幕間2:鈍らの鍛冶師


「何やってんですか、ブリーデさん」

 

 呆れた顔で、ゲマトリアは私にそう言って来た。

 返す言葉なんてありはしない。

 黙ったままで、私は人気の失せた通りに佇んでいた。

 見上げた先には何も見えない。

 ただ、視線は無意味に虚空を彷徨わせるばかり。

 

「アレ、追っかければまだ追い付けたでしょうに。

 なんで騎士を下げたんですか。

 自己判断で負傷してた人が追っかけてくれたってのに。

 つーかそこの糞エルフもなんでボーっとしてんですかね」

「主人の身の安全より優先すべき事があるか?」

『真っ当なこと言ってるはずなのに、言葉の裏を勘繰っちゃうわ』

 

 悪態に近いゲマトリアの言葉にも、ウィリアムの態度はブレない。

 猫の発言も気にした風もなかった。

 ……分かっている。

 あのまま追うのが最善だと、頭の中では分かっていた。

 追いかけて、足を止めさせて。

 それからウィリアム辺りが追い付けば、再び「みんな」で囲めばいい。

 今の状態であれば、正面から戦えばこちらが勝つ。

 勝つ、勝てる、本当に?

 頭の中でグルグル回る思考と感情。

 今、私は何を考えてる?

 馬鹿馬鹿しいぐらいに、自分の心の中が分からない。

 それと同じぐらいに、アイツが何を考えているのか――。

 

「……ブリーデさん?」

「…………ごめん。大丈夫、大丈夫だから」

 

 私の様子がおかしいと思ったのか。

 やや困惑した表情で、ゲマトリアが顔を覗き込んで来た。

 

「いや、大丈夫って。元々青白い顔色がもう真っ白ですよ?

 やっぱ無理してんじゃないんですか?」

『まぁ、姉上は昔っからそんな感じだよな』

 

 ゲマトリアの頭の上で、猫がムニャムニャと言って来る。

 どれだけ取り繕おうとしても、古馴染みが相手ではどうしようもない。

 そもそも、取り繕うほどの余裕が今の私にはなかった。

 

『くっそ生意気な妹相手に、自分の方から本気で叩いたのなんて初めてだしな。

 そりゃまぁ、慣れない事をしたら疲れもするだろ』

「…………」

 

 私は、すぐには言葉を返せなかった。

 猫の――ヴリトラの言う通り。

 弱くて、どうしようもないぐらい弱い私は、これまでされるがままだった。

 抵抗した事が、ないわけじゃない。

 むしろ本気で叩こうとした事なんて数えきれないほどある。

 それでも、私はどうしようもなく弱くて。

 アイツは、どうしようもないぐらいに強かったから。

 猫がじゃれるどころじゃない。

 あの大馬鹿にとって、私がする事は羽虫が肩に止まったぐらいの事で。

 

「ま、あの《最強最古》が尻尾巻いて逃げ出したんですから!

 あのままやってれば確実にブリーデさんの勝ちでしたし、自信持ちましょうよ!

 ボクの雪辱を晴らしてくれると期待してるんですからね!」

『そこは自分で何とかしようって思うところじゃね?』

「猫がうるさいですよ! あと何でボクの頭が定位置と化してんですか!」

「…………」

 

 逃げた。

 そうだ、アイツは逃げたんだ。

 姑息で卑怯でズル賢くて、目的のためなら手段を選ばない。

 けど、それと同じぐらいの傲慢なアイツが。

 弱って、魔力を半ば封じられている状態だとしても。

 私から自分の意思で逃げ出した。

 ……今さらながら、それに酷く驚いている自分に気付いた。

 そうだ――逃げるなんて、考えもしなかった。

 それもあって、対処するのに一歩遅れてしまった。

 

「……続けるのが厳しいのであれば。

 後のことは、俺が引き受けるが」

 

 囁く声は、いっそ優しげな響きすら伴っていた。

 傍らに立っているウィリアムは、まるで忠実な従者のように膝をつく。

 

「力の一部――そうだな、今展開したのと同数の騎士たちがいれば。

 恐らく、俺ひとりでも十分奴らを抑えられるだろう。

 流石に『生かしたまま』とは確約できないが」

「ブリーデさん、ダメですよ。コイツの言うことなんて聞いたら」

『酷い言われようだが実際その通りだし擁護できんわ』

「…………」

 

 驚きはしなかった。

 ウィリアムがそんな事を言うだろうと、予想はしていたのかもしれない。

 この男なら、きっと言葉通りの結果を示してくれるだろう。

 騎士たちの半分を巧みに使い、確実に勝利してみせる。

 根拠はないけれど、そう確信させるだけの力がウィリアムにはあった。

 ……分かってる、そうするのが最善な事ぐらいは。

 ゲマトリアが忠告する通り、この男を完全には信用できない。

 預けた力を利用して、そのまま裏切って来る可能性は十分にある。

 月鱗の騎士たち、それらの主導権は私が持っているけど。

 こっちが思い付きもしない方法で、ウィリアムが契約を奪って来る危険もあった。

 

「……そうね。

 アンタに任せるのが、多分一番でしょうね」

「ブリーデさん!? ちょっと冷静に……」

「けど、ダメよ。アンタのことが信用できないとか、そういう話じゃない」

 

 慌てるゲマトリアの言葉を遮り、私は首を横に振る。

 そう、これはそういう話じゃない。

 ウィリアムの方は、私がそう応えるのを予想していたのか。

 特に意外そうでもなく、変わらない様子で私を見ていた。

 

「あくまで、自分の手で事を成し遂げたいか」

「…………そうよ。

 そこの猫の言葉じゃないけど、初めてなのよ。

 アイツを相手に本気で戦ったのも。

 アイツが、私を相手に逃げ出したのも」

『まぁ、幾ら長兄殿でも勝ち目がなけりゃ逃げるぐらいはするさ』

「今まで散々、ナメクジなんて言ってた私相手によ?

 こんなの――なに、笑えば良いの?」

 

 ヴリトラの言葉に、何故か私は少しだけ苛立ってしまった。

 理由は、自分でも分からない。

 さっきからずっと、感情の抑えが効いていない。

 自覚はあってもどうしようもなかった。

 

「……私が、私がやらなくちゃいけない。

 そう決めたの、私が、私自身の意思で決めたのよ。

 だからアンタは、余計なことはしないで」

「仰せの侭に。しかし、まさか引っ込んでろとは言うまい?」

「当たり前よ。戦力を遊ばせておく余裕なんてないんだから」

 

 私の答えに、一先ずウィリアムは満足したらしい。

 一つ頷きながら、改めてその場に立ち上がる。

 

「戦力という意味では、間違いなくこちらが圧倒している。

 だからと言って油断はしないことだ。

 あの《最強最古》は兎も角、竜殺しであるレックスの方はな」

「……それも、勿論分かってる」

 

 どうしても、感情的にあの馬鹿の方を見てしまいがちだけど。

 ウィリアムが言う通り、油断ならないのは彼の方だ。

 あの地下迷宮で出会ってから、もう随分と時間が経過した気がする。

 永遠を生きられる身で考えるなら、大して昔ではないはずなのに。

 

『油断ならないって意味じゃ、彼氏殿の方がそうだろうな。

 そういえば、決着付けられなくて残念だったな』

「なに、機会はある。それに関しては特に焦ってはいない」

「いっそ対消滅してくれませんかねコイツ」

 

 まぁ、ゲマトリアの言いたい事も分かるけど。

 流石に私も、彼を殺すまでは……。

 

「…………」

『……どうした、姉上?』

「いえ、何でもない。何でもないから、気にしないで」

 

 敏い猫の声に、私は即座に首を横に振る。

 ダメだ、そんなんじゃ。

 レックスも、あの馬鹿も、どっちも本当なら私じゃ遠く及ばない。

 「みんな」の力があって初めて優位に立てている。

 それも、使う側である私が甘いようでは。

 どんな優れた名剣宝刀であろうと、担い手がなまくらでは話にならない。

 同じだ。それと同じ。

 私の剣に宿った魂は、一つ残らず英雄と呼ぶに相応しい。

 彼らの力を使って勝てないのであれば、それは私が無能だからだ。

 ……ダメだ、それじゃあ。

 私は勝つと決めた。

 盟約を維持しなければ、今の大陸秩序は崩壊する。

 それがどれだけ歪んでいて、誰かの犠牲を強いるものだとしても。

 何もかもが死に絶える、無秩序の混沌よりは余程マシだ。

 だから、あの馬鹿は絶対にどうにかしないと。

 自分の目的のためなら、アイツは万物を平然と犠牲にする怪物なのだから。

 

「それで、どうするんだ? 追跡なら請け負うが」

「……いえ。この広い都市で、全力で逃げ隠れされたら流石に厳しいもの。

 それで探索の手を広げて、此方の戦力を分散したら各個撃破されかねないわ」

 

 今回捕捉できたのも、向こうが目立つように動いていたからだ。

 多分、囮として振る舞って潜伏場所を誤魔化す意図があったのだと思う。

 しかし今、アイツはこちらの戦力をある程度は把握したはず。

 今度は本気で身を隠して、私が探索に手を割けば御の字と。

 きっとそんな風に考えているだろう。

 実際、それで騎士の数を減らされるのが一番困る。

 

「それじゃあどうするんです?

 あんだけコッペリアさんに見栄切っておいて、このまま手ぶらで帰るんです?」

「嫌な言い方するのは止めて頂戴。……けど、それが一番だと思うから。

 アイツの狙いが大真竜の首なら、最終的には絶対向こうからやってくる」

 

 だから、《中枢》に一度戻って待ち構える。

 これなら私も、全ての戦力を使って迎撃できるはずだから。

 

「……案としては間違ってはいない。

 が、その場合は『攻めるに足る』と相手が判断した状態となる」

「それは……」

 

 確かに、その通りではある。

 そもそも今だって、相手が拘束を解除する前に抑えようと出て来たのだから。

 そう考えると本末転倒じゃないか、とも思ってしまう。

 ちょっとした意見で簡単にブレてしまう自分が、心底情けない。

 私はやっぱり、こういう事には向いていないのだろう。

 

「とはいえ、懸念した通り追跡のために戦力を分けるのは論外だ。

 そうなればあちらは嬉々として叩いて来るだろう」

『で、その上で糞エルフ殿はどうするべきだと?』

「追跡はするべきだが、それは最低限の戦力で行う。

 見つけられれば良し、見つけられずとも隠れ潜む相手に圧力は掛けられる。

 使うのは何もお前の騎士たちだけでなくとも良い。

 それこそ、都市に配備されてる機械人形も動員するべきだ」

「そっちは多分、コッペリアに頼めば行けると思うわ」

 

 成る程、と。

 ちょっとだけ感心しながら、ウィリアムの言葉に頷く。

 

「思ったよりまともなことを言いますね、コイツ」

「俺はいつも、俺なりに正しい事しか口にしていないつもりなんだがな」

「いやそういうところですよ糞エルフ。

 やっぱブン殴って良いですか??」

『落ち着け、落ち着け』

 

 ……まぁ、こういうところはホントにどうかと思うけど。

 と――そこでウィリアムは、私の方を見て。

 

「追跡と探索に関しては、俺に任せて貰えるか?」

「ダメですよ、ブリーデさん! いやホントにダメですって!!」

「……まぁ、適任はアンタだけよね。実際」

 

 ゲマトリアも、言いたい気持ちはホントに分かるけど。

 さっきもレックスたちを発見したのは、先行したこの男だ。

 人格的にはアレでも、能力的に信用できるのは間違いない話だ。

 

「なに、あわよくば決着を付けるぐらいは狙っているが。

 逆に言えば、今のオレが考えているのはその程度のことだ。

 安心して任せて貰って構わんぞ?」

「アンタ、ホントにそういうところなんだけど……」

 

 まぁ、そんなことは言ってても仕方がない。

 

「なら、逃げたアイツらの追跡はアンタに任せる。

 私は《中枢》に戻って、迎え撃つための準備をするから。

 それで良いのね?」

「問題ない。……あぁ、もう一つだけ」

 

 言って、ウィリアムは無造作に手を伸ばす。

 その先にいたのは、猫一匹。

 遠慮も容赦も一切なしに、ウィリアムの手が首根っこを引っ掴んだ。

 

『ちょっと??』

「騎士は不要だが、念のためにコイツは借りていくぞ」

「えーっと、まぁ、それは良いけど……?」

「良いんですか、いやホントに。あ、でも首は軽くなったから別に良いかも!」

『い、イヤだ! オレはよう寝たいんだ!!』

 

 まぁ、何だかんだで相性は悪くなさそうだし。

 地味に嫌がる猫を片手にぶら下げながら、ウィリアムはこちらから離れる。

 

「では、俺はこのまま行動に移る。

 機械人形の動員要請は任せて構わんか?」

「分かった、戻り次第やっておくから…………その」

 

 気を付けて、と。

 思わず言いそうになったけど、コイツにそんな事を言う必要ある?

 なんて考えてる内に、ウィリアムはさっさと動いてしまった。

 都市の間に、あっという間に消えていく背中。

 嫌そうな猫の鳴き声を聞きながら、私はそれを黙って見送った。


 

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