第六章:人と竜、神と巨人――そして、鬼

334話:羽化


「――おい、何かおかしいぞ!?」

「んんっ?」


 異変を真っ先に感じ取ったのは、上空に待機していたイーリスだった。

 《裁神》との戦いに巻き込まれぬよう。

 出来るだけ高い位置まで飛び上がった飛竜の上。

 そこから半ば身を乗り出して、イーリスがこちらに向けて必死に叫んでいた。

 とりあえず、その体勢は落ちそうでちょっとヤバい。


「なぁ、ちょっと良いか?」

「戯言で時間でも稼ぐつもりか?」


 《神罰の剣》を両手に構え、此方を迎え撃つアストレア。

 刃と刃が重なり、耳を突く金属音が響く。

 隙間を縫う形で放たれるのはテレサの拳撃。

 その一撃は《裁神》の胴に直撃するが、小動もしない。


「来ると分かっていれば、その程度――!!」


 指の動きだけでの「剣」の操作。

 降り注ぐよりも一瞬早く、テレサは《転移》で位置をずらして回避する。

 攻防に僅かでも穴が空くと、アストレアは即大量の《神罰の剣》を展開してくる。

 間合いまで離されたら狙い撃ちにされてしまう。

 なので兎に角踏み込んで、操作を担う右腕へと剣を打ち込んだ。

 それでも尚、アストレアは無理やり「剣」を叩きつけようとしてくるが。


「させるワケないでしょ!!」


 アウローラが一つ叫ぶと、強烈な風が吹きつける。

 狙うは空に浮かぶ《神罰の剣》。

 突風で「剣」の群れは動きを乱される。

 散らされた刃はデタラメな軌道を描き、『地砕き』の装甲を削り飛ばした。

 さっきから大体この繰り返しで、ホント心臓に悪い。


「イーリス! 危ないからもう少し下がって……!」

「だから《巨人》の様子がおかしいって言ってんだよ!!

 そっちの金ピカデカ乳女もちょっとは見ろよ!!」

「はぁっ!? き、貴様、今私に対して何を……!?」

『我も大概傲岸不遜な自覚はあるが、流石にいきなりあそこまでは言えんぞ』

「せやろな」


 相手が大真竜だろうが神様だろうが、思ったままに言ってのける。

 その様に、剣の内にいるボレアスさんも呆れるほど感心しているようだ。

 恐れを知らないのではなく、恐れていても自分を曲げない。

 最初っから芯の強さはあったが、過酷な旅を経て心根はますます強くなった。

 そんなイーリスの在り方には俺も尊敬するしかない。

 で、それは兎も角だ。


「アウローラ、そっちは何か感じるか?」

「……そうね。

 何だか、この《巨人》から感じる力が強まってるような……?」

「絶対おかしい! 何か、こう、オレも言葉にはし辛いんだけど!

 さっきとは明らかに気配が変わってるんだよ……!」

 

 イーリスのそれはどうやら勘に近いモノで、言語化が難しいようだ。

 俺も俺で、何となく嫌な感じが背筋を這い上ってきている。

 アウローラの方も、何かしらの変化を感じ取っているようだが……?

 そこまで考えたところで、気が付く。

 苛烈に俺たちを攻め立てていたアストレアの《神罰の剣》。

 その動きが、使い手である《裁神》ともども止まっている事に。

 俺たちの存在を忘却したかのように。

 彼女は目を大きく見開いて、足下の《巨人》を凝視していた。


「……馬鹿な、何だコレは……!?」

「おい、何か分かったのか?」

「ッ――――!」


 呼びかけた瞬間、凄い勢いで睨まれた。

 睨まれたが、すぐに視線に込められた力が弱まる。

 敵意と嫌悪については変わらずだが。


「……いや、違う。お前たちではない。あるはずがない。

 ならば誰だ? 私が気付かなかった……?」

『? どういう話だ? こちらにも分かるように説明を――』


 事態が理解できない。

 それにやや苛立ったか、剣の内からボレアスが声を上げた。

 ――その、直後。


「ッ、何だ……!?」


 地面が揺れた。

 いや違う、俺たちが立っているのは《巨人》の上だ。

 つまり足下の《巨人》が大きく揺れたのだ。

 絶えず移動はしていたので、今までも振動そのものはあった。

 しかし今起こった揺れは比じゃない大きさだ。

 どうにか両足で踏ん張り、転びかけたテレサを支える。

 アウローラやイーリスは幸い空の上なので、揺れの影響は受けていない。


「大丈夫か?」

「っ、ありがとう御座います……!」

「ちょっと、本当に何が起こってるのよコレ!?」


 声を荒げてから、アウローラは一つ息を吸う。

 そして揺れ続ける《巨人》目掛けて極光の《吐息》を撃ち込んだ。

 思い切り叩き込んで大人しくさせるつもりだったか。

 単に腹が立ったので、反射的に攻撃しただけかもしれない。

 どちらにせよ、《吐息》はあっさりと《巨人》の外殻を貫通する。

 血肉を熱に焼き切られ、抉れた穴の如き傷が刻まれた。

 《巨人》の全質量を考えると微々たるものだが。

 それでも確実にダメージには……。


「……は?」


 あり得ないものを見て、思わず間抜けな声が漏れた。

 見間違えかと思ったが――違う。

 たった今、アウローラがぶち抜いた外殻の穴。

 

 いや待て、そんなに再生速度早かったか?

 しかも焼かれた傷口は治る速度はかなり遅くなるはずだ。

 にも関わらず、相当な速さで《巨人》の傷は塞がって行く。

 コイツは一体……?


『おい、竜殺し!』

「っと……!」


 一瞬思考に没頭しかけたところに、内からボレアスの警告が響いた。

 支えていたテレサの腕を掴み、揺れる外皮を蹴ってその場から離れる。

 離れて、一秒の間も置かずに。


「汚らわしい怪物が――――!!」


 《裁神》がこれまでで一番の憤怒を吼えた。

 目が眩むような凄まじい輝き。

 光が文字通り洪水となって、《巨人》の上に降り注ぐ。

 《神罰の剣》による大規模な広範囲攻撃。

 全力で逃げた上で、テレサによる短距離の《転移》。

 そのおかげで、ギリギリだが刃の端に引っ掛からずに済んだ。


「助かった!」

「いえ、こちらこそありがとう御座います」


 軽く振り向けば――まぁ予想通り、酷い有様だった。

 ブチギレた《裁神》による一撃。

 それは芋虫の巨体をド派手に抉り取っていた。

 ごっそりと消えた血肉の断面には、山ほどの輝く「剣」が突き刺さっている。

 その中心に変わらず《裁神》が立っているが。


「ッ……は……!」


 明らかに息を乱していた。

 ここまで戦って、一度も消耗した様子を見せなかったアストレア。

 やはり神とはいっても力が無尽蔵ってワケじゃなかったか。

 それでも見た目上は呼吸が荒くなった以外、大きな変化は見られない。

 アストレアは奥歯を噛み締め、右腕を高く振り上げる。

 合わせて、大量の《神罰の剣》が頭上に展開されていく。

 同じ規模の攻撃を、もう一度ぶっ放すつもりらしい。


「無茶苦茶するわね……! 二人とも、こっちに!」

「レックス殿、失礼します!」

「おう、頼んだ」


 アウローラの声にテレサが応じた。

 俺の腕を抱えるようにして、そのまま《飛行》の魔法を発動。

 少し前とは別種の地獄と化した《巨人》の上から素早く離脱した。


『――Aaaa――』


 《巨人》の声が響く中、煌めきが雪崩れ落ちる。

 容赦も加減もない神の裁き。

 ……そういえば、トウテツと《巨人殺し》は大丈夫か?

 大分離れた場所で《巨人》を削っていたし、問題はないと思うが。

 テレサにしがみ付いた状態で、軽く視線を巡らせた。


「レックス、あっち」

「おう」


 ところで、アウローラが傍らにピタリとくっつく。

 そしてこちらに見えるように、遠くの一点を指差した。

 俺たちに向けて手を振る大柄な鬼と、黒い装甲を纏った少女。

 どっちも無事のようだ。


「回収しに行くか。このまま放置は多分拙い」

「そうね、急ぎましょう」

「神様もマジで無茶苦茶な暴れ方してるしな……」


 アウローラとテレサ、二人に運ばれる形で飛竜の上に。

 身を乗り出したままのイーリスは、眼下の惨状に呻き声を漏らした。

 いつまでも降り止まない光の雨。

 《裁神》アストレアの攻撃は未だ続いている。

 山よりも遥かにデカそうな《巨人》の肉が、あっという間に抉れていく。


「マジで大真竜並みの火力だなぁ」

『気を付けろよ、巻き込まれたら文字通り塵も残るまい』

「そんな奴と良く白兵戦なんてやってたよな、ホントに……」

「それが役目だしな、ウン」


 呆れたイーリスさんのツッコミに、とりあえず親指を立てておいた。

 いやまぁ、さっきからずーっと死ぬ一歩手前ぐらいのラインで戦ってたけど。

 直撃したら、その時点で追撃の火力で砕け散りかねない。

 だから兎に角被弾しないよう、死線ギリギリを踏み込み続ける。

 あのまま続いてたらヤバかったかな、とはちょっと思っていたところだ。

 そんな死の舞踏を強制中断させた《巨人》の異変。

 これを「幸い」とはとても言えそうにないが。


『Aaaa――――AAAAAhhhhhh――――――』


 歌声が響く。

 《巨人》の声が、何もない荒野の空へと。

 ……響きがさっきまでとは少し違うのは、果たして俺の気のせいか?

 さっきまでも、肉を削られる苦痛への反応めいたものはあった。

 とはいえそれも微々たるもので、基本的には無機質さが目立つ声だった。

 だが、今はどうだ。

 歌のような声にどこか感情めいたものが混じり出していないか?

 どうにも判断が付かないが――。


「一体何事だ、コレは? 《裁神》が酷く暴れているようだが」

「こっちもサッパリ分からん。

 ただ、どうもおかしな事が起こってるっぽいのは確かだな」

「…………」


 二匹の飛竜を飛ばし、トウテツと《巨人殺し》の回収は速やかに行われた。

 《巨人殺し》は俺たちが乗る飛竜の上にひっぱり上げて。

 もう一匹の飛竜へ、トウテツは自力で飛び乗った。

 その勢いと重量に飛竜は若干顔を顰めるが、ちょっと我慢して欲しい。

 上に乗った《巨人殺し》の少女は無言。

 目線は巨大芋虫の方から離れない。


「……クロ、何か分かった?」

『……あぁ、分かった。

 分かったが、その上で言っておくがなブラザー。

 出来ればこっからすぐ逃げた方が良い』

「それを私が頷くと思う?」

『ブラザーならそう言うと思ってたよ。

 クソッタレめ、一体誰がやらかしやがった?』

「? 悪い、話が見えないんだが」

「私もよ。クロ、一人で納得してないで説明」


 少女の首元から顔を出す黒蛇。

 表情とかまったく分からないが、雰囲気からして相当の渋面だろう。

 蛇の態度が気に入らないのか、アウローラは少しだけ睨んで。


「相棒の言う通りにすべきじゃない?

 異常が起こってる事までは理解できる。

 けど、具体的なことはこっちも把握できてないんだから」

『分かってる。

 今、このデカブツ――「地砕き」に誰かが魂を放り込みやがった。

 しかもただの魂じゃない、神の力を帯びた魂だ』

「神の力を帯びた魂ぃ?」


 なんじゃそりゃと、イーリスは訝しげに声を上げる。

 確か《巨人》には魂がないって話だったな。

 その空っぽの中に、どっかの誰かが魂を入れてしまったと。

 ……それはどうなるんだ?


『もう少し、こっちにも分かるように説明して貰えるか?』

『起こった事としては今言った通りさ。

 普通の人間の魂だったら何も問題はなかった。

 《巨人》の肉に定命の魂は耐え切れない。

 だが、それに神の力が宿ってるとなったら話は別だ。

 少なくとも、潰されて呑み込まれるって事だけはなくなるだろう』

「……何やら含みのある言い方ですな」


 テレサの漏らした懸念は、多分正しいのだろう。

 《巨人》の中に魂が入った。

 その魂は、とりあえず《巨人》の肉に潰されずに堪える事はできる。

 で、そうなったら後はどうなる?


『AAaaaa――Ahhh――――――!』


 ピシリ、と。

 硬いモノがひび割れる音が聞こえた。

 変わらず、アストレアは『地砕き』に裁きの光を振り下ろし続けている。

 その圧力にとうとう《巨人》の外殻が限界を迎えたかと思った。

 事実、巨大芋虫の全体に大きな亀裂が無数に走っている。


『魂を得た以上、《巨人》はただの肉の抜け殻じゃあなくなる。

 だが神の力を帯びていても、それは所詮は人間の魂だ。

 自分の肉体じゃない、本来ならすり潰されるほどの存在強度を持つ怪物の血肉。

 そんなモノの中に放り込まれて、果たして正気を保てると思うか?

「……つまり。

 あのデカブツの中に、頭のおかしくなった人間が入っちまったと?」

『その上、《巨人》の方は魂が持つ力の属性も取り込む事になる。

 神の力だ、それがどんな影響を及ぼすか俺にも未知数だ』


 俺の言葉に、黒蛇は血を吐くような声で応じる。

 恐らく、アストレアもその危険をすぐに認識したのだろう。

 だからこっちに構わず《巨人》に全火力を傾けたのか。


『兎に角いっぺん逃げて、事態を見極めるべきだと俺は思うね。

 ブラザーにあっさり断られちまったけどな!』

「当然でしょうが。そんなヤバいのなら、猶更放置なんて――」

「ッ! 全員身構えろ!」


 相棒の忠告を《巨人殺し》の少女が切り捨てたのと、ほぼ同時。

 トウテツは鋭い声で警告を発した。

 俺の方も、それが耳に届くタイミングには動いていた。

 テレサとイーリス、それにアウローラ。

 三人を腕に抱え込んで、出来る限り身を低くする。

 合わせて、アウローラが歌に似た声を響かせた。

 魔法による力場の防壁は、二匹の飛竜を囲むように展開する。

 ――凄まじい衝撃が大気を引き裂いたのもまた、ほぼ同じタイミングだった。


「ッ……今度は何……!?」

「……なんだありゃ」


 驚愕に呻くアウローラを抱き締めながら、俺はその光景を見た。

 死んだ荒野を今も蠢き続ける『地砕き』。

 たった今、強烈な力の解放を引き起こした中心。

 亀裂だらけになっていた外殻の多くが、その衝撃によって剥がれ落ちていた。

 剥がれた皮の、その下から。

 空を覆い尽くすほどに巨大な、一対の羽根が。


『Aaaaaaa――Ahhhhhh―――――!!』


 泣き叫ぶ《巨人》の嘆きと共に、その背から広がっていた。


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