幕間3:存在しない記憶

 

 栄光と崇敬にのみ満たされた、神聖なる闘技場。

 円形に区切られた戦舞台ステージは、この世界のように広く狭い。

 造りは敢えて古めかしく、数千年前の様式を完璧に再現したものだ。

 我、《闘神》と同じ名を冠するこの都市の最上層。

 主たる我以外は、数多の戦いを勝ち上がった真の強者のみが立てる領域。

 栄光と崇敬にのみ満たされているはずの、神聖なるその領域に。

 今、この《闘神》以外の「強大なる者」が存在していた。

 

「――さて、どういうつもりですか?」

 

 黒い装束ドレスを身に纏った少女――いや、少女の姿をした怪物。

 我が主にして盟約の礎たる大真竜の一柱。

 ゲマトリア大公閣下は愛らしい見目とは裏腹に、随分ご立腹のようであった。

 並の真竜なら、触れただけで魂が砕けそうな程の怒気。

 しかし我こそは《闘神》なり!

 首全てが揃っている状態ならばいざ知らず、ただ一つならば恐れる必要も無し。

 故に堂々と胸を張り、主たる大真竜と相対する。

 

「我が誇り! 我が名誉! 我が心に灯った愛の炎に誓って!!

 この《闘神》、何も恥じる事など無いと考えております!!」

「今そういう話はしてないんですけど??」

 

 大公閣下は唸るような声で応える。

 お怒りはお怒りのようだが、即罰するような気配は無い。

 不本意とはいえ、今は《闘神武祭》の真っ最中。

 如何に大真竜とはいえ、その中心たる我を直ぐにはどうこう出来まい。

 故に怒りを示しながらも、ただ言葉で責め立てる他ないのだ。

 

「《闘神武祭》は性質上、都市の半分近くを盛大にぶっ壊す事になるんですよ??

 終わった後の修繕とか補填とか、どんだけ大変なのか分かっていますか??」

「勿論、完全に理解しておりますとも!!

 ですが!! それでもやらねばならぬ戦いがあるのです閣下!!

 この《闘神》、忠実なる貴女の臣下たる身ではありますが!!

 こればかりは譲る事はできないのです!!」

「ぐぬぬ、何を勝手な……!」

 

 直接罰を下す気は無いにしても、怒り自体は本物だ。

 軽い口調とは裏腹に、大公閣下の放つ魔力は部屋全体を軋ませている。

 五本ある首の一本、加えて《竜体》にすらなっていない。

 その状態でさえ、我が挑戦者と戦う為に用意された闘技場を震わせている。

 これが大真竜、盟約を支える偉大なる礎の一柱。

 《闘神》たる我は、その立場ではなく強大さ故に傅く事を選んだ。

 しかし、それでも譲れぬモノがあるのだ!

 

「…………まぁ、既に始めてしまったワケですからね。

 幾らボクでもそれを無理やり取り止める事はしたくありません。

 色々と文句が五月蠅いですしね」

「ご理解感謝致します、大公閣下!!」

「いやご理解は別にしてないですからね、渋々ですからねマジで」

 

 ともあれ、大公閣下の赦しも得る事が出来た。

 ならばこれで心置きなく――。

 

「で、結局どういう流れなんですかコレ」

「?」

「いや意味分かんないって顔しないで下さいよ!

 それどう考えてもボクの方なんで!

 ボク視点だと貴方がいきなりトチ狂ったようにしか見えないんですよ!

 何で唐突に《闘神武祭》を開催したのか、ちゃんと理由聞いてないんですけど!」

「おぉ! 閣下は開催前の我が演説をご覧になっていない?」

「アレ見ただけで事情をまるっと把握できると本気で思ってます??」

「うぅむ、我が情熱の発露が不足していたという事か……!!」

 

 であれば致し方なし。

 我が尊敬すべき主たる大公閣下にはきちんとご説明せねばなるまい。

 

「全ては愛の為です!!」

「会話しましょう??」

 

 おっと、つい情熱だけが先走ってしまった。

 身体から噴き出す炎こそ正に我が情念そのもの。

 一度深呼吸をしてコレを鎮める。

 大公閣下の様子がややうんざりして来た気もするが、恐らく気のせいであろう。

 

「この《闘神》、真竜の身となってから長き時を過ごしましたが。

 此の度、運命と呼ぶべき方と巡り会ったのです!!」

「…………え。愛だの何だのって、マジでそういう話なんです??」

「その通り!!!」

 

 疑わし気な大公閣下に向け、あらんかぎりの声で愛を叫ぶ。

 そう、愛だ。愛に間違いない。

 この胸を熱く焦がす炎、魂から溢れるこの熱情。

 これを愛と呼ばずして何と呼ぶべきか。

 何故か大公閣下は困惑された御様子。

 うむ、きっと閣下には愛や恋に溺れた経験が無いのであろう。

 偉大なる御方ではあるが、そういう事もあるか。

 

「えーっと……ちなみにお相手は?」

「きちんと我が愛を叫んだ演説にて、あの麗しき御姿は公開したはずぞ閣下!!」

「いや、愛の演説とやらは意味不明過ぎてちゃんと見て無かったんで……」

「であれば致し方ありませんな!! どうぞご覧下さい!!」

 

 我が魔力により、現から切り取った幻の像を形作る。

 それはあくまで小手先で似せただけの偽物に過ぎない。

 だというのに、胸の昂り一つを抑える事さえ困難を極める。

 我が手の中に浮かび上がったその姿。

 余りにも美しく、愛おしく、狂おしい。

 言葉で形容しようにも陳腐で使い古した表現しか浮かんでこない。

 それほどまでに、あの方は光輝いていた。

 自ら生み出した幻像にすら跪き、煮え滾る涙を滂沱の如く流したくなる程に。

 

「なんで突然崩れ落ちて号泣してるんですか……??」

 

 どうやら思うだけでなく、本当に実行してしまったようだ。

 全く意識しないままの行動に、流石の《闘神》たる我も驚きを禁じ得ない。

 若干戸惑い気味の大公閣下だが、改めて幻像に目をやる。

 その美しき姿をまじまじと眺めて。

 

「えーっと、この美少女ちゃんも真竜ですか……?

 ちょっと記憶にない感じですけども」

「ええ!! そのはずですぞ!!」

「はずって。

 まぁ人間の姿なんて竜にとっちゃ仮のモンですし。

 最悪、着心地を気にしなければ弄り放題ですが……」

 

 難しい顔で唸りながら、大公閣下は暫し観察を続ける。

 一応、あの方の姿を細部まで完璧に再現したはず。

 しかしこうも見られると、何処かに欠陥ミスが無いかと不安になる。

 

「うーん……やっぱ見覚えはないですね。

 で、この可愛い子ちゃんに一目惚れしたまでは分かりました」

「分かって頂けましたか!!」

「それが何で勝手に《闘神武祭》をおっ始めるのに繋がるんですか?」

「我が愛を証明し、彼の御方をこの手で掴む為に……!」

「もっと具体的に」

 

 一瞬、この《闘神》ともあろう者が言葉に詰まってしまった。

 出来れば、そう出来るならば。

 この忌まわしき事実を我が口から語りたくはなかったが……。

 

「……実は、我との戦いを望んでいる人間がおりましてな」

「ほほう、そりゃ珍しいが良い事じゃないですか。

 最近は貴方の強さにビビり散らして、挑戦者を探すのも一苦労でしたし」

「閣下の仰る通り。我も気骨ある男と評価しております。

 ですが――その、我が愛しき花は、アウローラ嬢は、どうやらその男を、その」

「ハッキリ言って下さいよ、ハッキリと」

「その……愛している、との事で」

 

 それを言葉にした瞬間、恥辱と憤怒が全身を焼き焦がす。

 あってはならない――考えるだけで忌まわしく、そして悍ましい事だ。

 戦士としての実力は認めよう。

 《闘神》は強き者の価値は等しく尊ぶ。

 しかし、人間が、人間如きがあの方の愛を独占するなど。

 あってはならない、絶対にあってはならない。

 そんな事は認められない、許されない、故に必ずやこの「俺」が――。

 

「……え、つまり。

 貴方はうっかり彼氏持ちの子に惚れちゃって?

 それを略奪する為に勢いで《闘神武祭》を始めちゃったと??」

「はい!!」

「はいじゃねーですよバカ野郎」

「しかし大公閣下、一つ訂正を!!」

「なんですか」

「これは略奪ではなく、敢えて言うならば奪還……!

 正当なる愛の証明に他ならず……!」

「うるせーですよバカ野郎」

 

 一瞬だが、本気の殺意を込めた眼で睨まれてしまった。

 それは直ぐに引っ込めて、大公閣下は大きくため息を吐き出す。

 

「はあぁぁ……いや、まぁ、やってしまったモノは仕方ない。

 ボクもこの街の事を貴方に任せ過ぎましたね。

 そういう意味じゃ管理責任ですし、今回だけは見逃しましょう」

「ありがとう御座います、大公閣下……!!」

「ホントに二度目は無いんで、それは肝に銘じて下さいよ」

 

 閣下の決定に、我はただ平伏する他ない。

 うむ、なんと寛大な御心の持ち主であられるのか!

 流石は盟約の礎、大真竜の一柱たるゲマトリア大公閣下だ!

 感動に打ち震える我を見ながら、閣下は今度は小さく息を吐いた。

 

「じゃあ後は任せましたよ。

 ボクも様子は見てますが、城の方で片付けておきたい仕事があるんで」

「御多忙のところ、お手間を取らせて申し訳ありません!!」

「ホントですよまったく……」

 

 文句は呟きながらも、それ以上は咎める言葉も無く。

 閣下は《転移》を発動させてその場を去る。

 御自身の拠点である《天空城塞》へと移動されたのだろう。

 大真竜の気配は去り、神聖なる闘技場には《闘神》たる我一人が残される。

 頂点に立つ者は常に孤高、故に孤独を感じた事はない。

 しかし今は、少しだけ異なる。

 胸の奥に穴が開き、その底で熱く煮えた鋼が渦巻いているような。

 言葉には言い表せぬ熱が、我が身を絶えず苛み続ける。

 

「おおぉぉおおおぉぉ……ッ!!」

 

 熱い。これほどの熱を感じた事がこれまでにあろうか。

 今まで星の数にも等しいだけの闘士と戦い、その全てを葬り去って来た。

 一つの例外もなく激戦、一つの区別もなく名勝負であった。

 人間の身で果敢に挑む勇士達は、常に《闘神》たる我を熱くさせる。

 しかしこの身を焦がす熱は、それら余さずを合わせたとしてもまだ足りぬ。

 最早他者の目を憚る事も無いと、我は衝動に身悶える。

 思い浮かぶのはただ愛しき花の姿。

 今はアウローラと名乗る、彼女の美しいかんばせばかり。

 

「何だ、何だというのだ、この感覚は……!!」

 

 知らない。いいや知っている。

 分からない。いいや分かっている。

 知らぬはずがない。

 分からぬはずがない。

 これは愛だ、愛でなくて何だと言うのだ。

 数百年は感じた事のない激情は、さながら火を噴く山の如し。

 溢れ出すのを止められない。

 空に瞬く遠雷のように、頭の中にちらつくのは麗しき人の事だけ。

 ――美しい。比喩でなく、一目で魂を撃ち抜かれた。

 言葉が足りない。

 その美しさを、この愛を表すには言葉は余りに貧弱過ぎる。

 太陽よりも烈しく、月光よりも眩い。

 そうだ、あの気高さ、如何なる宝石にも勝る美しさ。

 全て、全てが、あの月夜の頃と何一つ――。

 

「…………?」

 

 今、何か妙な事を考えた気がする。

 気がするが――うむ、イマイチ何だったか分からん。

 それはつまり、その程度の事に過ぎんという事だ。

 ならば気にする必要は無し!

 未だ胸の内で想いは燃え滾っている。

 が、一頻り叫んだ事で多少は落ち着いて来た。

 《闘神》たる者、人目が無いからと醜態を晒し過ぎた。

 立ち上がり、改めて我が身に気合を入れ直す。

 今一度、愛しきあの方の姿を脳裏に描く。

 それともう一人、あの忌まわしき恋敵も同じように。

 武祭には数多の強者達と、我が炎を分けた無数の「災害」共がひしめく。

 これら全てに打ち勝ち、《闘神》の前に立つは容易ではない。

 しかし確信に近いモノを我は感じていた。

 あの男は必ずや、その試練を全て乗り越えて来るだろうと。

 手にした剣は過たずに《闘神》の首を狙うはずだと。

 いや――むしろ、そのぐらいはやって貰わねば。

 でなければ、そもそもあの御方の寵愛を賜る資格など無し……!

 

「さぁ、来るが良い……!!

 この《闘神》、戦いの頂点にてお前を待つ……!!」

 

 全身から噴き上がる炎こそ我が闘志、我が情熱!

 それはこの世の万物にも勝るモノだ。

 この愛が胸の炎に燃える限り、《闘神》に敗北などあり得ない。

 そう、例え相手が盟約の礎たる大真竜の御方であろうとも。

 今の我ならば勝利し得るという確信があった。

 

「愛よ!! 勝利よ!!

 必ずや、余す事無く我が手中に……!!」

 

 栄光と崇敬にのみ満たされた、神聖なる闘技場。

 その中心に独り佇み、炎と共に我は叫ぶ。

 我が身が《闘神》たる事を万民に証明する、その瞬間。

 即ち、闘争と勝利。

 今は孤高なる頂きにて、その訪れを待つ。

 そう、この地にて待つ事こそが頂点たる者の使命に他ならない。

 故に胸に燃ゆる炎を抱きながら、我はただ待ち続けた。


 

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