272話:想像もしなかった事

 

「キッツイな……!!」

 

 状況はレックスの言葉通り。

 さっきまでとは比較にならないほど厳しいものだった。

 向かって来るのは月の鱗である騎士たち。

 その身体と武具に青白い炎を纏い、言葉も語らず攻撃を仕掛ける。

 数が多い、という点も確かに厄介だった。

 しかしそれ以上に、一体一体の質が驚くほどに高い。

 多少の個体差はあれど、どの騎士も間違いなく一流以上。

 この時代の基準で言うなら、全員が《爪》でもおかしくはない。

 そんな敵が、一糸乱れぬ連携で襲って来る。

 それは悪夢に近い光景だった。

 

「レックス……!」

「分かってる!」

 

 この場で取るべき選択肢は何か。

 私が言うまでもなく、レックスは理解しているようだった。

 ……復活した魔力で補助魔法もかけているけど、正直焼け石に水だ。

 多少強化したところで、質と数の暴力には届かない。

 あらゆる角度から飛んでくる刃の嵐。

 レックスはそれらを何とか弾き、転がるようにして身を躱す。

 その回避した先を狙って飛んでくる矢は、私がギリギリで弾き落とした。

 ホントに攻め手に容赦がないわね……!

 

「……流石、と言うべきですかね。

 本体性能は糞雑魚でも、ボクより上の序列なだけはありますよね」

 

 戦いと呼べるかも怪しい一方的な状況。

 それを見ながら、ゲマトリアはこちらにも聞こえる声で呟いた。

 猫を頭に乗っけた状態で、余裕の態度で見物している。

 微妙にムカつくけど、今は構ってる暇がない。

 

『まぁそれでも持ち堪えてる彼氏殿も大概ヤバいよなぁ』

「……癪ですが、まぁ凄いのは認めますよ。

 《最強最古》はあんま役に立ってないっぽいですけど。ザマァ」

『あんま言うと、長兄殿はそういうの全部覚えてるから止めとけって』

 

 勿論、覚えたわよ。

 というかアンタはホントどっちの味方よ、この猫。

 

「…………」

 

 ブリーデは何も言わない。

 ただ苦痛に耐える表情で、戦う騎士たちを後方から見守っている。

 ……月の鱗である騎士。

 各々の武器に宿った半霊たる彼らは、恐らく主人との契約を前提に存在してる。

 後付けの守護霊とでも言えば良いか。

 契約で繋がっている主人さえどうにかすれば、コイツらは纏めて力を失う。

 分かりやすい弱点だ。

 だからブリーデは後ろに控えているし、近くには忌々しい事に糞エルフもいる。

 というか、その男も大概危ないんだから。

 そんな近くに置いて良い相手じゃない事ぐらい分からないの?

 

「ッ……!」

 

 刃が掠める。

 防ぎ切れなかった騎士の剣が、レックスの鎧を削った。

 これでもう何度目だろう。

 騎士たちが構えている武器は例外なくブリーデが鍛え上げた物。

 その全てが凄まじい業物で、私の用意した甲冑でも弾くのは難しい。

 当たれば当たっただけ削られてしまう。

 ……キツいわね、本当に。

 言葉にはせず、喉の奥に唸り声を押し込む。

 

「ホント、こいつら強いな。お前の昔の仲間なのか?」

「…………ええ、そうよ。

 というか、よくこの状態で話しかけてくるわね」

 

 攻撃は休みなく続いている。

 死線のギリギリを綱渡りする形で、レックスは無数の剣を捌いていた。

 そんな窮地にも関わらず語り掛けられて。

 呆れ顔をしながらも、ブリーデは律儀に応じてくる。

 

「千年前の戦いに参加して、彼らは命を落とした。

 それでも彼らは、一人残らず古竜との戦を戦い抜いて来た猛者。

 その強さは、死んだ後だって色褪せることはない」

 

 歌うように、誇るように。

 表情は険しいまま、ブリーデは己が従える騎士たちを語る。

 竜ですらないナメクジを、大真竜という地位に押し上げている力。

 出来損ないの白子は、今や月の鱗を纏う竜となっていた。

 ……ええ、認めましょうか。

 心底腹立たしいけど、その事実は認める他ない。

 それならやっぱり、取るべき手段は一つだけ。

 

「……私を直接狙おうとしたって、無駄よ。

 そこにいるウィリアムが突然裏切ったら分からないけど」

「心外だな。俺は必要もなしに裏切らんぞ?」

「必要があったら裏切るって白状してるじゃねーか」

 

 ホントよ。

 だからソイツは危ないから、今の内に何とかしなさいよ。

 その言葉を戯言と判断したか、ブリーデはあっさりと無視する。

 

「この場に展開しているのは、まだ騎士団の半分程度。

 その上で、私のはまだ見せてない。

 不意打ちを狙ったとしても、この状況じゃ絶対に無理よ。

 そのぐらい、アンタなら理解できるでしょう?」

「…………」

 

 ブリーデの言葉は、間違いなく私に向けられていた。

 微妙に腰が引けてる降伏勧告。

 実際に追い詰められてなければ、鼻で笑ってやるのだけど。

 向こうの言う通り、私たちにブリーデを倒す手段はない。

 周りの騎士たちを突破して、直接彼女を狙う。

 そんな真似を許すほどに相手も甘くはない。

 分かっている。

 分かっているからこそ、私は何も応えなかった。

 飛んでくる矢と襲って来る刃。

 レックスと共に、それらをギリギリのラインで対処し続ける。

 

「……ねぇ、分かってるんでしょう?

 だったら、いい加減に――」

「ええ、勿論分かってる。

 だからそんな必死に言わなくても良いわよ」

 

 更に言い募ろうとする言葉を、今度は敢えて遮った。

 ぐっと詰まるブリーデを見ながら、敢えて自信ありげに笑ってみせる。

 ええ、全部貴女の言う通り。

 私の魔力が半減して、レックスも剣を封じられてちゃ勝ち目はない。

 そんなこと、大きな声を出さなくとも全部分かってる。

 ――だから今、この場で私たちが取るべき手は、たった一つ。

 

「ッ……何を、そんな自信満々に……!」

「下がれ、ブリーデ!」

 

 ええ、糞エルフは勘が鋭くて助かるわ。

 間抜けな顔をしてるナメクジだと、びっくりして転んでしまうかもしれないし。

 ひたすらレックスの補助に徹している間に、胸の奥で溜め込んだ力。

 さっきウィリアムに向けて放ったモノとは比較にならない。

 レックスにしっかりとしがみつきながら、私は《吐息》を吐き出した。

 狙う先はナメクジ――を、掠めるぐらいの軌道。

 それでも、傍から見れば本命を狙っている事に変わりはない。

 騎士たちの動きは、実に迅速かつ的確だった。

 何体かが射線上に割り込み、自らを盾にして閃熱を受け止める。

 撒き散らされる余波も、万一でも主人が浴びないよう確実に防いでいく。

 ホントに有能ね、コイツら。

 身体で受けた奴らは流石にダメージを受けてるけど、戦闘不能という程じゃない。

 半減した状態とはいえ、渾身の《吐息》を受けてこれとは。

 まぁ、今はそれよりも――。

 

「レックス!」

「おう!」

 

 今の私の一撃で、騎士たちの包囲は確実に穴が開いた。

 ウィリアムも最悪を想定し、ブリーデを庇う形で動いていた。

 その状態ではこっちに対処する余裕もないはず。

 狙って来る矢と剣を弾きながら、レックスはその場から大きく跳躍した。

 ――そう、このまま戦っても勝ち目はない。

 だったらやる事なんて、逃げの一手以外にはあり得ない。

 けれどブリーデは、そんな私たちの行動を予測できていなかったらしい。

 呆れるほどに驚いた顔で、宙を跳ぶこちらを見ていた。

 

「な――っ、に、逃げるつもり……!?」

「そりゃそうよ。悪いけど、勝ち目もないのに付き合う気はないの」

 

 寝言が聞こえたので、とりあえず鼻で笑っておく。

 一瞬で大分距離が離れたから、もう表情は良く見えない。

 相変わらず矢は飛んでくるけど、これぐらいなら幾らでも対処できる。

 他の騎士は追って来ない――と思ったけど。

 

「何体か追いかけてくるな」

「ええ。ひ弱なご主人様の介護でもしてれば良いのに」

 

 見える範囲で五体。

 向こうも向こうで、人間離れした動きで私たちの事を追跡してくる。

 さて、囮として向こうの注意を引くという目的は、十分以上に果たせたはず。

 このまま逃げ回れば、相手はそれも追ってくるでしょうし。

 しかし、ピッタリくっつかれているのは面倒だ。

 

「どっかで戦るしかないか」

「……そうね。まぁ、ブリーデはアレだからすぐに追い付いて来ないでしょうけど。

 足を止めるとウィリアム辺りは飛んで来そうで怖いわね」

「糞エルフだからなぁ」

 

 ……良く見れば、追ってくる騎士の半分以上はさっきの《吐息》を受けた者だ。

 戦闘不能というほどじゃないけど、明らかに鎧などに損傷が見られる。

 即回復できない状態の者だけが、足止めのために追って来た形か。

 万全の者が追って負傷者が増えるより、既に負傷した者が捨て駒になりに来たと。

 後方に要警戒の糞エルフがいなければ逆に好都合だったけど……。

 

「仕方ない、覚悟決めるか」

「ええ。出来ればまた包囲されないよう、迅速に…………?」

 

 対処するしかない、と。

 そう言い終えるよりも早く、追跡した騎士たちに動きが見えた。

 絶対に逃がさないという突き刺さるような敵意。

 それが逸れたかと思うと、騎士たちの姿がふっと消えた。

 姿を隠した……というワケではない。

 

「……なんだ、諦めたのか?」

「……いえ、そうじゃないと思う」

 

 訝しむレックスの言葉に、私は小さく首を横に振った。

 違う、決して追跡を断念したワケじゃない。

 恐らくは、止められたのだろう。

 

「ブリーデが、止めさせたんでしょうね」

 

 本当に、容易に想像がつく。

 さっきの戦力なら、私たちに追い付いて足を止めることは難しくない。

 その代償として、確実に何体かの騎士は打ち倒せる。

 一目瞭然の天秤の傾きを、あの馬鹿なナメクジは拒否したのだろう。

 ……ホントに、どこまで馬鹿なのか。

 

「そうか。まぁ、そうなるか」

「……とりあえず、急いで離れましょう。

 イーリスたちの方も、大丈夫とはいえ少し気になるから」

「だな。追われてないかだけは注意して急ぐか」

 

 私の言葉に頷いて、レックスは強化された脚で高層建築の壁を蹴る。

 閉ざされた都市の空を、私たちは飛ぶように逃げていく。

 月の鱗である騎士の気配はなく、ブリーデの姿はもう遥か彼方だ。

 ……追ってくる気配はない。

 改めて、あのナメクジの無能さに頭痛がしてくる。

 あのまま足さえ止めてしまえば、確実にウィリアム辺りは追い付いたはず。

 そうなったら、再び包囲されていた状況まで逆戻りだった。

 流石にそんな状態になれば、もう一度逃げ出すのは困難だったろう。

 手を止めずに続けていたなら、確実にあちらが勝っていたはず。

 それなのに――。

 

「……馬鹿ね、ホント」

 

 聞かせる相手もいない悪態を、私は小さく呟く。

 離れる瞬間に見た、あの間抜け面。

 あのナメクジがあれだけ驚いてた理由も、私には簡単に分かった。

 ――まさか、私が自分相手に逃げ出すなんて、想像もしなかったんでしょうね。

 だから逃げを打ってくるなんて、思考すらしていなかったはず。

 

「んっ……」

 

 レックスの手が、わしゃわしゃと私の頭を撫でる。

 彼は特に何も言わなかった。

 私も、黙ってされるがままにしていた。

 戦いが過ぎ去った後の空気は、酷く穏やかなもので。

 唇からは細い吐息だけが零れた。

 

「…………」

 

 そんな事をする意味はないと、私は知っていながら。

 視線は、何処にも見えないはずの月の姿を探していた。

 

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