268話:それでも愛しているのなら


「この都市の人々は、ヘカーティアによる操作を受けている」

 

 私たちを先導する形で、大通りを進みながら。

 アカツキは淡々とその事実を口にした。

 操作されているという言葉に、イーリスは不快そうに顔を歪めた。

 

「やっぱりそういう話になるのかよ。

 つーか、一体なんの目的でだ?」

「……愚かな話ではある。

 ヘカーティアは、彼女なりに愛した男の望みを果たそうとしたのだ」

 

 意識して感情を排した声。

 けれど、そこには隠し切れない慙愧があった。

 此処にいるアカツキは、あくまでオリジナルを模しただけのレプリカ。

 極論すれば、に過ぎない。

 だというのに、機械の男はそれを自身の痛みも同然に認識しているようだった。

 

「私を含めた始祖たちの生まれ故郷は、魔法が全ての世界だった。

 魔力を持たぬ者には、まともに生存する権利もない。

 ――私が、魔力を持たぬ者にも扱える機械技術を生み出したのは。

 そういった無辜の民が人並みに生きられる事こそが目的だった。

 その望みは、異なる地に渡った後も変わらない」

 

 異物である私たちを認識しない都市の住民たち。

 彼らには、こちらは一切見えていないようだった。

 何事もなく、そしてこれからも何も起きないと確信しているように。

 ただ穏やかに言葉を交わしながら、彼らの日常を謳歌している。

 

「……それが何故、こんな異常な有様に?」

「ヘカーティアは心根の優しい竜だ。

 オリジナルの私を失った後、彼女は彼女なりに私の望みを叶えようとした。

 過酷な世界で、それでも力なき人々が怯えることなく生きられるよう。

 そのために築かれたのが、この《暁》の名を持つ都市だ」

「随分とまぁ、嫌な感じの理想郷ね?」

 

 テレサに応えるアカツキに、私は皮肉を込めて囁いた。

 精神か、それとも頭の中身を直接弄っているのかは分からないけど。

 やり方としては、バビロンの《天の庭》とは比較にもならない。

 稚拙な真似事というのも烏滸がましいでしょう。

 私の言葉を、アカツキは否定しなかった。

 むしろ肯定するように頷いて。

 

「貴女の言う通り。この都市は理想郷とは程遠い。

 ヘカーティアは竜であるが故に、がイマイチ理解できていない。

 バビロンやマレウスとは異なる。

 彼女らのように、ヘカーティアは人間という隣人を愛しているワケではなかった」

「あくまで好きなのは彼氏だけってとこか」

 

 成る程、とレックスは納得した様子で言った。

 ボレアスの方は少々呆れ気味に笑って。

 

「まぁ、竜らしいと言えば竜らしい。

 あくまで自身が執着した対象にだけ愛情を示す。

 愛した男の望みゆえ叶えたいと考えたが、望みの本質を理解できていなかったか」

「まったくその通り。

 ヘカーティアは人間が幸福に生きられる理想郷を造ろうとした。

 あらゆる機械技術で、生きるために必要な全てを与えた。

 その上で、住民は常に『幸せ』を感じられるよう脳を操作されている。

 仮に幸福を害する異常があっても、それを認識できなければ無いのと同じ。

 ……それが、この都市の実体。

 あまりにも愚かな、哀しい大真竜の箱庭だ」

「……ホントに、愚か過ぎて涙が出るわね」

 

 都市の様子を見ながら、私は独り言のように呟く。

 失ってしまったものを取り戻そうと足掻いて。

 理解できない誰かの理想を、拙くもその手で積み上げようと試みる。

 その結果が、この歪な理想郷だ。

 かつての《天の庭》とは似ても似つかない。

 本当に――どれだけ、あの死にたがりは愚かなのか。

 

「コッペリア……いや、ヘカーティアを殺すのも手だって。

 アンタはさっき言ってたよな」

「あぁ、相違ない。彼女を止めるために必要なら、そうしよう。

 だが不死たる大真竜を殺める手段は、私にはない。

 君らを救った理由も、多くはその為に――」

「……ホントにそれで良いのか?」

 

 説明しようとしたアカツキだったが、それは途中で遮られる。

 イーリスは、いつだって自分の言葉に躊躇いがない。

 相手が誰であれ、何であれ。

 この場で誰よりも弱いはずの人間の小娘は、決して偽りを口にしない。

 だから今も、古い男の断片に正面から問いかける。

 

「この都市の状況を見れば、言いたいことは分かる。

 オレだって胸糞悪いし、ヘカーティアの奴は止めなきゃならない。

 ……だけど、アンタにとっちゃ恋人だろ?

 殺して、終わらせて、それだけで本当に良いのか?」

「…………」

 

 答えは、すぐには返って来なかった。

 機械の男は、足を止めることなく沈黙する。

 視線は遠くを――或いは、この見せかけだけの理想の都市を見ていた。

 どうしようもなく歪み切った、出来損ないの夢。

 それでも、愛した者の為に積み上げられた一つの形。

 アカツキはそこに、どんな思いを抱いているのか。

 

「……私は、所詮レプリカだ。

 かつて一頭の竜を愛した、アカツキという男本人ではない。

 その想いも記憶も、確かにこの回路メモリーには刻まれている。

 だがそれは、あくまで良く似た他人のモノだ。

 ヘカーティアが愛した者を取り戻そうと行った実験。

 その過程で生まれた多くの『誰か』、私はその一人に過ぎない」

「……レプリカであるなら。

 当然、それはお前一人ではないワケね」

 

 他人事ながら、心底ぞっとしない話だった。

 壊れてしまった欠片を拾い集めて、それを復元しようと試みて。

 愛した人とを無心で造り続ける。

 その様を、私は容易に想像できてしまった。

 これが人前でなかったら、吐き気を抑え切れなかったかもしれない。

 

「私は多くの者の一人で、今も奇跡的に稼働を続けている。

 ……とはいえ、今回で躯体を大きく損傷した。

 今は特に問題はないが、長く持つ保証はあまりない」

「隠れ家って場所でメンテはできねぇのか?」

「可能だが、私一人では限度が……」

「オレが手伝ってやるから、そんな簡単に諦めるなよ。

 アウローラ、オレの《金剛鬼》は出せそうか?」

 

 いきなり聞かれたので、ちょっとビックリしてしまった。

 ええと、この状態だと殆ど魔力は練れないけど……。

 

「そう、ね。今はまともに術式は展開できないけど。

 収納してる空間をちょっと開くぐらいなら、多分いけるわ」

「良し。だったらまぁ何とかなるな」

「……イーリス、良いのか?」

「良いも悪いもねぇよ、姉さん。

 こっちは手持ちの札でやりくりするしかないんだからな」

 

 とりあえず、イーリスには何か考えがあるらしい。

 機械に関しては私も門外漢。

 それは詳しい人間に任せるのが一番でしょう。

 

「……改めて、感謝を。

 正直なところ、協力して貰えるか不安を感じていた」

「助けられた借りぐらいはちゃんと返すっつーの。

 レックスだってそうだろ?」

「そりゃな」

 

 水を向けられて、レックスは躊躇いなく頷く。

 

「事情はどうあれ、助けられたのは事実だ。

 その上で、あの大真竜をどうにかしたいって利害も一致してる。

 だったらまぁ、協力するのに何の問題もないだろ」

 

 うむ、と。

 実に簡単なことのように言ってのける。

 傍から聞いていたボレアスが、さもおかしそうに笑って。

 

「実に貴様らしい結論よな、竜殺し。

 しかし良いのか?

 他人の色恋に不要に関わるのは、竜の顎に首を突っ込むようなものだろうに」

「そこはアレだ、直接どうこうするのは俺らの仕事じゃないし」

「ちょっと、アンタはいきなり何を言い出すのよ」

 

 そんな、色恋がどうとか。

 呆れてつい口を挟んでしまった。

 いや、確かにそういう話ではあるかもしれないけど。

 レックスはレックスで、何故か話の流れに乗っかってくし。

 

「……重ねて言うが、私は所詮レプリカだ。

 彼女が――ヘカーティアが本当に愛した男では……」

「いやぁ関係ないだろ。

 少なくとも、あの塔から逃げ出す一瞬。

 他人の俺から見ても、あっちは辛そうな顔してたぞ」

 

 その意見は、私もちょっとその通りだと思った。

 愛しき竜と、アカツキが別れを口にした時。

 ほんの一瞬だけ垣間見た、コッペリア――ヘカーティアの表情。

 あれは完全に、恋に破れた少女の顔だった。

 ……あぁ、本当に嫌になる。

 愛に目覚め、恋に狂った。

 あの死にたがりの気持ちが、突き刺さる棘のように理解できてしまう。

 

「レプリカだろうが何だろうが。

 そっちだって、あの女の事を愛してるんだろ?

 じゃなきゃそこまで悩むような事は言わねェだろ、どうなんだ?」


 そしてイーリスは、本当に言葉選びに容赦がない。

 機械のはずのアカツキなんて、困惑を隠し切れなくなってるわよ。


「……それは、確かにその通りだ」

「じゃあ話は簡単だろ。

 救うために殺さなきゃならないとか、ンな温いこと言ってんな。

 男だったら、惚れた女を押し倒すぐらいやってみせろよ」

「無茶苦茶言い出したわねこの娘……」

 

 幾ら私でも、流石にそこまで言えないわよ。

 テレサなんて、何をどうフォローして良いか分からなくて固まってるじゃない。

 ボレアスはボレアスで、走りながら腹抱えて笑ってるし。

 

「ハハハハハ! いやはや、流石と言うべきか?

 本当に面白いことを言う娘よな」

「いやぁ、流石イーリスさんだわ。

 俺でもちょっとそこまでストレートには言えんかったわ」

「なんだよレックス、オレの言うこと何か間違ってるか?」

「いや、全面的に同意だな。

 惚れた女を助けたいって言うなら、そんぐらいはやらないとな」

「だろ?」

 

 いえーい、と。

 謎のかけ声と共に手を軽く打ち合わせるレックスとイーリス。

 いや、まぁ、それはそれで良いんですけど。

 とりあえず下手なことを言うと、こっちに飛び火して来る危険がある。

 だから私は黙って頭を低くする。

 一方、半ば煽られてるような状態のアカツキはほんの少しだけ沈黙して。

 

「……あぁ、その通り。この身はレプリカなど、思い悩んだ自分が情けない。

 例え我が魂が作り物に過ぎずとも、抱いた愛に偽りはない。

 まったくもってその通りだ。

 レックス殿、イーリス殿、改めて感謝を。

 己の愚かさを恥じ入るばかりだ」

 

 本当に。

 物凄く晴れ晴れとした声で、アカツキは二人への感謝を口にする。

 最早一片の迷いもないと、その声は何よりも雄弁に語っていた。

 

「彼女を――私は、私の愛を救いたい。

 どうか手を貸して貰えるだろうか」

「おう。殺さんでも、言うこと聞かないなら物理的に殴り倒しゃ良いしな。

 だよなぁ、レックス?」

「ちょうがんばる」

 

 それは確かに、レックスの役目でしょうね。

 今は剣が封じられているから、これを早々に何とかする必要があるけど。

 

「その、アカツキ殿。妹が不躾なことを言って、本当に申し訳ない」

「いいや、彼女は善き魂を持っている。

 私の迷いを払ったこと、むしろ感謝したい。

 どうか貴女も、妹君のことは誇りに思って欲しい」

「……ええ。それは、言われるまでもなく」

「ちょっと、本人の前で恥ずかしい話すんのやめろって」

 

 こういう時だけは照れるというか、恥じらいを見せるイーリス。

 と――話をしている内に、私たちはいつの間にやら大通りを抜けていた。

 再び、人気の少ない都市の死角。

 そこで初めて、アカツキは足を止めた。

 周囲の様子を一度確認してから、何かを囁いた。

 すると。

 

「失礼、長らくお待たせした」

 

 整備された灰色の地面、その一部がぽっかりと口を開ける。

 黒々とした地下に通じる闇の前に立って、アカツキは私たちの方を見た。

 

「この下が、今の私が使用している隠れ家だ。

 少しばかり手狭だが、そこはどうか我慢して欲しい」

 

 そう言って、機械の彼は私たちを誘うように暗闇の中へと踏み出す。

 当然、選択肢は一つしかないけれど。

 

「どうにも、最近は地下に縁があるみたいだな」

「ホント、そうみたいね」

 

 レックスが漏らした言葉に、私は苦笑いと共に頷いた。

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