幕間4:神災
「……存外つまらない展開になって来たな、コレは」
彼方の空。
余人には届かぬ高みにて。
孤独に佇んでいるのは白装束の男。
神たる男の眼は、果ての景色であろうと正確に捉える。
そして今、その瞳に映っているのは……。
「このままでは、単にアストレアと異邦人の戦いで『地砕き』が削られるだけ。
もう少し――そう、もう少し、展開に捻りが欲しいね。
これではあまりに平凡で、あまりに退屈ではないか。
わざわざ私が出て来た意味がなくなってしまう。
嗚呼、それは本当に宜しくないな」
腕を組み、眉間にこれ見よがしに皺を寄せて。
神たる男は実に勝手な事を呟き続けていた。
旧き天災たる《巨人》が目覚めた。
どの道、それがどこかで砕かれる事は予想の範疇だ。
鎖された地の異邦人がその存在に気付き、積極的に挑むまでは良かった。
《裁神》の対応が思った以上に速かったが、まぁそれも良い。
途中から異邦人と《裁神》の戦いが
全て想像の中に含まれていた流れではある。
想定通り、期待通り。
思った通りに事が運ぶというのは、案外つまらないものなのだ。
大抵の事象を思うままにできる神ならではの贅沢な悩み。
観劇を続けながら、白装束の男は小さく唸った。
「さて、さて。どうする? どうするべきだ?
完全で完璧である私は、こんなありきたりな展開に満足するべきか?
否、否否否否。まったくもって否だ!
それではあまりに退屈で、あまりにもつまらない!
この私が、最も古き神の一柱たる私がそのように妥協してどうする?
この世界は私の玩具で、万物の運命は私を愉しませるための詩編なれば。
万象は私のために消費される義務があるのだから」
――あまりにも。
それはあまりにも、傲慢で手前勝手な言い分だった。
臆面もなくそんな事を口に出来る者が、この世に果たしてどれだけいるものか。
仮にこの場に他の誰かがいたとして、男は同じ言葉を口にしただろう。
一点の曇りもない無慙無愧。
生まれ持っての厚顔無恥。
最も古き神を自認する男は、ごくごく自然に自らを森羅万象の上に置いていた。
「…………が、具体的にはどうする?
直接的に介入するのは賢い手だとは言い難い。
《裁神》の小娘に気取られては、後々酷く面倒になる」
ブツブツと、男は一人孤独に呟き続ける。
このまま予定調和で片付いてしまうのは面白くない。
けれど、仮に勢いで手を出せば同じ神たるアストレアがそれを見逃すはずもない。
男はアストレアの事を恐れてはいなかった。
神としての格は自らの方が上。
力の規模も神威としての古さも上回っていると男は自負している。
《人界》の法は神々同士の争いは固く禁じているため、直接確かめた事はないが。
「……しかし、あの娘は裁きの神。
《人界》に仇なしたと見れば、その権利によって裁きを下せる。
それは神々の争いは禁じるという法よりも優先される。
私が負ける事などあり得んが、そうなっては不愉快極まりない」
自信と過信に満ちた声。
他に聞く者もいない状況で、男は思考を言葉として垂れ流し続ける。
部下は常に傍には置かず、友と呼ぶべき誰かもいない。
孤独な神が何かを語る時は、その多くは自らに対してのみだった。
それについて、男は特に思うことはない。
己は完璧で完全な存在であり、他者は等しく利用するだけの有象無象。
故に並び立ち、対等に言葉を交わすべき者などありはしないと。
そう疑う余地もなく信仰しているからだ。
「ではどうする? どうするべきだ?
『地砕き』が如何にかつての《天使》に迫る無二の災厄であろうと。
魂を持たぬ木偶の坊である事に違いはない。
この大地を這い回る雑多な肉人形ども。
性質としてはそれらの塵埃どもと何一つ変わらない」
どうする?
どうするべきだ?
繰り返される自問自答。
思考の堂々巡りを暫し繰り返して。
「…………そうだ」
一つの閃きが、神の頭脳に舞い降りた。
端的に言えばそれは「余計な事を思い付いた」と表現すべきだが。
まことに残念なことに、その事実を指摘できる者は誰もいない。
仮にいたとしても、男は無礼者を力ずくで排除して終わりだ。
その思い付きを至高の結論と位置づけ、古き神たる男は満面の笑みを浮かべた。
「そうだ、そうだ。
それが良い、そうしよう。
無いのならば与えれば良い!
神たる私であれば、そんな事は造作もないではないか」
笑う。神たる男は満足げに微笑む。
この考えにもっと早く思い至るべきだったと。
反省ではなく、完全で完璧な私も稀にそういう事もあるとだけ結論づけて。
男は無造作に右腕を掲げると、指をパチンッと鳴らしてみせた。
それから一秒の間も置かず。
「――お呼びで御座いましょうか、聡明にして偉大なる《秘神》よ」
宙に佇む男――《秘神》の後方。
やや距離を置いた位置に、一人の男が跪いた姿で現れた。
黒い髪に浅黒い肌をした若者で、動きやすい黒装束をきっちりと着こなしている。
《人界》を支配する十の神が一柱、《秘神》の従者として。
その若者は一分の隙もなく、完璧に礼に則って自らの主人に頭を垂れた。
《秘神》はそれについては何も言わない。
至高の神たる自分に、その程度の事はして当然と考えているからだ。
極めて忠実な――そして数少ない――己の従者を、《秘神》たる男は一瞥する。
「許す、こちらへ来い」
「仰せの侭に」
神の傍に並び立つなど不敬。
しかしそう命じられたならば、従者たる若者に否はない。
言われるがまま、しかし隣ではなくやや後ろに立つ位置へと。
当然、若者は神ではない。
だが従者として、《秘神》から神が持つ力の一端を授けられていた。
故に不死ではないが不老。
加えて神と比べればささやかではあるが、常人を超える能力を得ていた。
翼もなく空を歩く力もその一つ。
「アレを見るがいい。
お前の眼でも、この程度の距離ぐらいは見通すことが出来るだろう?」
「ハッ。神々の千里眼には遠く及びませんが。
……しかし、大いなる《秘神》よ。
恐れながら、あの悍ましきモノは一体……?」
「ハハハ、悍ましい。悍ましいか!
確かに悍ましかろうよ。
アレなるは最も古き《巨人》の一つ。
旧世界を焼き尽くした《天使》にも迫る大いなる災いだ」
まるで自らの成果を誇るように。
偉大なる《秘神》は地を這う巨大な虫を指し示す。
神の力の一端を授かり、その神の従者として従っているとはいえ。
若者自身は単なる人間に過ぎない。
故に彼は、ごく当たり前の本能として恐怖を抱いた。
《巨人》とは穢れであり、人間にとっては抗いがたい死の象徴。
例え安全な場所に身を置こうとも、目にしただけで恐怖が湧き上がる。
怯えを見せる自身の従者に、《秘神》は嘲りの眼を向けた。
恐るべき『地砕き』に気を取られている若者は気が付かない。
「……偉大なる《秘神》よ、我が主よ。
恐れながら、あのような穢れをこのまま見過ごしては……」
「愚図め。そんなことはお前に言わずとも分かっている。
それとも、神たる私に異を唱えると言うのか?」
「いえ、そのような事は決して……!!」
吐き捨てるような言葉に、従者の若者は慌てて平伏してみせた。
恐るべき《巨人》が跋扈し、血に飢えた鬼どもが永遠に争い続けるこの大地で。
神の怒りを買うことほど恐ろしい事はない。
故に若者は心底震え上がり、主人たる神の慈悲に縋りつく。
その様を、《秘神》と呼ばれる男は無機質な眼差しで見下ろすのみ。
顔を伏せた若者は気が付かない。
「――フン、まぁ良い。
いや怯えさせたならすまなかった。
私もね、少々気が昂っているのだよ。
あのような災厄の覚醒は、少なくとも千年はなかった事だ」
笑う声に含まれる嘲りが、誰に対してのモノなのか。
気付かない。
従者たる若者は決して愚鈍ではない。
だが彼は、《人界》の庇護者たる神々を信じていた。
相手がどれほど無慈悲で残酷な存在であるかなど知る由もない。
神を人の尺度で図るなど、これほど不遜な事があろうか。
「そら、顔を上げろ。
お前の言う通り、私とてあの《巨人》を見過ごすつもりはない。
むしろ、お前にはそのための聖なる役を与えようと考えているんだ」
「そ、それは真ですか……?」
「あぁ、神たる私が愚かな人間に何を偽る必要がある?」
従者たる身で、神の尊顔を見上げるなど不敬極まる。
が、許しが出たならばその限りではない。
命じられた通り顔を上げた従者に、《秘神》は柔らかく微笑んだ。
「さぁ立て。そして此処に来い」
「ハッ、仰せの侭に!」
聖なる役目。
それは果たして何であるのか。
恐るべき《巨人》の存在に震えながらも。
若者は言われるがまま、《秘神》の傍らに立った。
「恐怖に思うだろうが、それも直ぐに無くなる。
お前はただ真っ直ぐに、あの《巨人》を見ておけば良い」
「しょ、承知致しました」
そう言われるがまま。
若者は神の傍らで、地を這う《巨人》を見た。
彼の千里眼は神ほどに遠くを視認することはできない。
故に、《巨人》の上で誰かが戦っているという事には気付かなかった。
……仮にそれに気付いたところで、何の意味もないのだが。
「大いなる《秘神》よ。
それで、私がなすべき聖なる役目とは――?」
仕えた神の命じる使命を果たす。
忠実なる従者として、恐怖を上回る喜びを感じたまま。
若者はその言葉を言い終えるよりも早く絶命した。
背中から胸まで一息に。
背後にいた《秘神》の手に貫かれて。
「――これで良し」
ズルリと、血肉に塗れた右手を引き抜く。
特に不快とは思わなかった。
この世の全てが不浄なら、人ひとりの血ぐらいどうという事もない。
用のなくなった肉体は邪魔なのでさっさと捨て去っておく。
必要なものは、その右手の内にあるのだから。
「苦しまぬよう、一撃で即死もさせた。
ならば本望だろう。
お前は望む通り、神たる私の役に立てるのだから」
指を開けば、そこから漏れる淡い光。
それは今殺したばかりの若者の魂だった。
《秘神》の力、そのほんのひと欠片を宿した輝き。
「――《巨人》は魂を持たない。
長い年月の果てに、永遠ではない魂は揮発してしまったからだ」
笑う。
《秘神》は心底愉快そうに笑っている。
殺して奪った従者の――名前すら憶えていない若者の魂。
そこに更なる力を注ぎこみながら、《秘神》は笑う。
「であれば、肉の塊に過ぎぬ《巨人》に魂を与えたなら?
並みの人間の魂では、強すぎる《巨人》の肉に耐えられまい。
存在の強度に負け、ただ押し潰されるのが関の山だ。
――だが、その魂に神の力が宿っていたならどうか」
それこそが、驕れる神の最悪の極みと言うべき思い付き。
既に神威の一端を宿す従者の魂。
そこへ更に過剰なまでの力を与えた上で。
「例えそれが微々たるものでも、神の属性を帯びたならば!
どれほど貧弱な魂でも、《巨人》の肉如きに呑まれはすまい!
さぁ『地砕き』よ、喜べ!
この《秘神》たる私がお前に施しを与えよう!」
彼方の空から、《秘神》は手にした魂を消し去る。
《巨人》の例に漏れず、抜け殻に過ぎない『地砕き』へと。
若者の魂をその深奥へと転移させたのだ。
――変化は速やかに起こる。
そう予測を立てながら、《秘神》は腕を組んで余裕の構えを取った。
さぁ、骰子はもう壺の中だ。
「これで少しは愉快な展開になるだろう?
演者の諸君は、存分に楽しんで行ってくれたまえよ」
そして自分は演出家を気取り、高みの見物を決め込む。
激しい戦いの余波と。
暴れ続ける鬼や《巨人殺し》によって確実に削られていく『地砕き』。
最初は静かに、けれど激しさを加速度的に増して。
神威を宿した魂を呑んだ《巨人》は、大きく変化し始めていた。
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