幕間1:月の娘の出陣

 

 ……どうにも、面倒な事になってしまった。

 盛大に破壊された壁の向こう側。

 遠く広がる街の景色を見ながら、私はついため息を漏らす。

 昔からため息は多い方だったけど、ここ千年は本当に増えた気がする。

 「ため息を吐くと幸せが逃げる」――とは、誰の言葉か。

 まぁ、私には逃げる幸せなんてないから、関係ないでしょうけど。

 

「で、ちょっとは落ち着いた?」

「……あぁ、悪いね、姉さん。

 つい――取り乱してしまったんだ、許して欲しい」

 

 荒れ果てた部屋の中心。

 身体に十本以上の剣が突き立った状態で、コッペリアは応える。

 床に仰向けになって倒れ込んだまま、平然と笑ってみせた。

 全身から血が溢れ出すけど、彼女にとってこの程度は負傷の内にも入らない。

 それが分かっているので、私も極力気にしない事にする。

 

「うわぁ、ホント容赦なくやりましたねブリーデさん。

 流石のボクでもドン引きですよ」

『まぁあのまま放っておいたらヤバかったしな。

 超巨大低気圧を発生させながら暴れられるよりはマシだろう』

 

 私の陰に隠れながら、幼女と化したゲマ子が呟く。

 その頭の上に猫――ヴリトラがダラリと乗っかってるけど、アンタそれで良いの?

 いや、良いんでしょうけどね。

 私も別に気にしないし。

 

「まったく、随分と派手にやったな」

「……仕方ないでしょ。

 錯乱してるコッペリアを、あのままにするワケにはいかなかったし」

 

 他人事みたいに状況を眺めながら、糞エルフ――ウィリアムは笑った。

 実際は、暴れ出す寸前のコッペリア相手に上手く立ち回ってくれた。

 正直に言って、とても信用できる男じゃない。

 それでも有能である事は間違いなく、態度は別にして私に対しても忠実だ。

 ……あくまで現状、という但し書きは付くけど。

 

「何か?」

「いいえ、何でも」

「あー……それより、早くコレ、抜いて貰えないかな?

 流石にこの数は、自力で外すの大変なんだけど」

 

 血の混じった声で、コッペリアが呻くように言って来た。

 けど、私はそれに首を横に振って応える。

 

「ダメ」

「え、なんで?」

「今その拘束解いたら、アンタまた暴れ出すでしょ」

「…………そんな事無いよ?」

「取り繕うならせめて即答してくれる??」

 

 うん、やっぱりダメだ。

 アカツキが、あの馬鹿とその仲間たちと逃げ出した後。

 コッペリアは自分の感情を抑え切れず、暴走する一歩手前だった。

 それをどうにか、ウィリアムと他の「みんな」で滅多刺しにして抑え込んだ。

 今は力を抑制され、血を流した事で落ち着いてるけど。

 外した瞬間、また激情に支配されてしまうのは目に見えている。

 

「アンタは暫く、ここで大人しくしてなさい」

「けど――」

「分かった??」

「はい」

 

 最初からそうやって素直に頷けば良いのよ。

 ……まぁ、抑えるだけならこんな滅茶苦茶に刺して無くても良いか。

 

「ウィリアム、何本か抜いて上げて」

「良いのか?」

「それぐらいならすぐには外れないから。

 ……後は自分で抜いてる間に、落ち着くことを期待してるわ」

「では、そうしようか」

 

 確認は取るけど、特に反論はなくウィリアムは私の言葉に従う。

 人格的には信用し切れないけど、能力的には間違いなく信頼できる。

 そこがまた何とも難しい。

 ……森人エルフとは、縁があったが故の拾い物だったけど。

 果たして幸運と言って良いものやら。

 

「……それで、僕が暫くお仕置きなのは理解したけど。

 それなら君はどうするんだ、ブリーデ」

「アンタが動けない分、私が動くしかないでしょう?」

 

 これもまた、迷っている余地はない。

 今の私は《大竜盟約》の礎である大真竜。

 やるべき事を、迷っている余裕なんてないんだ。

 

「やっぱり、僕の考えには反対かい?」

「……反対は、反対よ。

 アイツを盟約に引き入れたとして、それはそれで何をやらかすか。

 それ以前にオーティヌスが納得しないでしょう」

「息子を誑かした張本人だしね、その辺は僕も分かってるけど」

 

 それでも、コッペリアは諦めてはいない。

 分かっている。

 彼女の目的を考えれば、それは当然だ。

 さっきは過去の罪がどうとか、色々言っていたけれど。

 

「仮に、アイツが盟約入りに頷いたとして。

 完全な蘇生術式が貴女の役に立つかどうか、それも未知数なのよ?」

「…………」

 

 私の指摘に、コッペリアはすぐには応えなかった。

 結局、それが全てなのだ。

 自らを救うために犠牲になった男。

 その魂を呑み込んだことで、コッペリアという大真竜は成立した。

 盟約とか、現在の大陸秩序とか。

 そんなもの、本当は何もかもどうでも良いはず。

 ――全ては愛する人のために。

 この不出来な理想郷も、コッペリアなりの愛の証だった。

 

「……ブリーデ。それでも、僕は」

「いいわ、もういい。

 私だって、別に否定したいわけじゃない。

 けどこの話を続けたら、貴女また頭に血が上るでしょう?

 だからもう暫くは、そこで頭を冷やしてて」

 

 それだけ言うと、私はコッペリアから離れる。

 彼女もまた、それ以上は何も言ってはこなかった。

 私の言う通り、頭を冷やしてくれると良いけど。

 あんまり期待はしてないとは、流石に口には出せなかった。

 

「――じゃあ、ブリーデさんはこのまま追跡に入る感じですか?」

「まぁ、そのつもりだけど」

 

 猫を頭に乗っけた状態で、何故かゲマ子が目の前まで迫って来た。

 どうでも良いけど、あなた達ちょっと馴染み過ぎじゃない?

 

「だったらボクも付いて行きますよ! 良いですよね!」

「え、なんで?」

「むしろ『なんで』とか聞かれるのが分かんないんですけどぉ??」

『寝てて良い?』

 

 寝言をほざいてる猫はとりあえず無視スルーしておく。

 何故か全身の動きで怒りをアピールするゲマ子。

 一通りジタバタしてから、ビシッと私に対して指を突き付けて。

 

「大体、どんくさいブリーデさんが一人で行ってどうする気ですか!

 何もないところで転んだら困るでしょう!」

「猛烈な勢いでバカにされてない私??」

『いや、でも姉上はそういうことするだろ』

「糞雑魚ナメクジで悪かったわね」

 

 正直、否定し切れないのが大変悔しい。

 大真竜の位にいるのも、それは私自身の力じゃない。

 私の鍛えた剣と、そこに魂を宿した「みんな」の強さがあるから。

 昔と何一つ変わらず、私は弱い白子のまま。

 本当に、何一つ変わってはいないんだ。

 

「――同行者がいる分には問題ないだろう。

 幾ら弱っているとはいえ、ゲマトリアは元・大真竜。

 そこの猫も、こんなナリだがかつての《古き王》の一柱だ。

 貴女本人よりは足手纏いにはなるまい?」

「アンタもいちいち一言多いわね」

「ちょっと、ボクをさらっと『元』扱いしないで貰えません??」

「冗談だ」

 

 本当に冗談で言ったの??

 コイツ、度々こんな感じで言うけど。

 毎度のことながら本気なのか冗談なのか、聞いてるこっちは全然分からない。

 

『なぁ、お前って自分がユーモアに溢れてるとか実はちょっと思ってない?』

「別に思ってはないぞ」

『ホントかぁ? ホントにそうかぁ?

 笑えないジョーク連発するの絶対その辺の勘違いだと思ってたんだけど』

「……そんなに笑えんか?」

 

 猫に突っ込まれて、ウィリアムは難しい顔で首を捻った。

 ……ユーモア云々は置いても、ホントに面白いジョークのつもりで言ってたのね。

 いや、まぁ、それは別にどうでも良いけど。

 

「無駄話は程ほどにして、もう行きましょう。

 アイツらが都市の外まで逃げたら、流石に追いかけるのも面倒だし」

「いや、その心配は不要だろう」

 

 不思議と確信を持って、ウィリアムは私の危惧を否定した。

 

「何故、そう言い切れるの?」

「連中の目的は竜を殺すことだ。

 そしてこの場には、極上の獲物である大真竜が二柱も揃っている。

 これをわざわざ見逃す理由があるか?」

「……ボクもそこの糞エルフとは同意見ですね。

 逃げるぐらいなら襲い掛かる算段を立ててますよ、アイツらイカれてますもん」

「…………」

 

 頷くゲマ子の言葉に、私は軽くこめかみを抑えた。

 確かに、その通りかもしれない。

 今は都市のどこかに身を潜めて、機を見て反撃に打って出る。

 普通に考えたら、それは無謀極まりない話だ。

 私が施した拘束の内、あの馬鹿と魔剣の分は特に厳重にしてある。

 生半可な力では解けないし、そもそも無理やり破られる事なんて想定してない。

 多少時間をかけようが、それは変わらないはず。

 そんな状態で、戦う算段を立てるなんて……。

 

『まー、アイツらなら普通にやるだろうなぁ。

 もしまた捕まえる気なら、確かに急いだ方が良いんじゃないか?』

「……アンタ、どっちの味方なワケ?」

『オレはオレの味方さ。昔っからそうだろ?』

 

 笑って応える猫に対して、私は何も言えなかった。

 何も言えず、また小さくため息を吐いてしまう。

 今日だけでもう何度目だろう。

 

「……今なら、あの馬鹿も殆ど力は使えないはず。

 レックスの方も、剣を封じておけば戦力は半減でしょう」

「それは間違いないだろうな」

「だから、今の内にもう一度捕らえるわ。

 ……最悪、生かしたままでなくても構わないから」

 

 バビロンと戦い、弱り切った直後だった時とは違う。

 例え力を制限しているとはいえ、今は戦えない状態じゃない。

 少しでも抵抗の余地があるならば、絶対に諦めたりはしないはずだ。

 ――特に、あの竜殺しの男は。

 

『……なぁ、それは本心から言ってるのか?』

「余計なことは言わないで、ヴリトラ。

 大人しくしてるんだったら、別に寝てても構わないから」

『やったぜ』

「貴方ホントにそれで良いんですか??」

 

 そんなノリだから、大人しくアンタの城の台座やってたのよ。

 とは口には出さずに、私は改めて眼下に広がる都市へと目を向けた。

 この何処かに、逃げたアイツが潜んでる。

 

「……まさか、私の方が追っかける立場になるなんてね」

 

 昔は、私の方こそコソコソと逃げ隠れしていたのに。

 別にそんな過去自体には、何の感慨もないけど。

 むしろやられたことを思い返すだけで、腸がよじれそうになる。

 ……ホント、何回ぐらい物理的にこねくり回されたかしらね。

 

「行くのか? ならば手を」

「……お礼は言った方が良い?」

「従者の務めという奴だ。気にせず顎で使うと良い」

「アンタをそう扱うと、後が怖いんだけど」

「良く分かっているじゃないか」

 

 この言葉は冗談なのか、それとも本気なのか。

 イマイチ分からないけど、私は差し出されたウィリアムの手を取った。

 

「行ってらっしゃい、姉さん。

 ゲマ子はそんな状態なんだから、気を付けなよ?」

「貴女こそ、ブリーデさんの言いつけ通りに頭冷やして下さいよ!」

 

 磔のまま見送るコッペリアに、私は軽く手を振る。

 頭で眠る猫を乗っけたままのゲマトリアに、あと糞エルフ。

 何ともまぁ、おかしな面子になってしまったけど。

 

「……絶対に、逃がさないから」

 

 届くはずのない言葉を口にして。

 私はそのまま、壁の開いた裂け目から躊躇なく身を投げた。

 ……自由落下の恐怖に、すぐさま後悔したけど。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る