第三章:何のために戦うのか
269話:再戦
《暁》なんていう名前とは裏腹に、この都市もまた閉鎖型。
隙間なく空を塞ぐ天蓋の下で、人工の灯りだけが常に眩く輝いている。
実際に、この都市はどれだけの広さがあるのか。
それはアカツキ自身も把握しておらず、直接見ても計り知れない。
私は、高い場所からそんな歪んだ理想の都を眺めていた。
「大丈夫か?」
「平気よ。貴方こそ大丈夫?」
「俺自身の拘束はもう解けてるしな」
囁くような彼の言葉に、私は微笑みながら応える。
――アカツキが案内した地下の隠れ家。
そこに辿り着いたのは、ほんの少しだけ前のこと。
幾つもの機械設備が置かれた奇妙な場所。
アカツキ曰く、「使われなくなった実験施設の一つ」であるらしい。
来歴については知る由もないけど、確かに身を隠すには丁度良さそうだった。
問題があるとすれば、見つかった場合の逃げ場がなさそうな事。
それは私の目にも明らかだったし、レックスも同じように感じていたようで。
「都市の構造も把握したいし、ちょっと外を見て回って来るわ」
だから彼は、着いて早々にそんなことを言い出した。
この都市の探索をしたい、というのも理由としては間違いない。
それと同じぐらいに、自分が囮になって相手の目を引こうという意図もあった。
少なくとも、損傷を受けているアカツキの修復が完了するまで。
誰も異論はなかった。
負担も危険もあるけれど、それを行えるのは彼だけだ。
だから私も、特に文句はなかった。
「まさか、一人で行く気じゃないでしょうね?」
文句はないけど、私もこれを譲る気はなかった。
――そして、現在。
アカツキは修復に専念して、イーリスはその手伝い。
テレサとボレアスの二人は何かあった場合の対処を任せておいた。
そして私は、レックスに抱えられて高層建築の間を飛び回っている。
うん、なかなかに悪くない状況ね。
「こうして眺めてると、無茶苦茶デカい以外は普通に見えるなぁ」
「まぁ、そうね。
街の人間は『幸福を享受する』よう操作はされてるけど。
あくまでその認識のみで、他は特に弄られてはいないようだし」
精神や認識の操作は、洗脳の手段としては手軽である。
ただあまり無理な改変を行うと、どうしても破綻する危険が大きくなってしまう。
たまに忘れがちだけど、私もテレサに似た手段を使っている。
だからコッペリアのやり口自体は、別に非難する気はなかった。
「なぁ」
「? なに?」
「結構、複雑そうだな」
「…………」
何に対して、とは聞き返さなかった。
言わんとしている事は明白だし、私もそれを理解していた。
ただ、どんな言葉で応えるべきか。
それが分からなくて、結果として声が詰まってしまった。
そんな私の頭を、彼は空いてる方の手でわしゃわしゃと撫でてくる。
心地良いのは間違いないけど、今は素直に喜べない。
「……結局は、姉妹だから似通う部分があるのかもしれないわね」
「アウローラが一番上だから、向こうは必然妹なんだよな。
……あれ、でもホントに一番上なのはブリーデなんだったか?」
「そうよ。不本意極まりないし、アレを姉扱いする気は毛頭ありませんけど」
レックス相手だというのに、ついつい不機嫌さが滲み出てしまった。
いけないとは分かっているけど、自分の感情が抑えられない。
失ってしまったモノを取り戻したくて足掻くのも。
昔と変わらないなんて顔しながら、私を突き刺してくるあの眼差しも。
全部全部、酷く心の奥がざわつく。
こんな感覚は、昔は気にした事なんてなかったのに。
「……まぁ、難しいよな」
力強い腕に抱き締められて。
普段は、悩みごとなんて一つもなさそうな彼は。
まるで我が事のように小さく唸る。
きっとこんな悩みなんて。
彼自身のことであれば、あっさりと乗り越えられるだろうに。
「俺は兄弟姉妹なんて、いた覚えがないからな。
こう、口で言うのなんかは色々簡単なんだけどなぁ」
「別に、それはそれで構わないのよ?」
「いやー、流石にちょっとなぁ」
割と本気で悩んでるのがおかしくて。
つい、私はクスクスと笑ってしまった。
……胸の奥で渦巻く感情は、変わらず整理を付けられる気配もない。
それでも、今は。
今この瞬間だけは、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
愛しさは私の心を温めて、同時に突き刺さる棘の痛みも意識させる。
――コッペリア、或いはヘカーティア。
あの女は、その瞬間を迎えた時。
果たして、どんな声で泣いたのだろう。
「……もし」
「うん?」
「もしもの話だけど」
それは本当に、何となく浮き上がって来た言葉。
意味も意図もない、ただの気紛れな思い付き。
ただ、一度考えてしまった以上。
問いかけずにはいられなかった、そんな他愛もない言葉。
「私がおかしくなってしまったら、貴方は私を助けてくれる?」
「あぁ」
ほら、分かっていた。
最初から、彼がくれる答えなんて一つっきり。
分かっていたのに、私は敢えて問いかけた。
だってちゃんと彼の口から、その一言を聞きたかったから。
「助けるさ、当然だろ?」
「本当に? それこそもう完全に手が付けられない状態でも?」
「その時はすっごくがんばるわ」
意地悪な物言いだとは、自覚してる。
ふざけているようで、彼が真剣に答えてくれているのも分かる。
だから私は笑ってしまった。
こんな馬鹿げた会話が、こんなにも楽しいなんて。
胸に刺さった棘が、焼けるように痛む。
「……ま、そうならないのが一番ではあるけどな。
未来なんてのは何が起こるか分からんし」
彼の手が、私の髪を撫でる。
頬や、指がなぞる形で唇にも。
鎧の硬い手触りにも、私は温かさを感じ取る。
両腕が自由なら、すぐに抱き着いてキスをしたのに。
「不透明な未来よりも、今は目の前の現実からね。
……この腕も、早く何とかしないと」
「魔法使えないのは地味に困るよなぁ。
ちなみにそれ以外はどんな具合なんだ?」
「見た目通り、これじゃ両腕はまともに使えないわよね。
それ以外は――まぁ、多少動きにくいぐらいね」
恐らく、封印と拘束は魔力の抑制をメインに機能しているのだろう。
身体能力も制限は掛かっているけど、魔力に比べればまだ緩い。
まぁ、魔法が殆ど使えないという枷が大きすぎるけど。
「じゃあ、仮に離してもとりあえずは問題なさそうか?」
「足手纏いになる気はないわよ?」
レックスの言葉に、私は軽く微笑んでみせる。
私も彼も、既に気付いている。
いつ頃かは不明だけど、幾つかの気配が私たちを狙っている事に。
上手く誤魔化しているせいか、数は不明瞭。
ただ間違いなく、密やかな敵意が肌の上を突いて来る。
「どっちだと思う?」
「……そうね」
ほんの少しだけ、私は言い淀んだ。
悩んだからではない。
ただ何となく、口に出そうとした言葉が喉につっかえただけ。
それだけで、それ自体には何の意味もない。
「まぁ、ナメクジの方の手勢でしょうね。
どうやらあっちは、数だけは無駄に多いようだから」
「そうなるか」
私を左腕に抱いたまま、彼は右手で剣を掴む。
鞘に封じられた状態の剣。
切れない剣なんて棍棒と大差ないけど、無いよりはずっと良い。
「問題は、ブリーデ本人がいるかどうかだな」
呟くように、レックスはその名前を口にする。
私は、すぐに言葉が出て来ない。
もし仮に、この場所にあのナメクジがいたとして。
包囲を敷いて、私や彼を狙ったとしたら。
私は――どうするの?
戦う? 誰と?
あの貧弱で虚弱で脆弱で、本当に雑魚過ぎてどうしようもない。
あんなナメクジと大差ない奴と、私が?
魔法が使えなくても、両腕が動かせなくても。
私があんな奴に負けるはず――いいや、そもそも。
戦いになんて、なるはずもないのに。
「アウローラ」
「ッ――!」
空気を裂くような、硬質な金属音。
それと共に耳に届いた彼の声。
一瞬遠くへ行っていた私の意識を引き戻す。
いつの間にか、攻撃は始まっていた。
相手の姿はまだ見えない。
ただ、青白く燃えた矢が複数飛んでくるのが見えた。
「囮のつもりではあったから、これ自体は予定通りだな」
「そう、ね。けど、此処からどうするの?」
「また尻尾を巻いたとしても、素直に逃がしちゃくれないだろうな」
魔法によって強化された脚力。
それだけで、彼は軽々と高層建築の合間を跳び回る。
こちらにはまだ不可視の包囲網。
それを抜け出す隙間がないかを探っているようだ。
「……しかし」
「? どうしたの?」
「微妙に手ぬるい気がするな」
鞘を纏った剣を振るい、飛来する鬼火の矢を叩き落す。
……確かに、彼の言う通り。
私たちを本気で仕留めるつもりなら、攻撃の密度が低い気がする。
矢は四方八方から飛んで来て、広い範囲で取り囲まれているのは間違いない。
けど、それならもっとやりようがあるような……。
「……まぁ、あのナメクジならこんなものじゃない?」
攻撃の手段からしても、敵はアイツの手駒であるのは確実だ。
まだ断片的にしか見てはいないけど。
あのナメクジの武具を装備した、魂を実体化させた半霊の騎士達。
――厄介だ、間違いなく。
そんなことは口に出さないし、別に認めたつもりもない。
ただ、「厄介である」という事実は受け入れざるを得なかった。
……とはいえ、幾ら手駒が厄介だとしても。
所詮、その主人はあのナメクジだ。
「戦い慣れてなさそうだし、私の事も怖がってるんじゃないかしらね?
だから、どうしたって腰が引けて――」
自分でも、何処か言い訳じみてると自覚のある戯れ事。
それを並べ立てた瞬間に、衝撃が走った。
何が起こったのか。
いつの間にか、私の目の前に光るものが迫っていた。
白い月光を宿した剣の先端。
喉元に到達する寸前で、レックスがその切っ先を受け止めていた。
剣の鞘と白刃が、互いに耳障りな鳴き声を奏でる。
「――タイミングは、完璧だと思ったんだがな」
頭上から振って来る、笑みを含んだ声。
それが誰かはすぐに分かった。
「糞エルフ……!!」
「こんな状況ぐらい、せめて名前で呼んで欲しいところだな」
糞エルフ――ウィリアムは、一切態度を変えない。
味方のように振る舞う時であれ、敵として刃を向ける時であれ。
本当に、コイツは欠片も変わらない。
「何だよ、リベンジマッチに来たのか?」
「ご主人様がどうにもどん臭いものでな。
身軽なオレが先に仕事に入らせて貰っただけで、他意はないぞ」
言葉と剣を同時に交える二人。
飛んでいるワケではないので、私たちはそのまま都市の底へと落下していく。
そんな状況であるにも関わらず。
レックスもウィリアムも、いつもの如く笑っていた。
「――だが、そうだな。
このまま改めて決着を付ける、というのも。
確かにそう悪い話ではないか」
口元の笑みを深めながら。
ウィリアムは、突き付けた刃を押し込もうと力を強める。
それを鞘で受け止めたまま、レックスの方も――。
「上等だ。返り討ちにされたからって泣いたりするなよ」
「――面白いジョークだな。なかなか笑えるぞ」
「お前の場合は大体いつも笑ってるだろ、糞エルフめ」
いっそ、心底愉快そうに笑って。
――あの深い森の奥底での決戦から、随分と遠く。
レックスとウィリアムの二度目の戦いは、こうして火蓋を切った。
どちらも「勝つのは自分だ」と、僅かにも疑っていない様子で。
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