じない。

 完全に体勢を立て直してない状態でも、今度は両方を叩き落した。

 流石としか言い様がない。

 そう、これならば――。

 

「……まったく、流石だな。脱帽するよ」

 

 声は。

 敢えて聞かせるために発した声は、驚くほど距離が近い。

 未だに矢は降り注いでいる。

 本命と――本命だと矢も、変わらず。

 けど、その男は其処にいた。

 手には弓矢ではなく、魂を切り裂く月の刃を構えて。

 気配を絶ったウィリアムは、既にレックスを自らの間合いに入れていた。

 ――ここまでが、この男の策。

 姿を消し、距離を離しての弓矢による飽和攻撃。

 その弾幕の中に混ぜた本命の――「自分が撃っている」と思わせる矢を混ぜて。

 更に高度な奇襲までやって見せた上で。

 そこまで仕掛けてからの、本当の意味での本命。

 

「糞エルフ……!」

「この瞬間では誉め言葉だな」

 

 レックスも警戒はしていたはず。

 けれど、ウィリアムの仕掛けが彼の処理能力を上回った。

 そう確信したからこそ、最後の一手。

 最短距離を走る白刃を防ぐ手立ては、レックスにはない。

 だから――。

 

「ッ……!?」

 

 それはきっと、ウィリアムにとってのただ一つの計算外。

 貫く刃の切っ先を、抱えられていただけの私が止めたのだから。

 

「生憎と、警戒していたのはレックスだけじゃないの……!」

 

 笑う。

 月の鱗である剣を止めたのは私の腕――を、今も厳重に封じているもの。

 ブリーデ自身が施したであろう鎖と、腕を直に縫い留める剣。

 予想通り……いや、予想以上の強度でそれらはウィリアムの一手を防いでいた。

 あぁ、けれど――流石に鎖の方は耐え切れなかった。

 名刀の切れ味と、達人の業が合わさった一刀。

 剣は無傷だったけれど、鎖は切断されてばらけてしまう。

 少しだけ、身体が軽くなるのを私は感じていた。

 

「《最古の邪悪》め。最初からこれが狙いだったか!」

「お前の性格なら、最後は絶対に直接刺しに来ると思ったわ!

 ありがとう、死ね――!!」

 

 一部復活した魔力を、胸の奥で圧縮する。

 そして咆哮と共に放った《吐息ブレス》を、糞エルフに正面から叩き込んだ。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る