345話:《裁神》救出


「……おい、マジかよ」


 半ば茫然としながらこぼれたイーリスの呟き。

 その声には僅かではあるが、絶望的な響きが混じっていた。

 無理もない。

 正直、俺もちょっと頭の中が凍り付いたぐらいだ。

 『地砕き』の突然の脱皮。

 そして広げられた一対の羽根。

 次に何が起こるのかは、あまりにも明白だった。


「あの巨体で飛ぶ気……!?」


 アウローラの声もまた、驚愕に震えていた。

 大気が激しく乱れる。

 羽根を大きく動かせば、『地砕き』の巨体が空に持ち上がった。

 外殻の表面を脱ぎ捨てたためか、全体的にサイズは気持ち小さくなっている。

 それでも『地砕き』は十分過ぎるほどにデカい。

 空を飛ぶなんて、考えられない程度には。


『飛んだな。ハハハ、あの大きさで空を飛ぶだと!?』

「流石に俺もビックリだわ。

 あんなクソデカいのに飛べるもんなの?」

「普通はあり得ません。

 仮に《飛行》の魔法でも、あんな質量を支えられるはずが……」

「……とんでもないモノを見たと。

 そう言って終わりに出来れば良かったのだがなぁ」

 

 剣の内で燃える炎。

 ボレアスもまた、目の前の光景に動揺を隠せないようだった。

 普通は飛べるはずがないという当たり前の結論。

 テレサがそれを口にするが、実際の『地砕き』は空に飛び上がった。

 本当に、悪い夢としか思えないその姿。

 それを見ながら、トウテツは低く唸り声を上げた。


「飛んだ奴が、地を這っていた頃より遅いとは思えんぞ。

 見ろ、『地砕き』は進路を変えていない」

『……目的地は変わらずか。

 このまま真っ直ぐ、《国》まで飛んで行く気かよ』

 

 《巨人殺し》の首元で、黒い蛇が変わらず苦渋を滲ませている。

 対して、その相方である少女は。


「…………」


 空を飛ぶ『地砕き』をじっと見ていた。

 特に動揺を見せることなく、口を閉ざしたまま。

 《巨人殺し》の専門家である彼女は、数秒ほど観察に集中して。


「……多分、あの大きな羽根の近くに『核』がある」

「確かか?」

「『核』は《巨人》が動くための力を流すための基点。

 あれだけ大きい器官なら、確実にその近くにある。

 それが幾つかまでは不明だけど」

「クソでっかい身体のどっかに埋まってるってノーヒントっぷりよりはマシだな。

 そこさえ潰せば、少なくとも羽根は何とかなるか?」

「私の予想が正しければね」

 

 断言はしなかった。

 断言はしなかったが、口に出すだけの自信はあるようだった。

 今はそれで十分過ぎる。

 ただ、アウローラは黒蛇と似たような渋い表情を見せて。


「レックス、私たちが無理に戦う必要はないんじゃないの?

 確かに放っておけば、その《国》とやらにあの《巨人》は辿り着くかもしれない。

 だけど、あんなデカブツを私たちで殺し切れるとは思えない。

 逆に私たちがやらなくても、あの《裁神》とかいう女が……」

「……光ってないな」

「え?」

 

 神の力を宿した魂。

 それを呑み込んだ影響か、大幅な変化を遂げた『地砕き』。

 強大かつ未知の敵に挑む無謀さを、アウローラは憂いていた。

 特に俺を気遣う彼女の頭を撫でながら、俺は『地砕き』の方を見ていた。

 ……ちょっと前までは、アレだけ激しく光っていたが。

 今はどこにもアストレアの《神罰の剣》の輝きが見当たらない。


「アストレアの奴はどうなった?」

『あのデカブツの羽化に気を取られて、完全に見逃していたな』


 炎となっているボレアスの言葉に、俺も頷いた。

 そう、うっかり見逃していた。

 『地砕き』が羽根を広げる寸前。

 そのギリギリまでは、《裁神》は火力を徹底的に叩き込んでいたはずだが。


『……今の「地砕き」は、神の力を得ている。

 《光輪》は《造物主》の属性が強いモノは全て弾いてしまう。

 が、それがもし同じ神の力を帯びていたら、正しく効果を発揮しない』

 

 黒蛇の言葉が正しければ、つまり。

 

「今の『地砕き』は、アストレアの《光輪》の影響を受けないって事か?」

『あぁ、そうなるな』

「……じゃあもしかして、ヤバいのか? あの女」

 

 呟いて、イーリスもまた『地砕き』を見ていた。

 《神罰の剣》の光がないって事は、戦える状況じゃないのは間違いない。

 あのデタラメな強さなら、そう簡単に死んでは無いと思うが。


「助けるか」

『竜殺しよ、正気で言ってるか?』

「俺らだけじゃ、あのデカブツをどうにかするには火力が足らないだろ?」


 足らない、圧倒的に足らない。

 どんだけ頑張ったとしても、流石にあの巨体を処理し切るのは困難だ。

 だが、あの神様なら。

 《裁神》アストレアが二度ほど見せて、その度に不発に終わらせた一撃。

 彼女自身が《粛正の剣ケラウノス》と呼んでいた力なら。

 

「神すら利用しての太古の《巨人》退治か。

 ワシは面白く思うが、さてあの恐るべき神が乗ると思うか?」

「そりゃもう、助けた上で恩着せがましくするしかないよなぁ」

「ハハハ! それで言うことを聞くタマとは思えんが、良かろう!

 ワシもお前の思い付きに乗ってやろうではないか。

 どの道、ワシらだけであの《巨人》を滅ぼし切れぬは事実よ」

 

 呵々大笑。

 トウテツは飛竜の上で心底愉快げに笑っている。

 前向きなのは大変ありがたい。

 で、他の皆は。

 

『我は貴様とは一心同体の身ゆえな。

 そちらがやると言うのなら、最初から否はないがな』

「一心同体とか、軽々しく言うのは止めて貰える??

 私だって、レックスがやるなら当然やるわよ。当たり前でしょう?」

「私も、最後までレックス殿に付いて行きます」

「ありがとなぁ」

 

 皆付き合ってくれるようなので、笑って礼を口にする。

 確認するまでもなく、《巨人殺し》の眼には強い意思の光が宿っていた。

 

「《巨人》は殺す。それがどれだけ強大であっても、絶対に」

『……ブラザーはそう言うよなぁ。あぁ分かってる、分かってるとも』

 

 黒蛇も大変そうではある。

 まぁ、その辺はあちらさんの事情だろうからな。

 それは兎も角だ。

 やる事は決まったが、その上で問題はあった。

 羽根を動かす『核』は、その周りのどっかにあるのは推測できる。

 しかしアストレアの現在位置はまったく不明だ。

 予想としては、『地砕き』が脱皮して変化する際に肉の中に呑まれたか。

 仮にそうだった場合、どの辺りにいるか見当も付かない。

 

「アウローラ、アストレアがどこにいるかって探せそうか?」

「試してみるわ。

 あの《巨人》に呑まれてた場合、正確に割り出せるか分からないけど」

「そればっかりはな」

 

 仕方がない。

 ちょっとでも範囲を絞れたなら十分と考えよう。

 一先ず動くかと、そう思った矢先。

 

「……あっち」

「うん?」

 

 黙っていたイーリスが、ある一点を指差した。

 羽根を動かし、空へと舞い上がった『地砕き』の一点を。

 

「何となく、あの金ピカ女の気配がする」

「マジで??」

「分かんねェよ、オレだって何となくそんな気がするってだけなんだよ!」

 

 自分でも良く分からず、地味に混乱しているらしい。

 微妙に自棄っぱちに叫ぶイーリス。

 そんな彼女の方を向いて、アウローラは緩く首を傾げていた。

 

「……ねぇ貴女、何かおかしなところはない?」

「いや、聞かれてもな。相変わらず身体の動きが鈍いぐらいで。

 後はまぁ……今とか、何か変な勘が働くっつーか……」

「アウローラ、どう思うよ」

「この時点じゃ断言できないわね。

 ただ、この子は一度死んで、しかもヘカーティアの内に取り込まれてる。

 何かしらの『変化』が起こったとしても不思議じゃないわね」

「成る程なぁ」

 

 もしかしたら、身体の不調もそれが原因か?

 今は悠長に調べている暇がないわけだが。

 

「……主よ」

「そんな心配そうな顔しないの。

 変化が起こってるのは間違いないでしょうけどね。

 少なくとも肉体と魂に悪い影響は見られなかったから」

「まぁ、そこはアウローラを信用するとしてだ」

 

 一気に不安そうな顔になったテレサの頭を軽く撫でてから。

 

「イーリス。アストレアの気配は今も感じてるか?」

「本当に何となくな。

 近付けばもっと分かるかも」

「最低限、当たりが付けば私の魔法での探索範囲を絞れる。

 上手く行けばすぐに見つかるかもしれないわね」

「よしよし」

 

 絶望的な状況なのは変わらないが、少しだけ光明が見えて来た。

 と――その辺りで、《巨人殺し》が動いた。

 彼女は軽く跳躍すると、俺たちの方からトウテツの飛竜へと飛び移る。

 

「さっきと同じになるけど、二手に分かれましょう。

 そっちはあの《裁神》の救助を。

 私とトウテツは羽根の『核』を狙うわ。

 異論は?」

「ワシは問題ないぞ。

 神を助ける、というのは理屈で分かっても感情ではどうにもな」

「こっちもそれで良いぞ」

「なら、すぐに動きましょうか。

 あのデカブツ、自分の羽根にようやく慣れたようだから」

 

 《巨人殺し》の語る通り。

 少し前までは宙に浮かんでいるだけだった《地砕き》。

 それがゆっくりと――だが確実に。

 高度を上げながら、目指す先の空へと進み始めていた。

 ……いや、ちょっと訂正。

 ゆっくりだったのはホントに最初で、あっという間に速度が乗って行く。

 

『これはさっさと行かんと飛竜の翼では追えんくなりそうだな』

「ヤバ過ぎて変な笑いが出るな。アウローラ、頼んだ」

「トばすから、全員振り落とされないようにね!

 レックス以外は助けないから!」

 

 大変正直なことを叫ぶと、アウローラは二匹の飛竜に指示を出したようだ。

 翼を大きく羽搏かせ、飛竜たちは一瞬で加速する。

 羽根を広げて飛ぶ芋虫……いや、芋虫ではないのか、もう?

 蝶や蛾と呼ぶのも違和感のある醜悪な造形。

 どんどん速度を増していくその巨体に、飛竜たちはギリギリで追いすがる。

 先ず、《巨人殺し》とトウテツがその上から飛び降りた。

 

「ではな!!」

「また後で」

「あぁ、頼んだ!」

 

 羽根の根元辺りに下りる二人を見送って。

 俺たちはもう少し先へと飛ぶ。

 

「イーリス、どうだ!?」

「あっち! 気配が強くなった気がする!」

「……ええ。私も同意見。

 間違いなくあの女と同じ力の反応がある」

 

 イーリスとアウローラ。

 どちらも指差す方向は同じだった。

 今はどこにも傷一つない『地砕き』の背中。

 その一点を二人は指差している。

 さて、頑張りますか。

 

「テレサ、手伝ってくれ」

「ええ、承知しました」

「ボレアスは頑張って貰えるよな?」

『今の我は炎ぞ。焼かれるお前が耐えられるかという話だな』

「そりゃ頑張るしかないよなぁ」

 

 応えながら、改めて剣を構える。

 位置さえ分かれば、残るはこっちの仕事だ。

 と、軽い衝撃が俺の身体を揺らした。

 

「私に対しては何もないのかしら?」

「アウローラさんはいつも頑張ってくれてるからな。

 助かるし、助けてくれるか?」

「ええ、当然ね。出来れば、あんまり無茶しないで欲しいのだけど」

「頑張るだけだからな、ウン」

 

 それを無茶と言われると、まぁそうねぇ。

 笑って、少しだけ抱き締めて。

 そうしてから、俺たちは『地砕き』を見た。

 イーリスは変わらず、その一点を指で示している。

 

「あそこだ。多分、多分だぞ」

「大丈夫大丈夫」

 

 自分でも根拠が分からんせいで、流石に自信がないようだった。

 まぁダメならダメで、その時はその時だ。

 

「先ずは私とテレサで肉を抉る。

 それから貴方が行く。それで良い?」

「頼む」

『ハハハ、精々気を抜かぬ事だな』

 

 ボレアスが笑えば、内なる炎が揺れる。

 テレサが右腕をかざして、アウローラは歌う声を響かせる。

 再度、幾つもの魔法による強化バフが全身を覆った。

 そして。

 

「ガァ――――っ!!」

「レックス殿、お気を付けて!」

 

 アウローラの放つ《竜王の吐息ドラゴンブレス》。

 そしてテレサの指先から迸る《分解》の蒼光。

 二つの輝きが突き刺されば、『地砕き』の外殻がはじけ飛んだ。

 

『Aaaaaa―――――!』

 

 いきなり肉を抉られた痛みからか、《巨人》の咆哮が轟く。

 空気がビリビリ震える中、俺は飛竜の上から飛び降りる。

 そしてアウローラたちが抉った傷口に向けて。

 

「《火球》――――!!」

 

 先ずは火の球をぶち込む。

 炎が爆ぜた、その直後。

 

「《火球》、《火球》、《火球》!!」

 

 一発では終わらせずに、更に何度も炎を重ねる。

 炎熱が荒れ狂う中に突っ込む形となるが、気にしてはいられない。

 荒ぶる炎が肉を焼き、その再生を阻害している間に。

 

「おおぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 俺は竜の如くに吼えて、剣を叩き込む。

 再生が始まれば、この傷もすぐに肉で埋め尽くされる。

 そうなる前に更に深くまで血肉を切り開く。

 アウローラの強化とボレアスの炎。

 並みの《巨人》なら押し切れるだけの力が全身に漲っている。

 焦りそうな心を捻じ伏せて、無心に剣を叩き込みながら。

 

「《火球》……!!」

 

 自分を巻き込んでの炎の炸裂。

 ……《巨人殺し》が散々似たことをやってたが、今なら理解できる。

 こうする事で、再生を焼き潰しながら『核』を狙うために肉を抉ってたワケか。

 俺が今やってるのも、大体似たようなものだしな。

 

『オイ、地味に死にそうではないか?』

「まぁいつもの事なんで!!」

 

 とはいえ、実際に後何度もやるのは地味にヤバいかと。

 そう考え出した直後に、それが見えた。

 真っ黒く焼け焦げた血肉の底、微かに光る金色の輝きが――。


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